2005.01XX月XX日 

 

                        最終更新日(update) 2005.04.04

白魚火平成17年1月号抜粋

(通巻第593号)
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(太字文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
  • しらをびのうた   栗林こうじ 
  • 季節の一句     富田郁子  
(とびら)
  • 鳥雲集 安食彰彦 ほか                 
  • 白光集 (仁尾正文選)(巻頭句のみ)
         佐藤升子・金井秀穂 ほか  
         
  • 白魚火作品月評  古橋成光       
  • 現代俳句を読む  渥美絹代       
  • 百花寸評       青木華都子       
  • 俳句界転載             
  • ハンガリー紀行特別作品 坂本タカ女 
  • バルト三国旅行記       大野静枝     
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  • 俳誌拝見(かびれ)   吉岡房代     
  • こみち(山に登ろう) 内山実知世  
  • 句会報 旭川白魚火会        
  • 今月読んだ本      中山雅史       
  • 今月読んだ本      大村泰子       
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  • 白魚火集(仁尾正文選(巻頭句のみ)
          吉岡房代・佐藤勲 ほか 
       
  • 白魚火秀句 仁尾正文       

       白魚火六〇〇号 記念基金寄附者御芳名  

         窓・編集手帳・余滴
   
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 鳥雲集 〔白魚火幹部作品集〕  一部のみ。 順次掲載

 
       丁地蔵 安食彰彦
  

  丁地蔵裏に野菊の径を置く
  
 なつめの実地蔵に影を落としけり
  

 せせらぎの音かろやかに秋あかね
  

 蓑虫の蓑だけ固く残しけり
  

 大木の影足許に日向ぼこ
  

 崖の石蕗みごとなる光(かげ)放ちけり
  
 丁地蔵に風船葛枯るるまま

  黄落期   坂本タカ女

秋深し相見互ひの犀と象
熊檻の檻の爪あと秋の声
同居するペリカンと象岳に雪
音の出る猿の遊具や秋の風
紅鶴の折れさうな脚水澄める
黄落期動物園の本通り
 

 月    鈴木三都夫
  
虫の声押し寄せてくる古戦場
待つほかに術なき月を待ちにけり
ひとときの月を愛でたるあとの闇
鳴く虫もいざよふ月も心ゆく
一壷酒を仏にも供げ月見かな
茶の花の蕊に結びし露微塵
  

 峡に入る  山根仙花

秋草に歩を止めて峡深く入る
数珠玉や水音いつも峡に満つ
峡をゆく手に数珠玉を遊ばせて
廃屋に鶏頭燃えてゐたりけり
鐘の音の長き余韻や夕紅葉
冬眠の蛇の入りたる山ぬくし


 白光集 〔同人作品〕 巻頭句 仁尾正文選


覚えなき腕の青痣夜の長し      佐藤升子
冷ややかな砂利痩せてきし駐車場
さやけしや受話器持つ手に右手添へ
新米の湯気に眼鏡を曇らする
一位の実眉間の皺の薄れきし

竹伐りの乾きし音のしてをりぬ    金井秀穂
薮つ蚊など構つて居れぬ竹を伐る
秋あざみ実を急ぎつつ咲き継げり
秋霜の先づは藷の葉焦がしけり
黄落や注連を張られし大欅

  

 白魚火集 〔同人・会員作品〕 巻頭句  仁尾正文選
 落鮎の焼塩こぼる膝の上       松江 吉岡房代
 コンビニの裏にも猪出るといふ
 線香の腰折れとなる秋黴雨
 秋の夜や僧も仏も酒が好き

 濠端に紙燭を灯し八雲の忌

 穂芒や水場へ続く牧の径       岩手 佐藤 勲
 閉牧の日の馬塞
(ませ)棒は外しあり
 恙なきことを祝ぎ合ひ牧閉づる
 堅肉は親馬ゆづり濃竜胆
 子馬には小さき羈
(おもづら)牧帰り
  

