最終更新日(Update)'25.05.01

白魚火 令和7年5月号 抜粋

 
(通巻第837号)
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5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  坂田 吉康
初桜 (作品) 檜林 弘一
指切り (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  松崎 勝、中村 早苗
白光秀句  奥野 津矢子
名古屋句会吟行句会報
―中村公園及び名将豊臣秀吉と加藤清正のゆかりの寺を訪ねて―
 後藤 春子
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  安部 育子、名倉 慶子
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(浜松)坂田 吉康

鯉幟三百匹の立ち泳ぎ  堀口 もと
          (令和六年八月号 白光集より)
 鯉幟は、江戸期からの物で端午の節句に武士が男の子の出世と健康を願って兜、薙刀、毛鑓、吹き流しなどを幟と共に家の前に立てたことに始まる。町人は武具のかわりに出世魚と言われる鯉をかたどった幟にしたと言う。
 平成・令和になって、鯉幟を立てる家が少なくなって来ているが、田舎に行けば、川の両岸から綱を張って沢山の鯉幟を掲げている風景を見かけることがある。 折しも風の穏やかな日、どの鯉幟も尾鰭を垂れていて時折吹く風に身をくねらせる。こんな鯉幟を「立ち泳ぎ」と言葉で写生。

喧嘩して泣いて笑うて柏餅  市川 節子
          (令和六年八月号 白光集より)
 昔は、貧しいながらもどの家庭でも母親が柏餅をつくった。小さい頃、近所の庭の柏の若葉をもらいに行った記憶がある。
 男ばかり四人兄弟で育った私もよく兄と喧嘩した。父親からはいつも兄に逆らっていかんと、次男の私が叱られた。それでも喧嘩する兄弟がいて幸せだった。幼い頃を思い出させてくれた一句である。

じやがいもの花や働き者の母  菊池 まゆ
          (令和六年八月号 白光集より)
 じゃがいもの花は白または淡紫色。私の家の近くでも馬鈴薯を栽培している農家が多くある。畑一面に咲いている夕暮時のひなびた景色は趣がある。
 母親を詠んだ句はよく見かけるが、この句はじゃがいもの花との取り合わせが良く、句またがりも成功している。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 雛 (出雲)安食 彰彦
飾られし令和の雛の頰笑みて
いつよりか主役はひまご雛飾
十二単の令和のひひなにこやかに
雛の灯をともしひまごを座らせて
ひざまづき五人囃を飾りけり
嫁ぐ娘は女雛を眺め微笑みて
眼差しは遥か彼方へ内裏雛
たをやかに吾は男雛と酒酌まむ

 向う傷 (浜松)村上 尚子
新しき道に白線風光る
手をつなぐ子が欲し土手の犬ふぐり
皿舐めてゆく恋猫の向う傷
牧場の出入りは自由花なづな
神木の天辺にある鴉の巣
巣籠の脚やはらかく置きなほす
兄が吹き妹が追ふしやぼん玉
旅の荷を解く花冷の畳かな

 鹿の角 (浜松)渥美 絹代
柊を挿す雨粒を受けながら
鳥声のして節分の雨あがる
大樽の箍あをあをと寒明くる
涅槃西風倒木土へ還りゆく
寒戻る芥焼く火のたちあがり
駅伝の一団の過ぎ梅香る
にはとりの声を遠くに土筆摘む
おぼろ夜の鴨居にかかる鹿の角

 喪の袱紗 (唐津)小浜 史都女
水仙や四角にたたむ喪の袱紗
薬すこし余りて二月終はりけり
使はずに汚るるハンカチ梅ひらく
女竹より騒ぎはじめし東風の山
雲雀東風おなじ高さの竹林
空海のころの仏や芽吹山
花ミモザ形見となりし唐津焼
シクラメン越しに天山昏れゆけり

 春の日 (宇都宮)中村 國司
立ち上がり白鳥朝日まねきけり
鳥雲に入るわが微熱ややのこる
おほどかな初音天下を救はんか
ステルスの生き様かとも臥竜梅
そよ風の気息に靡く春ショール
ロケットは少年のもの鳥ぐもり
はくさいの残缺ならん春の日に
春風邪の癒えにくきかな鴉鳴く

