最終更新日(updated) 2023.02.01
令和4年 東京全国大会
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白魚火八百号記念全国大会に参加して       (札 幌)佐藤やす美
通巻八百号記念東京大会に参加して        (函 館)内山実知世
大会参加記“番外編”              (苫小牧)坂口 悦子
東京大会に参加して               (旭 川)吉川 紀子
白魚火通巻八百号記念全国俳句大会に参加して   (宇都宮)星  揚子
白魚火どすこいどすこい             (日 光)熊倉 一彦
白魚火全国俳句大会に初参加して         (我孫子)植松 信一
白魚火通巻八百号記念俳句大会(東京)に参加して (諏 訪)宮澤  薫
参加できた幸せに感謝して            (御前崎)中  文子
久し振りの全国大会               (浜 松)渥美 尚作
白魚火全国大会参加ミッションの達成について   (浜 松)古橋 清隆
心に残る一日                  (磐 田)浅井 勝子
通巻八百号記念全国大会(東京)参加記      (松 江)井原 栄子
両国ゆったり観て歩き              (雲 南)妹尾 福子
白魚火八百号記念大会に参加して         (雲 南)原  みさ
初めての全国大会は八百号記念大会        (東広島)佐々木美穂
白魚火通巻八百号記念全国俳句大会を終えて    行事部長 弓場 忠義
袋詰めと大会受付              大会総括担当 平間 純一
初全国大会の会計業務を振り返って 会計及び総会等進行担当 萩原 一志
受付、授賞式等の反省         受付及び式典担当 田部井いつ子
札幌の地を思いながら       投句受付及び祝賀会担当 田口  耕
新しい句会への取組み         新句会システム担当 久保 徹郎
   令和5年2月号へ


白魚火八百号記念全国大会に参加して
(札幌) 佐藤やす美
 大会の前日に新千歳空港を出発しました。同行したのは札幌から四名、苫小牧から三名の計七名。温度差十度の予報を聞いて着ていく洋服に悩みながら東京へ向かいました。

いざ両国へ!
 一足早くに現地入りしていた三名と合流し、十名で早速、吟行に出かけました。さすが相撲の町。道のあちこちに力士像を見かけたり、本物の力士が歩いていたり・・・。熟女達がまるで幼児のようにきょろきょろうきうきしながら散策しました。でも、手にはしっかり句帳を持って。
ゆたゆたと力士が歩く秋の昼   喜 代
擦れ違ふ力士に会釈秋うらら   好 恵
 まず、回向院の参道の竹に見入り、鳴き竜体験に感動しました。また、大火や大震災の供養塔を見て当時の犠牲者が多かったことを知りました。
秋澄むや八方睨みの龍鳴かす   悦 子
 続いて吉良邸跡へ。柳の葉が散る中、首洗い井戸、家臣二十士碑など愛知の地元では名君と呼ばれた吉良上野介の淋しい生涯を垣間見ることができました。
こぼれつぐ山茶花吉良邸家臣の碑 数 方
身に入むや吉良邸跡の狭きこと  若 葉
 そして、隅田川水上バスに乗船。秋の日差しや心地よい風を受けて短い船旅を楽しみました。降りてこられた村上尚子先生、渥美絹代先生にお会いして、嬉しさと「全国大会が始まるんだなあ」という緊張感が湧いてきました。
半券に残る潮の香燕去ぬ     津矢子
金風や隅田の川面耀うて     美木子
いわし雲屈みて潜る厩橋     やす美

二回の句会!
 吟行をもとに十人で句会をすることにしました。まずは、「腹が減っては…」ということで、ちゃんこ鍋のお店へ。BGMは、両国ならではの相撲甚句。お腹を満たした後、店内で句会をしました。
両国のちゃんこ道場豊の秋    節 子
菊月や相撲甚句の唄に酔ふ    妙 子
 句会を終えてホテルへ。粘り強い北海道人?諦めの悪い北海道人?この句会だけでは納得のいく投句ができないということでホテルの一室に重なり合うように十人が集合して二回目の句会をしました。終わったのは十一時過ぎ。部屋に戻って同室の小杉好恵さんに相談に乗ってもらいながら何とか一日目の投句の清記を終えてベッドへ。うとうとしていたら朝になっていました。

全国大会当日
 投句入力・確認の仕事担当のため、奥野津矢子さんと一緒にホテルに直行しました。準備室に入っていくと久保徹郎さんやボランティアの方が既にパソコン入力の準備を整えてくださっていました。初めてのことで緊張しましたが、久保さんの指示でスムーズに入力、確認作業が終了してホッとしました。今回の大会では、新しいシステムで句集が配られたり、入選句の発表がスクリーンに映し出されたりしました。二日目の句会では「見やすい」「メモを取らないでゆっくり入選句を味わうことができる」と大好評でした。
 総会では、札幌の奥野津矢子さん、苫小牧の浅野数方さんが俳句賞で表彰されて大きな拍手で喜び合いました。また、長年白魚火編集に尽力してくださっている編集部の皆さんの言葉が心に残りました。
 祝賀会では、是非お会いしたかった女性の主宰、片山由美子さん、井上弘美さん、櫂未知子さんの三人のお姿を拝見でき、お話も聞けて本当に嬉しかったです。北海道出身の櫂さんは、後日、北海道新聞の連載で、祝賀会の様子をこんな風に書いてくださいました。「<白魚火>は全国に会員がいることで有名な結社であり、その祝賀会に出席できたことはとても嬉しかった。」と。さらに、札幌の句友の西田美木子さんの句も紹介してくださいました。札幌の仲間は大喜びでした。
 二日目の俳句大会では、同行した十人全員の句が選ばれて、吟行や二回の句会のおかげだなあと嬉しく思いました。

最後に
 二回目の全国大会参加でしたが、白魚火通巻八百号記念の大きな節目の大会に参加できて本当に良かったと思いました。句会では、思いがけず、村上先生の短冊をいただき、天にも昇る気持ちでした。前泊したホテルの前で見上げた櫓太鼓。今にも太鼓の音が聞こえてくるようで本当に印象的でした。
 また、投句のパソコン入力という仕事が無事終わり、大会のお手伝いが少しでもできたという喜びもありました。
 そして何より嬉しかったのは、白岩主宰初め、リモート句会でパソコンを通して毎月お会いしている方々にお会いできたことです。コロナの時期なのにもかかわらず、思わずハイタッチや握手をさせてもらいました。記念撮影にも入れていただき良い記念になりました。また、新しい句友の方々との交流も楽しい思い出となりました。
 この大会を準備運営してくださった行事部の皆様、白岩主宰はじめ先生方、そして地元東京の皆様、大変お世話になりました。来年の秋は、札幌でお待ちしています。


通巻八百号記念東京大会に参加して
(函館) 内山実知世
 待ちに待った全国大会への出発当日(十月二十三日)は晴天に恵まれた。飛行機から眼下に黄金色の稲田、急峻な山並など豊かな日本が広がっていた。
ななかまど色づく街を旅立てり 実知世
 一方、高山京子さんは、新幹線での出発となった。
新幹線の窓のパノラマ豊の秋  京 子
 羽田空港には、一時間二十分後に到着した。久しぶりの東京なので、お上りさん気分だった。膝痛をかこつ私は、移動はタクシーと決めていた。前泊のホテルも大会と同じホテルにした。
 函館白魚火の句会は、コロナ禍のため何度となく通信句会となったが、八月、十月は開催できた。そしてまた、こうして全国大会へ参加できるのも嬉しい。今回大会選者のお役目を担って参加される森淳子先生を先頭に金曜俳句会、第二新葉会所属の皆さん六名の参加となった。
短冊を書きし硯を洗ひけり   淳 子
 金曜俳句会の加藤拓男さんが両国周辺のパンフレットを準備してくださった。東京に詳しい方なので心強かった。ホテルに直行し、チェックインの後すぐに吟行へと思ったが、全国旅行支援のクーポン券の発行に時間がかかった。
 その後早速、近くの旧安田庭園を散策。柿が実り、亀が甲羅干しをしていたり、句材はあったが、なかなか句にまとめられなかった。回向院にも出向いた。入口にほど近いところに勧進相撲ゆかりの碑があった。広瀬むつき先生がさっそく句にされた。
力塚よいしよと言ひて秋を踏む むつき
 回向院は、明暦の大火の犠牲者を弔うため創建された寺。今日に至るも東日本大震災の犠牲者等を弔っている。この後、近くの文学碑を巡る。
 翌日は十一時三十分受付開始に合わせ投句を済ませた。受付では、東京白魚火会の皆様がにこやかに迎えてくれた。午後二時が大会開始なので、それまで水上バスに乗船したかったが、あいにくの休業日だった。そのうえ小雨も降り出した。そこで、唯一開館していた「-両国-江戸NOREN」に入った。国技館と同じ土俵があり、休憩しながらじっくり拝見した。本場所を見学したいと思った。クーポンを使って買い物ができた。吉良邸跡、本所松坂町公園では、町内会の女性の皆さんが丁寧にお掃除されていたことが印象に残った。
 大会一日目は、総会、表彰式と順調に進行した。会場の換気も十分な中、続いての記念祝賀会は盛大であった。俳壇で活躍中の先生方、中でも北海道出身の櫂未知子先生には親しみを感じた。来賓の方々のひと言メッセージも温かかった。白魚火誌の結束力を感じた瞬間であった。
墨東に集ふ一夜の菊膾    拓 男
 別行動だった工藤智子さん(第二新葉会)は、前日の夜遅く到着し、隅田川を散策されていた。そして、翌日の大会初日は、パソコンの打ち込み作業に従事された。
橋渡る人形焼きと新酒下げ  智 子
 大会二日目に渡された俳句作品集と入選句集は、大会を準備された皆様の知恵と力と汗の結集したものと思い、何度も読み返し、今後の作句の糧としなければと考えた。
 大会二日目の白岩敏秀主宰の講評は、参加できなかった会員のためにも、是非大会特集号に全文掲載をお願いしたい。
 令和五年十月は、待ちに待った札幌大会。
 無事開催できた函館白魚火会十一月定例会において、賞としていただいた色紙、短冊を披露しながら、頑張ることをお伝えした。
 最後に、大会にご尽力された東京白魚火会の皆様に心より感謝申し上げたい。


大会参加記“番外編”
(苫小牧) 坂口 悦子
 コロナ禍でここ二年の間中止となっていた全国大会ですが、今年は第七波の収束によって八百号の記念大会として三年振りに開催されたので、初めて全国大会に参加しました。例年苫小牧と札幌の誌友は千歳空港で合流して全国大会に参加していたとのことです。
 泥鰌を食べたい、寄席に行ったり浅草のもつ煮で一杯、更科蕎麦を辛汁で食べたい…と言うことで浅野数方さんと私はいっぱいの希望を叶えるべく二日早く出かけました。その二日間を大会参加記の番外編としてご報告致したいと思います。