 白魚火秀句  
仁尾正文
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 一月一日付で白魚火発行、編集人安食彰彦氏に副主宰を委嘱した。
 荒木古川先生が昭和三十年九月白魚火を創刊して以来先生は没年の平成十二年一月号(通巻五三三号)まで一貫して発行、編集に身を挺して来られた。白魚火は、この間一号の欠刊も遅刊もなく、本年八月号で六〇〇号に達する見込みである。 俳句雑誌を発行し続けてゆくのには、発行、編集業務が根幹であるということを古川先生は如実に指し示された。安食氏にもこの任を担って戴きたく白魚火の副主宰を委嘱した次第である。
会員諸兄姉のご支援ご協力を切望したいのである。


ほりばた   ししょく
濠端に 紙燭を灯し八雲の忌  吉岡房代

 『しまね俳句歳時記』(平成七年、島根県俳句協会刊)によると小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=一八五〇〜一九〇四)は英国人を父に、ギリシャ人を母としてギリシャに生れ、幼時はアイルランドで過ごし、十九歳の時単身渡米、新聞記者として活躍した。一八九〇年(明治二十三年)三月来日、島根県尋常中学(現松江北高)と尋常師範学校で英語を教えるため八月松江に着いた。(中略)小泉家の次女セツが家事一切の世話をし(中略)ハーンはセツの婿養子となり日本に帰化し、姓は小泉、名を八雲と改めた。以来、熊本高校、文化大学、早稲田大学の講師をしたが、一九〇四年九月二十六日突然狭心症の発作で倒れた。(後略)
 長々と引用したのは、講談社の『日本大歳時記』をはじめとし角川書店、雄山閣出版、明治書院、文芸春秋社やその外から出ている歳時記には「八雲忌」が録されていないのである。
 現在、ハイクという日本語が国際語として諸外国に通用するようになっている、つまり、俳句が全世界に普及しているのである。明治六年に来日し四十年間在日した英人B・H・チェンバレンに次いで八雲が西洋に俳句等々の日本独自の文化をよく伝え、俳句国際化の先駆者の役を担ったのである。俳句界においては見落してはならない八雲の忌日が多くの歳時記から欠落していることは、歳時記編纂に問題があるように思えてならない。
 今年は八雲没後百年、掲句の如く、松江城の濠端の路上に紙燭を並べるなどして心の籠った修忌がなされたようである。

覚えなき腕の 青痣夜の長し  佐藤升子
           (白光集)

 シャツを脱いでみると二の腕の上方に青痣があった。これ程の痣ならばかなりの打撲であった筈であるが全く覚えがなかったのだ。こういう体験は誰にでもあることであるが、掲句はそれを「夜の長し」と取り合わせてポエム(詩)を生んだ。作者の感性のよさに驚いたのである。同掲の
さやけしや受話器持つ手に右手添へ 升子
は一転してしとやか。左手で取り上げた受話器に右手を添えて話し相手にかしこまっている。「さやけしや」と詠嘆するような電話の内容だったのであろう。

    ほすすき                     
穂芒 や水場へ続く牧の径   佐藤 勲

 起伏のある広い牧場。一処に小流れがあり牧馬が毎日一、二回水を飲みにここに集ってくる。水場へ続く牧場のくねくねした小道は牛馬が踏み固めて自然に出来たものだろう。
 「穂芒や」と初秋の穏やかな景物を見せておいて「水場へ続く牧の道」と伸びやかなしらべで一句を仕上げている。気候も天気も作者の心も平安そのもののようだ。

     藪つ蚊など構つて居れぬ竹を伐る   金井秀穂   
     (白光集)

 仲秋の竹の春は竹の成長期で、最も質が良いのでこの頃竹を伐る。まだ耳元ではわんわんする程藪蚊もたかってくるが竹伐り作業では蚊に構っている暇はない。
 掲句は「藪つ蚊など」とわざと上句を六音にしているのは「こやつ奴」という嫌悪感をひびきで表出したもの。
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
は中八音、「槍投げて」の「て」が青年期の淡い愁いをよく出した秀句。掲句もこれに通じる。

ほし だいこ                  
吊されて力抜きたる干 大根   萩原峯子

 はち切れんばかりであった生大根が吊し干しされて萎びてきたさまを「力抜きたる」と一足踏み込んで描写した。客観写生には主観が大いに働かなければならぬが、出来上がった作品は掲句のごとく主観の跡が払拭されてないといけない。