 雛祭 (東広島)渡邉 春枝
形なき物に躓く春立つ日
三姉妹並んで座る雛の前
庭に雪つもりて今日は雛祭
雛段を背伸びして見る三姉妹
雛段に玩具も並べ笑ひ顔
雛の鮨少し甘めに皿に盛る
雛の鮨一口づつに母の味
女の児ばかりの家系雛の段

 紙芝居 (北見)金田 野歩女
墨絵めく柱状節理雪曇
暖炉の火司書の上手な紙芝居
雪原に数多の生命歩く跡
凍滝に光当たらぬ碧さかな
地吹雪の楯となりたる母心
寒木瓜の咲き競ひたる小さき鉢
ネクタイを結ぶ練習春来る
春寒や一言の悔い引き摺りて

 針供養 (東京)寺澤 朝子
針供養祈りの数の灯が点る
涅槃絵のまことうるはしみ足かな
余寒なほふと古傷の痛み出す
(有馬朗人先生へ捧ぐ)
峠にて迷ひ在すや佐保姫は
紅梅に思はず息のはづみ来る
紅さして仕上がる紙の雛かな
鳥雲にホルン吹く子が校庭に
巣づくりの鴉がハンガーねらひ来る

 椿 (旭川)平間 純一
ありがたう大雪像の崩れ行く
ひしひしと流氷寒波押し寄する
すが漏や築百年の今もなほ
カフェオレに濃き牛乳や流氷期
三十文の仁王の草鞋涅槃雪
夢二なる半襟図案玉椿
ひいふうみいひいふうみいと椿かな
道明寺粉や桜もち買ふはずが

 谷間の径 (宇都宮)星田 一草
電波塔四肢ふんばつて日脚伸ぶ
重ね着に首をなくしてしまひけり
老いてなほ学成り難し寒椿
大くさめする本堂の広すぎて
玻璃越しの一輪淋し冬のばら
梅咲きていよよ古りゆく異人墓碑
谷間の径せせらぎと梅の香と
山繫ぐ送電線に春の雲

 雛飾 (栃木)柴山 要作
背山より零るる鳥語春兆す
白鳥引くひたすら首を長くして
国庁址の野面きらきら梅二月
紅白の梅の遅速や長屋門
青き踏む足裏の弾むスニーカー
仁王像の胸隆々と春埃
湯の町の磴におすまし子ども雛
雛飾り終へて華やぐ荒物屋

 犬ふぐり(群馬)篠原 庄治
十七の文字捏ね回す日向ぼこ
吹越や鼻さき欠くる野の仏
大根煮る独りの厨春近し
棄て畑の裾の風窪犬ふぐり
手枕でする転た寝の春炬燵
春耕や動く十指の節鳴らし
雪洞の灯に目のうるむ雛かな
川底の小石ゆらゆら春の水

 初蝶 (浜松)弓場 忠義
篝火の爆ぜて鎮守の鬼やらひ
冴返る伊良湖岬の磯馴松
膝を抱き爪を切る音春寒し
太陽へほほゑみ返すクロッカス
紅梅をくはへて鳥の立ちにけり
貸し杖の甕に四五本梅見茶屋
初蝶の天より降りて地に触れず
蛤のうつくしき殻すまし汁

 桜餅 (東広島)奥田 積
落椿きのふのことを思ひ出す
寝てゐても窓を開くれば春の色
詰所には誰もをらざり春灯火
永き日をナースに慰められてをり
ベッド上で受くるリハビリ春日差
春月の照らせる町を高きより
つぎつぎと窓に流れてしやぼん玉
桜餅器の色の映えてをり

 イヤリング (出雲)渡部 美知子
絵踏なき世を十字架のイヤリング
薄氷小さき渦をそのままに
早春の光の中に足場組む
ぎこちなき水の流れや余寒なほ
珈琲の豆を挽く間の春の雪
春めくや路地に長居の野菜売り
春の灯を散らす湖畔の湯宿かな
束の間の日差し放さず木瓜の花

 乳鋲 (出雲)三原 白鴉
採血のゴムのチューブにある余寒
梅ふふむ検査結果の異常なし
草萌や紙飛行機の着陸す
乳鋲一つ欠くる三門涅槃寺
開帳の秘仏八寸鳥雲に
春泥を蹴つて遊撃球捌く
青空の一点の染み揚雲雀
教室に机三脚風信子

