最終更新日(Updated)'05.10.23 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第603号)
H17.1月号へH17.2月号へ
H17.3月号へ
H17.4月号へ
H17.5月号へ
H17.6月号へ
H17.7月号へ
H17.8月号へ
H17.9月号へ
H17.10月号へ
H17.12月号へ

    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ (とびら)
・季節の一句    星田一草
木曽馬(主宰近詠 仁尾正文 
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集 (仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     辻大石ひろ女、星田一草 ほか
14
・白魚火作品月評    水野征男 40
・現代俳句を読む    渥美絹代  43
百花寸評      田村萠尖 46
・俳誌拝見(若葉)  吉岡房代  49
・こみち(魚瀬)  森山暢子 50
・白魚火同人発表 51
・一都碑清掃     柴山要作 52
梧桐句会吟行報告  牧沢純江    53
ようこそ地球岬へ  今泉早知 54
句会報    栃木県白魚火「笛の会」 55
・今月読んだ本  中山雅史       56
・今月読んだ本  佐藤升子      57
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     安澤啓子、平間純一 ほか
58
白魚火秀句 仁尾正文 108
・窓・編集手帳・余滴
       


 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕            
                                            一部のみ。 順次掲載


   大 寺   安食彰彦

法師蝉家紋を入れし墓並ぶ
苔むせし宝篋印塔つくつくし
撫で肩の月光菩薩さるすべり
四天王の怒りの顔や秋暑し
門前に二株赤き唐辛子
真四角の鐘楼趾や灸花
大寺を訪へば秋蚊に襲はれし

  

  門 火  鈴木三都夫

隧道の暗きより来る風涼し
造り滝生温さうに落ちにけり
蓮の葉の揺れ戻しては花を見せ
しどけなく散り堪へゐし蓮の花
門前や十薬を干し梅を干し
門火焚く母の齢をかく生きて


 紺   屋 金田野歩女

五代目の紺屋の気骨葉鶏頭
白老アイヌ乾鮭下げて笹小屋の門
花木槿紅一点の染師かな
手拭の松竹梅やお中元
巻鬚の行きあぐねたる震災忌
伸子打つ阿吽の呼吸西鶴忌


 水 の 秋  上川みゆき

源流は冠山よ水の秋
思惟仏に一礼をして落し水
空港へ一本道や稲の秋
国宝の薬師如来や小鳥来る
青栗に話しかけもし古墳径
行進曲流す校庭いわし雲
 月   代  上村 均

夕立や旧街道の石畳
遊船の出づる港の暮れ初めぬ
満潮の浜は湾曲芦の花
秋耕や朝の稜線あきらかに
月代や櫓音は岸を遠ざかる
稲の花野川の音の豊かなる


 奥 穂 高 岳  加茂都紀女

朝焼の研ぎ澄まされしジャンダルム
きれつとに紐締め直す登山靴
天国の夫に感謝のケルン積む
アルプスのお花畑に一時間
夏霧が夏霧を追ふ奥穂高
雪渓を若人のごと下りけり


 涼 新 た  桐谷綾子

百日紅の樹皮のほぐれて涼新た
遠山を引き寄せてくる葛の花
邯鄲の句碑に染み入る音色かな
花栗の香につつまれし露天風呂
五百ミリの雨に叩かれ岩沙参
夏椿揃へてありし露地草履


 男 郎 花  鈴木 夢

事もなく過ぎし嵐や男郎花
近付かず離れずしばし花芙蓉
毬栗のやや色めきし門跡寺
いかづちの鳴らぬ日はなし夏休み
塔頭は大方無住韮の花
門火焚きかみなり様が邪魔をする

白光集 〔同人作品〕 巻頭句 
                                                   
仁尾正文選


     
    
大石ひろ女
 

夏祭終へたる村の眠りかな
帰省子の好む料理となりにけり
盆用意母に聞きたきことありて
初潮や一の鳥居は海に立ち
半襟を掛け替へてゐるちちろかな


    
星田一草

雪渓の馬影屋根へ駆け登る
雲海の果て明星の沈みゆく
明日登る山黙しをり夏銀河
さそり座は尾を山陰に夜半の夏
山並みの遙かに富士や夏惜しむ




白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句  
                                                       
仁尾正文選
  
     
    
