最終更新日(updated) 2010.02.04

平成17年度平成17年度 白魚火賞、新鋭賞   
           
      -平成22年2月号より転載
 白魚火賞は、前年度一年間(平成21年暦年)の白魚火誌の白魚火集(同人、誌友が投句可)において優秀な成績を収めた作者に、同人賞は白光集(同人のみ投句可)の中で同じく優秀な成績を収めた作者に授与される。また、新鋭賞は会員歴が浅い55歳以下の新進気鋭作家のうち成績優秀者に授与される。
選考は"白魚火"幹部数名によってなされる。   

 発表

平成21年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  平成21年度の成績等を総合して下記の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります
              平成22年1月  主宰  仁尾正文

白魚火賞
 奥野津矢子
 村上尚子

同人賞
 小川恵子 

新鋭賞
 田口 耕
 稗田秋美


 白魚火賞作品

 奥野津矢子      

     寒 晴

たつぷりと水ある春の小川なり
丸薬が二つ耳順の春来る
種浸す陸羽一三二号の裔
野ばらの芽噂話の美酒めきて
百の墓百には足らぬ座禅草
母よりも白き戴星駿馬の子
青嵐や走りたくなる馬なだめ
目印となる禅寺の合歓の花
風鈴や明日は晴るる音がする
蛍狩みんな第一発見者
繋ぐ手の欲しくなりたる蛍の夜
畳まれて藍の濃くなる日傘かな
藍洗ふ水の涼しき藍工房
ぽんぽんダリアぽんと一つが秋に入る
萩の風農一代の父の墓
夕暮れの力抜きたる案山子かな
冬の川音は流れの中にあり
なんだ坂こんな坂冬の坂登る
汽車が哭く延々と哭く雪地獄
寒晴や朝の番茶をなみなみと

  村上尚子   

 クリスマス 
  
春の夢見むと両手を胸に置く
異人墓地椿日当たりつつ開く
長靴の好きな子供やチューリップ
さへづりや樫の木に吊る飼馬桶
孕猫撫でて虚子忌と思ひけり
船に足とられ卯の花腐しかな
渡し船椅子にハンカチ広げけり
研屋より戻る包丁夏まつり
昇降機開く先頭のパナマ帽
読みさしの本積み簾隠りかな
少年の五分刈り頭稲の花
半分の貰ひ手がつき冬瓜切る
露踏んでラジオ体操始まりぬ
月光や固く閉ざせし勅使門
川筋の一つとなりし下り鮎
鷹放つうしろ赤松林かな
やどり木の毬高く上げ山眠る
校舎より声が聞えてクリスマス
百畳の部屋百膳の七日粥
寒垢離の水の滴る桶を積む      

 白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  奥野津矢子       

 白魚火賞のお知らせに心躍らせながら、ふと考えてしまいました。私が白魚火賞を戴くまでに何年掛かったのだろうと・・・新鋭賞を戴いてから二十年以上、正直白魚火賞は高嶺の花でした。情緒も感性も乏しく、草木の名前もまだまだ、鳥の名前は初心者、各地の神事に至ってはお手上げです。
 それでも毎月の実桜吟行句会、野歩女さん達が揃う年一回の実桜総会、時々ご一緒出来る旭川白魚火会のタカ女先生達との句会等、楽しくて会えば言いたい事を言い合ってそれで幸せと思っていました。全国大会に参加出来るようになってからは益々嬉しくて、夫には「勉強に行って来ます!」と毎年の恒例化に成功。
 勿論毎月の白魚火投句の時は悩みます。推敲の難しさについ見切り発車してしまう時もありますが、休まない事だけをモットーに続けてきました。そのご褒美かと思いながら、やはり嬉しい、嬉しい白魚火賞です。本当に有り難うございます。仁尾先生はじめ皆様のご指導のお陰と感謝致します。これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します。