 腕まくり (札幌)奥野 津矢子
女正月なにをするにも腕まくり
寒戻る北方領土の日なりけり
人魚座り体育座り山笑ふ
ひよめきの確かな動き春の宵
熊笹の撥ぬる音して木の根明く
歪なるもの胸中に春の闇
蒼茫の空よりぼたん雪のこゑ
磯菜摘岩と化したる翁の背

 墨のかをり (宇都宮)星 揚子
料峭やドクターヘリの出払つて
白鷺の雨水の朝日見てをりぬ
やはらかき墨のかをりや春きざす
目を閉ぢて触るる点字の春めける
雛調度最後の一つ置きにけり
寺抱くやうに膨るる春の山
春風や鼻穴大き仁王像
手に取りて和紙を選りをる日永かな

 初諸子 (浜松)阿部 芙美子
綱打ちをしたる力士の息白し
辛口の酒や堅田の初諸子
凍返る夜やコンビニのセルフレジ
会場の凜と二月の書道展
河馬の背に塗るワセリンや春北風
猫嫌ひの父や子ねこに懐かるる
鳥の声流す小児科春日差す
メープルの樹液を集め風光る

 切株 (浜松)佐藤 升子
春浅し砂吹き上ぐる魚の口
切株の匂ふ建国記念の日
春めくや電車の床に介助犬
河馬の耳くるりとバレンタインの日
糸底のざらつく茶碗寒戻る
鍋蓋の摘みのゆるび春の風邪
筆塚にたえず梅の香流れくる
洋画家の今日は面打ち春時雨



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 野菜直売所 (磐田)齋藤 文子
畑のもの貰ふ二月の土付けて
春寒の人形突けば首を振る
遠山に残雪野菜直売所
薄氷の葉つぱ一枚載せてをり
春の服吊るして朝を迎へけり
竜天に登りクリップ弾け跳ぶ

 畑返す (東広島)吉田 美鈴
雪合戦仕舞ひてよりの授業かな
春待つや薔薇の香りのワイン酌む
烏骨鶏のひと声高し畑返す
春浅し声飛ばし合ふ電工夫
水温む肩幅ほどの畝を立て
下萌や畦に広ぐる測量図

 砂時計 (藤枝)横田 じゅんこ
春北風積まれて匂ふ杉丸太
雛の目に見つめられたる疲れかな
ロープ張るだけの閉店植木市
春の虹大志を抱く子と仰ぐ
風船売ふはりと店を背負ひけり
砂時計落ちきるまでの春思かな

 冴返る (多久)大石 ひろ女
千切りの俎板の音冴返る
雁帰る有明海の澪標
寒牡丹菰に乱れのなかりけり
文机に残る子の辞書雪解光
産土の空青々と揚雲雀
戦争の終はらぬ地球梅開く

 笹起くる (旭川)吉川 紀子
山彦の降り来る気配木の根明く
山霊のたしかな息吹笹起くる
流氷の擦れあふ時きゆうと鳴く
あをぞらや流氷の角丸くなる
カタカナの花を窓辺に春炬燵
樽酒の試飲二杯目凍ゆるむ

 蒔絵の箱 (浜松)林 浩世
梅ふふむ老師の強き筆遣ひ
コロッケを買ふ浅春の港町
母と子の竿に魚信や春の雲
金色のコンソメスープ春の風邪
春寒の音立て落つるジャムの蓋
春ともし蒔絵の箱に伽羅収め

 虹色の首 (多摩)寺田 佳代子
バス停に丸椅子ふたついぬふぐり
鳴く鳥の姿は見えず梅日和
虹色の首を振る鳩土匂ふ
石二トン積む味噌蔵の凍返る
永き日や亀石いまだ西向かず
流木をくるりと回す春の波

 受験生 (高松)後藤 政春
春障子影絵に猫の入り来る
献血の母見て泣く子しやぼん玉
早退の子に出来立ての菜飯かな
蜜を吸ふ鳥の落とせる藪椿
駅長に声掛けらるる受験生
日本髪梅の小枝を挿頭しけり

