最終更新日(Update)'06.10.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第615号)
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    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    東条三都夫
花野主宰近詠仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
川﨑ゆかり、中山雅史 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    水野征男 42
・現代俳句を読む    村上尚子  45
百花寸評    田村萠尖 47
・俳誌拝見 (甘藍)      森山暢子 50
 句会報「大東笹百合句会」 51
・こみち (ねむの花)   大村泰子 52
・青木華都子氏副主宰就任祝賀会   柴山要作
 恒例の句碑清掃を実施       
53
・「運河」九月号転載 56
・「山陰のしおり」転載 57
・今月読んだ本       中山雅史       58
今月読んだ本      影山香織      59
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     稲井麦秋、谷口泰子 ほか
60
白魚火秀句 仁尾正文 109
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 南無阿弥陀  安食彰彦

祖母の口借りて浮輪をふくらます
白浴衣白足袋着くる佛様
黄菊の棺娘のつくる手鞠かな
棺に黄菊白菊飾り南無阿弥陀
法師蝉僧侶の唱ふ正信偈
葬送や朝顔紫紺ばかりなり
露草に真青な空のこぼれけり
ヘルメット被り盆僧疾駆せし


 下 り 簗  青木華都子

そこにきて変る流れや下り簗
落ち鮎の泳ぐ姿に串打たる
太らせるための生簀や子持鮎
涼新た手帳の隅の覚え書
秋の雷那須連山のむかふから
親方の脚絆地下足袋松手入れ
昼と夜を鳴き分けてをりつづれさせ
秋鯖を干して客待つ浜通り


 新 豆 腐  白岩敏秀

本にきて誤植のごとき金亀子
滴りの十を数へて落ちにけり
滝すぎて寡黙な水となりにけり
ポストまで百歩に西日ついて来る
花カンナ雨降る町の始発駅
新豆腐影を正しく沈みけり
下京に桐の下駄買ふ秋まひる
砂丘行く秋の女になりきつて


  硯   坂本タカ女

蛍袋数へきれざる数に咲き
一穢なかりし鷺草の千羽かな
未草花閉づ首を沈めけり
峰雲や小さく見ゆる風見鶏
ゆつくりと自転車を漕ぐ立葵
なみなみと硯の海や星まつり
墨つけし二の腕七夕柳かな
盆提灯吊る天井の暗くなる
お 下 り  澤田早苗

打水をしつつ恵那の星ふやす
糸とんぼ草しなふ風やり過ごす
桑の実や教へ子いつか児の親に
抱きし児に捥がせふふめり桑苺
起ち居まだ身に沿はざる浴衣かな
お下りの齢に似合ふ浴衣かな
糊利きし浴衣の肩を怒らせて
我が背丈越せり浴衣の孫二人


 地 蔵 盆  鈴木三都夫

百日紅真つ赤な夏の来りけり
浜茶屋の蔭が欲しくてラムネ買ふ
匙なめて顳顬痛きかき氷
稲光り遠くにしたる夕涼み
松原の海霧滞りては流れ
地蔵盆子供相手の小商ひ
逆縁の魂待つ苧殻焚きにけり
今生の別れ色なき風の中


 生 身 魂  森山比呂志

天神の巫女ら出て来て梅を干す
給油所で厠を借りる帰省かな
打水のホース放せば踊りけり
卒寿翁ひらり茅の輪を潜りけり
生身魂鬼軍曹の過去もてり
揚花火終りし湖の匂ひかな


 津軽ねぶた  今井星女

みちのくの夜空を焦がし大佞武多
佞武多行く太鼓と笛と鉦つづく
佞武多来る市長も知事も一跳人
夏まつり武者灯篭は三国志
躍動のねぶたの落す鈴拾ふ
武者灯篭曳くは揃ひの法被衆


   秋   大屋得雄

ひとところ流灯生まれ灯の帯に
ある時はみんみん蝉に歩を合はす
夕蝉やボール蹴る音ひとしきり
蕎麦殻の枕に眠る日焼の子
秋風に囲を繕はず蜘蛛ひそか
立秋の金婚と言ふ金の文字