  経 歴
本  名 奥野ツヤ子
生年月日 昭和二十四年
住  所 札幌市南区
家  族 夫、長女
  俳 歴
昭和六十一年 白魚火同人
昭和六十三年 白魚火新鋭賞
平成十七年  みづうみ賞秀作
平成二十年  みづうみ賞佳作
平成二十一年 みづうみ賞佳作
       俳人協会会員

〈津矢子さんは名句会係〉 金田野歩女 
 
 実桜句会の互選集、会報は一年交替の事務局が発行しています。今年は私が担当していますが、平成二十一年十月で三百号をむかえ、『おめでとう』と巻末に記し祝意を表しました。
 それから数日後のこと、仲間の奥野津矢子さんが平成二十二年度の白魚火賞を頂く事になったと、ビッグニュースが舞い込みました。津矢子さんのお喜びは勿論ですが私達も皆本当に嬉しくて、言葉に表す事が出来ません。
 先師故藤川碧魚先生に、「景七情三の俳句を作りなさい」と教わりましたが、私は僅か三の情さえも仲々表現出来ずにいます。でも津矢子さんはユーモアたっぷり、リズム感のある情感豊かな句を私達に示してくれます。
  春一番二番三番髪切りに
  似合ふまで試してをりぬ春帽子
  金魚飼ふ夫は無益なことが好き
  母のこと叱つてしまふ粥柱
  寒紅を曳くほほゑみの形して
 この頃はそれに加えて景をじっくり観察し豊富な語彙を駆使して、今迄の明るさの中に深みが加わった句を詠まれるようになったように思います。
  夕星に届きさうなる辛夷の芽
  跳ねながら仔馬の帰る落暉かな
  夏帽子鍔を空へと折り返す
  森のこゑ届けて厚き落し文
  豊の秋支へし棒の傾ぐまで
  足場から瞳を入るる雪の像
 津矢子さんを語る時、名句会係としての一面を特記したいと思います。仲間うちの句会、吟行会ではいつも用紙や短冊を用意して下さり、清記、進行と誠にスムーズに会を運んで下さり、安心してお任せしています。句会が終った時にはいつも清々しい充足感を味わえるのです。
 平成十五年旭川で行なわれた全国大会の折には、旭川白魚火会、寒椿会の方々と実桜会で句会係をお引受けしましたが、その時も中心になって活躍して下さいました。コピー機を使って互選用紙、代表選者作品集の作成。句会では披講者の読み上げる句をその場で作者を探す作業等、全てが同時進行で正確さとスピードを要求されました。私は句会の司会をさせて頂きましたが、流れを停滞させる事なく進める事が出来たのは、津矢子さんを始めとする「チーム旭川」の絶大なる陰の力に外ならない事でした。
 平成十九年四月には仁尾主宰、安食副主宰にご来道頂き、北海道鍜錬句会を致しましたが、この時も句会係の中心は津矢子さん。吟行会でしたから旅先のお宿、昼食会場のお寿司屋さん等悪条件の中、日頃の実力を発揮してどの会場でも気持の良い句会になり、仁尾先生もとても喜んで下さいました。
 平成二十一年の函館の大会でもその力量が買われ、メンバーは少し入れ替りましたが、「チーム旭川」が復活し函館の方々と良いお仕事が出来たとお聞きしました。
 度々俳句に登場するご主人は長い間単身赴任をされ、その激務から自宅に戻ると外出はしたがらないそうで「一緒に出かけたい所もあるのだけれど・・・」とおっしゃる事もありました。近年単身赴任が解かれ、第二の職場では少しのんびり出来る様になったのでしょうか。「山菜採りにつきあってくれるようになったの」と嬉しそうです。今迄より一層ご主人との楽しいご様子が伺えるかも知れません。津矢子さん、白魚火賞おめでとうございます。

