最終更新日(Update)'14.08.01

白魚火 平成26年6月号 抜粋

 
(通巻第708号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    宮澤  薫  
「酸素管」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 百合子 、安澤 啓子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
句会報 鳥取白魚火 はまなす句会  西村ゆうき
句会報 飯田かざこし俳句会
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          檜林 弘一、髙部 宗夫 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(諏訪市) 宮 澤   薫    


鉄棒に鉄の匂ひのして晩夏  荒井 孝子
(平成二十五年十月号 白光集より)

 八月は夏と秋の行合の月です。二四節気では八月八日の立秋~立冬の前までが秋であるから概ね秋ですが、天文学や、現行の太陽暦では夏であるし、感情的にも、去り行く物に対する郷愁もあって、惜しむという心情から八月を晩夏だと感じている人が多いのではないでしょうか。掲句からは、陰暦六月と言うより、夏休みも半ば過ぎた八月の午下の校庭が連想されます。真ン中ばかり光る灼けた鉄
棒の発する鉄の匂いから、晩夏を感じ取った作者の感覚の良さに感動致しました。俳句の姿も凛としていて惹かれた句です。

大花火果てて潮騒残りけり  小村 絹子
(平成二十五年十月号 白魚火集より)

 八月十五日の諏訪湖湖上花火は、自称全国一、盆地にあって四囲を山に囲まれている諏訪湖での花火は、華やかさと音響で他に類を見ません。人混みも、交通マヒも物ともせず毎年足を運んでしまいます。それゆえに最後の水中スターマインと総延長三キロに及ぶナイヤガラの滝の終わった後は、これで今年の夏も終りかと涙が出ます。掲句は、海辺の大花火が終わった後に聞く潮騒に、行く夏の寂蓼感を感じ取っております。潮騒が耳に残ったことだけを言って他は無言。それが一層読む者の心に響きます。これが俳句だと思いました。

走り穂の出でしと夫の戻りけり  飯塚比呂子
(平成二十五年十月号 白魚火集より)

 稲の出穂は、地方により異なりますが概ね八月末でしょうか。一面の青田の水管理に余年の無かった農夫の眼にひとところ穂の出ている所を発見した驚きと喜び。家に戻るやいなや奥さんへの一声は、「おーい、○○の田んぼは、もう穂が出たぞ」でしょうか。「走り穂」の言葉に引かれた一句です。わが旧師木村蕪城の句集名が『走り穂』で、句は・走り穂の田に遠からず塔二つです。それゆえ一層忘れられない句となりました。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 茅 の 輪  安食彰彦
三尺寝夢で誰れかに恋をして
裏口にカラカラと鳴る小判草
夏草の中に百円玉拾ふ
鯉幟流水に影置きにけり
夕凪の店でいただく黒毛和牛
ちと曲る一ヘクタールの早苗列
初孫を抱いて茅の輪をくぐりけり
息災の吾れも茅の輪をくぐりけり

 夏 木 立  青木華都子
駅降りて新茶の匂ふお茶の町
地下道へ続く階段蟻の列
絵葉書のやうな全景五月富士
地球儀の小さな日本梅雨に入る
道の名は姫街道や夏木立
開け放ち涼しき寺の百畳間
旧姓で記す宿帳さくらんぼ
ひげ面で戻る帰省子父似なる

 朱夏の城  白岩敏秀
騎馬像の馬の嘶く朱夏の城
湧水は音して流る草いちご
満天の星を夜伽に田植村
街角の花屋に梅雨の灯の点る
みづうみの雨の明るし通し鴨
早苗饗や村に研屋の影歩く
白といふ色の軽さの更衣
飛び石に歩幅を合はす夏椿

 かたかご  坂本タカ女 
馬小屋の馬の表札山笑ふ
草萌や馬をこの子と言うて飼ふ
鷲掴みして裾分けのこごみかな
田螺見る人のひしめく橋渡る
熊笹の風の騒がし座禅草
余さずに揺るるかたかご穴居跡
噴水の水引つ込んで止まりけり
引つぱつてめくる日めくり昭和の日

