最終更新日(Update)'11.11.30

白魚火 平成23年10月号 抜粋

(通巻第675号)
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 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    小林梨花
「聖岳」(近詠) 仁尾正文 
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
三上美知子、 齋藤 都  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 浜松白魚火「梧桐句会」 伊藤巴江 
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          古藤弘枝、坂田吉康  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(出雲) 小林梨花  

 神々の国「出雲」では、旧暦十月は「神在月」であり、出雲大社では、十日は神迎祭。陽暦では十一月になる。稲佐の浜での神迎神事には、幽玄の世界に魅せられ毎年参拝しているが、全国の八百万の神々が日本海から上陸され、厳かな神事の後、絹垣に覆われて出雲大社まで神官の警護の中、渡御される。御神殿では、夜遅くまでの祭典、その後神々のお宿である十九社へご案内される。それから一週間、諸会議があり「神等去出祭」の後、各地に還られる。今も残る出雲の大自然、歴史や文化に魅力が一杯。神様ばかりか、全国から大勢の人々が参拝され賑わう。
 平成二十四年は古事記が編纂されて千三百年。平成二十五年には、出雲大社の六十年に一度の大遷宮が執り行われる予定で、色々な催しを企画されていることと思う。それらの祭典や催しを今から楽しみにしている。

時々は水車が回り神の留守 中山雅史
(平成二十三年一月号白光集より)

 神様が留守で、水車も気が緩み時々回っている。それとも神様の力が無くて時々しか回らない。世の中すべての事に神様の力が必要。神様の偉大な力に頼る人々の心理を突いた句であろうか。

旅の神乗せて一朶の雲迅く 荒木千都江
(平成二十三年一月号白魚火集より)

 神迎祭に間に合う様に八百万の神々は、出雲大社へ馳せ参じて来られる様子を、「一朶の雲迅く」と具象化。
 現在は、神様も大変ご多忙の様子。昔は日本海から上陸されたが、今は空からの様である。

柏手の出雲へ届け神無月 若林光一
(平成二十三年一月号白魚火集より)

 遠くて神迎祭には参拝出来ないが、せめて柏手の音だけでも届いて欲しいと願い、力を込めて柏手を打つ作者の姿を見える。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

  秋 風  安食彰彦
山寺の墨書に秋の風入れて
こぼれ萩棟木に残る縺れ文字
きざはしの隅にこぼるる百日紅
さはやかに赤牛草を喰みゐたり
秋簾奥に奪衣の婆座像
目を瞑り秋の風聴く如来像
秋晴やマグマの鼓動聞きたくて
体重計にそつと乘りたる残暑かな

 秋らしき風  青木華都子
葛の蔓絡まる放置自転車に
早朝の秋らしき風耳朶に
水音にも強弱のあり草の花
掃き寄せて未だ焚くほどもなき落葉
石蔵に迷ひ込んだる昼ちちろ
萩芒活けてお寺の大広間
ななかまど寺に開かずの裏鬼門
新米を洗ふ指先踊らせつ

 モノクロ写真  白岩敏秀
切株の年輪密に夏の雲
ひぐらしの声をつないで山暮るる
新聞のモノクロ写真原爆忌
触診も打診も瑕瑾なき西瓜
続柄を問はれてゐたる墓参り
山の影畑へ押しくる処暑も過ぎ
畝つくる鍬先に来る秋の蝶
地球儀の軸の傾き星月夜

 アイヌ文様   坂本タカ女 
夕焼の二階を閉めて降りてくる
楔止めして木のベンチ未草
灯涼しなりゆきといふ骨董屋
雨の重たき満開の白木槿
ひらくよりすずしの艶や沙羅の花
ゴンドラのアイヌ文様岳涼し
ねぶの花ひるを灯してレストラン
見渡して穂孕みの色稲田かな

 老 松  鈴木三都夫
滝不動霊気怪しき岩祠
不動滝しぶき隠れに水子たち
恙なき証の汗を掻きにけり
老松の庭の要として涼し
一片の落花の舟となりし蓮
再びの日照雨に狂ふ蝉時雨
みんみんへかなかなかなと割り込める
一隅は虫等の草として残す
  秋 高 し  山根仙花
新凉の砂やはらかに踏みにけり
新凉や足裏に触るる青畳
高原の秋より届く旅信かな
墓山の斜傾を照らす盆の月
吊橋の揺れては生まる秋の風
秋晴れの谺となりし靴の音
山門の乳鋲の錆も雁の頃
ゆく雲もとどまる雲も秋高し