浜松 安澤啓子

梅花藻や一戸に一つ橋架けて
幾度も霧の消したるお花畑
新涼の木戸するすると開きにけり
施餓鬼会の始まれる鐘打つてをり
どんどんと先行く夫霧の中


    
旭川 平間純一

チセ建つや神に捧ぐる濁り酒  
穂すすきや蕎麦打ち名人長寿眉
鉄路消え村一望の蕎麦の花
古酒酌むや樽師のゐない樽師小屋
蕎麦を打つ作務衣白足袋緋の鼻緒
 



 白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ


梅花藻や一戸に一つ橋架けて 安澤啓子

 梅花藻(ばいかも)は、キンポウゲ科の多年生の水草。茎は五十センチから二メートルに達し流れに沿ってなびき、夏、花梗を水面上にのばし、径二センチ程の梅に似た清楚な五弁花を開く。歳時記に「梅花藻」としては出てないが「藻の花」の代表的な藻である。正確には「梅花藻の花」であろうが、ひびきが美しく据わりもよいので梅花藻は季語として認めたいと思う。
 梅花藻は水のきれいな所なら何処にでも見られるが、掲句は三島市内であろう。富士山に降った雨水は地下水茎を辿って、山梨県側の忍野八海や静岡県側の柿田川等に真清水が噴湧する。三島市では至る所に水が湧きそれが川となって市内を流れる。だから家々は市道や国道にそれぞれ橋を架けねばならないのだ。真清水に適う「梅花藻」は独立季語の資格十分だ。

半襟を掛け替へてゐるちちろかな 大石ひろ女
                               (白光集)
 襦袢の半襟は折々掛け替える。汚れたときだけでなく気分転換のときもそうする。われわれ男どもにその機微はよく分らぬが、心楽しく半襟を替えているちちろの夜である。
 この句の注目点は「掛けかへてゐるちちろかな」という「かな」の用法。「流れ行く大根の葉の早さかな 虚子」は強い切字「かな」の典型的なものである。上十五音は円滑に速度を増しつつ流れて最後の「かな」で強く切る。高速道路で急ブレーキをかけたような衝撃が本来の「かな止め」の切字効果である。
 対して頭掲句の「かな」は撓やかである。場面や気分の転換、句姿を整える使用法で虚子句とは少しく趣を異にする。「ひとごゑのやさしき茶山かくれかな 加賀」の加賀独特の「かな」である。頭掲句は加賀流に近い。

鉄路消え村一望の蕎麦の花 平間純一

 純朴な一作だ。簡潔で状景のよく見える、確かな写生句を作ることは「わが俳句足もて作る犬ふぐり 一都」の実践だ。
 廃鉄道が長い間放置されていた。幅が中途半端で車の通る道路にはならぬので無用の長物であった。関係者の意見が纒って、廃軌道が除去され、分断していた畑が繋ったのである。 「村一望の蕎麦の花」は景観を褒めて、懸案解決を喜んでいる。声調がよいのはその為である。

雲海の果て明星の沈みゆく 星田一草
                           (白光集)
 飛行機が曇天の上に出てしまうと、晴れた雲海が広がる。高い峰が島のように見えてすばらしい景観である。掲句は朝涼の雲海。雲海の涯に明けの明星が光を失って消えかかっているのを「明星の沈みゆく」との写生が白眉。朝涼が肌で感じ取られる高山の中腹から見た景と受け取りたい。同掲の
雪渓の馬形尾根へ駆け登る 一草
夏も深まり馬の形をしていた雪渓が痩せて尾根の方へ縮まったのである。「尾根へ駆け登る」という擬人法があくどくなくて一句は成功している。春先、残雪の形と農事が結びついた永い間の生活の智恵があった。雪渓の形にも生活との係りがあるのかも知れぬ。