 おも
琵琶打ちの面

ほのかなる月の宴   高見沢都々子

 琵琶打ちは、この句の場合は琵琶の演奏者である。「面ほのかなる」は月影に照らし出された面輪。「琵琶打ち」「ほのかなる」「月の宴」と美しい言葉を連ねて一句自体を雅びやかに完結したのは作者の芸による。

      義経の菊人形に惚れ直す    藤田ふみ子

 判官贔屓という言葉は、薄命な英雄義経を愛惜することから生れた。菊人形では凛々しさと愁いとを強調して義経を作るのである。判官贔屓の作者はしげしげと見て改めて惚れ直した。「惚れ直す」が抜群におもしろい。

  ゆ ず
 柚子の木に十一月の日射しかな   松澤 桂 

 黄熟した柚子の実は美しいが、この句は「柚子の木」として一且柚子の実を隠し「十一月の日射しかな」と再びスポットライトを当てて黄金色に輝く柚子を浮き立たせた。 みごとな手法である。

     嫁ぎ鳥水占ひの吉と出る   林やすし

     せんわた とおだいせん
仙渡し 遠大山のかがやける   黒田邦枝

 前句の「嫁ぎ鳥」は鶺鴒のこと。イザナギ、イザナミ両神の「みとのまぐはひ」にこの鳥が尾を振りつつ先導したのでこの名がついた、と歳時にあった。四十余年作句してきてこの季語を知らなかったことを白状しておく。
 後句の「仙渡し」はどの歳時記にもなく、調べてみると「大山の初雪」とのことであった。山陰地方では通用している季語だという。富士の初雪が九月六日頃だから「仙渡し」は十月初旬頃か。詩語のような地方季語、全国区にしたいものだ。

こん しじゅうごねん
四十五年の月日着膨れて   古藤弘枝

 金婚まで後五年。永いようでいてアッという間でもあった。その感慨を「着膨れて」で表徴した。「伊達の薄着」「伊達すりゃ寒い」という言葉がある。「着膨れて」はその逆、質実、不粋な半生であったという述懐である。

そつじゅ     くがつじん  
なんとなく過ぎて卆寿 の九月尽  山口吉城子

 前句と軌を一つにした作。作者は九月末日をもって満齢九十歳になったようでめでたい。この作者を入れて白魚火では九十歳以上が八人以上居る。何れもが健吟されていて、私共には大きな励みになっている。

その他の感銘句
白魚火集より
正座して風生庵のそぞろ寒 村松典子
藁塚の作りかけなる一つあり 中山雅史
逃げ易き峽の日を追ひ豆叩く      池田都瑠女
川二つひとつになりて鵙鳴けり 樋野洋子
薄紅葉お茶を淹れなほしませうか 川崎ゆかり
お十夜の花生け終へし膝払ふ 谷口泰子
朴の実や老の疎遠を許されよ 前川きみ代
朝寒の牛の鼻息見えて来し 関うたの
赤ん坊に豊かなくびれ小鳥来る 山岸美重子
表札にペットの名前小六月 橋本快枝
木犀や修道院の高き塀 花輪宏子
赤い羽根すこしお洒落につけくれし 広岡博子
柿紅葉桜紅葉と日々掃けり 杠 和子
うすもみぢ見むと山寄せ遠眼鏡 錦織高子
クリークに菱の実取りの桶浮ぶ 太田尾利恵

      

白光集より
掃くあとに風の置きゆく柿落葉 青砥静代
寸寸といふ言葉あり破れ蓮 大滝久江
完走し快気を祝ふ菊の酒   高添すみれ
稲刈りしあとに雀の降るやうに 滝見美代子
野分中直立したる忠魂碑 西村輝子
稲架解きて里の日暮の早まりし 山田ヨシコ
強風に腰の曲りし大根引く 麻生清子
不揃ひの朱盃登拝の神酒を注ぐ 五十嵐藤重
木の実落つ流線形の猫の伸び 小林さつき
死ぬるときは千草の花があれば良い 布施里詩

  