 薬袋 (浜松)坂田 吉康
田の神の小さき祠や犬ふぐり
薬袋に次の予約日涅槃西風
同窓はなべて凡人葱坊主
八十の痩の健啖万愚節
湖は一周五キロ山笑ふ
風光るデフォルメされし裸婦の像

 春の雪 (出雲)山本 絹子
春の雪湯船に探る腕のつぼ
髪を梳く軒に雪解の雫して
草萌や母の手躱す二歳の子
流木の白き木肌や春日差
チューリップの芽のとんがりやちぎれ雲
鍵盤に指の踊るや春日差



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 松崎 勝(松江)
温みもつ産みたての寒卵かな
春霖にけぶる宍道湖しづかなり
来待石載る社家の門木の芽風
春昼や撫牛の鼻乾きをり
再稼働する原発や春愁

 中村 早苗(宇都宮)
耳朶をくすぐる遊び猫柳
ぽこぽこと畔に顔出す蕗の薹
日溜りの枝に紅梅咲き揃ふ
故郷は悪魔祓ひの春祭
春の雲映る水面の風任せ



白光秀句
奥野 津矢子

春霖にけぶる宍道湖しづかなり 松崎  勝(松江)

「霖」は長雨の意であると歳時記に載っている。
仲春から晩春にかけての長雨をさす「春霖」。宍道湖に降り続いている春の長雨だが「しづかなり」と断定しているので雨音も微かに感じるほどかと。毎日宍道湖を眺めているであろう作者にはけぶる先の全容が見えているようだ。
季語を通して宍道湖の様子を上手く伝えている。
昨年の全国大会で、嫁が島の浮かぶ宍道湖の素晴らしい夕日を見ることが出来て神様に感謝した事を思い出す。
 来待石載る社家の門木の芽風
来待石は宍道湖の南岸宍道町の来待周辺で採れる「擬灰質砂岩」とあり良質な石材として使用されている。青味を帯びた色から次第に趣のある色合いに変化すると載っていて興味がわく。季語の「木の芽風」との取り合わせがよく調和している句になった。

耳朶をくすぐる遊び猫柳 中村 早苗(宇都宮)

この句を読んで先ず猫の気分になった。猫柳が猫じゃらしの役目で遊ばれているのかと思ったが「耳朶をくすぐる遊び」と表記しているのでそのような遊びがあるのかもしれないと読み直し、自分の耳朶をつかんでみた。触ってもくすぐったくはない。そうかこれは親子の楽しい時間でふわふわした猫柳が脇役なのだと感じた。優しさあふれる句と思う。
 故郷は悪魔祓ひの春祭
春祭の本来の意味は田の仕事始めの時期で田の神を山から迎えその年の豊作予祝をするため、又暖かくなると活動を始める悪魔を祓い鎮めることと記されている。
作者の故郷は解らないが悪魔祓いをして本来の春祭をしている、故郷への郷愁を感じた。

笹起くる頰に来る風やはらかし 高田 喜代(札幌)

「笹起くる」の季語は新版「角川俳句大歳時記」には掲載されていない。北海道の「北方季題歳時記」葦牙俳句会編、「北の歳時記」(にれ叢書発行)に「笹起きる」で載っている。
雪解けと共に重圧を跳ね返して立ち上がる笹は春を実感する季語だと思っている。

をさな子へまじなひサイネリア真白 浅井 勝子(磐田)

サイネリアは園芸種で鉢植えの一年草、本来の名シネラリアの「シネ」が「死ね」に通じることから花屋ではサイネリアと呼ぶ事が多いそうだ。
掲句の面白さは「をさな子へまじなひ」の措辞、そして句末の「真白」にある。どんな未来になるのかと、わくわく、どきどきしてくる句に仕上がった。

喉まつすぐに白魚の躍り食ひ 坂口 悦子(苫小牧)

白魚は見たことも食べたことも無い。まして躍り食いなど想像するだけで喉がもぞもぞしてくる。しかし確かに喉を真っ直ぐにして飲み込むと胃まで落ちるのが解る。食べ方の講習も兼ねたような面白味のある句になった。作者はきっと美味しく食したことだろう。
<白魚のさかなたること略しけり 中原道夫>の句が浮かんできた。

「天声人語」声出して読む春の朝 杉原  潔(鹿島)