 牡  丹  鈴木三都夫
花冷えを託ち落花を惜しみけり
山藤の領布振り懸る朧かな
長藤の風に遅れて揺れ交す
孟宗となるべき皮を脱ぎにけり
こざつぱり皮脱ぎ捨てし今年竹
色ごとに位を見せし牡丹かな
牡丹も薬草園の一花とし
花びらの総てをほぐし牡丹散る
 花  桐  山根仙花
蕗浸す山の匂ひの筧水
どこからか燐寸の匂ひ若葉寒
卯の花や隣と言ふも坂一つ
垣越しに話の弾む花うつぎ
鉄線の花むらさきの触れ合へり
山一つ盛り上げてゐる椎若葉
花桐や裏返し干す男下駄
海光へ玉葱玉を揃へけり

 姫 街 道  小浜史都女
哲学の道に波うつ立浪草
老鶯の張りあるこゑやらかん坂
衣手の句碑に触れたる涼しさよ
遠州のお庭涼しき坐禅石
西日差す新居関所の犬走り
日盛りやぽくぽく沈む大砂丘
いまむかし姫街道の花あふち
小判草富士近く来て富士を見ず

 寿 の 宴  小林梨花
明易し湖の上なる茜雲
卯浪寄す遠つ淡海の船着場
遊び船湖心へ白き水尾引きて
からうじて富士にまみゆる夏霞
みをつくしの御紋お駕籠に夏館
木連格子閉まり蚊の声向番所
青葉坂登り詰めたる舘山寺
灯の涼し夢のやうなる寿の宴

 薬  狩  鶴見一石子
気が拔けぬ山王峠去年の雪
猟人の道来て茶屋の木の芽和
平家塚守る一位の大茂り
除染せし袋累々梅雨に入る
老鶯や川治川俣ダムの蒼
白地着て蕎麦剪る匠水の音
たちまちに雹のころがる道となり
退屈な時間が欲しき薬狩

 麦  秋  渡邉春枝
水音に水音重なる茂りかな
麦秋や汲めば汲むほど湧く井水
百の膳並ぶ宿坊夜の新樹
鈴蘭のゆれて鈴の音こぼしけり
句碑の文字指もてなぞる姫女菀
赤き薔薇活けて無心の一日かな
夏蝶や子等の来さうな日曜日
口中を和風にもどす新茶かな


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 夏  萩  久家希世
蛙釣る白き睡蓮ゆさぶりて
古代蓮巻葉に力ありにけり
山祇の声とも聞ゆ山清水
老鶯や古代住居の背ナの森
夏萩やさざ波止まぬ山の池
夏の蝶古代住居の跡を飛ぶ

 植  田  篠原庄治
山吹の軒端にとどく山家かな
早苗田に鳶絡み合ふ影うつる
田の水に触れず離れず糸蜻蛉
植田はや葉巾を広げ立ち揃ふ
桐の花咲きて気怠き昼の雨
素うどんの薬味に刻む茗荷竹

 溝 浚 へ  竹元抽彩
神名備に腰伸ばしては田を植うる
植田よぎる機影は羽田直行便
老鶯の声真打ちとなりにけり
古民家の虫除けに焚く夏炉かな
百年の上がり框や青簾
溝浚へ終へて一気に水走る

 ハンモック  福田 勇
富士近き浜に干さるる桜海老
馬籠宿なんぢやもんぢやの花の頃
海鳴りを近くに聞くや麦の秋
仏法僧鳴く門前の硯店
緑さす寝姿山を真正面
海鳴りを遠くに聞きてハンモック

 春  雷   荒木千都江
春雷の一つに話ほぐれけり
漣の生れては走る植田かな
余り苗さもなき風にゆれてをり
春耕の黒き土塊落ちてをり
破裂するごとく石楠花咲きにけり
風やみて力抜きたる柳かな

 軽鳧の子  大村泰子
衣更へて袱紗静かに畳みけり
トロ箱を逃げ出す蛸を叱りたる
父の日の親子で作るハムサンド
背開きと腹びらきあり鱚捌く
庖丁の柄の温もりや多佳子の忌
チャップリンのやうに軽鳧の子歩き出す

