最終更新日(updated) 2020.02.01

令和2年 白魚火賞、同人賞、新鋭賞
           
      -令和2年2月号より転載

 発表

令和二年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  令和元年度の成績等を総合して下の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              令和2年1月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
渥美 尚作
坂田 吉康
 

同人賞
寺田 佳代子

新鋭賞
清水 あゆこ

  白魚火賞作品

渥美 尚作

     飾売る
啓蟄の一斉に発つ漁船かな
浮雲の数多彼岸に入りにけり
休耕田すかんぽ丈をなしてをり
しろがねの茅花中央分離帯
レガッタの湖に映れる雲を裂く
ひと雨の過ぎ初夏の山となる
散り初むるなんじやもんじやを庫裏の前
的中の矢の音梅雨の明けにけり
音低きぼんぼん時計夏館
バスを待つ木椅子を蟻の列のぼる
鯊釣の一人ばかりがよく釣れて
秋彼岸浮桟橋に竿ならぶ
葛咲くや空どこまでもひといろに
蓮の実の飛んで正午の時報鳴る
集会の最中鳴子の鳴つてをり
日の温み残る粟の穂にぎりけり
枯芭蕉日を受け風をやり過ごす
真鍮の長き火箸や笹子鳴く
枯尾花透かし夕日の沈みけり
温かき色を灯して飾売る

坂田 吉康

     葉月潮
春一番結びて余る靴の紐
耕人の地下足袋土に馴染みたる
うららかや鯉の揺らぎに水濁り
喧噪の駅にバス待つ朧の夜
薔薇園の一番奥は迷路めく
一つづつ声かけ千の袋掛
麦秋の新聞記事に女優の死
かすかなる黴の香若き日の画帳
一人見る録画の「ゴジラ」うなぎの日
旧道は表参道夏燕
蜩の砂場に赤き如露ひとつ
今切を跨ぐ大橋葉月潮
機織やぴくりと動く山羊の耳
長き夜のミシン静かに進みゆく
木の実踏む楽しき音のしたりけり
冬ぬくし陶のたぬきの大ふぐり
息子との会話短し枇杷の花
冬耕にをりをり雲の影通る
七日粥熱さ掬ひて啜りけり
鳥かごに止まり木ふたつ日脚伸ぶ

白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  渥美 尚作               渥美 尚作  

 この度は栄えある白魚火賞を賜り、まことにありがとうございます。思いもかけないことでしたので、びっくりするやら、うれしいやらでとても楽しい一瞬でした。
 昭和四十六年、二十四歳の時に、家業である父の会社に入り必死で仕事をこなし、業界のことが少し判るようになった頃、気が付けば十年が過ぎていました。昭和五十六年に、社長である父が亡くなり、その跡を継がざるを得なくなりました。翌年には母が亡くなり、父の時とは違う喪失感がしばらく続きました。会社の仕事は立ち止まってくれないので遮二無二続けました。あっという間にまた十年が経ち、その間、義父母にはお世話になり続けました。
 少し落ち着いた平成六年の春、義父河合萬平から俳句を始めてみないかと、妻に誘いがあり、ついでに私もどうだと言われ、断れる理由はなく参加することにしました。
 俳句に関しては全くの白紙の状態でした。義父から、隣保に仁尾正文という素晴らしい先生がいて、指導して下さるから、俳句に興味のある人を誘うようにとの指示がありました。とりあえず会場は拙宅を利用し、声掛けをした八名ほどが集まりました。
 そして第一回の句会(勉強会)が始まりました。天竜白魚火会の発足です。最初の句会に仁尾先生は、「俳句とは」という話をされ、次回までに三句を作り提出するようにと言われました。
 「霜柱さくさくと踏み友来たる」
 この句が私の最初の句で長い旅のはじまりとなりました。資質も能力もごく普通の人が俳句を少し理解しようとすることは、長く続けることが一番だと考え、途中で投げ出さないことだけを考え、句会に出席し、先生の話を聞きました。三年経ち、五年経ち、十年が過ぎました。一向に上手くはなりませんが、きめごととか、季語等、少しづつ身についてきました。
 仁尾先生は、言葉を飾ることは良くないと常々言っておられました。そして、ものを通して表現しなさいとも言っておられました。何年経っても「あっそうだった」が多くて情けなく思いますが、それでも中途でやめようとは思いませんでした。こつこつやっていこうと思ってから二十年余が過ぎました。白岩主宰の白魚火集、村上先生の白光集の上位に少し名前が載るようになったのは、それから五年が過ぎていました。
 今般、白魚火賞を賜り、長く続けることの楽しさが叶いとてもうれしいです。
 白岩主宰、村上先生をはじめ、諸先生、諸先輩の御指導に感謝申し上げます。又地元の天竜、浜松の句友の皆様との良きご縁と御指導に感謝致します。