 二十四、五度と言ったら苫小牧の真夏だよね~なんて夏の格好で出かけた私たち。飛行機を降りてすぐ、思ったほど暑くないし都会の皆様は秋の粧い。しまった!
 京急で真っ直ぐ駒形の「どぜう」へ。明日はお肌つるつるに…などと想像しながらどじょう鍋と柳川鍋を。昼間からごめんなさいと思いつつ冷やおろしが有ったので美味しく頂きました。
 チェックインを済ませて隅田川縁を散歩。若い二人組が漫才なのかコントなのか稽古をしていました。若者よ夢に向かって頑張って!と心でおおいにエールを送る。薄暗くなった頃吉良邸着。
 首洗いの井戸と枝垂れ柳の揺れが雰囲気良すぎてちと恐ろし。しかも吉良公のお顔がいやに白い。おまけにこちらを見ている。少し場所を移動してもまた目が合う。八方睨みじゃあるまいし‥と思うがやはり目が合い足が竦んでしまう。
 また明るい時に出直して来ようと言うことで合意。「ももんじや」の大きな猪を横目にホテルに帰りました。
 翌日やっぱり涼しい。東京復興記念館を見学、どの資料も写真も展示物も素通りする事が出来ず気がつくと三時間が過ぎていました。
 続いて東京都慰霊堂。祭壇に上がっていた新米が切なく胸に応え、すっかり言葉少なになり歩いている時、ふとウインドーの秋色の服が目に止り、結局、何だか寒かった私たちはふらふらと吸い込まれるようにブティックに。数方さんは黒いベストを購入。
 「家の庭に現れた熊を撃った」などと言っておりましたが、あれは東京に行ってから急遽買った物でした。
 店員のお嬢さんに「もんじゃ焼を食べてみたいけれどどうも美味しそうに思えない。食べたことはありますか」と聞くと「気持ち分かります!私は栃木出身ですが同じように思っていました。でも食べたらとても美味しくて今では大好物です」との返事。これは行くしかないと両国駅のもんじゃ焼へ直行。スッキリ系のお兄さんが手際よく焼いてくれました。まず生ビールで喉の通りをよくしてから牛すじカレーもんじゃ。とっても美味しくブティックのお嬢さんに感謝。二枚目は五目もんじゃ。お供はやはり、下町と言えばハイボールです。
 東京復興記念館、東京都慰霊堂の祭壇の新米に、そして食べられないまま亡くなった人たちに思いを馳せ、炊き出しの写真や、展示の大きな篦などを見て、飽食の今を考えさせられる…と思い、沈み込んだ事などすっかり忘れ、もんじゃ焼ですっかりハイテンションに。やはり食べ物の力は凄まじい。
 昼に力一杯もんじゃ焼を食べた私たち、夜になってもお腹がすかない…が食べないでホテルに帰るのは淋し過ぎると言うことで横綱横丁を当てもなくふらふら。小さな間口に達筆で「本日ひらめ有ります」と書かれた紙がひらりひらり、おいでおいでをしているように…誘われて思わず ♪格子戸をくぐり抜け…♪
 鰭酒、衣かつぎ、翡翠ぎんなん、鮃と鯖の刺身。テーブルの上は季語だらけ。その季語たちの旨いのなんの…。
 季語と言えば俳句作らねばと言う思いが頭を過ぎる。その瞬間を見計らったように「鰭酒に追酒出来ます」の一言で、う~ん、俳句は明日作ろう!と気持ちを切り替え、熱々の追酒とテーブルの上の季語たちを心ゆくまで堪能しました。

 明日は苫小牧・札幌の皆と合流です。皆との吟行に元気で付いて行けるよう早々に眠ることにしました。
 以上、大会参加記番外編です。


東京大会に参加して
(旭川) 吉川 紀子
 東京大会に参加するため、十月二十二日朝に旭川空港を出発し、午後に両国駅に着き、駅構内に掲げた大きな横綱の額に目を見張り、名力士の手形の数々に驚きながら駅向かいのホテルに着きました。
 早速、平間さんと両国ホテル沿いの隅田川周辺から、「回向院」へと吟行しました。
 次の日は、朝から国技館周辺、そして「古池や蛙飛びこむ水の音」の句が生まれた芭蕉庵があった地、「芭蕉稲荷神社」まで。路地の奥まった所に、ひっそりと赤い小さな鳥居があり、芭蕉史蹟保存会の幟が立ててありました。石蛙が石碑を守るように両側に供えられており、片目が欠けた石蛙を撫でて話かけお参りをし、さらに芭蕉を恋い隅田川の畔にある芭蕉庵史跡展望園へと吟行。芭蕉座像が四季折々の水辺風景を見渡せる絶好の位置にあり、背後に芭蕉の大きな鉢植えが置かれ、深川の庵を拠点に活動していた芭蕉の当時に思いを馳せたり、暫し休憩しつつ句も作りつつ‥
 続いて、「清澄庭園」を吟行、お天気も良く池の亀が気持ちよさそうに甲羅干しをしていたり、鴨が優雅に泳いでいたり、いろんな小鳥の囀りが聞こえ、まさに日本を代表する林泉と感動しました。
 そして、いよいよ大会当日、平間さんは、前日から行事部としてのお仕事に奔走、私は俳句投句係として参加、緊張の面持ちで席につきましたが、同じ担当の西村ゆうきさん、齋藤文子さん共に優しく接して下さり、初めての試みでしたが、無事に終えることが出来ました。お役目が終わり、すっきりした気持ちで、総会に参加。
 夜の記念祝賀会では、有名な来賓の方々がお祝いに来てくださり、私は、函館の工藤智子さんと来賓席にご挨拶に行きました。ご実家が北海道の余市町にあり、北海道新聞にも連載されている、櫂未知子さんの所に行き、「北海道から来ました!~北海道新聞日曜文芸の『十七音の旅』を毎回、拝読しています!」と伝えると、「あらー、ありがとう!北海道から来たの‼なら、北海道俳句協会に入ってね!毎回、この年鑑見ながら原稿書いているのよ!いい句だったら載せるわよ!」と言われ、持参された北海道俳句年鑑を見せてくれ、「北海道には時々、行くのよー!」と親しくお話してくださいました。
 井上弘美さんは、今、テレビ番組の「NHK俳句」に出られていることもあり、すごい人気!素敵な着物を粋に着こなされ、取り囲まれながら、着物のことを聞かれると「自分で着付けしたのよー」と微笑みながら受け答えされ、気さくな方でした。
 片山由美子さんは、来賓代表でご挨拶をしてくださり、お話の中で、私の恩師である旭川の坂本タカ女先生のことを話され、「白魚火創刊六百号の時も、七百号記念の時も出席させていただきました。『白魚火』はとてもよい結社だと思います」等々と懐かしく語ってくださいました。私は、タカ女先生のことを話題にしていただけたことが嬉しくて、「旭川から来ました!坂本タカ女先生のことをお話してくださって、ありがとうございます!」と興奮気味にお話ししたところ、「あらー、タカ女先生はお元気ですか?北海道には縁があり、親しみを感じるわー」と優しくお話してくださり、私も「六百号、七百号記念の時も大会に参加していて、羨望のまなざしで見つめていました!今日は、お話できて本当に嬉しいです!」と伝え、嬉しい気持ちで一杯でした。
 また、相撲甚句の祝い唄に聞き惚れ、テーブルの方々とも懇談でき、和やかで心のこもった祝賀会でした。
 翌日の句会では、画期的なパソコン入力の作品集が配られ、会場前方の左右二か所に大きなスクリーンに句が映り、見やすくて、ページをめくることなく、とてもスムーズに進みました。最後に次回の吟行地、札幌大会の紹介が、北見の金田野歩女先生からあり、万歳三唱をしてお開きとなりました。予定より三十分も早く終わり、素晴らしい進行、運営して下さった皆様のご尽力の賜物と深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


白魚火通巻八百号記念全国俳句大会に参加して
(宇都宮) 星  揚子
 白魚火通巻八百号記念全国大会が東京都両国で行われた。毎年実施されている白魚火全国大会もここ二年、コロナ禍により中止となっていただけに、この記念大会に寄せる誌友の皆様方の期待は大きかったと思う。参加者一六四名(大会参加者名簿)。
 ホテルの入口を入ると、懐かしい顔ぶれに思わず握手をしたくなるほど気持が昂ってくるのを感じた。マスクをしていても大体の方はすぐにわかり、奥の椅子にお掛けになられている白岩先生の姿が目に入った。先生は三年前にお会いした時より少しお痩せになられたようで、初めはちょっと心配になったが、お酒を控えてスマートになられたとのことですぐに安心した。主宰にお目にかかると、やはりうれしい。
 ところで、我が栃木県白魚火会からは二十一名が参加。当初はあと二名が加わっていたが都合でキャンセルされた。栃木県は開催地東京都と同じ関東地方でもあり、白魚火八百号記念大会を盛り上げようと可能な限り参加したのだった。前泊の人、当日来た人とそれぞれに東京を吟行して大会に臨んだ。
 両国は私にとっては初めての地だと思っていたが、よく考えてみると、江戸東京博物館に以前に来ているので初めてではなかったのである。
 江戸東京博物館には平成二十年の夏に「北京故宮 書の名宝展」を見に行ったのだった。北京故宮博物院の所蔵する書聖王羲之の蘭亭序(神龍半印本)が日本初公開(これまで中国国外不出とされていた)というので、書道の仲間と見学した。ガラスケースに入った本物の蘭亭序を一字一字目に焼きつけるような気持で見て感動したことを思い出す。江戸東京博物館は今、改修工事により閉館中だが、建物の裏側の道を通ったときに、博物館の出口近くで揃って写真を撮ったのがここだったと、記憶が蘇った。その後、夫とも来ていたが、情けないことに国技館や両国駅のことは全く覚えていないのだ。どこを歩いたのだろう?
 さて、私は大会初日の朝七時に宇都宮の家を出て、電車で会場に向かった。前日は少し汗ばむくらいのよい天気であったのに、当日は朝から生憎の雨。晴れ女の私には珍しい日となった。俳句を詠む者としては天気が悪くても何のその……、と言いたいところだが、傘の分だけ余計に手が塞がって大変だった。
 両国に着くと雨もほぼ止んで、傘は差さなくてもすむくらいになっていた。雨に洗われた空気が頰を掠める。
さざ波のやうな風来て秋惜しむ 揚 子
 手荷物をどうしようかと思ったが、一泊分なのでそのまま歩き出し、回向院へ。
 ここには鼠小僧次郎吉の墓があるというのでお参りをしたが、近くには犬猫供養塔やさまざまな動物の慰霊碑、馬頭観音堂等もあった。すると、そこに灰色がかった一匹の猫がいるではないか。それはまるで猫の墓守のようにそれらの碑や堂の間を行き来していた。用のある人が行くと、すたすたと歩き出し、案内をしているようだった。その姿は人間に愛想よく振る舞う訳でもなく、素っ気なくするのでもなく、ほどよい距離と表情を保ちつつ、任務を遂行しているかのようでいじらしかった。猫好きな方にはお薦めの場所と言えよう。
 次に、回向院から十分ほど歩いて、吉良邸跡に。ここは吉良上野介の屋敷跡で、『忠臣蔵』で知られる赤穂の四十七士が討ち入りをした所だが、現在は当時の敷地の八十六分の一しかないとのことだ。なまこ壁に囲まれた狭い吉良邸跡の北側には吉良上野介五十歳の座像があり、門を入る人を温かい目差で見ていた。
 吉良上野介は『忠臣蔵』では悪役として有名だが、領地であった三河では評判が高かったと言われる。
ほんたうの吉良は名君小鳥来る 揚 子
何事も話は両方の立場から見聞きしないとわからないものである。
 吉良邸跡を出てすぐそばの時津風部屋の前を通ると、塀越しに朝稽古を終えたばかりと思われる力士二、三人が休んでいるのが見えた。外は肌寒かったが、練習で火照った力士の体の熱が伝わって来るようだった。稽古部屋の中は見えなかったが、きれいに掃いている箒の軽やかな音が聞こえて来た。
土俵掃く箒の音の爽やかに   揚 子
 そして、いよいよ会場へ。少し時間があったので地図を頼りに、旧安田庭園、横網町公園を通って第一ホテル両国へ向かった。
大会は多くの新しいやり方を取り入れて、次第通りスムーズに進められた。行事部や東京白魚火会等の係に当たられた方には、心から感謝申し上げます。
 祝賀会では俳壇で著名な先生方や出版社の方から祝辞をいただき、うれしく感じるとともに、八百号という長い年月を一度も欠かさずに発行し続けて来られた「白魚火」のすばらしさを改めて思った。来賓の先生方はテレビで見るのと全く同じだったり、違う面が見られたりと、近くのテーブルの席にいた私は少し不思議な気持で拝見した。こういう機会に「白魚火」のよいところを知ってもらえたらありがたいと思う。
そして、両国相撲甚句会による祝い唄、相撲甚句が披露された。私は相撲甚句を聞くのは初めてだったので、よく通る歌声に体中に力や元気をいただいた思いだった。七五調は私達俳句を詠む者にとっては通ずるところもあり、内容のおもしろさと相まって充分に楽しませてもらった。
 大会二日目。第一回出句の披講、選評があり、東京のいろいろな所を吟行された句を通して思いを馳せることができた。先生方の選評も大変勉強になった。
 大会の二日間、お世話になり、ありがとうございました。「白魚火」の益々のご発展と誌友の皆様のご健康とご健吟をお祈りしつつ、来年、北海道でお目にかかれることを楽しみにしています。