「天声人語」は朝日新聞の朝刊一面に連載されているコラムである。新鮮なニュースを題材に短く纏められていて読みやすい。朝毎日声を出してコラムを読む。頭も身体も健康的で見習いたいと思う句。「春の朝」の心地良さがこの句を完成させている。

雪解風きらりと揺るるイヤリング 藤原 益世(雲南)

作者は九十二歳、お洒落な方と想像できる。雪解風は春一番のように強い日もあるが今日は丁度イヤリングが揺れる程度で気持ちが良い。きらりと輝いている人生が見える句。

まだ米寿うきうきバレンタインデー 川本すみ江(雲南)

この作者も雲南の方で明るく前向きで、バレンタインを謳歌している。「まだ米寿」に勇気を貰える句。

卒業式終へてラーメン屋に集ふ 森  志保(浜松)

「後でラーメン屋でね」と約束をして卒業式の衣装(着物、袴等)を着替えて嬉々としてラーメン屋へと急ぐ。これからの人生を語る、食べる、笑う有意義な時間を過ごした事が想像できる句になった。

菠薐草ポパイは遠くなりにけり 斉藤 妙子(苫小牧)

掲句は発想にインパクトがあり引きつけられた句である。
ポパイはアメリカの漫画のキャラクターで菠薐草を食べて大活躍をした。なぜ菠薐草かと言うとアメリカの子供が嫌いな野菜の代名詞だったそうだ。好きになってほしいと設定したようだ。


その他の感銘句

長居する終着駅の雪女郎
目刺からぽつと火の出る夕厨
家解かれひらたき空へ初燕
春風や膨らみを増すなまこ壁
新任の婦人警官春の雷
また一つ歳を拾うて雛まつり
たらの芽や話大きくなるばかり
「またね」から続く電話や日脚伸ぶ
先頭を歩きたがる子つくしんぼ
青空を余してをりぬ片時雨
誰も来ぬふらここ揺れて天狗風
海苔搔の潮のしたたる蜑の径
金堂の弁柄映えて梅真白
科学者の庭に祠や風光る
蝌蚪の紐ふはりと風の生まれけり

小杉 好恵
山田 哲夫
高橋 茂子
岡部 兼明
鈴木  誠
加藤三惠子
田中 明子
古川美弥子
宇於崎桂子
大石登美恵
遠坂 耕筰
柴田まさ江
渡辺 加代
舛岡美恵子
森田 陽子



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 松江 安部 育子
葉書二枚寒の水より生まれけり
けら出しの火の粉の舞ひぬ春きざす
如月の大窯滾る和紙工房
早春の光を流す村の川
自動ドア開き笑顔の春セーター

 浜松 名倉 慶子
寒明や負けず嫌ひな子がふたり
丈そろふ欅の並木寒の明
春浅しけふ三度目のひとり言
ディズニーの絵柄の服へ春の風
床の間に般若の面を春夕べ



白魚火秀句
檜林弘一

葉書二枚寒の水より生まれけり 安部 育子(松江)

寒中に汲む水は、澄みきって冷たく、厳しさと清冽さ、また一種の神聖さを含んでいるように思われる。掲句の表現をストレートに鑑賞するだけでも一種のポエムを感じることができそうだが、この句が描いているのは、まさに寒中の紙漉きの場面であろう。冷たい清水の中で原料をすくい、揺らし、静かに漉き上げ、やがて和紙の葉書二枚として生まれていく美しさを詠んでいる。紙漉きという情報が足りないとも言えるが、読む人の感性を信じ、委ねている一句と言える。
 鉧出しの火の粉の舞ひぬ春きざす
力強く詠まれた作品だが、その中に美しさのある一句。
たたら場などで鉄を炉から取り出す工程で、赤々と燃える鉄塊(鉧)より火花が激しく飛び散る。たたら場の火花を観察しながらも、巡り来る季節を感じる作者の思いが「春きざす」という季語に感じられた。

ディズニーの絵柄の服へ春の風 名倉 慶子(浜松)