 遠つ淡海  小川惠子
透けるもの羽織り八十八夜かな
薔薇を剪る迷ひや鋏鳴らしては
舟唄に合はす間の手花菖蒲
固まりてまた散りてゆく雑魚涼し
山法師遠つ淡海の風荒し
夏潮の脚に絡まる朱の鳥居

 磐  座  奥野津矢子
しののめや遠つ淡海の夏霞
磐座を仰ぎて汗の引きにけり
堆砂垣脆くなりたり夏蓬
少しづつ痩する砂丘や花海桐
天守より風の生まるる夏帽子
滴りて山はみづうみ包みをり

 葉  桜  齋藤 都
葉桜や城址に残る隠し井戸
本を持つ羅漢を大き蟻歩く
涼しさや役の行者の鉄の下駄
地下水のゆたかに湧けり花菖蒲
宝鐸草うつむき咲きて顔見せず
たをやかに夏蝶舞へる句碑の前 

 産土参り  西田美木子
百日の産土参り初桜
実桜や木のかぐはしき天守門
磐座の葉擦れの音の涼しくて
南吹く遠州灘に竿投げて
小満や銃口太き火縄銃
釣られたる赤鱝の目の暗きかな

 風  紋  谷山瑞枝
風紋のとぎれとぎれや浜防風
夏燕遠州灘に小さき波
新樹光金谷の宿の石畳
黒南風や日本平に屏風谷
静岡行の機上や新茶もてなされ
浜松の夜景またよし生ビール

 薯 の 花  出口サツエ
五月鯉棚田ゆたかに水張られ
活発な少女憲法記念の日
野苺の熟るる明治の兵舎跡
畑土に夜明のしめり薯の花
教会の尖塔かすめ夏燕
緑陰の車座拍手もて解かれ

 早  苗  村上尚子
ひとひらの海見えてをり武具飾る
画用紙の続きに麦の熟れてをり
えごの花峠は雨と思ひけり
植ゑられてすぐに早苗のそよぎけり
立葵猫の寝床がよく乾き
郭公やぎゆうぎゆう詰めの輪つぱ飯

  桜    森 淳子
教会の小さき花壇のクロッカス
海峡を渡りて蝦夷の花見かな
重さうに満開の花ゆれにけり
星形の城郭囲む桜かな
花疲れ此れより句会始まりぬ
葉桜のころの再会約しけり

 島の梅雨  諸岡ひとし
五月浪蹴手操りてゆく渡船かな
島の土踏み出す梅雨の傘をさし
紫陽花の濃き色ばかり島に来て
南天の花満開の島に着く
老鴬も汽笛も聞え句会場
便船を待たせ鰯を食つてをり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 鈴木 百合子

ジーンズの裾巻き上げて五月来る
どこまでも空どこまでも青葉潮
省略の利きし挨拶夏帽子
青芝や口笛吹いてみたくなり
鍵盤の指先涼し祝ぎの席


 安澤 啓子

衣手の句碑の磨かれ緑さす
風紋を消しゆく茅花流しかな
日盛りや錆びついてゐる後生車
朴咲いて一羽の鳥を立たせけり
日盛りの油の臭ふ鉄路かな



白光秀句
白岩敏秀


省略の利きし挨拶夏帽子  鈴木百合子

 『白魚火』通巻七○○号記念俳句大会が終わって一ケ月が経過した。二五○名を越す来賓、誌友が浜松に集まった。会場では久しぶりの顔、顔に出合い、肩を叩き合って再会を喜んだ。次々に会う誌友達との挨拶は、懐かしさと元気を喜ぶ思いの籠もった簡潔で省略の利いたものであった。
 掲句は大会第一日目に出された作品で、私が特選一位に選んだ。記念大会の行われる新緑の美しい浜松で、爽やかに出会い爽やかに交わした挨拶である。
鍵盤の指先涼し祝ぎの席
 これは記念大会での晩餐会の情況。来賓を交えた晩餐会には女性グループ「トロア・ブテ」による生演奏があった。独唱とヴァイオリンそしてピアノによる共演である。
 来賓の方々や誌友と親しく談笑し、美しい生演奏に耳を傾けた楽しい一夜。この句は和やかに盛り上がった七○○号記念大会を「指先涼し」と表現して祝ったのである。