白魚火どすこいどすこい
(日光) 熊倉 一彦
 令和四年十月二十五日、後ろ髪を引かれる思いで東京と別れを告げるべく浅草発の特急に乗車しました。二十四日、二十五日の興奮をカバンに詰め込み、指定席につきました。やがて女性客三名が乗り込み、一人が私の隣に着席しました。どうやら親孝行のため娘二人が鬼怒川温泉に母親と旅行ということのようでした。私は隣の女性と挨拶をして仮眠を取ろうとしましたが、生来のお喋り好きが頭をもたげ、つい話をしてしまいました。大阪からの客とのことで相手の方の年齢も分かりました。
 当然自己紹介のつもりで、私が東京からの帰宅で、この旅行の目的が白魚火通巻八百号記念全国大会への参加のためであったことや第一ホテル両国での様子を話しました。俳句についてはやはりテレビの影響が大きく、夏井いつきさんのプレバトの俳句コーナーから切り出して大いに盛り上がりました。
 前日の夜は記念大会でテレビで良く知られている俳人がお祝いに来てくれたこと、余興の相撲甚句に酔い痴れたことなど話し、栃木県の景色を眺めながらそれとなく季語の話をして、あっという間に私の下車駅に着いたのでありました。全くの赤の他人の私の話を迷惑がらず?に聞いて下さり感謝する次第でありました。よく妻に、あなたは誰にでも話しかけてとお叱りを受けますが、もしご迷惑をお掛けしたのなら、この誌面を通じて謝罪したいと思います。しかし、私にとっては、前夜からその日の午前中の出来事を反芻する機会となり二度の楽しさを味わうことができました。ありがとうございます。
 そして、JR日光線に乗換え、自宅最寄り駅へ向かいました。乗車すると外国人五人グループに遭遇し、興奮の残り火でなんと五十年ぶりとなる英語で話しかける自分がいたのでした。白魚火全国大会おそるべし、内気な?この私の口から英語が出るなんて。私の母校の女子高生がいぶかしげに見ていたのでした。この二度のハプニングの後自宅に到着、旅支度を解きながらもう一度全国大会に思いを馳せたのでした。
 今回は東京開催とあって大会当日参加、そして一泊のみでしたが、十分に堪能することができました。私にとって二度目の全国大会参加でしたが、鍛錬吟行会、リモート句会等で顔馴染の方も増えていて、気軽に声を掛けていただき感謝しています。そして、白岩敏秀主宰、村上先生、渥美先生にも挨拶ができて感激しました。
 話は大会初日に遡りますが、私は朝東京に着いてから、栃木白魚火の句友達とホテルに荷物を預け、吟行に出かけました。あいにくの小雨の中、横綱町公園、旧安田庭園、国技館を巡り、回向院へと足を延ばしました。そして、句友持参の新米のおにぎりで腹ごしらえをして大会参加受付を済まし、出句となりました。
 そして、いよいよ記念大会が始まり、総会、表彰と進み、栃木白魚火から星揚子さんが表彰の栄誉に輝き、たくさんの拍手が送られました。表彰された方々の輝きを拝し、いつかは自分もの気持ちが生まれました。
 総会、式典が終わり、暫しの休憩をはさみ記念祝賀会となりました。祝賀会には、テレビや俳句総合誌で御馴染みの憧れの俳人の登場に盛大な拍手が送られ、さすが白魚火通巻八百号の重みと改めて感激しました。普段大人しい句友も目を見張るほど積極的に来賓に近づいたのでびっくりしました。皆さん記念撮影やら歓談やらとコロナウイルスを吹き飛ばす勢いで盛り上がりました。もしコロナウイルスがなければ日光和楽踊の披露となるのですが残念!次回倍返しとしましょう。
 祝賀会のメインイベントは元力士大至さんらの相撲甚句、節回しと張りのある声に酔い痴れ、拍子木の響きが会場を包みました。
 当日は相部屋でしたので、どなたと一緒かと思いましたら、旭川の平間純一さんでした。お話しをさせていただき大変勉強になりました。平間さんは選者でしたので、私が休んでいる間も選句を熱心になさっていて、その背中に感激をしました。選句の他にもあれこれ会の成功のために気をつかわれていました。こういう同人先輩、諸先生の裏方の働きのお蔭で立派な大会ができるのだと改めて感じました。そして、東京支部や行事部の皆様のお蔭でテレビに出してもおかしくないような披講、選評の場となりました。私たちの出句が入力係のパソコンにより迅速かつ正確に入力され、選句を経て、左右二つの大スクリーンに入選句、特選句が映し出されたのは壮観でした。私の句もスクリーンに映され、披講もされて感激をしました。まさに大成功の大会となったと思います。
 来年の札幌大会はもっと参加者が増えますように皆様健康に留意し、句作りに励みましょう。


白魚火全国俳句大会に初参加して
(我孫子) 植松 信一
 今回の全国大会は白魚火通巻八百号記念大会として、東京(両国)で開催されました。地元である白魚火東京句会では、萩原一志さんが中心となって早くから準備を進めていただき、八月には任務分担が割り振られました。私は全国大会への参加は今回が初めてということもあって全くの無案内でしたが、投句のパソコン入力担当や写真撮影担当等のお手伝いに携わらせていただくこととなりました。
 投句用紙の記載方法、投句のパソコンへの入力要領、代表選者の詠句及び選句された句が披講されるごとの会場の大型スクリーンへの投影や、入選句集・俳句作品集の机上配付の段取りなど、きめ細かな進行要領や分刻みでの時間配分等々から、数次にわたっての熱心な打合せや摺合せの様子(オンライン会議)を覗い知ることができました。大会本番を控え、宿舎のホテルでも深更まで関係の皆様方で最終準備・検討が行われておりました。
 俳句大会の披講は、東京句会の寺田佳代子さんと原美香子さんが担当されました。行事部として万端にわたり周到な準備をされ、大会での披講の際のスクリーン投影のパソコン操作をしていただいた久保徹郎さん、久保久美子さんとの絶妙な間合いとテンポで、とても流暢に披講していただいたことで、耳と目でじっくりと鑑賞することができたように思います。
 参加者全員が句会を楽しみ、皆さんにより満足していただける俳句大会にしようとの所期の目的を達成するための行事部の皆様をはじめとする方々のご尽力と様々な新たな工夫、取組みのお蔭で、今回の全国大会が円滑に運び、とても充実したものとなったものとの感を強くいたしました。改めて皆様方のご労苦とご指導に感謝申し上げます。
 さて、私は投句のパソコン入力を九名の方々と共に担当させていただきました。入力間違いがないかのダブルチェックをしていただくため、編集部の荒木千都江さんが傍に付いて丁寧に確認してくださいました。毎月の投句の封筒にお名前を書いている方と初めて直にお目にかかれて親しくお話できる機会を得て、とても身近に感じられました。どうして「投句用紙を重ねて三つ折」での投函のお願いをしておられるのか、その理由やご苦労話などを具体的にお伺いして、改めて今後も違わぬよう心したいと自分に言い聞かせた次第です。
 総会での白岩敏秀主宰や中村國司同人会長のお話、記念祝賀会での来賓の方々のご挨拶をお聞きして、白魚火誌が通巻八百号を迎えるに至るまで、営々として紡がれてきていることの意味合いとその重みを肌で感じることができました。
 全国から集われて、旧交を温め、あるいは新たな知遇を得て、歓談されている様子を拝見するにつけ、白魚火の俳句を通して結ばれるご縁や繋がる絆の拡がりの一端を垣間見させていただいたように感じています。私自身、これから毎月の白魚火を読むに際しても、これまでよりもより深く味わえるようになるのではないかという気がしています。
 遅ればせながら、会場の受付で白魚火叢書三冊(白魚火燦燦(仁尾正文著)、新白魚火歳時記、俳句と山野草)を買い求めました。未熟ながらもこれからも愉しく俳句を続けていければと思っています。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


周到な準備を重ねられた披講担当の方々(左から、原美香子さん、寺田佳代子さん、久保徹郎さん、久保久美子さん)