湖見えて大念仏の笛太鼓 渥美尚作

 「大念仏は」は、静岡新聞社刊『しずおか俳句歳時記』の外には季語として収録されていないが筆者はこの地の作家が大念仏の秀句を作って一般の歳時記にも登載させたいと思う。群馬の「吹越し」が新しい歳時記にはかなり出てきだしたので勇気を与えられているのである。
 遠州大念仏は、元亀三年三方ヶ原合戦で大敗した家康が、戦死した武田、徳川両軍兵士の霊を念仏踊によって弔ったことに起因する。現在は盆供養芸能行事として、西遠地方を彩る盆の一大風物詩。総勢三十人余の若者がピンクの長襦袢に青い手甲、脚絆、赤だすきを結び笠を目深に、太鼓、笛、双盤を持ち初盆の家々を回り霊を慰める。祭の主役は太鼓切り衆で「あらつせい」と掛け声をかけて太鼓を短いバチで鋭く打ち、背をくるっと回して跳ねるように振り向きざまにバチを下す。
 掲句は、白魚火で「大念仏」を季語に認めた初めての作品である。
     大念仏踊るは男ざかりかな 稲葉光堂
     婿に欲し大念仏の太鼓切り 広田みさ江
 例句として充分なものは既に沢山ある。

果しなき蜀黍畑果てしなし 大澤のり子

棉吹くや一望千里棉吹くや 加藤良子
という秀作がある。下五は上五のリフレーンであるが、広大な大陸の果てしない農園に棉が吹いて旅愁を誘う。「棉吹くや」のリフレーンがよく動いていて感じ入っている。
 頭掲句もこれに似たリフレーンがよい。北海道あるいはアメリカあたりの大農園であることがよく分る。この句も気息が十分に充実している。為に成功した。

夏痩の頬ふくらませ髭を剃る 渡辺晴峰

 夏痩せの句であるが、しゃきっとしている。むしろ健康そうな夏痩せである。剃刀で髭を剃るときは頬をふくらませたり顎をひっぱったり、ユーモラスである。一句に余裕があるので一句がしゃきっとしているのである。

絵のごとき書もあり秋の書道展 中山 逓

 漢字は元々象形文字であるから原型に戻すと絵になるのだが、この頃の書道展では字というより絵として作品化したものをよく目にする。一字をデフォルメさせて絵にし、一字以上のイメージをもたせて感心させられる。この間見たのは「雨」。一字であるが何十箇もの雨滴が縦に斜めに描かれて、まるで夕立のようであった。

初秋刀魚まだ陽の高い酒となる 大井康生

 上物の秋刀魚が入った。丁寧に焼かせ、焼き上ると「熱いうちに」ということになる。かくてまだ日の高い内より酒になる。秋場所のテレビの前なら幕内戦前半頃にはもうすっかり出来上っているのである。大方の酒飲みの頷ずく句だ。

新しき友連れて来し帰省の子 牛尾澄女

 遊学して初めての夏休み。本人も父兄も待ち望んでいたのである。帰省子が連れてきたのは同性であれ異性であれ新しく出来た友人である。どんどん成長してゆく子を見て親はたまらなく嬉しいのだ。

座られぬ身を詫び鳴らす盆の鉦 土江ひろ子

 この作者は八十八歳。盆鉦を打って霊棚を拝むのに正座ができぬことを詫びている。大正一桁生れの律儀さの出た一句である。仏は勿論同座の者も正座を崩すことよりも元気で居てくれることの方が嬉しいのである。
                 