 隠 沼  小浜史都女
女将来て大女将来て夏料理
蝉鳴いてゐる掛軸は芭蕉の句
青かりん朝の日やはらかくなりぬ
小流れはやすらぎの音秋隣
隠沼を囲ふ青萩青すすき
通草まだ小さく青く固かりし
七歳の盆僧に父倡和して
踏んばつて踏んばつて秋あめんぼう

 冷酒の香   小林梨花
贈られし花の酵母の冷し酒
夕さりて口に広ごる冷酒の香
盆過ぎの背山に風の立ち易し
盆提灯納まりにくき桐の箱
白雲の流るる峠や新松子
飛ぶものの影を目で追ふ初嵐
門前に濡れて張り付く桐一葉
掃き清められし境内秋の声

 秋 扇  鶴見一石子
地の力ありつたけ吸ふ茘枝蔓
風光の柱と立てり秋の空
戦国に耐へし石垣蔦紅葉
月夜茸寺につたはる七不思議
無臭無味色なき核の風と栖む
水澄むや日本の四季のみたましろ
秋扇そへし師の句と師の言葉
晩年の一葉を惜しみ日を惜しむ

 素十の忌   渡邉春枝
新涼や水を豊かに和紙の里
浜つ子のままに老いたる生身魂
枝豆の塩のほどよき素十の忌
高原の秋気にしばし立ち尽す
だんだんに無口になる子休暇果つ
月のぼる話のつづきねだる子に
雨過ぎし後の晴天つくつくし
犬の仔にもらひ手あまた厄日過ぐ


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  風土記の島  梶川裕子
法師蝉風土記の島を占めて鳴く
浚渫船でんと動かず螇蚸とぶ
千石船寄港の村や鰯干す
風に群れ風に別れてあきつ飛ぶ
露草や母の歩小さくなるばかり
体温より高き秋暑の湖国かな

 日 本 晴  金井秀穂
大袈裟に己が巣揺する女郎蜘蛛
鵙鳴いて巡り来る秋耳で知る
二百十日風鈴急を告げにけり
夕闇の案山子に度肝抜かれけり
エアコンを切り新涼の風入るる
さはやかや日本晴の空なればなほ

 大 念 仏  渥美絹代
たつぷりと雨を含める祭足袋
門前の西日の蕎麦屋荒物屋
大念仏衆に葡萄の出来たづぬ
大念仏見に来て盆の月仰ぐ
蔵二つ開けて色なき風通す
遮断機のしばらく弾む草の花

 蝉 の 声  池田都瑠女
蝉の声子らの声聞き厨ごと
店番が海酸漿を鳴らしをり
幸せといへばさうかも氷菓食ぶ
夏萩の紅は小振りに紙の里
喫茶店探しあぐねて日の盛り
城垣の石の百相蜥蜴這ふ
  女 郎 花  大石ひろ女
湿原の水錆色に女郎花
目を凝らす紅糸蜻蛉糸とんぼ
湿原の杭は丸太木花擬宝珠
吾亦紅さつと去りたる山の雨
湿原に日の移りゆく小蒲の穂
木道の乾いてゐたる大花野

 終 戦 日  奥木温子
お茶の間のなんと明るき終戦日
照り渡る月の大きな終戦日
渓流の合ひ別れたる吊舟草
夏帽子疲れきつても飛びたがり
入墨の男の黒い日傘かな
蒼天を埋め豊饒のいわし雲

 湧 水   清水和子
雨音かと覚むれば四方の蝉時雨
かさこそと雨降り出せる夜の秋
水神の手水いただき涼しかり
樹の下に振舞水のほとばしり
文月のすすきは刃かもしれず
秋澄める深き底ひに水湧けり

 桐 一 葉  辻すみよ
空蝉のすがるは命あるごとし
草刈女草の匂ひへ座り込む
桐一葉躓き易き日を重ね
流燈の風に戻されては行けり
秋暑し向きたい方を向く羅漢
冬瓜の身を持て余したる太さ