衣手の句碑の磨かれ緑さす  安澤 啓子

 衣手の句碑とは仁尾主宰の句碑のこと。
衣手を抑へ灌佛し給へり  正文 
 平成十五年三月三十日に浜松白魚火の主体事業として建立、除幕された。
 「近郷の臨済宗方広寺派本山方広寺は歳時記に載る法会をすべて行う。八十歳をとうに越した老管長が衣手を抑えて灌仏をされていた」(自注現代俳句シリース『仁尾正文集』俳人協会)
自注にあるように句碑は方広寺の一角にある。句碑は重厚な自然石で百貫はあるという。地元の石である。句碑は地元の白魚火の連衆によって、いつもきれいに清掃、磨かれている。
 どっしりとした句碑を囲む松の若々しい緑。句碑と若緑がお互いを誉め称えるように並び立つ姿が晴々としている。

水打つて風を分け合ふ路地住ひ  渡部 幸子

 こんな情景も少なくなったが、懐かしさがこみ上げてくる。ささやかな暮らしのなかで経験する小さな幸せである。
 作者はここにこうして長く生活してきたのだろう。「風を分け合ふ」は路地の風をよく知り、住人と親しくしているからこそ生まれた表現。日本に生まれて良かったとしみじみ感じられる句である。

横向きに咲いておしやべりアマリリス  大石伊佐子

 アマリリスはヒガンバナ科の球根草で、南アフリカ原産と花の本にある。アマリリスとは、ローマの詩人ウェルギリウスの作品「牧歌」に登場する乙女の名前だそうだ。北原白秋は〈くれなゐのにくき唇あまりりすつき放しつつ君をこそおもへ〉と詠った。太い茎から見事な花をつける。
花言葉は―おしゃべり。花が横向きにつき、隣の茎の花とお喋りしているように見えるからだそうだ。そう思って見ればそう見える。

今年竹一番星にふれてをり  竹内 芳子

すくすくと伸びて、今では親竹を越す背丈になった今年竹。昼間は伸びた背丈で流れる雲に触れ、日が暮れると一番星に触れた今年竹。メルヘンの世界に誘われる句である。それは作者の子どものような純真な気持ちが素直に読者に伝わって来るからだろう。自然体の俳句のよさである。

大凧の風格風に定まりぬ  大石登美恵

 浜松の凧合戦の勝ち凧を思わせる句である。
 かって浜松で全国大会があったとき、中田島砂丘で凧揚げの練習をしていた。立派な大凧が三組揚がっていた。隣接する「浜松まつり会館」には四メートル四方の大凧が飾られてあった。
遠州灘からの強い風に、ぴたりと大空に静止した大凧の雄姿はまさに王者としての風格。観衆のどよめきが聞こえて来そうである。

水無月や道問ふ店に和紙を買ふ  大坂 勝美

 見知らぬ街の見知らぬ店で道を尋ねる。そして、ふと目についた美しい和紙を買う。
 店に入ったのも偶然、和紙を買ったのも偶然。この句、偶然の情景の重ねたうえにミ音を重ねてリズムをとっている。「みなづきやみち問ふみせに和紙を買ふ」。敢えて、「七月や」にしなかったところに作者の工夫がある。

スポーツカーの婦人大きな夏帽子  田口 啓子

 真っ赤なスポーツカーがすっーと鋪道脇に来て停まった。運転しているのは大きな白い夏帽子の妙齢な婦人。婦人はスポーツカーから男を降ろすとレースの手袋の手をひらひら振って、再び車で走り去っていった。あとには真夏のギラギラした街と男の黒い影が残った。
 情景を映画の一シーンのように描きながら掲句には色彩がない。そこに凄味があり、読者が勝手に色付けをする楽しさがある。