左右の大スクリーンに映し出される白岩敏秀主宰の詠句


白魚火通巻八百号記念俳句大会(東京)に参加して
(諏訪) 宮澤  薫
 コロナ禍で延びていた白魚火全国大会が東京で開催されるとの報を六月号に見てぜひ参加しようと早速申し込みをした。「かざこし」の仲間を誘ったが皆参加できないという。一人での行動は慣れている。それに東京は諏訪から近い。躊躇はなかった。白魚火の全国大会には過去東京・静岡・名古屋の三回参加しているが投句の入選もあまりなく大会の印象は薄い。ただ皇居辺りの散策や丸子の宿のとろろ汁、名古屋城周辺の吟行は楽しかった。
 九月に入り、鳥雲同人として代表選者の依頼を受けた。私なんかがと思ったがここは素直にお受けすることにした。東京へは高速バスを利用する自分にとって、当日両国迄行くのでは句作に余裕がない。前泊をしてゆっくり両国界隈を吟行しようとの思いで前日の宿泊を申し込んだ。慣れているとはいえコロナ禍の為東京は三年ぶり、バスターミナルを出て新宿の南口に立つ。人、人、人でごった返す駅、以前新宿御苑を見るために通った南口は空いていて歩き良かったのに。
 両国へは都営地下鉄大江戸線が便利。大江戸線は地下の最深部。何かの折は少し怖い。昼近くの人波をかき分け乗り場までエレベターやエスカレーターを乗り継ぎやっとホームにたどり付いた。座席は満席。都会人は私にすぐ席を譲ってくれた。
 両国駅では、降りた分また登る。二泊の荷物は重い。つくづく体力の衰えを感じた。
ホテルのロビーを入り、ほっと一息。其処には前泊で参加した白魚火の方々が大勢受付を待っておられた。手間取りようやく部屋に入れたのは一時を過ぎていた。身軽に着換えをして一階のカフェで軽食を取り界隈の吟行に出た。
 ホテルの西隣に横綱町公園があり散策する。関東大震災の慰霊碑の周りに時期遅れの秋の七草が咲き残っている。萩・芒・桔梗・撫子・女郎花・葛・藤袴と節をつけて子供に教えたのも遥か昔。この公園は安田学園の通学路になっているらしい。公園を出て旧安田庭園を見る。昔潮入の湖であった広い池には初鴨が数羽浮かんでいる。庭園の樟はどれも大樹、時の流れを物語る。疲れた体をベンチに癒し、庭園内に設えてある石組や碑など見て回る。塀の外は道路を隔て隅田川であるが、建物の陰で川のある事さえ感じられない。大きな石文の文字は「至誠」「勤儉」と邸主の人柄が思われる言葉が彫られている。半分青い銀杏の葉が二片三片降りかかる。深く鉄格子で塞がれた駒止めの井戸の畔に石蕗の花が咲き添う。
 国技館と隅田川を見て帰る予定が疲れて果たせない。明日の半日へ残しホテルへ帰る。お隣がNTTドコモの高いビル、親近感を覚えた。NTTは三十七年間勤めた吾が会社である。ホテルの部屋は十九階の個室、暫くベッドに横たわる。夕食後、部屋からの夜景の美しさに目を見張った。手の届きそうな所に虹色に電飾されたスカイツリーが見え、高いビルの天辺には赤色の航空障害灯が灯り、区画整理された通りの十字路が昼では判らない美しさを醸す。闇に浮く不夜城東京の夜景にすっかり魅せられた。

大会初日
 六時前に起きるのはいつもの習わし。二十五階の「さくら」でバイキングの朝食を済ませ、早めに吟行に出る。曇り空、傘を持たず外へ、横綱公園を抜ける時大勢の高校生の群れに紛れる。陽気な明るい声を擦り抜け、旧安田庭園の脇を抜け国技館へ、早朝の為開門されていない。道路を渡り隅田川の辺へ出た。広い河川敷から観光船や生活の渡船が見えるがどれも屋根が低い。幾つもの橋を潜るためだろうか、曇天で川が澄んでいるのかは不明。この下流はお台場があり、古い猟場もあるはず。暫くベンチで川や対岸の景色を眺める。九時とうとう雨が降って来たのを汐にホテルに戻り、今日の出句を確認。投句後、総会は二時から。大会出席者一六四名・来賓十一名という大きな大会の始まりである。
 寺澤朝子氏の開会の辞により、式典は始まった。会場は水を打ったように緊張が漲る。
 主宰の挨拶、同人会長の挨拶、白魚火現況報告の後、各受賞者の表彰が行われた。対象者は三十二名(複数受賞者含む。)受賞者の謝辞があり、檜林弘一氏の閉会の辞にて式典終了。
 十六時半より待望の記念祝賀会が行われた。私の同テーブルは出雲の方々だったが、すぐ打ち解け楽しい宴会となった。来賓の井上弘美様は長野吟行等面識があったので挨拶を交わす。ビールが美味しい。十九時半、会を切り上げ部屋へ。これから選句が待っているのだ。
 総数三九三句の中から特選五句・入選十句を選ぶ。昼間用意して置いたドリンク剤三本を頼りに吟味選考。カーテンの外側は素晴らしい両国・隅田の夜景がある。皆さんの句を詠みどこを回られたのか頷きながら選句。大変な労力であるが是も選者の特権と頑張る。

大会二日目
 代表選句を役員に届け、第二回目の出句も済ませ、部屋でくつろぐ。句会の始まりは十時からである。会場はスクリーンが用意され、これを使って目と耳で確認する事が出来るように配慮されている。第一回出句の選者別披講と特選者への選者句贈呈の後、主宰他数名の選評が成された。この時活躍したのがスクリーンであったが、選者席はスクリーンの後ろの為見る事が出来ず残念であった。曙同人金田野歩女氏より令和五年度の開催地「札幌」の報告があり拍手。万歳三唱に余韻を残し、十三時解散となった。
 みんな再会を果たした友に別れを惜しみつつそれぞれの帰路へ散った。
 二回目出句は例年通り白魚火誌上で発表される。


参加できた幸せに感謝して
(御前崎) 中  文子
 コロナ禍に阻まれ、前回の名古屋大会から三年を経て「白魚火通巻八百号記念大会」が東京で開かれました。静岡白魚火からの出席者は、横田さん、相澤さん、小村さん、田部井さん、私の五人。残念だったのは、御指導いただいている三都夫先生の御出席がかなわず、本杉さん、大石登美恵さんも断念され、心細い陣容となったことです。名古屋へは二十一名もの仲間で参加できたのに、閉ざされた二年間の影響は大きいものだとつくづく思いました。
 行事部としての役を担われている田部井さんは先発され、四人が早朝の静岡駅から「ひかり」の車中の人となりました。会場のホテルは国技館の近くで、第九を歌いに国技館に何度も来ていた小村さんの提案でタクシーで向かうことにしました。
 会場に着いたら何はさておき、吟行です。小村さんと相澤さんには投句入力と確認の役が割り当てられているので、逆算して吟行に費やせる時間は二時間ほど。
 ホテルから歩いて五分ぐらいの旧安田庭園へ。そこは都心とは思えないほど緑に囲まれ、心字池を中心とした大名庭園でした。園を囲む高層ビルの向こうにスカイツリーの上部が見え、ビルが池に影を落としています。亀が浅瀬を動き、鴨が飛翔を繰り返す景を眼にしつつ、いくつもの大灯籠や石組のある洗練された園内を巡りました。園内には白魚火のお仲間があちこちにいて、挨拶を交わしています。小村さんの所持する「八百号記念白魚火俳句手帖」に編集部の荒木さんが目を止められ、声を掛けてくださるという思わぬ交流もありました。ここは紅葉の名所で、ライトアップもされるそうですが、まだ早く、渋柿だけが赤く熟れていたのが印象的でした。
 時間の制限があり、事前にご案内いただいた他の名所には行けずじまいになってしまいました。
 ホテルでのランチは横田さんと二人きりで、いろいろな話を聞くことができました。それから二時からの総会に臨みました。
 主宰の挨拶での、先師西本一都先生の「わが俳句足もて作るいぬふぐり」の句を例にとっての作句の作法に関するお話、中村同人会長の「時代に合わせ、のびのびと俳句を詠もう」とのお言葉、共に心に残りました。
 白魚火賞を初めとした各賞、八百号記念募集作品の表彰と、総会は滞りなく進み無事終了しました。
 続く祝賀会は、記念大会にふさわしく著名な俳人(各結社主宰、代表)が多数ご来駕くださり、すばらしいスピーチを聴くことができました。どの先生も、四代の主宰の下、間断なく八百号を迎えた結社としての白魚火を激賞され、誇らしい気分になりました。
 全国大会への出席は私にとって四度目でしたが、鳥取大会で知遇を得た島根の妹尾さん、愛知の野田さんとも交歓でき、今回の祝賀会で同席した栃木の江連さん、菊池さんとも俳名のことなどで話が弾みました。こうして誌面でお見かけする方々との縁が広がっていくのでしょう。それも大会出席の醍醐味でもあります。
 余興の相撲甚句も初めてで、感動でした。
二日目の俳句大会では、横田さん、小村さん、私が特選をいただくことができました。
勉強不足の私にとっては、驚くことばかりの総会で、今こうして白魚火の一員として俳句を楽しめていることに改めて幸せを感じるとともに、学びを深めていきたいと思いました。
 予測不能のコロナ禍の中、このようなすばらしい記念大会の開催にご尽力くださった全ての方々に心からお礼申し上げます。