その他の感銘句

白魚火集より
母と焚きし迎火今宵ひとり焚く
安達美和子
花火果て伊賀の暗闇戻りけり 森井杏雨
沖見詰め秋思の観世音菩薩 才田素粒子
夕焼けの一部始終とウォーキング 久保田久代
百八燈高きは星となりにけり 荒井孝子
早や夏雲四望の山に湧き立ちぬ 武田菁風
とんばうの追ひつ離れつとどまれり 高梨秀子
足の爪染むるも踊り仕度かな 島津昌苑
ひぐらしに鳴かれて若き父のこと 樋野久美子
草笛を吹く唇を舐めてより 篠原庄治
口上の在りて自然薯渡されし 本田咲子
すつぽんに触り確かむ放生会 安澤郁雄
残暑見舞上寿の師より賜ひけり 関うたの
雷の好きな大木ありにけり 鈴木喜枝
SLや茶屋の混み合ふとろろそば 金原はるゑ

白光集より
みな歪むビールジョッキに映る顔
澤 弘深
復員は九月七日や父母の顔
柳田柳水
亀泳ぐ宇宙遊泳めく手足 星 揚子
待たされて待たされて出る鮎料理 阿部芙美子
百過ぎの母の着こなす藍ゆかた 後藤よし子
老人にまだなりきれぬ敬老日 川上一郎
新しき竹の柄杓にある秋気 川瀬米子
津軽富士置きひつじ田のひろがれり 荒川文男
川幅の流れせばめて蘆の花 吉澤みわ
一位の実掌に置き慈しむ 弓庭一翔
            


   百 花 寸 評     
(平成十七年八月号より)   

  田村萠尖

  袋掛け光も風も包みけり 飯田三千枝

 袋掛けの頃の日の光りも、吹く風にも新鮮さが満ちている。まさに自然界よりの贈物である。この恵まれた贈物を袋といっしょに包みこんだとした作者の着想が当を得ており、袋掛けの句として評価したい。

 お土産にをとりの鮎を加へけり 黒崎法子

 釣りの成果は上々。よく育った鮎の跳ねる様が目に見えるようだ。
 この鮎ならお土産として自慢できるだろう。あちらの家へ何匹、こちらへ何匹と数えていると足りなくなる。やむを得ず囮の鮎を加えたという。
 肩の力のとれた庶民的な味のある一句。

 骨董屋の鉢の一つに目高かな 挟間敏子

 目高とは遠い思い出の中の、なつかしい生き物の一つで、目にする機会はほとんどないが、観賞用として売られていると聞く。
 “目高の学校”とよく唄われた小さな目高が、骨董屋さんの鉢の中に飼われていた。
 目高と骨董屋との取り合わせが面白く、目高の句としては類のないよい句となった。

 民宿のすこし重たき夏布団 仲野淑香

 夏布団といえば、うすくて、ふわふわした軽いものが好まれているが、この民宿の布団はちょっぴり重かった。
 だが、目いっぱい散策した心地良い疲れもあったすぐに寝ついた。
 すこし重たきの中七の働きによって旅の思い出がつながってくる。

 離農者の棚に残りし除草剤 森田竹男

 三ちゃん農業も十年を越すと、高齢化も進みめっきり数も減ってきた。
 離農者の棚に散乱する除草剤や農薬。
 農山村の現実がこうしたさみしさを生む句となった。

 生きてゐることに乾杯生ビール 山口俊治

 声高らかに生きているよろこびの乾杯をしよう。ビールの泡を顔につけながら。

 羽根たたみ筋となりたる糸蜻蛉 大関ひさよ

 物に止まるとき、羽根を合せるのでその姿が筋のように見えたという糸蜻蛉。
 作者と糸蜻蛉との静かな対面がしばらく続いて、見事にこの句を得た。
 筋となりたるの着想が生きている。

 里山を大きくしたる茂りかな 前川美千代

 日ごろから見慣れた里山も、夏に入ると水の葉が重なり合って盛り上がるほど大きく見えてくる。
 掲句にはすこしの気張りもなく、素直な表現で茂りの季語を生かし好感のもてる句。

 膨らみの順違はずに滴れり 久保田久代

 絶えることなく次々と育ち、ふくらみ切っては落ちていく滴り。その滴りの落ちてゆく順は、膨らみの順なのだと気付いた作者の観察力と、集中力に乾杯。

 父の日の電話の声の瓜ふたつ 亀本美津子

 両親とは別に世帯を持っているご子息からの父の日の祝の電話。その電話の声が父親と瓜ふたつであった。
 えてして父の日は母の日にくらべて、忘られがちのようであるが、作者のご家庭からはほのぼのとした温か味が感じられる。