 ▼句会報●●●●●●●      
 わが道場旭川白魚火会   "句会報 転載"と重複掲載)
   平間 純一
ムックルの幻想的な調べで始まった平成十五年夏の白魚火全国大会が、旭川で行われ全国の皆さまに大きな感動を頂いたのも、つい昨日のようです。
 旭川白魚火会は、昭和四十年、坂本タカ女さん、宮野一磴さんにて発足、その後故藤川碧魚さん、佐藤光汀さんなどが加わり、大きく発展しました。昭和六十三年にも、旭川にて全国白魚火俳句大会が天人峡で開催されました。 現在は、坂本タカ女会長を中心に、宮野一磴さん、佐藤光汀さん、三浦香都子さんの指導の下、月二回の定例句会を開き、当季雑詠を毎回十句投句します。私たち若者組六名にとっては、毎月二十句を作るのが本当に大変でした。しかし、前記四名の先生方をはじめ、東條三都夫さん、五嶋休光さん、金田野歩女さん、滝見美代子さんなど大先輩の句が、まるで恵雨のように私たちを育て、何とか先輩方に付いて行けるようになってきました。
 選は、互選各十句、前記四名の選者並選十〜二十句、特選五〜十句で、特選を頂くと、その日の疲れも飛んでしまいます 最後に選者の評を頂き、質問や連絡事項などがあり、二時間半〜三時間があっという間に過ぎます。 私たち若者組にとっては、俳句道場という感じで先生方の真摯な姿勢には休まず出て応えるしかありません。
 しかし、吟行会などの行事は、私たちに任せてくださり、先生方も笑顔で参加され楽しく盛り上げてくれます。
 姉妹句会の寒椿会、葉月会、実桜会とを合せて三十名程の合同の新年句会に始まり、春のお花見句会、夏の泥鰌鍋句会、春秋の市民俳句大会と直会、そして忘年句会などが年中行事です。
 来年は、全国白魚火六百号記念大会があります。さてさて、どんな出し物にしましょうか。一杯やりながらの作戦会議も、また楽しみです。

こだはりの縄の切り口雪囲      
下枝より梢よりさくら紅葉かな    
初鴨のばらばら降りるおぼつかな   
雪婆飛び疲れたる綿の色       
盆栽の林檎の一個成りにけり     
納得の色となりたる鷹の爪      
嬰児の結んで開いて秋日和      
棒読みの議事応答や日の短か     
ふたつめの稲荷鳥居や刈田晴     
日本国字北海道鳥渡る        
白樺の幹の白さよ望の月       
静かなる頓宮の橋鴨来る       
山動く如くに変はり秋の山      
身に入むや一壷に深き淵のあり  
タカ女
一磴
光汀
三都夫
休光
香都子
野歩女
美代子
富士子
さつき
峯子
紀子
佳範
純一


鰌鍋句会。
ああ、美味しかった。

 百 花 寸 評     (平成十六年十月号より)
   青 木 華都子 


何もかも忘れて滝を仰ぎけり  大石みえ子

 轟き落ちる滝の音と、髪を濡らすほどの飛沫に清々とした大自然の中に身も心も溶け込んで、作者はその時“無≠ネのです。句帳を手に「何もかも忘れて」と記した時、現実を俳人の目となったのです。ためらうことなくすらりとまとまった掲句なのでしょう。

もう恐くない遠雷となりにけり  加茂川かつ

 風が出てぽつぽつと降り出した雨、たちまち暗くなる一天は、無気味なのです。近づいて来る遠雷が迅雷となり、しばらくあばれ回った雷が、まるでうそのように、雲の切れ間より青い空が見えてきて、去っていく遠雷にほっとして「もう恐くない」と緊張の解けた一句。

木の枝も影も動かぬ油照   竹田環枝

 家の中にいても熱中症になって救急車で運ばれた人がいた等と聞きます。連日三十度を越える暑さと、道路からの熱気の照り返し、ひくりとも動かない木の枝、その影も動かずじりじりと焦げるような油照り、毎日発表される予報での最高気温が何日続いたことか。
 朝夕涼しくなった昨、今日でも掲句に、また暑さを感じさせられます。

むだ骨と思ひたくなし草を引く  丸谷寿美子

 早朝、それとも夕方でしょうか?無心に草を引く作者。取ったかと思うと、また何日か後には、はびこる雑草をまた引くのです。「むだ骨と思ひたくなし」決してむだ骨ではないはずです。草を引いたあと黒ぐろと顔を出した土の匂いは草を取った作者だけがその土の香を満喫できるのです。頬の汗を拭ったあとの爽やかさ・・・良い汗ですね。