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

  川﨑ゆかり

日焼子の誰に似てきし寝顔かな
さつぱりと言ひて御仕舞青すだち
薑の出る度同じ駄洒落言ふ
丸々と家族の数の初秋刀魚
止め撥ねのはつきりせぬ字馬肥ゆる


  中山雅史

木に登る子が靴落とす終戦日
休暇明水辺に来るは女なり
水注ぐ厄日の盥音立てて
りんだうや深く刻める遭難碑
溶接の火の美しき鰯雲
 


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  西条  稲井麦秋

岬多き四国の夏を惜しみけり
立秋の水引つぱつて川流る
山川の激つ水汲み墓洗ふ
松手入老の鋏に迷ひなし
山の日の背にきびしき大根蒔く


  唐津  谷口泰子

那智の滝水しぶきもて身を清む
拝殿の鈴の音秋の空へかな
秋高し千木の銅きらめけり
さはやかや烏帽子の禰宜の足さばき
秋蝶を道づれ熊野古道かな


白魚火秀句
仁尾正文
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立秋の水引つぱつて川流る 稲井麦秋

 立秋は大暑の後十五日、今年は八月八日であった。一年中でも一番暑い頃である。太陽年を二十四等分した季節で中国伝来のもの。二千年も前に作られたものであろうから現在の気象とはかなりのずれがある。今号の句稿に「今朝の秋」(立秋の副季題)が随分とあったが大方は没にした。原初の立秋は暑い中にも朝夕秋気を感じたのではなかったか。
 掲句は「暦の上ではもう立秋か」という思いで見た川が「水引つぱつて」流れているように見えた。立秋を意識したから見えた景で作者自身も驚いている。「目にはさやかに見えぬ秋」もかく詠まれると頷ずかされたのである。ユニークな句で恐らくこの作者が一番先に詠んだ秋の句だ、と思う。

さはやかに烏帽子の禰宜の足さばき 谷口泰子

 禰宜は神主の下祝の上に位する神職で身分に応じた装束や被り物が厳としてあるのであろう。
 掲句は、最近世界遺産に加えられた熊野地区を訪れた作品であるから熊野那智大社の禰宜であろう。古い由緒ある社の禰宜であるから装束も木沓も立派なもので、静々とした足さばきも高雅、品格があったのである。「さはやかに」の季語がその象徴としておかれたのである。

君逝きて奈良町に秋俄かなり 斉藤 萌

 「伊藤徹様逝去」の前書がある。奈良の伊藤徹氏が八月二日逝去した。氏は昭和十五年台湾に生れ享年六十七歳。戦後七歳のとき松江へ引揚げ松江で育った。高校時代から剣道に優れ、社会人になって五段錬士の称を与えられた。それによって昭和三十二年奈良県警警察学校の剣道教官として迎えられ、平成十二年課長職で定年退職した。浜松白魚火会が明日香、伊賀上野、滋賀等近畿へ吟行の折は必ず声を掛け、氏は必ず出席して行を共にした。物静かであるが短歌、俳句に造詣が深く、剣に酒に強く、まさに文武両道であった。掲句は氏の訃報が俄かであったので信じられない思いを述べている。六十七歳は若過ぎた。深悼。

菊酒の宴忘られぬ人ばかり 関 隆女

 平成一年九月八、九、十日は群馬白魚火会の方々の尽力で白魚火全国大会が四万温泉、佳松亭積善館で行われた。この元禄この方の古い温泉旅館の女将がこの作者。大会二日目の九月九日は重陽の節句であったが、懇親会の膳に菊酒が用意されているのを見る迄、参会者は重陽の日であることに気付かなかった。そして「さすが俳人の女将だ」という感嘆の声があがった。
山の湯の菊酒に酔ふ泊りかな 鈴木吾亦紅
は当日の句。毎月の句会指導を受けた吾亦紅を初めとして先師一都、古川、碧魚、杏池等々の当時の幹部は皆故人となってしまった。重陽の日を迎える度に作者は、白魚火大会の菊酒を思い、忘れ得ぬ故人に思いを馳せているのだ。
 前掲句や掲句は、白魚火内々にだけ通用する作品である。が、連衆の文学である俳句では許される、と思う。忌日俳句の初めも極く内輪の者の修忌であった。又石田波郷の『鶴俳句の諸作』においては選評に一ページも二ページも使って逝去会員の追悼がなされている。