 隠し事あるやに蕗は葉を広ぐ 北原みどり

 蕗は成長するにつれて葉を広げ、やがては地面を被い盡くす。その様が何か秘め事を隠していると感じた作品。
“隠し事”の字句が蕗畑の状景をよく現している。

 日に一樹じつくりと摘む松の芯 佐藤 朗

 手間暇かまわず長年育ててきた松の一樹の芯摘みに、じつくりと取り組む作者の心根がよく伝わってくる。

 乾杯を女が仕切るビヤホール 荒川文男

 女性の職場や社会への進出が多くなるにしたがって、昔の風習も変わってきた。
 掲句はその一例で、にぎやかなビヤホールの状景とともに、女性たちの手にしたジョッキがより大きく見えてくる。

 豆腐屋の録音喇叭麦の秋 遠坂耕筰

 麦秋の中を豆腐屋さんが独特の音色の喇叭を鳴らしてやってきた。本物のラッパかと思ったら、なんと録音したものだった。
 録音喇叭とはうまく言い得たものである。
 麦秋を詠んだものとしては特異な作といえよう。

 ゆつたりと夏野に放つ牛の群 水島光江

 柵から放たれた牛の群れが、日の光を散らしながらゆったりと広がって行く。
 そこには騒音もなく、新鮮な空気と太陽がいっぱいだ。

 ひよつこりと蓬餅さげ兄が来る 早志徳三

 予告なしに兄が珍しくやってきた。しかも蓬餅を土産として持ってきてくれた。
 蓬餅とそれを提げてきた兄との取り合せが、すてきな雰囲気をかもし出していて、子供の頃からの兄弟仲までわかるような楽しい句となった。

 風呂敷を広げ二人の花見かな 山田春子

 筆者の初学の頃、先輩から“二人”とは男と女のカップルのことだと教えられた。 掲句の場合「風呂敷を広げ」の上五によって、この二人は年配のご夫婦かなとの思いがした。大き目の風呂敷を広げて、言葉すくなめながらも桜を楽しむ姿が見えてくるようだ。

 いさかひの種となりたる水鉄砲 宮田明水

 子供たちがさかんに言い争っている。その原因は水鉄砲だという。
 A君が先に水をかけたとか、B君が先だとかなかなかいさかいは納まりそうにない。
 水鉄砲の季語がうまく活用されている。

 時々は小走りて蹤く一年生 舛岡美恵子

 一年生は足が短くて、ランドセルが重いから、そんなに早く歩けないよね。


 筆者は群馬県吾妻郡在住

   


 浜松「梧桐句会」
                 
吟行報告

牧沢 純江 

 去る九月五日(月)の定例句会は吟行句会となった。台風十四号の余波を受けての悪天候であった。四十分足らずで吟行地「引佐町渋川」に着いた。 すでに用意万端を整えて句友の巴江さんが待ち受けていた。吟行地は、引佐町の山間部に開らけた土地で自然がいっぱい残っている。又明治の戦いの折りの凱旋門、町一番の大銀杏・菩提樹、新しい所ではキャンプ場・モータークロス・コテージ・バンガロウ等の施設、木工・農作業・椎茸狩りの体験教室、からくり人形館がある。コテージを借り切って句会が行われた。
 生憎の雨にもかかわらず、秋の七草をはじめ数々の草花、木の実、稲田、稲架、出水、水車等々、句材は盛り沢山で目移りするばかりであった。私は今回は「見、見る、見よ」に徹し作句に専念した。七句出句まで二時間余、時間不足で悔しいの一言に尽きた。
 うまい空気と、更に旨い「うどん・そば・じゃがの煮っころがし・銀舎利・葛もち」で満腹後、句会が始まる。前段で仁尾先生が「今日の一番は建代さんだな」とおっしゃられた。それは吟行の時の服装であった。殊更、雨天には、大きな傘・かっぱ・滲まない為の二B以上の濃く書ける鉛筆・ファイルなど整えて臨む様にとの事であった。私は傘があればと、かっぱや帽子など及びもつかず、ましてや、濡れてもすぐ乾けばと、しゃらしゃらした服装に気恥しく深く反省した。
 後段はいつも通り懇切丁寧なる指導を受ける。浜松吟行句会の折りの駄句の話や、本日の吟行服装マナー等、身近で細かい所まで御教示いただき嬉しかった。 事故も無く、楽しく大変充実した吟行を今後の糧としてお互い研鑚を積みたいと思った。