久し振りの全国大会
(浜松) 渥美 尚作
 三年ぶりの全国大会は八百号記念大会ということもあり、より多くの参加者が望まれた。このため、浜松白魚火会は総会が四月なので、早くから参加者を募っていた。全国大会への旅は、副会長の山田眞二氏が責任者となり参加者の募集、往き帰りの電車や宿の手配、現地でのバスの手配まで皆が困ることのないよう細かく準備してくれた。
 東京への出発は、大会当日の十月二十四日。朝八時に浜松駅の新幹線改札口前に集合。山田副会長より切符を受け取り、八時二十分発のこだま六三二号のグリーン車を待つ。グリーン車に乗ることは、通常ではあり得ないことなので楽しみである。ホームで並ぶことをしなくてもよいので、駅頭のビル街や秋葉山をはじめ遠くの山々をゆっくり眺めることができた。目の前に七号車が止まり、乗車。一列に四座席のゆったりとした席に、一人、合点をして腰を下ろす。余裕のある広さで足元のスペースも十分である。手荷物を置く所も確保でき、棚に上げなくてもよい。何ともゆったりとした気持ちになる。同行者のほとんどが顔見知りである。挨拶を交しているうちに掛川駅に着いた。駅の北方に、山内一豊の築城とされる掛川城が見えるはずだが、どうやら改修工事の様で、シートに覆われている。次の静岡駅では松永敏秀さんが乗車。松永さんは静岡から毎月浜松の句会に参加している。静岡を出発し、ほどなく富士山が姿を現した。少し曇ってはいたが、裾野まで広がる雄大な姿を見ることができ、幸運だった。富士川の鉄橋を渡り、新富士駅に到着。一分停車してすぐに発車、左右の製紙工場を見ているうちに三島である。市内には富士山の伏流水があちこち湧水となって流れ、水の都と呼ばれている。この頃は東京のベットタウンとして人気がでているようである。長いトンネルを抜けると熱海に着いた。このあと、小田原、新横浜、品川と過ぎ、定刻通りに東京へ到着。丸の内の改札を出て、皇居の方へ五、六分ほど歩くと、小型バスが待っていた。全員が乗り込むと、ただ一つの目的地の浅草へと向かう。東京の町の中なので混んでいると思っていたが、意外にスムーズである。バスからの景を早速詠んだ者もいる。
天井を開けはとバスの秋日和   敏 秀
最高裁門閉ざしをり神の留守   清 隆
 雷門の前で下車。幹事から集合時刻と場所の説明があり、それぞれに歩き出したが、気が付けばひとかたまりでの移動となった。やはり慣れない土地を一人で歩くのは皆不安な様である。
 五十年前に、一度仲見世を訪れたことがあるが、その時とは全然違っていた。商店街は皆アーケードがかかり、整然としている。ハロウィンの飾りつけや、仮装している若者に目を奪われた。
仲見世に昭和の匂ひ豊の秋    吉 康
ハロウィンの南瓜大口開けてをり 建 代
仲見世のおなじ高さの秋すだれ  利 久
 ここで何か買うか食べるかすれば句ができそうである、と思いつつ歩く。ちょうど昼になり、蕎麦でも食べましょう、ということになった。
秋麗の仲見世に買ふ夫婦箸    滋 世
人形焼提げて浅草水の秋     文 子
浅草の仲見世に喰ふ走り蕎麦   尚 作
 あっという間に時間が過ぎ、集合の刻となる。間もなくバスが来て、大会会場である「第一ホテル両国」へと向かった。
 一日目の出句締切りは十三時である。あたふたと出句した。
 会場のホテルの近くには、旧安田庭園や国技館があり、その向こうには隅田川が流れている。
隅田川は風のふところ秋惜しむ  眞 二
墨堤の薄一叢吹かれをり     義 久
 限られた時間内でも皆しっかりと句をまとめている。
 参加人数百六十余名で開催された記念大会、華やかなゲストや、相撲甚句と盛りだくさんであった。
 盛会を目の前にして、行事部をはじめ、役員の皆様の御苦労が報われていると感じた。
 八百号記念大会おめでとうございます。


白魚火全国大会参加ミッションの達成について
(浜松) 古橋 清隆
 一日目 (総会、祝賀会)
 今回、全国大会に参加する浜松白魚火では、初生句会の一部と梧桐句会の皆さん総勢数名で、東京両国の第一ホテルまで行くことにしました。
 これは、慣れない乗り換え等で迷子が出ないようにという、先輩方への配慮からの発案でした。
 集合時間前には、皆さん三々五々集まり、念の為に、可愛らしいカラークリップを目立つところに着装していただきました。
 新幹線は「ぷらっとこだま」にグリーン車という、リッチな気分が味わえるもので、私も、新幹線は数乗ってきましたが、グリーン車に乗るのは生まれて初めての経験で、足は延ばせるし、座席は広いし、車内は静かで本当にいい経験をさせてもらいました。
 東京駅には、定刻通り到着、丸の内側に出ようと改札を抜けようとしたところ、問題発生。
 「ぷらっとこだま」のみの切符では、JR東京駅構内を抜けることができず、入場券もしくは交通系カードが必要と駅員から言われてしまったのです。
 このときのJR東日本の駅員さんの態度は事務的で冷たかったな。
 自由通路を使えば行けるとのことで、走って自由通路側の改札を探して、なんとか一行は丸の内北口に出ることができました。
 そして、あらかじめチャーターしておいた観光バスに乗り込んで、吟行地である浅草寺に向かいました。このバス利用も、迷子防止策の一つでありました。
 浅草寺では、自由行動の前に集合場所を決めて、解散とし、仲見世などを散策しながら昼食をとりました。仲見世通りはコロナ水際対策が大幅に緩和されたばかりでしたが、外国人旅行者で溢れていました。
 皆さんが吟行中は、集合場所から迎えに来るバスの停車場所までの道を確認しておき、早めに集合場所で待ち受けました。時間前には、皆さん集まり、バス停車場所まで案内し、無事に乗車して会場に到着することができました。
 全員を会場にお連れするというミッション完了です。
 そして、総会を終え、最も楽しみにしていた記念祝賀会となりました。席は会場中央のテーブルに空きがあったので、そこに座りました。隣は来賓席で、テレビで見たことのある櫂未知子さん、井上弘美さん、片山由美子さんがおられまして、思わず携帯電話で写真を撮っている自分に気づきました。テーブルでは島根の皆さんとご一緒しまして楽しく過ごさせていただきました。
 祝賀会では特に、余興の相撲甚句が圧巻でした。幕内最高位前頭三枚目の大至伸行さんの歌声が見事でした。大至さんのオフィシャルサイトを見てみますと、現役時代から相撲甚句の唄い手として、名人と呼ばれる多くの相撲甚句の唄い手を手本に自分に合う節を研究し大至節を作り上げたとあり、まさに大至節に酔いしれた夜でした。

二日目 (俳句大会)
 二日目の俳句大会は、昨夜の酒が少し残っていたため、お茶を買いにホテルの上層階の自動販売機ルームに行ったところ、そこからの眺望はすばらしく、スカイツリーが手が届きそうな間近に見られて、少し得をした気分でした。
 大会は、スクリーンに映し出される入選句、特選句を確認しながら、表彰される皆さんに拍手をする中、これに先立つ四月に浜松白魚火総会の中の句会でスクリーン方式を簡略化して実施したことを思い出しました。この方式は本当に見やすくていいなと感じました。また、カラー刷りの大変立派な俳句作品集、入選句集もいただきましたが、スタッフの皆様のご苦労に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 こうして大会も無事に終了し、残すは一行を無事に浜松までお連れするミッションが残っています。
 バスは予定通り来るのか心配していましたが、時間通りホテルに到着し、全員を乗せ、東京駅へ出発しました。
 東京駅では、昨日の「ぷらっとこだま」の切符では駅構内に入れないため昨日とは別の地下の自由通路を目指そうとしたのですが、遠まわりになることから、全員の入場券を購入して構内に入りました。
 本当は、食事処で遅めの昼食をとってから、新幹線に乗車して帰る予定でしたが、東京駅の構造、自由通路の状況、飲食店の配置状況などの確認が甘かったため、お弁当を購入して車内で食事ということになってしまいました。皆様には本当に申し訳なく思っております。事前の調査の重要性を再認識した次第です。
 それでも、皆さんは文句も言わずに、車内では各々、静かに食事をしながら今回の大会を振り返っておられたようでした。
 神奈川県境を越え、静岡県に入りますと、昨日の雨が雪となったのかふもとまで真っ白に雪化粧をした富士山が目に入ってきました。まるで、富士山が私たちに「お疲れ様、おかえり」と出迎えてくれているようで、感動、感激したのは私だけではなかったと思います。
 こうして、夕方には、無事に浜松駅に到着し、皆さんそれぞれ、帰路についたのを確認し、すべてのミッションを完了、若干のミスはあったものの、すべてのミッションを達成できたと肩の荷を下ろしたのでした。

 今回の全国大会は、名古屋に続いて二回目の参加でしたが、いろいろな意味でよい経験をさせていただきました。また、この参加記を執筆した私が、あたかもいろいろな日程調整や計画を策定したと思われては困るので、最後に、この計画を立案し、かつ切符の手配、貸し切りバスの手配など細部にわたりご苦労された、前職の時の同期生、山田眞二氏に誌上を借りましてお礼を申し上げます。ありがとうございました。また、次回も頼むね。


心に残る一日
(磐田) 浅井 勝子
 令和四年十月二十四日、二十五日の二日間、東京両国の第一ホテル両国に於いて白魚火通巻八百号記念全国俳句大会が開催されました。
 コロナ禍の中ここ二年間は全国大会は中止でありましたが、今回は幸いに感染者の減少傾向が見られ、無事開催されたのです。北は北海道から南は九州まで、全国各地より百六十余名の会員が参集されました。
 二十四日の朝、好天に恵まれて磐田を発ち、曇り空の東京へ到着。限られた時間ではありましたが、ホテル近くを吟行並びに昼食。まずは回向院へと向かいました。オフィスビルに挟まれている大きな門をくぐり、奥へと進みますと、そこにはモダンな建物。すっきりとした作りで、内部も又モダンでびっくりしました。
 一七八一年以降境内において勧進相撲を興行したのが今日の大相撲の起源との由で、両国の歴史を語っているようです。昼食は、「吉葉」にて。昭和時代の元横綱吉葉山が開いた宮城野部屋であったそうで、中へ入ると真ん中に当時の土俵がそのまま残されていました。これまた両国らしい雰囲気を味わうことができたのでした。夜の食事時にはなかなか席が取れないとも伺い、ラッキーでありました。
 慌ただしく食事を終えて大会の会場へ。まずは受付を済ませ、三句の出句です。その後しばらく間がありましたので少し休憩。窓からはスカイツリーがよく見え、東京の景色に心躍る思いでした。
 いよいよ総会の始まりです。開会の辞に続き、主宰の挨拶、中村國司同人会長のごあいさつ、三原白鴉先生の現状報告と淀みなく進みます。次いで式典となり、各賞の表彰が行われました。代表として筆者が謝辞を述べさせていただき、個人的には肩の荷が降りてほっといたしました。
 閉会の辞は、檜林副主宰。総会はこれにて終了です。その後、主宰を真ん中に各賞受賞者の記念撮影。皆さんにこやかにいい笑顔だったことと思います。
 一時間ほどの休憩があり、総会・式典と同じ清澄の間にて祝賀会が始まりました。着席して間もなくご来賓の方々を拍手にてお迎えです。まず白岩主宰のご挨拶。続いてご来賓の皆様方の紹介がなされました。代表として、「香雨」主宰の片山由美子先生が壇上に立たれてお話をしてくださいます。白岩先生の御句を取り上げられて高く評され、そして白魚火の歴史の重さや俳句界に於いての揺るぎない地位や活躍を賞されます。白魚火の一会員として誇らしい思いにさせていただきました。続いて、「銀漢」主宰の伊藤伊那男先生、「汀」主宰の井上弘美先生、「群青」代表の櫂未知子先生、「鶴」主宰の鈴木しげを先生とお心のこもったご祝辞をくださいました。
 引き続き、「俳句」「俳句四季」「俳壇」「俳句界」の各編集長並びに報光社原社長と船木さんからもあたたかいお言葉です。乾杯の音頭を「俳句」編集長石川一郎様がなされ、会場が一つになって参りました。食事は洋食でしたので、マナーを気にしつつ頂戴いたしました。そのうちに、両国相撲甚句保存会の皆様が登場され、いろいろな甚句を披露してくださいます。最後に、元大相撲前頭三枚目であった大至関の圧巻の唄声。会場の隅々まで朗々とした美声が響き渡り、胸がいっぱいとなったのでした。
 「七福神前途洋々芽出度い船出」の祝い唄の文句は、白魚火通巻八百号を祝し、先々の明るさを誘っているようにも感じられます。そして、一茶の「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」の甚句の一本で締めくくられました。満場の拍手で一同をお見送りし、その後ご来賓の方達のご退席に又々大きな拍手をもってお見送りです。
 一通りのコース料理が終わったあとは懇談に移りました。私ども磐田から参りました三人は、時間的余裕がなくて途中退席させていただき、失礼いたしました。
 心に残る一日でございました。