梅干して三日三晩の長し長し  中山まきば

裏返し干す梅の粒揃ひけり    樋野洋子

梅干して同じ形はなかりけり  山田十三子


 掲三句いずれも手間と時間をかけて、代々受け継がれている我が家の味、貴重な梅干なのです。右一句目の「三日三晩」目も手も離せない三日三晩なのです。毎日の天候を常に気にしながら、天日に干したり半日陰に取り込んだり、土用の夜干しの三晩でその味がしまるのだそうです。
 二句目「裏返し干す」平らな笊に重ならないように並べて程良い干し加減を見逃すことなく裏返しては又裏返す作業は気の抜けない干し上がる迄の大切な行程なのです。
 三句目「同じ形はなかりけり」庭の梅を一粒一粒傷を付けないようにもいだのでしょう。指先に触れる青梅の産毛の柔らかさまでが伝わって来ます。大小粒の揃わない形が、正に自家製なのです。誰にも真似の出来ない家庭の味、おふくろの味は癒しの味なのです。親から子へ伝えてほしいですね。

日のほてりある干梅をいただきぬ  茂櫛多衣

 掲句は右三句のように丹誠を込めて干した梅をいただいたのです。ほど良い塩味に唾液腺を刺激する“すっぱさ≠ニ日のほてりは、いくつになっても忘れられない母の味、おふくろの味なのです。

山井戸に熟れしトマトを冷やしけり  大城信昭


 つぶつぶの種子まで完熟したトマトを山井戸に冷やす。何と贅沢なこと、うらやましいですね。ほど良く冷えたトマトを丸かじり。自然に冷やされたトマトは本当の味、格別な味なのです。お日さまの匂い、大地の匂いが口中いっぱいに広がって、郷愁を伝えてくれる一句。

蚊遣香焚けるテラスの夕餉かな  大石美枝子


 蚊遣香を焚いて「夏」を実感するのです。星を仰ぎ、ひとすじのすず風の通うテラスでの夕餉に会話の弾むひと時、家族団欒の和やかな雰囲気の伝わって来る嬉しい一句です。

大西瓜腹でかかへて貰ひけり  横田みよの

 笑ってはいけないと思いつつもつい「腹でかかへて」腹をかかえて笑ってしまうような楽しい一句です。掲作者であるから尚のことユーモアを感じるのです。

余生とは水の如くに冷奴  土江ひろ子

 この場合の「余生」は辞書にある余生ではなく、日常生活の中で何一つ心配することなく、これからは俳句三昧になれるゆとりの余生なのです。中七の「水の如くに」の如が何故かなめらかなのです。下五季語の「冷奴」も強くなく、弱過ぎず気負いのない、すんなりとした一句です。

また伸びてつんつるてんの子の浴衣  曽我津也子

 裄も丈もまるで借り着のように、つんつるてん「また伸びて」と言いつつも、我が娘の成長は嬉しいのです。

父の忌や父に似し雷すぐ去れり  高橋静女

 まるで雷のような父親の一喝、父の愛を思い出されたのでしょうか。

空蝉の手にやはらかき湿りかな  関うたの


 いま脱いだばかりの蝉の殻の湿りを掌にして・・・・・・。良い句材に出合いましたね。

少年の選手宣誓汗光る  井上春苑

 高校野球の宣誓なのでしょうか?高だかと右手を上げて額に光る汗は、この時でなければ味わうことの出来ない思い出に残る汗なのです。

  その他の感銘句

電柱の陰も日除けと思ふ道     
吊橋で大げさに振る夏帽子     
浴衣着し十六歳の脚長し      
片付かぬ机の上の暑さかな     
饒舌に女三人ビール酌む      
奉仕終へ一気に飲めり氷水     
もの忘れ暑さのせいにしてしまふ  
蝉しぐれ日の落ちるまで休まずに  
密やかに蔀戸下ろし滝見茶屋    
淋しさを明るく語る花芙蓉     
足立美津
岩崎昌子
山田秀子
山口菊女
長谷川文子
坂口青山
武田美紗子
唐沢さと子
土屋 允
吉原ノブ

筆者は栃木県宇都宮市在住


禁無断転載