夏負けと言ひ家事はみなストライキ 大石登美恵

 掃除、洗濯、炊事等の家事は一家にとっては極めて大切。妻が旅行をしたり風邪に臥したりするとそのありがた味が骨に沁みる。だがその有難味はすぐに忘れ去られている。
 掲句は「妻は大事だよ。家事は大切だ」というPRのようなユーモラスな作だ。主婦のストライキは亭主どもには恐怖の極みである。
 
指し寄りの一声闇のほととぎす 上武峰雪

 「指し寄り」は「はじめ」「最初」の意。今日一日の始まりは暁闇のほととぎすの声から始まり、晴朗な日が約束されたのである。この作者の抽出しには俳句の語彙がいつも一杯に詰まっているようだ。

海鮮丼海胆を加へて旅の贅 星野靖子

 海鮮丼に海胆を載せた昼食は幸せの最たるもの。三陸や北海道の海鮮はこの上なく鮮度がよくて絶品である。鮑のイチゴ煮というのは鮑と海胆のごった煮である。この句の丼に加ったのがイチゴ煮などであれば正に「旅の贅」だ。

かなふなら座つてみたき浮葉かな 尾下和子

 浮葉というと蓮が連想される。インド原産の蓮は仏教との係わりが強く極楽絵図には蓮が乱れ咲いている。薄い大きな浮葉に叶うなら坐ってみたいという作者は、このとき仏恩や仏縁を思って虔しくなっていたのだ。

    その他の触れたかった佳句
プールサイド泳げぬ人も水着きて
棚経の僧の袖より電話鳴る
人もまた風となりゆく風の盆
かなしみはしづかであれよ萩に雨
風鈴のひと騒ぎして雨催
午後よりは黄金展を見て厄日
白萩やこよみめくれば娘の忌
秋蝉の称名の声高らかに
立願の坂道萩の溢れをり
秋涼し竜が吐き出す神の水
大久保喜風
松浦文月
池田都貴
檜垣扁理
浅野数方
才田素粒子
亀本美津子
安藤公文
斉藤くに子
若林光一


百花寸評
     
(平成十八年八月号より)   
田村萠尖 

春さがす靴紐固く結びけり 早坂あい女

 雪の多かった北の国にも春の息吹きが感じられるようになった。
 そんな或る日、同好の人達とも早春の野辺に出かけることになった。いつもよりやや固めに靴の紐を結びなおした。
 こんな小さな仕草にも、春をさがすという心の弾みや、意気込みが伝わってくる若々しい句である。

世辞の良き薬屋が来る梅雨の前 木下緋都女

 今でも配置薬の箱が四つほど筆者のところにもあって、薬の詰め替えに定期的にやって来て、世間話などしていく顔なじみの薬屋さんもいる。
 掲句の世辞の良い薬屋さんも毎年梅雨近くになるとやってくる馴染みの人にちがいない。
 世辞の中に富山弁が聞こえてくるような季節の一句である。

信号が一つある村大茂り 木下ひろし

 村で一番人家が集中しているのは役場の附近。学校も、農協もあり、ここに村中でたった一つの交通信号機がある。
 この信号を抜けると、渓流に沿った県道を覆う茂りのトンネルが温泉場へと続いて行く。
 大茂りの働きによってこんな景が頭の中をよぎる句である。

柿若葉薄暮となるも光りをり 林 雅子

 もろもろの若葉の中でも柿若葉の色はちょっと黄色味がかっていて、遠目でもその存在がはっきりと識別できる。
 作者は薄暮の中に柿若葉の光りを見い出した。色彩感ゆたかな俳句。

多羅葉に記す一文字夏めけり 安達みわ子

 多羅葉はモチノキ科の常緑高木タラジュの葉で、長円形で艶がある暖かい地方での観葉の庭木である。
 昔、昔、多羅葉に墨痕鮮やかに愛の歌など書いて、佳人に贈ったという。
 掲句に記された一文字はさてどのような字であったろう。下五の“夏めけり”が鍵となっているような気がしてならないのだが。