通巻八百号記念全国大会(東京)参加記
(松江) 井原 栄子
は三回目となります。コロナ禍により三年ぶりの全国大会。思い切って参加することに。
 大会前日の二十三日の早朝、集合の空港に向かう途中、宍道湖に朝日が昇り、その素晴らしい景色に背中を押されて気分上々の出発となりました。
 今回、島根からは二十二名が参加。空港では三年ぶりの再会の方も。出雲空港より羽田へと飛び立ちました。羽田からは三日間すべて貸切バスでの移動です。まずは子規庵へと向かいました。
 子規庵は戦災で焼失後復元されたものですが、子規の好んだ草花が植えられ、脈々と当時の佇まいが受け継がれており、この居室より子規が眺めていたのだと思うと感慨深い思いが募ります。そして、皆さん思い思いに句帳を広げ句作りを。ここに名だたる歌人、俳人、文豪が訪れたことに想いを馳せるひと時でした。
子規庵の庭に素秋の句を拾ふ  原  みさ
掛軸の子規の横顔柿ふたつ   山根比呂子
戦火経て根付く秋萩子規の庭  生馬 明子
子規恋ふる六畳一間の秋の声  福間 弘子
子規庵に子規の生ひ立ち水引草 青木 敏子
 子規庵から次の吟行地上野へ。日曜日ということもあり、人通りも多く、先頭の人を目で追いながら歩いている積りが見失い、危うく迷子になりそうに。無事昼食を済ませ、上野恩賜公園へと向かいました。公園では、賑やかにいろいろな大道芸が繰り広げられていました。広い公園はアップダウンも多く、不忍池まで遠く感じられました。池は一面敗荷に覆われており、蓮の花の見頃はさぞかし見事だろうと想像いたしました。広い公園に歩き疲れ、日ごろの運動不足をつくづく感じました。
推敲の掌に遊ばする木の実かな 荒木千都江
西郷どんの裾ひるがへる秋の風 三原 白鴉
西郷どんの大きな足に銀杏の実 江⻆トモ子
 上野恩賜公園の次の吟行地は浅草の浅草寺です。
 大会前、テレビの番組で浅草を取り上げており、雷門の大提灯の底には龍の彫刻が施されているとのこと。早速、提灯の下をのぞき込み確認をし、線香の煙を浴びて邪気を払い、お参りをしました。狭い仲見世通りは人の波。人形焼、雷おこし、揚げまんじゅう等々スイーツの店が立ち並んでおり、特に若い人達が買い求め、美味しそうに食べていました。私たち四名は、食べ物より飲物。喉を潤すべく喫茶店を探し、腰を落ち着けほっと一息。そうこうしているうちに集合時間が近づき、浅草寺を後にしてバスの待つ場所へ。
香煙や色なき風の浅草寺    大菅たか子
異国語のにぎはふ秋の浅草寺  中林 延子
 そして、その日最後の吟行先は、スカイツリー。もう日暮れとなり、慌しく四階まで上がり、点灯が始まったスカイツリーをのけぞりながらスマホでパチリ。そして全国大会の開かれる宿泊のホテルへ到着しました。チェックインを済ませ、部屋に入るとなんと窓から先ほどいたスカイツリーが見えるではありませんか。ラッキーと思わず声を上げました。
 その日の夕食はみんなでちゃんこ鍋の店へ。両国の歯切れのよいおかみさんに勧められるがままにお腹一杯食べました。鍋に堪能してホテルに帰り、翌日の出句三句を何とか作り、就寝。出雲空港出発から、長い長い一日でした。
 明けて二十四日、大会初日。朝食を済ませ、回向院へと向かいました。そこで、呉の大隈ひろみ先生、神田さんと三年ぶりの嬉しい再会がありました。回向院は、明暦の大火の十万人の犠牲者を埋葬し、回向するために建てられたものです。他にも様々な供養塔がありましたが、中でも鼠小僧の墓では、墓石を欠いて持っていると勝負運、金運が強くなるということで、皆墓石を削り、財布に入れました。ご利益がありますように。
 その後、健脚の人たちは吉良邸跡へ。そして、次は国技館に隣る旧安田庭園へ。ビルに囲まれた中に閑静な庭園が広がっており、喧騒を離れた別世界でゆったりと静かな時間を句作に。
 ホテルに帰り、第一回の出句を済ませ、いよいよ大会が始まりました。総会に続き各賞表彰があり、島根からは、森山真由美さんが新鋭賞を、三原白鴉さんが俳句賞を受賞されました。その後、記念祝賀会が盛大に催されました。主宰の挨拶に続き、来賓の先生方からの祝辞がありましたが、どの来賓の方も口を揃えて、通巻八百号ということが如何に大変な偉業であるかということを話され、改めて先師や主宰、各先生方、編集部、行事部の方々の大変なご尽力の賜物と感謝するとともに、この記念大会に参加できたことを嬉しく思いました。
 そして、この祝賀会に華を添えたのが相撲甚句でした。拍子木が会場に響き渡り、元力士の朗々とした声に聞き惚れ、大いに盛り上がりました。
 明けて、大会二日目。出句を済ませ、会場に入ると、机の上に第一回出句の作品集と入選句集が並べ置かれてありました。今回から、特選句、入選句が披講に併せて次々とスクリーンに映し出され、次いで先生方から選評がありました。主宰の選評の中で、写生だけではなく、創作することも必要、事実を述べるだけでは必ずしも良い句とはならず、ポエムが必要だという趣旨のお話をされました。この言葉を胸に刻み、今後の句作りに活かしたいと思います。
 次回は、北海道で開催するとの発表があり、散会となりました。
 大会運営に携わられた皆様方に深く感謝申し上げます。


両国ゆったり観て歩き
(雲南) 妹尾 福子
 十月二十三日の早朝、陶山京子さん、山根比呂子さんと私は、雲南市の三刀屋を出発して一路出雲市へ。高速道路を下りて行くと、雲海の中に赤いJALマークが現れ、私達を乗せる一番機を発見‼出雲縁結び空港で中林延子さんと合流。松江、出雲、雲南の総勢二十二名を乗せて機体は羽田へテイクオフ!
 一時間二十分で羽田に到着。東京は快晴。貸切りバスで両国の街並を眺めながら、子規庵へ。落ち着いた佇まいの中に入ると、床の間には、子規直筆の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の掛軸が目を引き、その達筆な書に見惚れてしまいました。病臥中の子規が愛用した座机に向かい、子規に想いを馳せ乍ら、私も記帳して旅の標を一つ残して来ました。
掛軸の子規の横顔柿ふたつ   比呂子
露けしや子規終焉の間に座して 京 子
糸瓜の句碑が立つ庭に下りて、秋の草花を愛でつつ句帖・・(八百号記念)を手にペンを走らせていると、荒木千都江先生が「それ使ってくれてるね!」と喜んで下さり、苦作?している私を励まして下さいました。
四五本の糸瓜あをあを子規の庵 福 子
 上野恩賜公園から浅草寺周辺も、日曜日とあって何処も人で溢れていました。七五三で着飾った親子や着物姿の外国人観光客も多く、誰も幸せそうに輝いて見えました。上野の西郷さんも微笑んでいる様でした。ロダンの「考える人」は何を?
異国語の賑はふ秋の浅草寺   延 子
西郷せごどんの厚き胸板名の木散る 京 子
 ホテルにチェックインの後、両国の街へ出て、夕食は本場の「ちゃんこ鍋」を堪能しました。店を出て、腹熟しに歩こうかと全員で夜風に当り乍らホテルへ戻りました。
 二日目の吟行は回向院から。
 「南無阿弥陀仏」の書体が皆異なった独特の墓石が並ぶ参道から、「力塚」などのある荘厳な御堂を拝み、鼠小僧の墓まで、仏心を極めるべく、一衆生として心が洗われる空間に身を置くことが出来、感無量でした。
鼠小僧祀る寺苑や初紅葉    福 子
たづね来し吉良邸の跡そぞろ寒 延 子
 旧安田庭園を散策していると、羽根が白黒の鳩が寄って来て、可愛らしい仕種に癒されました。水鏡に逆さに映る高層ビルやスカイツリーに魅せられ、句作を忘れてスマートフォンで写真撮影に夢中になっていました。
小鳥来る園に白亜の太鼓橋   比呂子
 ホテルに戻り、軽い昼食を済ませ大会の会場へ。投句を済ませて会場に入ると、三年ぶりにお会いする先生方や句友の皆さんとご挨拶が出来て、嬉しさと懐かしさで一杯になりました。NHK俳句でお馴染みの井上弘美先生や櫂未知子先生などの著名な俳人の方々が来賓として大会を盛り上げて下さいました。そして、元力士の声量豊かな相撲甚句にうっとり・・・・
錦秋や相撲甚句に醉ひしれて  比呂子
 同郷の寺澤朝子先生ともゆっくりお話しすることが出来、何よりもうれしく思いました。東京句会の萩原一志さんに続いて、寺田佳代子さんと河島美苑さんも紹介して頂き、東京がより近くに感じられました。故郷(三刀屋)の話などして、りんどう句会の歴史も知ることが出来て、これからの目標が大きく膨らむ思いで、より精進しなければと心に誓いました。
 宴会の後、部屋に戻り、ライトアップされたスカイツリーを眺めてほっと一息…。
秋の夜の眠らぬ塔の濃むらさき 延 子
 東京三日目は、いよいよ俳句大会。
 全国から一六〇名余の句友が集い、三年振りの俳句大会です。選者の先生方による特選句五句と入選句十句(主宰は、十五句)がモニターに次々に映し出されて、秀句の数々に感心させられました。披講の後で行われた選者の選評の声が少し聞き取り難かったのは残念でしたが、白岩敏秀先生の講評によると、
 〇吟行地で見た事、感じたことを写生句に
 〇その土地で感じた驚きや感動を十七音に
 〇本物以上に描く(+α)創作も良い
これらの要点を念頭に置いて、その土地ならではの魅力・・を引き出せる俳句を詠みたいものです。
 三日間の両国の秋を満喫して、帰路へ。夕日に染まる富士の姿が目に焼き付いて…。
銀翼の真下に富士と秋夕焼   京 子
機上より眺むる富士や秋惜しむ 福 子
 行事部の皆様始め、大会でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。