  〈受賞のことば〉  村上尚子         

  夕食の片付けもほぼ終り、夜の自由な時間が始まろうとした頃です。突然の電話で受賞のお知らせを戴きました。
 「白魚火」に入れて戴いてまだまだ日の浅い私がこの様な栄誉ある賞を授かることに、喜びより先ず戸惑いの気持を強く感じております。
 全国大会への出席も今年で六回目を数え、皆様のお名前とお顔が次第に結び付く様になり、大会の楽しみの一つとなって参りました。
 「木語」終刊以来五年、今はすっかり「白魚火」の一員になり切っている私です。今後も心の中にいつも俳句があるという、前向きな気持と喜びを忘れないで進んで参りたいと思っております。
 この度の受賞につきましては、仁尾主宰はじめ諸先生方の温かいお力添えと、「磐田槙の会」の黒崎治夫先生の日頃の御指導の賜と感謝しております。そして長年、いつも身近に俳句の道を学んできた先輩や、句友の励しに心から御礼申し上げます。
 今後共よろしく御指導下さいます様お願い申し上げます。誠に有難うございました。

  経 歴
本  名 村上尚子
生年月日 昭和十七年
住  所 静岡県磐田市
家  族 夫
  俳 歴
平成四年 「木語」入会
平成十五年「白魚火」入会
平成十六年「木語」終刊により退会
平成十七年「白魚火」同人
     「白魚火」みづうみ賞選外佳作
平成十八年「白魚火」みづうみ賞受賞
      俳人協会会員

<村上尚子さんの横顔>〉 鈴木敬子
 
 平成二十一年六月二十五日。大リーグマリナーズのワカマツ監督は、イチローについてこう語っている。「全く敵に回したくない選手だね」この日イチローは四十度目となる一試合四安打を記録した。
 俳句では敵がいることはありません。しかしライバル・好敵手と思い注目する方が、結社内外に何人かはいるはずです。村上尚子さんをそう考えていた人も、今回の白魚火賞には瞠目されたのではないでしょうか。入会が平成十五年ですから、六年目での受賞です。
 尚子さん白魚火賞おめでとうございます。
 才気煥発。この四字熟語は一〇〇パーセントの褒め言葉ではないかもしれません。でも外の言葉を見付けることが難しいのです。常にプラス志向の人、社交家で誰にでも優しい心くばりの出来る人。そんな尚子さんの最も優れていると何時も思うことは、「その日の事はその日にすます」という当たり前のことを、当たり前にこなしていることです。これは大変な資質なのではないでしょうか。
 私達は四・五人の吟行を年に何回か不定期に行っておりますが、そんな時、計画を立て先頭を切って歩くのは、いつも尚子さんです。
 平成十八年に「みづうみ賞」を『山行』で受賞してから、尚子さんの俳句は自信に満ちて来たと思います。NHK全国俳句大会の題詠部門「光」で、岡本眸特選となったのはその直後のことでした。
  みづうみの光一枚寒に入る
 その自信が確信に変ったのは、月評欄を二年余り担当した後のことの様に思います。「月評」を担当するということは、誰にでも出来ることではありません。仁尾主宰の激励でもあり、愛の鞭でもあったでしょう。そのハードルを尚子さんは乗り越えました。
 今年も、尚子さんの快調はつづいています。九月二十六日に奥山方広寺観月俳句大会で七名の選者の中二名の特選を得ました。
  満月に攫はれさうな赤児かな
  空箱の中も空箱終戦日
 十月二十八日。俳人協会静岡県支部の俳句大会では、本部特別選者星野恒彦氏の秀逸と県内選者の特選になりました。
  一つづつ物借りに出るテントかな
  石一つ足してケルンと別れけり
 素晴しかった。楽しかった。美味しかったの函館大会では、仁尾主宰特選三席・白岩先生と渥美絹代さんの特選の外に、二つの特選。
  朝霧をきて讃美歌に声合はす
  蛇笏忌の明日は素十忌木の実降る
  長き夜の函館の灯を惜しみけり
 尚子俳句は、これからもさらに磨きがかかることでしょう。次のチャレンジを、私は磐田槙の会の連衆と共に見守ってまいります。次の五句は、受賞作品の中から選ばせて頂いた敬子の特選句です。
  校舎より声が聞えてクリスマス
  足元に日の及びけり甘茶仏
  出来具合誉めて茅の輪をくぐり行く
  研屋より戻る包丁夏まつり
  エプロンの紐締め直す大暑かな
 ワカマツ監督は今シーズン最も印象に残ったシーンは、と聞かれ「イチローのサヨナラ本塁打だ」と答えている。尚子さんのアーチも見事な弧を描いて、センター後方の最上段に届きました。