菖蒲園おたまじやくしを見ている児 岡本せつ子

 菖蒲園に来て、おたまじゃくしを真剣に見つめている幼な児の顔が句の中に見えてくる。おたまじゃくしにそっぽを向く大人と、花菖蒲には目もくれない児らの相異をさりげなく詠んだところが心にくい。

花密柑寺開け放ち落語会 上野米美

 密柑の花が咲いている寺の本堂を開け放って落語会が催されている。平和で豊かな雰囲気が密柑の花の香りとともに漂ってくる。
 檀家の人達の主催する落語会に、本堂を開け放した住職の人柄と、この地の人々の大らかさが伝わってきて、一度は住んでみたくなるようなあたたか味のある句である。

いきいきと弾んでゐたりあめんぼう 富田育子

 絶滅を危惧されている水草「あさざ」の花を見に行った公園の池で、久しぶりにあめんぼうを間近に見ることができた。池の八割ほどがあさざに覆われていたが、岸辺には水馬や鯉の姿も見られ、樹間を渡って来る風が涼しかった。公園には人影は無く、まさにあめんぼうの天下で掲句にぴったりの景であった。いきいきの措辞が効いている。

喪帰りの十字にくづす冷奴 中組美喜枝

 冷奴の大きさは好みによって一口大の賽の目切りのもの、或は一丁を1/4に切ったものなどいくつかある庶民的な夏の食べものである。
 掲句には近親者との惜別の思いを、冷奴を十文字にくずしたことによって表現され、省略の効いた句で胸を締めつけられる思いがする。

菜の花や少なくなりし土の径 井筒生子

 農道も舗装がすすみ、農村に居てもなかなか土の道は歩けないほど少なくなってきた。
 テレビの健康番組の中で、博士の先生が歩行を奨励され、なるべく土の道を歩くようにと話されていたが、その土の道を見つけることが困難になってきている。
 菜の花の風に包まれながら土の径を歩く、こうした自然さが今では贅沢の一つの中に入ってきたのだろうか。

引く草の素直でありぬ雨上り 常吉峯子

 今年の夏は雨が多く、加えて日差しも強かったので雑草の伸びが早く、草退治に悲鳴をあげた。雨後の草毟りは意外と草の根が素直で、すこしの力でも容易に抜くことができ、作業がはかどった。
 この句には、気負いや、力みがみられず、生活の一面を淡々として詠まれており好ましい句である。

しつかりと根づきてをりし植田かな 高島文江
植ゑし田の力ぐんぐんつく気配 斉藤くに子
戦ぐにはまだ寸足りぬ植田かな 佐山佳子

 掲出の三句とも植田の句である。
 一句目、二句目ともに稲の苗が活着し、緑色に変ってきた。これからはぐんぐんと力をつけて青田へと育っていく。
 三句目は同じ植田でも、植えてからの日数も経ち草丈も伸びてはきたが、風にそよぐには少しばかり早い。青田へいま一歩という植田である。
  三句ともしっかりと植田と対峙して作られており、植田に対して慈愛の眼差しが感じられる。


 触れてみたかった感銘句

白で咲き白で終りし七変化 飯塚富士子
衣更へ細き体が細くなる  山根恒一郎
青嵐山が踊つてをりにけり 宮崎成子
万緑の山のかぶさる喫茶店 島村康子
朝露をふみ爆心に手を合す 高野よし女

      
  筆者は群馬県吾妻郡在住
           


白光秀句
白岩敏秀

丸々と家族の数の初秋刀魚 川﨑ゆかり

 かって、中村汀女などの句が「家庭俳句」「台所俳句」と呼ばれたことがあった。それは悪い意味ではなく、家庭を詠むことによって俳句に新しい分野が加わったことを意味していよう。台所を詠むということについては、掲句も家庭俳句の範疇に入るであろう。
 掲句には特別変わった表現も趣向もなく、ごく一般的な家庭の光景である。魚は太ったものを選び、家族の数だけ買う。日常の買い物の日常の生活である。
 それぞれ一日の仕事を終えて、一家揃って囲む食卓。そこには家族の笑顔があり、弾む会話がある。この当たり前の暮らしの中に主婦としての安心と充足感がある。
 連想が明るくひろがるのは「初秋刀魚」の季語の適切さと省略の潔さがあるからである。
 「省略とは何かを無視することである。無視したものを読者に感じとらせぬ技術である」と飯田龍太氏は言っている。