白魚火八百号記念大会に参加して
(雲南) 原  みさ
 コロナ禍で二年続いた全国大会中止の後、八百号記念大会が三年振りに開催されることとなり、心の何処かでは新型コロナを恐れつつ気持ちは東京へと期待に溢れていました。
 大会前日に出雲縁結び空港で島根から参加の皆様と合流、初めて参加の方もあり総勢二十二名の団体となりました。今回は八百号記念大会とあって、私としては何としても参加しようと老骨に鞭打っての参加です。羽田から貸切りバスにより予定通り子規庵に到着。子規庵は昭和二十年に戦禍で焼失したものの、二十五年に再建され、当時のままの佇まいで残っておりました。玄関を入ると先ず赤い萩の花が目をひきます。有名な糸瓜棚には大きな青々とした糸瓜がぶら下がっていました。裏庭に出て見ると鶏頭花は勿論、秋海棠や水引草、藤袴、芙蓉等々秋の草花が咲き乱れていました。
子規庵の庭に素秋の句を拾ふ   み さ
 子規庵を後にして上野公園内で昼食。終わると直ちに吟行を開始しました。清水観音堂の前から階を下りると田舎では滅多に見ることの無い大道芸があり、そして待望の不忍池には貸しボート、弁天門を通って弁天様へ。大きな蓮に感動しながらの吟行。私と同年代の皆様達と夫々足腰が痛い等と手を支えたり笑ったりして上野を後にしました。
 次は浅草寺。香煙を身に受け聖観世音菩薩に参拝し、仲見世通りを人の流れに沿って歩きました。沢山の人の波で、白いレースの和服に着飾った女の子や手を繋いだ楽しそうなカップル等々を見てさすが浅草だなぁと思いました。私達雲南のグループは賑やかに笑いながら喫茶店の抹茶ソフトで喉を潤し、足腰を休めたりして、再び釣瓶落しの浅草寺へと引き返し、五重の塔の前でパチリと撮影。
浅草に和服の異人秋うらら    益 世
 そして一日目最後の吟行地であるスカイツリーへと足を運びました。歩くのが精一杯と言いながらみんなスカイツリーの美しい夜景に魅了されました。そして今夜の宿へ到着。夜の食事はタクシーで移動し「両国ちゃんこ道場」の鍋料理。お腹一杯なのに女将との饒舌なやり取りに絆されて美味しく頂きました。
ほつこりと囲むちやんこや秋の宵 み さ
 二日目はさすが力士の街両国です。ホテルの前に力士の手形があり、みんな自分の手と重ね合せながら力士の手の大きさを楽しんでいました。
秋うらら力士の手形に手を合はせ み さ
 第一回の出句に間に合うように、みんな一生懸命に本日最初の吟行地である回向院へ急ぎました。門を入ると両サイドに竹林があり力塚や動物塚、小鳥塚そして鼠小僧治良吉の墓などあり吟行に相応しい場所でした。次に旧安田庭園へ。ここもまた潮入回遊式庭園でもっと時間があればと心残りでした。その他吉良邸跡の海鼠壁、首洗井戸等々盛り沢山の吟行場所があり大満足の日程でした。
 さて愈々本番の記念大会。皆さん滞りなく出句を終え会場へ入りました。入口には生花の数々、中央には立派なパネルが掲げられ、明日の俳句大会のスクリーンなど準備万端整っていました。十四時より寺澤朝子様の開会の辞に始まり、総会・各表彰があり、十五時三十分で終了し、次は記念祝賀会です。
 祝賀会は渥美先生の司会で始まり、開会の辞を檜林弘一様、白岩主宰の挨拶、村上先生の来賓紹介により「銀漢」主宰の伊藤伊那男先生、そしてテレビのNHK俳壇でお馴染みの井上弘美、櫂未知子、片山由美子、鈴木しげを各先生方が入場されると万雷の拍手が湧き起こり、会場が熱気に溢れました。流石に記念大会とあって会場が盛り上がりました。「俳句」編集長の石川一郎様の音頭により乾杯。夫々の先生方からお祝辞を賜り、これからの白魚火の前途に大きな希望と明かりが感じられ、白魚火の誌友であることの誇りと喜びで胸が一杯になりました。恐れ多くて主宰や先生方のテーブルには近づけませんでした。やがて来賓の退場。私は井上先生の温かい手と握手することが出来て本当に嬉しく一生の思い出となりました。
 宴たけなわの中、毎月お世話頂いている編集部の三原、荒木、渡部、牧野各氏が壇上に上がり、夫々日頃の思い等をお話しされました。本当に感謝の気持ちで一杯です。私のテーブルの近くを通られた行事部の平間純一様が何故か私に白羽の矢を立てられ、薔薇やガーベラの花四本を編集部の皆様夫々に渡すように突然云われて吃驚しました。私は胸を躍らせながら一本ずつ贈呈しました。会場がわあっと盛り上がり編集部の皆様に大きな拍手が送られました。
 宴会の中では相撲の街らしく本場の「相撲甚句」の披露等があり祝賀会は大いに盛り上がりました。
秋の夜や相撲甚句の興を添へ   益 世
 二日目は愈々俳句大会。二回目の出句を済ませ会場へ。例年とは大きく変わり、昨日投句した俳句がパソコンで打たれ、スクリーンに映し出されてとても分かり易く、また入選句も別に印刷する等工夫され、句会がスムーズに進みました。時代の流れを感じます。
 俳句大会終了に続き、来年の開催地「札幌」が金田野歩女様より発表され、八百号記念全国俳句大会は滞りなく終了しました。
 白魚火の礎を作って下さった西本一都、荒木古川、仁尾正文三人の師の教えを大切に守り、白岩先生を先頭に白魚火が益々発展することを切に念じてこれからも頑張っていきたいと思います。
 大会役員及び関係者の皆様には大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。


初めての全国大会は八百号記念大会
(東広島) 佐々木美穂
 十月二十三日(日)七時四分、山陽新幹線東広島駅。私は初めての全国大会に参加する為に、東広島を出発している予定だった。
 行き先は東京、初めての両国。浅草寺も行ったことがないし、スカイツリーにも上りたい。会場の第一ホテル両国から大江戸線で一駅先には芭蕉記念館もある。大会前日の吟行候補予定地を二つ決めてから乗り換えの路線を決定し、タイムスケジュールを整えて、一日目の夕食はもんじゃ焼きに決めた。
 大会当日の十月二十四日(月)は、早起きして八時から清澄白河のブルーボトルコーヒーでモーニングをすることに決めていた。ずっと行きたかった清澄白河が両国のほんの二駅先にあるなんて奇跡のよう。会場を両国に決めてくれた行事部さんに心から感謝した。十時からスカイツリー展望台に上り、十一時半にホテルに帰ったら投句して…。私は楽しみすぎて連日会社のパソコンで東京旅行計画を練り直していた。
 しかし計画していたどれひとつ、私は行けないのである。資格試験が大会前日の日曜日に重なってしまい、試験の終了時刻十六時まで私は広島にいなければならなくなったのだ。ショック過ぎた。私は吟行もろくに行ったことがない俳句初心者だ。大会も初めてなので何ひとつ勝手が分からず、一緒に行く先輩方にいろいろ教えてもらえたらいいなと思っていたのに…。だが幸いなことに試験日と大会当日は一日ずれている。吟行はあきらめなければならないが、試験が終われば前日のうちに東京には行けるし、翌日大会にも参加できる。試験までは全力で資格の勉強に取り組み、終わったらチャンネルを俳句に切り替える事に決めた。
 二十三日(日)、試験が終わると、十七時六分新幹線のぞみで広島を出発、二十一時四十分に第一ホテル両国に到着した。朝広島を出発して先にチェックインを済ませていてくれた母が、私を迎えてくれた。私の大会前日は、ほぼ終わろうとしていた。
 クタクタだった。追い込みが過ぎて新幹線に酔ってしまうほど弱っていた。なんとかたどり着いた部屋のベッドで横たわっていると、ふと窓からスカイツリーが見えた。青い優しい光だ。泣けるほど綺麗だった。疲れが一気に吹っ飛んだ。今日まで頑張ってよかった。東京に来られてよかった。今日からは俳句も東京も楽しもう。うれしい気持ちでスカイツリーの句が生まれ、ここに来るまでの道中を思い出してもう一句できた。二つもできた。今日は早く休んで残り一句は明日考えよう。
 二十四日(月)大会当日の朝、早く目が覚めた。昨日広島から母と同行してくれた母の句友が、私にも一緒に清澄庭園に行こうと誘ってくれた。お会いするのは初めてだったがとても優しくて、俳句の話や季語の事などたくさんのお話しをした。いろんな植物の名前も教えてくれた。木立の中で姿は見えないが鳥がたくさんおしゃべりしていた。池には鴨の一行がいた。ぐんぐん泳いでいく姿がすごく勇ましかった。水脈ってこんなにくっきり見えるものなんだな。朝の吟行のおかげで鴨の一句ができた。一日目に提出する三句がとりあえずは揃った。
 大会一日目の投句を済ませ、祝賀会まであっという間に過ぎた。ホテルのディナーも美味しくいただけたし、初めて会うたくさんの白魚火会員さんともご挨拶できた。とても楽しい時間だった。解散後は出歩かずそのまま部屋で休み、大会二日目の朝もゆっくりした。私は東京のほとんどの時間をホテルの部屋で過ごした。
 夜の東京も散策できず、予定していたどの候補地も私は見に行くことができなかったが、清澄庭園と部屋から見た景色で詠んだいくつかの俳句を、ベッドで横になりながら何度も何度も母と推敲をしたのはとてもいい経験だった。声に出して詠み、季語を変えたり言葉を修正していくたびにどんどん無駄な語句がそぎ落とされ、伝えたい風景がはっきり見えてくるような気がする。今までこんなにしっかり俳句に向き合った事はあっただろうか。たくさんまわれなくても、じっくり見た情景をしっかり描き出してあげることで、実りのある吟行ができるのだなと感じた。大会一日目の夜は私の俳句人生において気付きのある貴重な時間であった。強化合宿みたいでとても楽しかったし、それにとことん付き合ってくれた母に感謝したい。
 二十五日(火)、昨晩推敲した三句を提出し、会場に入ると大会二日目の句会もまた怒濤の内に過ぎていった。発表されていく入選句に圧倒された。私にはこんな句は詠めないし、初めて聞く語句すらあった。こんなにたくさんの引き出しを持つ猛者達がここにたくさんいる。すごい人が周りに実在することにワクワクしたし、自分ももっと読み手に伝わる句が作れるようになりたい、俳句が上手になりたいと心から思った。
 大会が終わり、挨拶を済ませるとタクシーに飛び乗った。急ぎ向かった先は迎賓館赤坂離宮。前庭でのアフタヌーンティーがどうしてもしたかったのだ。ひとつだけ予定していた観光ができた。大満足である。母と句友二人と、寒くて楽しくて美味しくてずっと喋ってずっと笑っていた。私のわがままに付き合ってくれたお三方に本当に感謝である。
 私の初めての全国大会は八百号記念大会でもあり、スペシャルなことだらけだったらしい。今回から導入された会場の前方スクリーンに特選句、入選句が表示されるのも本当にわかりやすかった。入力を担当された方々の労力を思うとただただ頭が下がる。
 大会を運営された行事部の皆様、選者の先生方、本当にありがとうございました。出会えた皆様のおかげでとても充実した楽しい二日間を過ごせました。少しでも俳句力が上がった自分でまた参加できるように日々精進します。