同人賞
 小川恵子

  盆の月

梅ふふむ日差しの匂ふひとところ
靴紐を結ぶ春立つ橋の上
小流れに芹の縺れを梳きにけり
ゆるやかに塔を揺らして糸桜
花疲れのんどにやさし朝の粥
おしぼりにミントの香り五月来ぬ
あぢさゐの色まだ置かぬ裏鬼門
塩舐めに牛の集まるえごの花
切株の涼しき距離に夫とゐて
野外劇三千人の団扇風
留守二日茄子は臀を土につけ
力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ
積み上げし荒草匂ふ夏の果
まだ兄のゐる故郷の盆の月
会津西街道釣瓶落しかな
搗きたての新米ぬくき紙袋
急流の渦の放さぬ紅葉かな
路地裏が好きで迷ひて花八つ手
懸大根たちまち風の寄つてきし
蓮枯れていよよ澄みゆく塔の空

 -同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 小川恵子         

 この度は、同人賞ありがとうございました。安食副主宰よりお電話を戴き、とても信じられない気持でいっぱいでした。
 学校卒業以来、賞とは全く縁のない私が、このような大きな賞を戴きまして大変光栄に思っております。
 俳句との出会いは十八年前、高校時代からの親友の加茂都紀女さんのお誘いにより、軽い気持で始めました。簗瀬俳句教室では、故橋田一青先生のご指導を受け俳句の第一歩を踏み出しました。そして現在は、花みずき会では青木華都子副主宰に、また白魚火俳句会では野口一秋先生にご指導を戴いております。何度も挫折しそうな時もありましたが、吟行や句会での充実した時間が楽しく今日に至っております。
 今回の賞を戴けましたのも、仁尾主宰をはじめ白岩敏秀先生、又栃木県白魚火会の諸先生方のご指導の賜と心よりお礼申し上げます。又いつも暖かく私と接してくださっている句友の皆様に心より感謝いたします。
 今後ともよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

  経 歴
本  名 小川惠子
生年月日 昭和十四年
住  所 栃木県下都賀郡
家  族 夫
  俳 歴
平成三年  簗瀬俳句教室入会
平成四年  白魚火入会
平成六年  白魚火同人
平成二十年 俳人協会会員
平成22年度 白魚火賞