木に登る子が靴落とす終戦日 中山雅史

 木の枝に腰を掛けて、足をぶらぶらさせていると思わず靴を落としたくなる。子供の頃の思い出である。しかし、そんな感傷も掲句の終戦日と組み合わせられると吹き飛んでしまう。木から落ちた靴が大地で閃光と大爆風を起こす、そんな錯覚さえ覚える。これが一読した印象である。
 昭和二十年八月六日広島へ原爆投下、九日長崎へ原爆投下そして十五日終戦。国民は誇りを失い、価値観の変換を迫られた。それから六十一年、日本は平和を積極的に求めてきた。そして現在がある。
 子どもの登った木は青葉を力強く張り、木の上には太陽が明るく輝いている。ここには戦争はなく、平和がある。作者が求めているこれであろう。何の屈託もなく、木から靴を落とす子どもを登場させて、平和を象徴させた。一読したネガティブな連想から明るい陽画へ転換させたみごとな作品である。

水盗む車遠くに止めてあり 古川松枝

 用水の確保は米作りにとって大切な仕事である。今では土地改良の進み、水路が整備されて、どの田にも万遍に水が行き渡るようになった。しかし、それでも水は盗まれる。
 水を盗めばその分だけ他人の田の水は減ることになる。そのことを十分に承知していながら、なお盗まねばならない。旱という自然に対する人間の無力さである。水を盗む行為は稲作と同時に始まり、稲作が続くかぎりなくならない行為であろう。
 人の営みの哀しさの漂う句である。
新涼や朝の食器の触るる音 鷹羽克子

 食器が触れ合って、音をたてる時はいつだろう。棚から食器を取り出すときか仕舞うときか。人声が聞こえないから、食事が終ったときではない。取り出すときでもなさそうだ。句の静かな調子からすると食器を並べるときであろう。
 家人が目を覚まさないように注意をしているのだが、思わず触れて鳴る食器である。しかし、その音は決して不愉快な音ではない。むしろ、朝のさわやかさを誘う音である。その効果を高めるために、季語の「新涼」が周到に用意されている。

分校の当直室の箱眼鏡 後藤政春

 このような作品に出合うと、俳句を続けて良かったとしみじみ思う。なぜ、当直室なのか。なぜ、箱眼鏡なのかなどの詮索はどうでもよく思える。懐かしさの中にくるまっていたいと思うだけである。
 分校に当直室があって、そこには箱眼鏡がある。三つの単語と十七音。作者の呈示した情景はこれだけである。
 しかし、この短さの中に、遠い昔を手繰り寄せるような懐かしさがある。
 作者にとって現実の景であっても、読み手に様々なことを想起させる句がある。それがこの句である。
 なお、この句は「の」を重ねながら、分校→当直室→箱眼鏡と大から小へ焦点を絞っている。見落としてはならないことである。

吐く息の重く溜りし残暑かな 田口啓子

 今年の夏は暑く、残暑は永かった。地球温暖化の影響と言ってしまえば、それだけのことだが、日々の生活には大層こたえた。
 掲句は今年の残暑を吐く息が「重く溜まる」と的確に表現した。言葉の発見のよろしさである。

そこここに水の音して夏深し 武田美紗子

 夏深しとは晩夏であるが、夏が終わっても暑さは残暑として続く。
 暑さで喘いでいるなかで、水の音は救いである。しかも「そこここ」であるから尚更のこと。さらりと詠まれていて涼しい句である。

筆者は鳥取市在住

    その他の感銘句     
明日使ふ砥石を浸す星月夜
暁暗の星消えてゆく原爆忌
鰯雲峠を越えて薬売り
ひぐらしの声降る里に父ひとり
新しき歯刷子二つ今朝の秋
アルプスに秋となる雲流れけり
墓洗ふ七つ道具を携へて
青柿の続けて落つる真昼かな
坂ひとつのぼりて秋の夕焼けかな
まつさらな白の朝顔ななつ咲く
鈴木 匠
五島休光
鎌倉和子
北原みどり
小川惠子
内藤朝子
高橋圭子
宮崎都祢
青砥静代
栗野京子

禁無断転載