春の風は、寒さが和らぎ、軽やかで心浮き立つ雰囲気や始まりを感じさせる。取り合わせの「ディズニーの絵柄の服」は現代的で親しみのある題材である。夢や楽しさ、明るさを象徴するような衣服に、春の風がふっと吹く情景は、季節への期待感と高揚感などを膨らませてくれる。
 寒明や負けず嫌ひな子がふたり
寒さがゆるみ、張りつめていた空気が和らいで、春の足音が聞こえてくる時期。中七以降はとてもほほえましく、かつ人間味がにじむ一句である。「ふたり」と人数を指定したことで情景が具体的に浮かんでくる。
寒明の子どもたちのたくましさが感じられて、読後感もあたたかい。

待合せ場所に百体雪達磨 山羽 法子(函館)

「百体雪達磨」はとてもユニークでインパクトがある。今月の投句内容からして、北の国の雪まつりの場面であろう。雪達磨は素朴で愛らしいイメージや、時には寒さや孤独を象徴することもあり、多様な顔を持っている。本来、人が集まるべき待合せ場所に、人の代わりにびっしりと並んだ雪達磨。その光景は、ユーモラスでもあり不気味でもあり不思議な静けさも感じさせる。「百体」という数量感が独特の迫力を生んでいる。

うす氷星のひかりを包みけり 森下美紀子(磐田)

とても繊細で透明感を感じる一句である。この薄氷は夜が明ければ消えてしまうほどに薄く儚いが、おりしも空から降りてくる星の光をそっと受け止めているというのである。この薄氷が柔らかな器のようにも感じられる。薄氷も、星の光も、やがては消えていくもの、その二つが出会っている場面の描写にポエムがある。

囀や日差しをはさみ絵本閉づ 高橋 茂子(呉)

「囀」と「日差し」と「絵本」の取り合わせがやわらかくて優しい。お子さんに読み聞かせをしていた場面であろうか。窓辺に差し込む光をしおりのようにして、ゆっくりと絵本を閉じるとき、その背景で囀りが響いている。「今この瞬間に春が満ちている」ことを感じさせる一句。下五の終止形の表現に心地よい余韻も感じられた。

腰の籠波に打たれて海苔を搔く 柴田まさ江(牧之原)

海苔搔は、まさに冬から春にかけて行われる厳しい仕事である。一読して、波の音と海の香りがふわりと立ち上るような感がある。「腰の籠波に打たれて」が具体的かつ具象的であり、自然の中での人々の営みの臨場感を感じさせる一句である。

蝌蚪の紐けふ佳き風のビオトープ 森田 陽子(東広島)

ビオトープとは「地域で野生の生き物が暮らす場所」を指し、自然の少ない都市部の公園などで生態系を取り戻すための施設と位置づけられている。掲句のビオトープはどんな場所かわからないが、「佳き風」が吹く安全なビオトープにおいて、蝌蚪の静かな生命の始まりが描かれている。ビオトープは極めて人工的な場所とも言えるが、あらためて自然とのつながりを感じさせる場所でもある。

駒返る草に蹄の近づきぬ 坂口 悦子(苫小牧)

「駒返る草」でひとつの季語。傍題の若返る草のほうがわかりやすいとも言える。駒返るという言葉単体では老いて再び若返ることと広辞苑にある。まさに草原の生命力を感じさせる季語である。掲句は牧草地の一景であろう。この景の中の蹄の動きのみに焦点を絞り込んだ一句。題材を一つに絞り込んで全体の景を想起させている。


    その他触れたかった句     

ふらここを降りてぽつりと夢語る
接客の湯呑み茶碗に春の蠅
薄氷に油膜の滲む町工場
歩かねば出合へぬ花よいぬふぐり
春寒や土の恋しき土踏まず
バス降りて踊り出しさう春ショール
神杉に丈余の草鞋日脚伸ぶ
いつまでも消えぬ落書春の雪
雪濁り天竜川を蛇行して
静かなる冬日の余白墨を置く
春の夜の本の中なる江戸にをり
受験絵馬恋の絵馬あり黄水仙
魚は氷に上りて栗鼠は探し物
春北風や峡に万羽の鴉かな
装丁の傷み撫でをり菜の花忌

本倉 裕子
山田 眞二
古橋 清隆
大滝 久江
三浦マリ子
小村由美子
舛岡美恵子
加藤三惠子
有本 和子
錦織 孝枝
佐々木和子
山越ケイ子
佐藤 琴美
高田 喜代
園山真由美


禁無断転載