吟行句        
コテージの時計正刻葛の花
六畳の畳替へして九月かな
蒲の絮雨脚少しをさまり来
葛の花濡れし木橋を渡りけり
学校のチャイムが鳴りぬ菩提の実
岸の草倒し渦巻く秋出水
秋出水本流支流を濁らせて
帰省子の稗抜く仕事してくれぬ
コテージにつづく坂道葛の花
東屋の丸太のベンチ葛の花
秋雨に水車の廻る速さかな
ブローチに欲し艶やかな実紫
杉に降る雨の真直や女郎花
仁尾正文
深民佳郎
影山香織
野沢建代
伊藤巴江
平山陽子
影山美代子
柴田純子
中田秀子
高井弘子
岡部章子
大澄滋世
牧沢純江


 ようこそ地球岬へ 
                               (八月一日室蘭吟行・句会)

今泉早知

 「地球岬に吟行したい」と野歩女さんから連絡を頂きましたが、八月一日の天気予報は雨になっていたので中止になると思っていました。野歩女さんから前日連絡を頂き「雨でも行きますから」「雨でしたら雨の句が作れますから」と言われた時は「エーッ」と思いました。
 俳句はその時その時の状況を作句出来るのだと改めて認識させて頂きました。
 札幌から野歩女さん、津矢子さん、美木子さん、和子さんが来て下さり、北見の数方さんは苫小牧から車で雅子さんと来て下さり、地球岬で合流しました。
 地球岬に着くと海霧で海は全然見えません。
     !! 白い灯台も海霧の中 !!
 地球岬はアイヌ語で、ポロ・チケップ(親なる断崖)と言うそうで、晴れた日には遠く恵山岬、下北半島を望み、沖合ではイルカ・鯨ウォッチングが出来るそうでとても残念でした。
 お弁当を食べ、それから遊歩道を歩く。雅子さんが色々な山草、樹の名前を教えて下さり、私の知らない草花、樹が随分有りました。その中でクサギという木は、名前は葉に臭気があることによるという樹で、花が薄いピンク、それが白に変り赤い実となるそうです。その赤い実も見てみたいものです。
 「吟行後、喫茶店へ移動して句会をします」と言われ驚きました。
 私は句会などするとは夢にも思わず、メモ帳だけ持っての吟行参加だったのです。『風文』という喫茶店に数方さんの車で移動し、五句で句会をしました。
 私は何年ぶりの吟行句会だったでしょう。焦るばかりで作句どころでは有りませんでした。
 今回の吟行句会で、幾度も体験し、その場に慣れる事が大事だ、と実感しました。
 皆さんの句が素晴らしくて、選をするのがとても難しく、今回の吟行句会で、自分に活を入れて戴いた気がしました。
 皆様、遠いところを室蘭まで来て下さり、有り難うございました。そしてお疲れ様でした。

     秋の室蘭にも来てください。   早知
    

   ***  野歩女さんの選の中から一人一句ずつを  ***
再会もはじめましても夏帽子
海霧湧いて湧いて岬を遠廻り
背伸びして撞く幸福の鐘凉し
夏霧や残花一輪黄すみれ
山径に少し迷ひぬ花臭木
チヤラツナイ迷路迷路の南天はぎ
山道の奥に姥百合つんと立ち
野歩女
数方
津矢子
雅子
美木子
和子
早知

禁無断転載