    その他の感銘句
切つてきし髪の軽さを洗ひけり
合歓の花みな忘れ得ぬ人ばかり
チューリップ親指姫の現われる
夏布団干し家康の城下かな
風薫る砂丘に返す靴の砂
卯の花や手水作法を丁寧に
母の日の似顔絵どれも笑ひゐる
輿入れをさせし鈴蘭よく咲いて
麦秋の眩しき村を通りけり
回覧板回す夕べや枇杷熟るる
どの色も空に馴染みし七変化
燕の子芸を覚えて見せに来る
ゴールデンウィーク生垣刈り終る
花冷えの雪ですかねと郵便夫
セーラー服アイロンかけて更衣
佐藤 升子
町田  宏
山羽 法子
稗田 秋美
舛岡美恵子
田口  耕
太田尾利恵
井原 紀子
古藤 弘枝
伊藤 政江
桜井 泰子
荒木 悦子
大野 静枝
三関ソノ江
浜野まや子


鳥雲逍遥(7月号より)
青木華都子

種袋振つて余生の夢を買ふ
竹林のこみちを行けば雀の子
雛僧の渾身で撞く鐘朧
芽柳の風にほぐれてゆく日和
藤棚の下に赤子の眠りをり
どの部屋も春の潮騒漁師宿
春の雨立木に梯子掛けしまま
温泉の火照り残れり夜の桜
日の差してお玉杓子の落ち着けず
風にまだ冷たさ残る春の月
よく回る菓子のおまけの風車
奥宮はこの山の上田水張る
一新の駅のポスター夏来る
一畝と決めて蒔きたる夏大根
落椿もう使はれぬ尼寺の井戸
猫鮫の縞のぼんやり目借時
残雪をざくりと踏みて猿山へ
紙風船昔話の終りなく
春宵のまづ目で食ぶる京の膳
開帳や男の背中だけが見え

桧林ひろ子
関口都亦絵
野口 一秋
三島 玉絵
織田美智子
金田野歩女
上村  均
野沢 建代
奥木 温子
辻 すみよ
横田じゅんこ
渥美 絹代
柴山 要作
福田  勇
小川 惠子
奥野津矢子
西田美木子
谷山 瑞枝
出口サツエ
村上 尚子



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 名 張  檜林 弘一

金色の蕊まつさらな白牡丹   
大空と海をひとつに明易し
薫風や女波耀ふ湖の縁
一山のふところ深しほととぎす
屋根のみの木造駅舎落し文

 
 浜 松  髙部 宗夫

ローマまで続いてをりぬ蟻の列   
明易し恩師の文を読み返す
短夜の一句したたむ箸袋
語り部に熊野の長藤揺れてをり
真つ直ぐに機影の走り麦の秋



白魚火秀句
仁尾正文


屋根のみの木造駅舎落し文  檜林 弘一

 第三セクターとして関係自治体が出資している車輌にはトイレがない。通勤通学者たちに心配はないが、ラッシュアワーが過ぎると二時間程はノンストップである。車輌の運転手兼車掌は、次の停車駅の放送があればトイレへ行きたい人は声をかけて下さい。きれいなトイレが使えますという。予め連絡をとっていた対抗車が待ってくれているのである。
 楢や檪などの葉を巻いた落し文は時鳥の落し文、鶯の落し文などと雅びな名で呼ばれ人々の善意を褒めていて実にいい。この季語が巻頭句に押し上げた。

ローマまで続いてをりぬ蟻の列  髙部 宗夫

 この蟻の列は作者自身である。遣唐使など中国の文化を学ぶため日本から公式に派遣された使節五、六百人が数隻の船に分乘し、二、三年がかりで往復した。が日本に帰国成功者は半分にも満たなかったという説もある。
 蟻の列なる作者が東支那海を渡ったのには挫折を繰り返しながら十年余もかかったのであろう。かくてシルクロードを経てローマに到達したのは紀元前一〇〇年の頃でなかったろうか。中国の絹やジパングの金がもたらした利益は莫大であった。古代の大王家が血腥い権力闘争をしたのも財の為でないかと推測する。
語り部に熊野の長藤揺れてをり宗 夫
は平宗盛に愛されていた熊野御前である。

庭師来て松を涼しくして行きぬ  山田 春子

 掲句は「松手入」のことではあるが、季語は夏である。晩春から伸び始めた松の芯はこの時期に摘み取るのが良い。それがすむと長年手入れをされてきた松の姿がきれいに見えてきた。「松を涼しくして行きぬ」に身も心も涼しさを感じさせる佳句である。