 経 歴
本  名 渥美 尚作(あつみ しょうさく)
生  年 昭和二十二年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成六年  白魚火入会
平成十四年 白魚火新鋭賞受賞
平成十五年 白魚火同人


尚作さん白魚火賞おめでとう 山下 勝康

 尚作さん、この度は白魚火賞おめでとうございます。天竜白魚火会一同心よりお祝い申し上げます。
 尚作さんは「アツミ商会」という会社を経営しております。アツミ商会は製材機用の帯鋸の製作や研磨、製材機や木工機の販売修理などをしています。会社のある場所は、かつて天竜市と呼ばれたところです。今は浜松市に併合されましたが、天竜は人工の日本三大美林の一つであり、杉で有名です。東京オリンピックの会場の建設にも天竜杉が使用されました。
 私の勝手な考えですが、尚作さんはそんな仕事から俳句作りへと頭を切り替えることによって、ストレスを減らし、心のバランスを保っているのだと思います。
仕事を詠んだ句に

 溶接の火花飛び散る草の花
 目立機の音三拍子小鳥来る

 さて、私と尚作さんの出合いを述べます。今は亡き初代天竜白魚火会会長の永井昭二郎さんが、「渥美さん宅で俳句の勉強会を始めたのでやってみないか」、と誘ってくれました。せっかく勧めてくれたのだからと、趣味の一つとして参加することにしました。指導者は前主宰の仁尾正文先生でした。こうして尚作さんとは初学から二十五年間、毎月句会を共にしています。
 仁尾先生から俳句の手解きを受け、「次の句会までに何でもいいから三句作ってきなさい」、と言われました。そのとき尚作さんは、

 霜柱さくさくと踏み友来たる

という句を出しました。初回からしっかりとした句を作り、その後も秀句を出句しています。私の俳句作りの手本です。現在もその気持ちは変っておりません。
 また尚作さんのすごいのは、吟行によく行かれることです。仕事の関係もあってか山の方に親しみを抱き、奥さんの絹代さんと共に三河の奥や信州の方へ日帰りで行って来るようです。句作りは現場に立って詠む、という考えを実行されています。
吟行句に

 平飼の鶏のよく鳴く涅槃西風
 電柱の影の短かし田水沸く
 下り鮎ぽんぽん跳ぬる簗の前
 枯尾花透かし夕日の沈みけり

 俳句は一人一人捉え方によって違いはありますが、尚作さんは五感を働かせたやさしい句が多いと思います。持って生まれた繊細な感覚が生かされているなあと思います。

 ながし吹く微かに湖の香をのせて
 リヤカーの把手ぴかぴか茄子の花
 小鳥来る日時計影の濃くなりぬ
 秋澄むや十八歳の師の写真

 文章作りの不得手な私に尚作さんから、「受賞者の紹介を書いて下さい」、という依頼がありました。「他の人にお願いして下さい」と言いましたが、「是非勝ちゃんに書いてもらいたい」ということでお引き受けしました。どのように書けばいいのか、なかなか考えが浮かびませんでした。尚作さんに相談しましたら、「勝ちゃんに任せる」、という事でしたので、思いのまま書かせてもらいました。お祝いの言葉ですので、もっと良い事を申し上げなければと思うのですが、私の力ではこれが精一杯です。
 長い努力が実っての白魚火賞だと思います。本当におめでとうございます。
 今後も天竜白魚火会の仲間の育成にご尽力下さい。