  <小川惠子さん同人賞を祝して> 青木華都子   
     
 同人賞受賞おめでとうございます。惠子さんの受賞によって、栃木県白魚火の誌友の皆さんに更なる意欲が湧いて来たのではないでしょうか。
 惠子さんと私の出合いは平成三年簗瀬句会で、今は亡き橋田一青先生のご指導をいただいていた頃かと思います。そして惠子さんはその翌年、平成四年に白魚火に入会されて、平成六年には白魚火同人、とんとん拍子に、その頃から既に実力作家としての道を辿りはじめていたのです。物静かで、それでいて俳句に対しての情熱は計り知れないほどでした。平成二十一年一月号から十一月号まで、その中で、白光集巻頭一回、準巻頭一回、五句欄五回、白魚火集巻頭二回、五句欄四回と目を見張るばかりの躍進ぶりでした。豊かな感性と、たゆまぬ努力によって、この度の同人賞につながったのです。
 同人賞受賞が決定をして、私のところに電話がありました。その内容は受賞についての執筆依頼でした。私も自分の事のように嬉しく、喜んでお引き受けを致しました。共に俳句を学ぶ仲間として、平成七年に、花みづき支部を発足、早いもので今年で十五年が経とうとしています。月一回の句会ですが惠子さんは、その要として、句会、勉強会を盛り上げてくれているのです。今一番輝いている惠子さん。栃木県白魚火を代表する作家として、誌上では、いつも上位を占めて、なくてはならない存在になっているのです。
 数多くある惠子さんの秀句の中から、目に止まった感銘句を掲載して、お祝いの一筆を結びます。
   注連飾る蔵百年の錠前に
   大皿に男の料理ちやんちやんこ
   二月早やポケットにある句帳かな
   紅梅の発火しさうな蕾かな
 「発火しさうな」ユニークであり、新鮮。
   春光を鋤き込んで土匂ひけり
   土手光る子等に春光惜しみなく
 同じ春光でも、その違いを、とらえた惠子さんの目と心の動きが伝わって来ます。
   ドロップの缶より転ぶ春の色
   桜の精ゐるかも野点傘の内
   梅雨兆す角の崩れし角砂糖
   路地裏が好きで迷ひて花八ツ手
 十一月号、主宰仁尾正文先生選
 巻頭句、五句
   切株の涼しき距離に夫とゐて
   香るものスープに浮かべ秋涼し
   まだ兄のゐる故郷の盆の月
   篝火を焼べ足す踊たけなはに
   被らせてもらふ編笠踊の夜
 主宰、仁尾先生の心暖たまる評を添えて、「生家が遠く一年一年齢を重ねて、うからに不義理をすることが多くなってきた筆者には身に沁みる一句である」と主宰仁尾先生からのメッセージに胸を熱くされたことでしょう。
栄えある同人賞を受賞された惠子さんに改めて拍手を送り、お祝の言葉といたします。

   新鋭賞 
  田口 耕

 隠 岐 島

島中が朧月夜となりにけり
母校跡ぺんぺん草を鳴らしけり
背丈ちぐはぐ校庭のチューリップ
卒業歌島の区長も局長も
真つ白の石楠花咲けり母の庭
万緑の断崖日本海へ落つ
学童の清水たむくる蟹の墓
三日月や波は浜辺を研ぎにけり
天の川流人控へに住持の名
松籟や隠岐山陵の秋の暮
楸邨の隠岐の句よめば冬の雷
大枯木大動脈の如くなり
喪の便りことりと届く十二月
地響や怒濤の隠岐は冬真中
隠岐島をひとつにつつむ初日かな
 

   稗田秋美
 
  梅漬くる

生みたての地鳥の卵日脚伸ぶ
地下街の桃色になるバレンタイン
細き枝揺らし揺らしてほーほけきよ
踵からつく足音や青き踏む
妙齢といふ女教師や新学期
茱萸熟れて来たり鴉も鵯も来て
梅漬くる夫が主役となつてをり
余り苗等間隔に置いてあり
秋風や脚立の二段目三段目
石叩きほんたうに石叩きけり
虫のこゑ止みたる闇の怖くなる
小春日であればよし我が誕生日
水鳥に泳ぎの苦手ありにけり
マラソンの子等の足音山眠る
一瞥を投げたる鴨のまた眠る

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉 
   <受賞のことば> 田口 耕          

 新鋭賞受賞の報に驚いています。いつも推敲が足らず仁尾先生の添削を受けてから反省ばかりしておりました。それ故に信じられない面持ちです。
 わたしは、物心の付いた頃より父・一桜の年賀状製作を手伝うようになりました。父は、毎年句を版木に彫り自ら刷っておりました。その作業中、自分の俳句をいくつか見せては、私にどれが良いかと尋ねてくれたものでした。父の面影と重なり俳句に崇敬の念は持っていたものの自分には、恐れ多いと敬遠しておりました。ところが、五年前俳句を始めざるを得ない事態が起こったのです。私の町は、隠岐島海士町、後鳥羽上皇御配流の地であり、院の顕彰事業を行っております。その一つに隠岐後鳥羽院俳句短歌大賞があり、その実行委員を私が努めることになりました。その会にて「委員たるものまず俳句をたしなむべし」となったのです。それ以来、父にFAXで添削指導をして貰うようになりました。始めてみますとその魅力に引き込まれていき、さらに父との会話が増え存外の喜びとなったのでした。しかし、その師弟関係も父の死を以って僅か二年で終止符を打つこととなり、それ以降仁尾先生をはじめ白魚火の方々より誌上のご指導を仰ぎ現在にいたりました。今後も地道に歩んで参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 経 歴
本  名 田口 耕(たぐち こう)
生年月日 昭和三十三年
住  所 島根県隠岐郡
家  族 妻 長男(高二)次男(中三)
 俳 歴
平成十七年 白魚火入会
平成二十年 白魚火同人