夕涼み妻に若き日ありにけり  川神俊太郎

 作者は八十歳。奥さんと「夕涼み」をしながら、ふと横顔を見た時そう気付いたのである。ドラマならきっと一言ある。しかし黙っていた。ご夫婦はこうして寄り添ってきたのである。一句の中には奥さんに対する無言のいたわりの姿がよく見える。

青田風二円切手を買ひにゆく  秋穂 幸恵

 四月からの増税で、はがきも普通の封書も二円足さなければならなくなった。作者は二円の為にわざわざ買いに出掛けたのである。しかし「青田風」に吹かれて歩いているといつしか心は晴れやかになってきた。帰りにはしっかりと一句拾ってきた。きっと良い便りが書けたと思う。

明易や茶ばしら二つ寄り添へり  松原  甫

 「茶ばしら」が立つと良いことがあるという。しかし最近の急須の中には金網や、取り外しの出来る茶濾しが着いていて「茶ばしら」を見る機会が減った。だが作者のお宅では従来のものを大切にされているのであろう。それにしても「二つ寄り添へり」である。俳句に対する目がなければそれだけで終っていたが、やっぱり良いことがあった。読者にも幸せな気持を分けてくれた。

五歳児のでかき前歯や柏餅  萩原 一志

 「でかき」のような俗語の表現は俳句の上ではタブーとされやすいが、この一句の上十二と下五はしっかりと歯が噛み合い、いたって具象的であり健康的である。「柏餅」の季語がこの「五歳児」にエールを送っているようで頼もしい。

夕べには植田の風となりにけり  山本 美好

 周辺の田は今日からいよいよ田植が始まった。作者はその様子をずっと見ていたわけではないが、日暮となって吹く風にいつもと違う風を感じたのである。一句の中には一日の時間の流れが見え、夕刻になってからの作者の安堵に満ちた気持が伝わってくる。明快の中にも余韻のある作品である。

一息にビール飲み乾し求婚す  島  澄江

 俳句においての主人公は基本的に「私」であるとすると、掲句の場合求婚したのは作者である。しかし私は勝手ながら作者のお歳から見て傍観者として解釈した。息子さんかお孫さんが思い切って胸の内を明かそうとしている姿と、それを見ている作者の姿がいじらしい。「求婚す」はうまく打ち明けたということである。上十二の情景が鮮やかである。

夏帽子被れば風の集まり来  黒崎 法子

 風の強い日に被る帽子、特に鍔広帽子は厄介である。風に「夏帽子」を見る目があるわけではないが、「被れば風の集まり来」と言われるとなる程と思う。作者の優れた技ありの一句である。

母の日やリボンの派手な紙袋   勝部アサ子
母の日や八十本の薔薇貰ふ    大平 照子
母の日の母よろこばす誉め言葉  関 登志子

 一句目、子供さんからの贈り物そのものではなく「リボンの派手な紙袋」に焦点を当て、感じたことを素直に言葉にしており好ましい。
 二句目、「八十本の薔薇」の重みは相当なもの。双方共万感迫る思いがある。九十本、百本を目指していたゞきたい。
 三句目、先の二句と違うのは贈る側であり、お母さんの良い所を見つけてそれを「言葉」にして喜ばせたというユニークな作品。


    その他触れたかった秀句     
幸せの重さパイナップルを選る
初幟子は母の手に深眠り
青梅の落ちて忽ち草の色
わが町の山の雪形名をなさず
余生とは歩くことなり若葉風
農一途九十年の更衣
鯉幟泳ぐ力を風に借り
玉子飯かき込んでゆく田植かな
新茶汲み句友をつのる話など
いつまでも雪を残して駒ヶ岳
虎刈りの母さん床屋子供の日
鬼一人逃げる子一人さくらんぼ
ぴんと立つ犬の尻尾や風五月
髙橋 圭子
三井欽四郎
中組美喜枝
吉野すみれ
宮崎鳳仙花
関 うたの
曽根すゞゑ
保木本さなえ
小林 永雄
舩木 幸子
畑山 禮子
古島美穂子
奥田富美恵

禁無断転載