<受賞のことば>  坂田 吉康               坂田 吉康  

 この度は白魚火賞をいただき誠に有難う御座いました。嬉しさと同時に戸惑っても居ります。
 白魚火に入会するまではテレビのNHK俳句をたまに見る程度で自分で俳句を作る事は全く考えてもいませんでした。平成十九年二月、福田勇さんからのお誘いもあり、見学のつもりで「初生句会」の月例会に参加させて頂きましたのが私の俳句の始まりです。
 入会して三年ほど経た頃から、前主宰の仁尾先生のお宅で開かれている席題句会に参加するようになりました。夕方七時に始まり、おおよそ三十分の間に二つの席題に其々三句、兼題に一句計七句の投句は初心者にとってかなりハードな時間でした。こめかみが痛くなる様な緊張感と投句が済んだ時の安堵感は格別なものがありました。仁尾先生が体調を崩されるまでの五年間は私にとって掛替えのない貴重な経験となりました。入会した当時の思い出と共に仁尾先生の穏やかな笑顔が今でも目に浮かびます。
 平成の最後となった四月、元号が令和になった最初の五月に巻頭を戴く幸運に恵まれ、まさかの十一月の巻頭、況して令和元年度の白魚火賞。青天の霹靂としか言い表せません。
 折りに触れ、七百号記念号の白岩敏秀主宰(当時白光集選者)執筆の「師仁尾正文に学ぶ」を読み返しております。仁尾先生の訓として多くの事が列記されております。其の中のひとつ「映像が鮮明であることは秀作のかかせぬ要素である」を肝に銘じて作句に励んで参ります。
 ご指導を賜った諸先生方、句友の皆様に感謝致します。今後共宜しくご指導お願い致します。


 経 歴
本  名 坂田 吉康(さかた よしやす)
生  年 昭和十八年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成十九年  白魚火入会
平成二十二年 白魚火同人
平成二十三年 みづうみ賞佳作
平成二十五年 俳人協会会員


坂田吉康さんの横顔 福田 勇

 坂田さん、白魚火賞おめでとうございます。
 坂田さんは何事にも熱心に取り込む勉強家です。私が坂田さんと知り合ったのは、今から二十数年前水墨画教室に入った時からですが、それは同じ水墨画教室に居た河合萬平さん(渥美絹代先生の実父・当時浜松白魚火会会長)に勧められて水墨画を習い始めた時でした。当時坂田さんは、水墨画教室のリーダー的な存在で水墨画もとても上手でした。その後水墨画教室の先生が体調をくずされ教室も解散するに至りましたが、私はそのころ河合萬平さんに俳句をやらないかと誘われ、白魚火に入会しました。その後十年ばかりしたある日、山歩きの途中坂田さんと出会い、俳句を勧めたところ快く入会され、仁尾正文主宰の許で手ほどきを受け、めきめきと上達して現在に至っています。
 坂田さんは、俳句は許より水墨画も先生並みであり、その後始めた書道についても腕を上げ、現在師範の資格を取り活躍中です。
 浜松白魚火会でも役員として活躍、浜松での全国大会及び七百号記念大会等でも全力を尽くして頂き、大変助かりました。句会においても特選句取りの常連であり、現在初生句会の代表者として句会の取り纏め、年に一度の初生句集の編集にも当たっております。全国俳句大会(広島大会から名古屋大会までの四年間)に於いては白魚火行事部の役員として尽力していることは皆様もご存知の通りであり、とにかく多才万能人間です。
 坂田さんの俳句の上手さは、白魚火句会に限らず他の大会にも積極的に投句をして特選、秀逸等を取っており、白魚火以外の最近の句で私の好きな句の数句を紹介します。
 奥山観月俳句大会  小康の母のいたづき小鳥来る
     〃      月明の遠つ淡海の潮速し
 井伊谷宮俳句大会  井の國の空はまほろば夏燕
     〃      鉄塔の鋲に錆浮く薄暑かな
     〃      影つくる太さはあらず蜘蛛の糸
 俳人協会静岡支部  箸置きに螺鈿の模様遠花火
等々で秀句取りの常連者でもあります。
 白魚火俳誌においても特選、秀句が沢山取りあげられており、皆さんもご存知の通りです。今回白魚火賞を受賞したのも当然のことと思います。
 坂田さんはまだまだ歳も若く、更なる向上が見込め今後の活躍を期待しております。
白魚火賞受賞本当におめでとうございます。