   < 田口さんおめでとう。>  安食彰彦  
 
 田口さん、新鋭賞受賞おめでとうございます。田口さんは、鳥雲同人であった田口一桜氏のご長男として松江市に生まれ高校を卒業後大阪大学歯学部に進み、卒後、故郷島根大学医学部歯科口腔外科に入局し、隠岐郡旧西郷町歯科診療所へ赴任しました。隠岐の水が性に合ったのか地元の町づくり団体である隠岐青年会議所に入会。県の会長まで勤め上げられました。そして、島前海士町の先輩に請われて平成四年に歯科医院を開業。また、海士町にても町づくり活動に積極的に関わり町教育委員を三年、教育委員長を務めて六年目になられます。生活信条は、「一人の町民として町のお役に立てる人間になること。そして、存在感のある人生を送ること」と話してくれます。歯科医院開業の折りには、父上より「儲けようと思うな。分をわきまえて常に頭を下げよ。そして、地域の皆様から信頼される人間になりなさい」と教えられたそうです。
 田口さんは、語ります。「父の葬儀の時、私は、父と参列頂いた皆様の前で誓いました。父の教えを胸に公のために尽していくと。そして、一生俳句を作り続け、父の菩提を弔っていきたい」父上のあとをひたむきに突き進んでおられるのです。一桜氏の句集「五校時」の序に
仁尾主宰は、「生国出雲を腹に据えた『五校時』は典型的な風土俳句に満ちた句集である」と述べておられます。おそらく田口さんは、「松江に生まれ、松江に育ち、隠岐に暮らし、いずれの日には隠岐の土になる」隠岐人として隠岐の風土を詠んでいこうとしているのでしょう。
 私なりに田口耕さんの父一桜氏を弔う句を挙げてみました。
   父逝くや尼子の渓の猫柳
   立春や万年筆を形見とす
   折り目解き父の俳書を曝しけり
   父の見しはるかなる隠岐蝉時雨
   ひととせや墓前へたるる実南天
   父の忌の来る早梅の咲き初むる
   句作とは父思ふこと寒に入る
   祖父の忌と諭す朝餉や寒の凪
   寒土用形見のペンの馴染みけり
   新雪や父の絶筆したたむる
 句会への参加が難しい島暮らしの環境ですけれども逆転の発想をすれば、それだけ得難い地域に住んでおられることになります。今後も白魚火にて着実に研鑽されんことを念じております。

〈受賞のことば〉  稗田秋美        

  この度は、新鋭賞受賞の連絡を頂戴し、唯々吃驚です。
 気がつけば、まだ学生の頃から私の近くに俳句はありました。しかし、土曜、日曜日にはいつも俳句と称して出掛けて行く母に少し反感もありました。俳句に対して好い印象でなかったのも事実です。
 結婚して家を出て、家事と子育てに追われ、季節の移り変わりや、日本古来の年中行事も、庭の花を見るのさえ毎日慌しく、そしてなんとなく通り過ぎてゆくある日の事、母から「貴女も俳句を作ってみたら・・・」と、言われる迄俳句とは無縁の生活を送っておりました。
 元来出不精で、人見知りの私には「無理だ」と思っていましたが、「日々成長する子の記録と、日常を書き止めるくらいの気持ちで」と言う母のアドバイスもあって、歳時記、電子辞書と首っ引きで毎月の投句に悪戦苦闘しております。それでも四季折々の行事を子供と一緒に楽しみたいという願いは、俳句のおかげで、少し適えられたかなと思います。
 一緒に勉強出来る俳句仲間もなく、全くの独学で、まだまだ勉強不足を痛感する毎日ですが、今回の受賞を励みに一層努力してゆきたいと思っております。
 何事にも飽きっぽく、長続きしない私が、これまで続けてこられたのは、毎月投句前には電話をくれ、お尻を叩いて励ましてくれる母のおかげです。私に俳句を勧めてくれた母に感謝です。