白魚火通巻八百号記念全国俳句大会を終えて
行事部長  弓場 忠義
 令和二年に新行事部が発足したもののコロナ禍が続き、令和二年度の札幌大会を余儀なく中止しました。令和三年度もコロナの影響で全国大会は中止となり、主宰の意向などにより、二年に跨がる白魚火の各賞の受賞式を浜松市において敢行しました。令和四年度は、白魚火通巻八百号記念大会となること、過去二年とも全国大会開催時期の十月末にはコロナウイルスの波が収まる傾向にあったことから、開催することとなり、白魚火会員やご来賓のことなどを考慮して東京開催と決定致しました。
 その後、行事部は、毎月の定期リモート会議を開催し、大会に向けて着々と準備と検討を重ねました。参加者の皆様の親睦と有意義なる句会、また、来賓をお招きしての「記念祝賀会」の成功を目指し、七百号のときの資料など参考に行事部内の役割担当を決めて、曙同人による準備委員会を開催しました。
 毎月のリモート会議には主宰始め副主宰、同人会長、編集部など多くの人の助言を頂き、ときには夜遅くまで議論が交わされました。こうして、方向性を定め、細部に渡る準備に入りました。
 新システムの句会方式の提案、大会参加記念品の元主宰三代の句と句碑をデザインした一筆箋、祝賀会の余興の相撲甚句などのアイデアは大会と祝賀会を大いに盛り上げたと思います。コロナ禍が続くなか、大会の開催がどうなるのかと、不安の中、強い意志で開催に向けてまっしぐらに進みましたが、今振り返れば、感染者数の一番少ない最良の時期で、不安も最小限で済んだことは嬉しかったです。
 新行事部として、初めての全国大会で、尚且つ八百号記念大会と重なりましたが、当大会より学ぶことも多くあり、また、反省すべきものありました。参加された方は勿論のこと、地元関東地区の方々には、吟行地案内や当日の担当などご協力いただいたことに感謝申し上げます。
 令和五年度の白魚火全国俳句大会は札幌大会となります。東京大会の経験を活かし、皆様の親睦と良き思い出になる大会を目指して、行事部はすでに準備に入っております。改めて、皆様のご理解とご支援、ご協力のほどお願いして、筆を置きます。

袋詰めと大会受付
大会総括担当  平間 純一
 全国大会に参加して、まず最初に受け取るのが表に氏名が書かれた大会用封筒です。その中には大会次第、祝賀会次第、八百号記念大会参加記念の一筆箋セットなどが入っています。
 今回から参加申込みは、独りずつ郵貯の払込取扱票に必要事項を書き込む方式にして、振込と同時に参加申込みが終わるようにしていただきましたが、これが大会参加名簿や封筒の表書きにも大いに生かすことができました。
 記念の一筆箋は、西本一都先生、荒木古川先生、仁尾正文先生三先師句碑の写真入りで、三種一セットにしました。皆さまには、喜んで戴けたと思います。
 さて、前もってホテルに送っておいたそれらの荷物を解き、大会前日行事部四人でなんとか袋詰めをしました。翌日、受付の台に並べましたが、一筆箋の厚みがあって思うように並びませんでした。その影響で、先生方のリボンのスペースが狭い、また、御祝儀等の受付対応や奉加帳に記名していただけないなど、きっと不愉快な思いをされた方もおいでだったかと思います。
 大会受付と投句受付を近くにして、流れをスムーズにと考えましたが、結果としてこれはあまり良い配置ではなかったと反省しています。受付は、大会の顔です。次回からは気をつけたいと思います。
 さて今回は、行事部長の弓場さんが都合で大会に出られないと言うことになり、急遽代役を仰せつかりましたが、皆さまには、祝賀会において来賓の先生方をお送りしたあと、会員の皆さまで引き続き懇親会をすること、アンケートの回収や二日目の投句受付などの細かな連絡などにおいて、行き届かない点のありましたことお詫び致します。
 新しい方式で句会もでき、八百号をお祝いする大会ができましたこと、まずもってお慶び申し上げます。


全国大会の会計業務を振り返って
会計及び総会等進行担当  萩原 一志
 新生行事部の初の全国大会で会計を担当致しました。初めてのことでしたので、行き届かない点や手違いなど多々あったことと存じますが、ご容赦下さい。
 コロナ下での三年ぶりの大会ということで、参加者の人数が心配されましたが、何とか皆様のご協力で目標の百五十名を超えるご参加を頂きました。大会申し込み期間は六月から二か月間でしたが、毎日ゆうちょ銀行の行事部口座を確認しながら、パソコンで参加者名簿を作りました。日に五名以上の申し込みがあるとチェックは大変ですが、嬉しい忙しさでした。参加者の数が揃ったところで、ご案内の送付作業に掛かりました。食卓の上に封筒を北海道から九州へと宛先順に並べて、チェックを繰り返し、最終的に発送できた時は、達成感と爽快感がありました。連日の郵便局通いで担当の方ともすっかり顔なじみになりました。
 大会当日のキャンセルはほとんどなく、百五十二名のご参加と十一名のご来賓をお迎えし、混乱することもなく、無事に全国大会と記念祝賀会が終了出来て胸を撫でおろしています。大会直前になって全国旅行支援が始まり、大会後にこの返金業務が加わり、会計担当としては一層複雑な作業となりましたが、これも皆様のご協力の中で無事に終えることが出来ました。
 また、今回初めてアンケートを実施致しました。極力無駄のない大会に努めたつもりでおりますが、大会日程や参加費用、大会運営については色々とご意見を頂きました。ホテルの選択は概ね好評でしたので、ほっとしています。スカイツリーの十周年記念の特別イルミネーションや両国ならではの相撲甚句は皆様の良き思い出になったことと思います。皆様からのこの有益なコメントを参考にさせて頂き、より良い大会運営を目指しますので、引き続きご協力の程宜しくお願い致します。
 今年秋の札幌大会での多くの皆様との再会を楽しみにしています。


受付、授賞式等の反省
受付及び式典担当  田部井いつ子
 今回、行事部の仕事に携わり、感じたことがいくつかあります。
 第一は、具合の悪くなる方もなく、参加してくださった皆様が、元気で二日間を終えることができたことです。皆様のご協力に感謝しております。
 次に受付についてです。東京支部の皆様のご協力で、吟行で疲れて帰られた皆様を笑顔で迎えることができました。だれもが、ほっとした気分になられたのではと思っております。
 ただ、こちらの準備不足と案内不足で受付の場所がはっきりしなかったこと、スペースが狭かったことなど、改善の余地があったのではないかと思いました。
 白魚火賞、みずうみ賞等各賞の表彰式においても、全体の時間の関係で、代表の方のみが前に出て賞状を受けられ、その場に立つのみの方々がでてしまったことを残念に思います。
 参加してくださった皆様の親ぼくを図るとともに、授賞式は大会のメーンとなるわけですから、皆様で受賞を喜びあえるような、工夫ができたらもっと良かったのではと思いました。
 ITを使う新しい方向を目指した大会で、私もついていかなければと、気ばかり焦り、本来の「おもてなし」や「心くばり」など細かな気遣いを忘れがちだったことを、反省しております。
 この経験を生かし、次の札幌大会では、デジタルとアナログを融合させたさらに新しい大会が開ければと思っております


札幌の地を思いながら
投句受付及び祝賀会担当  田口  耕
 この原稿を書いている今日の札幌は雪です。彼の地を思い遣りながら次回へ向けて行事部は動き始めました。もちろん、今回の大会を反省した上でなければなりません。
 今大会のコンセプト。そして、その一助として導入したパソコンの活用、その効用につきましては久保さんが話して下さいました。その上で、私が担当した句稿受付について。まずパソコンに入力するのに誤字があると出来ません。その為に受付にて誤字がないかどうか、点検をさせて頂きました。不慣れなこともあり少々お待たせすることもありました。ですが、係の方々のご尽力によりなんとか乗り切ることができ、会員の皆さん、そして、係の方々にお礼を申し上げます。
 しかし、本来は投句者が記入したそのままの状態にて選を受けるものです。誤字のチェックについて、今後更に検討していく必要があると考えています。
 また、祝賀会では渥美・村上両先生の進行のもと恙なく終わり安堵しました。なんと言いましても来賓の方々のウイットに富んだ心温まるスピーチには心が熱くなりました。加えて、会員の中には来賓の先生と言葉を交わされ大変刺激を受けられた方もおありとか。大変喜ばしく思います。また、かく言う私も諸家風韻にて御縁が出来た鈴木しげを先生とお話ができ、思わず飛び上がってしまいました。更に、相撲甚句は真に見事。興味深く楽しめて最高でした。出席頂いた皆様には有意義な祝賀会になったのではないかと胸をなで下ろしています。
 最後に。来賓への引出物として白魚火の地元の島根ワインを選びました。奥出雲葡萄園の高級赤ワインです。喜んで頂けたかどうか。試飲して私は満足でしたが。
 皆さんのアンケートを吟味して札幌大会へ繋げていきたいと思います。今後ともご支援の程宜しくお願いします。


新しい句会への取組み
新句会システム担当  久保 徹郎
 八百号記念白魚火全国俳句大会の準備を始めるに当たって、行事部で議論し「参加者全員が楽しめて、より満足していただける俳句大会にする」ことを大会のコンセプトとしました。そして句会をより楽しんでいただくための方法として、選句された句を披講に合わせて順次スクリーンへ映していく、句の講評もスクリーンを見ながら聴いていただくようにしようと考えました。そのためには投句をパソコンへ入力しなければなりませんが、句をパソコンに入力することで副次的にこれまでとは違ったやり方が可能になりました。句はパソコンでランダムに配置するため三句連記で投句してもらえる、句稿集を活字で印刷して配付できる、選句された句はスクリーンに映され選句作品集も配付されるので句稿集を捲ってメモをする必要が無い、などです。その一方でパソコン入力のために、句にはふりがなを振っていただくことにしました。
 いよいよ大会一日目。新しい句会システムのために、北海道から広島まで全国の方々に担当をお願いしました。句の受付、パソコン入力と入力内容の確認など、まるでこれまでも一緒にやってきたチームように、皆さんてきぱきとこなしてくださいました。
 大会二日目、朝から代表選者の方から選句用紙を受け取り、パソコンへ入力し句会用のデータ作成をしました。披講者と選者の方へ選句結果の作品集を印刷して配り、映写用のデータをUSBカードに保存。USBカードとパソコンを抱えて句会会場に向かい、セットし終えたのは俳句大会が始まる十分前でした。大会では、萩原さんの軽妙なタッチの司会のもとに、寺田佳代子さんと原美香子さんが素敵な披講をして下さり、選者の方には句をスクリーンに映しながらの講評をしていただきました。皆さん、楽しんでいただけましたでしょうか。案外、一番楽しんだのは私だったのかも知れません。

注:各人それぞれ多種の業務に重複して携わりましたが、ここでは主担当のみを記しました。

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