同人賞
寺田 佳代子

   待  春
モザイクの壁画春めく地下通路
啓蟄や遅れを戻す掛時計
逃水や記憶の底にいつも父
春惜しむ薄く膜張るミルクティー
惜春の裾より暮るる富士の山
新茶の封切りて故郷近づきぬ
回転ドア抜けて若葉の丸の内
打水や店先に選る奈良晒
神として祀る巨石や山滴る
医院出て日傘くるりと回しけり
山裾の牧草刈られゆく晩夏
ホールより調律の音花木槿
秋団扇いつしか寝入る母とゐて
ビルの影ビルに落として秋澄めり
週三日開くパン屋や草の花
秋思いまアンモナイトに触れてより
水に透く恋占ひや冬あたたか
足のせてみる銀色の朴落葉
しんしんと雪しゆんしゆんと湯の滾る
待春の声溢れくる保育園

-同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 寺田 佳代子              寺田 佳代子

 この度は同人賞をいただきありがとうございました。身に余る賞に、俄かに緊張して参りました。
 平成十八年に妹(林浩世)が友人に俳句を勧め、それなら初心者同志一緒にと五人でメール句会が始まりました。奥深さも難しさも何も分からぬまま始めた俳句ですが、母や姉も加わるメール句会は、離れて住む私にとっていつも故郷を身近に感じることが出来て嬉しいものでした。
 その後、夫の赴任で前橋市に暮らすこととなりましたが、俳句がありましたので、あちこちと句材を探すのも楽しく、俳句があって良かったと思えたのもこの頃からです。
 平成二十六年に白魚火東京句会に入会してから、また新たな俳句の世界が広がりました。句会の緊張感に付いてゆけるか心配になることもしばしば。しかし、寺澤先生をはじめ、同じ道を志す句友の皆様との語らいは本当に楽しいものでした。その後、一時期大阪で暮らすことになりましたが、句座の楽しさもあり、句会にはなるべく参加しました。俳句には品格が必要とおっしゃる寺澤先生の教えをこれからも胸に置き、季語に遊び季語に教えられる生活を今後も続けて参りたいと思います。
 最後になりましたが、白岩敏秀主宰はじめ、村上尚子先生、諸先生方に深くお礼を申し上げます。この受賞を新たな出発点と思い、これからも皆様方のご指導のもと励んでいきたいと思います。


 経 歴
本  名 寺田 佳代子(てらだ かよこ)
生  年 昭和二十八年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成二十四年 白魚火入会
平成二十七年 白魚火同人
平成三十年  俳人協会会員

寺田佳代子さんのプロフィール 寺澤 朝子

 佳代子さん、この度の「同人賞」受賞おめでとうございます。お知らせを戴いた時一瞬、「何々」と思って、同人賞の言葉が頭の中でぐるぐるしていました。そして嬉しさがこみ上げて来ました。「こんな嬉しい知らせを有難う」。思えば東京の白魚火句会を立ち上げたのが平成二十四年九月、忘れもしない七名ほどのささやかな、それでいて意気高らかな句会でありました。
 あなたが親友の原美香子さんと二人で入会して下さったのが、平成二十六年六月。御主人の任地から東京へ戻られたと聞いた記憶があります。次々人を得て活発となった東京句会は、平成二十八年八月、萩原一志さんの呼びかけで合同句集を発行する運びとなります。

  立春の光溢るる万華鏡
  下萌や陶片を踏む窯場跡
  浅草の路地の路地まで祭りかな
  マジシャンの魔法にかかる夏の夜

 句集から抽いたあなたの句です。これらの句には、しっかり物を見る、しなやかな感性、そこはかとないユーモアとペーソスが混じり合って心ひかれるものがありました。
 平成三十年三月から始まった月一回の「有志吟行句会」には大嶋惠美子さんと二人でリーダーを務めて下さっています。企画から参加者への気配り、可成の強行軍ながら皆が喜々として参加し、行く先々での句会を楽しみ、句心を養っています。
 一方、白魚火本誌での活躍には目を見張るものがあります。
  令和元年六月号白魚火集巻頭
 花種蒔く膝やはらかく折りまげて
 古書匂ふ遅日の神田神保町
          (主宰鑑賞作品)