 経 歴
本  名 稗田美恵子(ひえだみえこ)
生年月日 昭和三十五年
住  所 福岡市東区
 俳 歴
平成十六年 白魚火入会
平成二十年 白魚火同人

 <稗田秋美さんの横顔>  大石ひろ女 

 秋美さん、新鋭賞受賞おめでとうございます。
 おっとりとして、優しい秋美さんは、料理やお菓子作りが好きなとても家庭的な方で、時々お茶目な面をのぞかせる可愛いい女性です。早くより茶道を嗜まれ、その袱紗捌きは凛としてとても綺麗です。
 又、手先が大変器用で、手芸の腕前はプロ並です。特にビーズを繋いで作り上げた指輪やネックレスは、ブティックに並んでる物よりも輝いています。
 秋美さんの「俳句との出合い」は、物心ついた頃からではないでしょうか?母親である「曙集作家」の小浜史都女さんの作句姿勢を目の当りにして成長されました。お宅での句会の折には、お茶の接待等細やかに気を配って下さいます。
 秋美さんが俳句を始められたのは、福岡の方に嫁がれて暫く経ってからです。
 身近に句会もなく一人での作句活動で、吟行に行く機会も少ない為、身辺の雑詠の外は近くの海に一人で出かけるそうです。時折佐賀に里帰りされた時は、一緒に吟行に出かけ共有の時を楽しんでいます。
 秋冷に今日の献立変更す
 その日の献立を考え買物も済ませていたが、秋の夕ぐれの急な気温の低下に、暖かい料理に変更して御主人やお子さんの帰宅を待つ優しい秋美さんの姿が伺えます。
 髪切つてペタルの軽き菊日和
 小春日であれば良し我が誕生日
 一家を支える主婦は、いつも家族が健やかに暮せる様にと気を配り、自分の事は後廻しになってしまう。そんな忙がしい中に美容室で髪を切り、少しだけ変身した自分に嬉しくなった秋美さん。「菊日和」に喜びが伝わる。自分の誕生日も、只ぽかぽかと暖かい小春日であれば、それでもう充分と思う心。物やお金で幸せの度合いを測る昨今、慎ましく謙虚な生き方に爽やかさを感じます。
 吟行の機会の少ない秋美さんは、身辺を良く詠まれています。
 手鏡のすこし重たき木の葉髪
 隙間風子の戻りかと振り返る
 小走りに神の鳩追ふ小六月
 生みたての地鶏の卵日脚伸ぶ
 冬薔薇うすむらさきは母のいろ
 仕舞ひ風呂雪から雨の音となる
 どの句も、誰もが気に留めず見過すところを、自分の言葉で詠まれています。季題の使い方が良く、情景が鮮明に見えて来て心地よく感じます。
 冬薔薇の句は、お母様の好きな「薔薇の花」とお好きな色「うすむらさき」の取り合わせによって、母を慕う娘の気持が伝わり母子の心情が浮かんで来ます。
 今年に入り、白光集の感銘句や白魚火集の秀句欄に度々取り上げられ、めきめき上達されています。
 細き枝揺らし揺らしてほーほけきよ
 踵からつく足音や青き踏む
 茎立ちて一日雨の日曜日
 余り苗等間隔に置いてあり
 職業に主婦と書きたる世阿弥の忌
 主婦業も立派な職業の一つです。これからも沢山に身辺を詠み、伸びやかな感性が益々磨かれて、秋美俳句の域が広がるように精進される事を祈ります。
 秋美さん、おめでとう。心よりお祝い申し上げます。

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