  白光集十月号巻頭(旧前田侯爵邸、東大駒場)
 万緑を抜け洋館の車寄せ
 襖絵に雅邦の蝶や夏座敷
 大学の池が源流蘆茂る

  白光集九月号副巻頭(墨堤、向島百花園)
 大川の風にふくらみ夏衣
 桟橋を離るる船や梅雨の川
 夕風の時に玻璃打つ夏座敷

 当日の大川端(隅田川)の景が彷彿として来ます。抒情、情緒的感性に富み、しっかり物を見る確かな目が感じられる一連です。
 数年前、ご主人の任地大阪住まいの時がありましたが、月一回の句会に大阪から上京して来られる、これにはみな感歎したことでした。現在は東京のこの地で、四季を愉しみ、日常をしっかり句に詠み続けてゆかれると思っています。白魚火誌上で、東京句会で、後進の為にも力を尽して戴きたいと願って止みません。
 佳代子さん、同人賞、本当におめでとうございます。

   新鋭賞 
    清水 あゆこ

   案山子
好きな色私の好きな牡丹かな
蛇出づや目は見開けど声の出ず
泥付きの玉葱吊つて恙なし
新しき俎洗ひ梅雨にいる
旅先の少し贅沢鱧料理
意を決し炎帝の待つ街に行く
大西日沈みきるのをじつと待つ
雲の峰届くはずなき手を伸ばす
夕立の土の匂ひを巻きあぐる
約束の電話待ちわぶ夜長かな
枝豆や気づかぬうちに鞘の山
一粒の葡萄に機嫌直しけり
角あはせ呼吸を合はせ障子貼る
無花果を傷つけぬこと難しく
人よりは案山子の多き里なれど

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば> 清水 あゆこ子                 清水 あゆこ

 この度は、新鋭賞をいただき、ありがとうございました。受賞のお知らせをいただき、大変驚きました。
 初めて俳句に触れたのは平成十八年のこと。職場の方に声をかけていただき、不定期に吟行や句会に参加していました。その頃は、ここまで続くとは思っていませんでしたが、その後、平成二十五年から現在の「酒呑み句会」に参加させていただくことになりました。句会は、素敵な俳句に触れられることはもちろん、経験の豊富な皆さまの幅広いジャンルのお話が聞けるとても楽しく、貴重な時間となっています。
 また、一字変えたり、順番を入れ替えたりすることにより、俳句が大きく変化することも教えていただきました。基本的な間違いや独りよがりな表現があっても、いつもあたたかく、丁寧にご指導いただけること、とても感謝しています。
 まだまだ勉強不足ですが、これからも長く続けていけたらと思っています。
 安食先生、句会の皆さま、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

 経 歴
本  名 清水 あゆこ(しみず あゆこ)
生  年 昭和四十八年
住  所 島根県出雲市

 俳 歴
平成二十五年 白魚火入会


    <お目出度う 清水あゆこさん>  安食 彰彦

 清水あゆこさんは、平成二十五年頃に「酒呑み句会」に入って来られたと思う。
 清水あゆこさんが酒が好きだから入られたのではない。「酒呑み句会」は、石川寿樹さんと松原甫さんと私とで、平成十九年に作った会の名前である。はじめは男性だけ六人位で、まず酒が第一、俳句は第二と言うことで始まった句会である。その内女性が数人はいってきて、酒より俳句となってきた。
 十一月の終わり頃白岩主宰から「今年の新鋭賞には、清水あゆこさんに決めましたからね」と電話があった。驚いて「それは有り難う。どんなわけですか」と聞くと「清水あゆこさんは、最近ものすごく俳句が俳句らしくなってきた。これから伸びると思うから、決めたんですよ。いいでしょう」と。毎月の句会でも、松原さんも、句会のみんなもが「うまくなったね、みんながいつも見ているのに、気に止めないところを、良く自然を見つめて詠うね。」と言うことが多くなってきた。主宰も良く見ておられたんだな、と句会みんなが喜んだ。頁の上の十五句を見ても一目瞭然である。
 清水あゆこさん、お目出度う。今後も頑張って白魚火賞、同人賞、みづうみ賞を狙って頑張って下さい。

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