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 唐津  古藤弘枝

巣作りの秋の小蜘蛛を見て飽かず
新涼や力を込めて米を研ぐ
迎ふるも見送るも駅秋ざくら
叱りたる子を頼る日々菜を間引く
句暦の裏返りをり初嵐


 浜松  坂田吉康

理髪屋に四角の時計小鳥来る
相席も親し丸子のとろろ汁
ごはごはにジーパン乾く残暑かな
まだそこに潜む気配の穴まどひ
閼伽桶を屋号でさがす墓参かな


白魚火秀句
仁尾正文


句暦の裏返りをり初嵐 古藤弘枝

 旧暦の盆から明月頃まで、つまり二百十日を前にした頃強く吹く風が初嵐である。秋彼岸には少し間があるので、残暑の頃の風でもあるが朝夕は秋めいてもいる。句暦というのは一ヶ月の日を一枚に収めたカレンダーではない。日捲りに毎日一句俳句が載った暦や俳人協会刊の俳句カレンダーのごときもの。
 開け放った広い戸口から一陣の初嵐が吹き込んで日暦を二、三枚捲って初秋を感じた、新涼を景にして見せてくれたのである。ゆき合いの季の九月は暑と涼が同居し、やがて秋涼となり晩秋、初冬へと移ってゆく。兼好法師は『徒然草』の中で、それでも四季は定まった序があるが人の死は序を待たない。何れ死ぬることは分っているが、死は思わぬ時に急に来る、というような文章を残している。掲句からふっとそのことを思った。

ごはごはにジーパン乾く残暑かな 坂田吉康

 戦前の旧制高等学校生に流行った「弊衣破帽」いわゆる蛮カラも、今の若者の破れて脛の見えるジーンズも「目立ちたがり」という点で本質は何も変っていない。
 掲句は、まだ新しいともいえるジーパンがごわごわに乾いている様が残暑を一層強く感じさせる。残暑の題詠の如き一句である。
 ここで気になるのは、この乾いたジーパン。活動的な主婦のものか、ダンディな熟年者用のものかもしれない。若者の破れたジーンズは、そのような型で既製品として販売されているからだ。

秋草を活けむと備前探しけり 高橋花梗

 高橋花梗さんの訃に接し驚いている。昨年も今年も投句稿に死を予感するものは全くなく、むしろ生き生きと日常を詠んだ作品が多かった。
 作者は、伊香保の「磴の会」句会のリーダーとして十名程の仲間と永年活動してきた。平成十二年の荒木古川先生追悼、白魚火伊香保全国大会では群馬白魚火会の主要役員として活躍した。声も行動も姐御を思わせる頼もしい存在であった。深悼。

幼子の赤い三尺踊の輪 佐川春子

 この作者の住む長野県阿南町新野は、新野の雪まつりで全国的に知られているが、商店街の盆踊も長い伝統をよく守っていて有名。広い街路を一杯に使って老若男女が三日三晩踊り明すのである。大人に混じって小、中、高校生が参加していることは、この盆踊は末永く継がれるであろうと期待される。掲句の三尺は三尺帯のこと。幼児用に三尺より少し長くした帯である。幼児からの参加がほほえましい。

往還に大念仏を迎へけり 渥美 尚作

 元亀三年の武田、徳川が戦った三方ヶ原の戦役で両軍のおびただしい戦死者の慰霊のため家康が命じて遠州大念仏が始められ、以来四百年以上も続いている。詳細はこの欄で何回も説明したので省略する。句は新盆の家の代表の長老が二人夏羽織に威儀を正して広い道路に出て総勢三十余名の大念仏衆を迎えている所。
 「往還に出て」がしきたり通りの出迎えで、単純化を果して佳。歳時記に収録させたく、大念仏の秀句は例句用にどんどん採りたい。

盆僧の経に併せて声を足す 佐野栄子
 
 盆僧の読経への唱和であるが「声を足す」が佳絶。ここが一句の芯で言葉を探すのだが、くどくなったり飾ったりして失敗することが多い。「声を足す」は作者の芸をよく示している。

虫の音や卒塔婆倒るをそのままに 増田一灯
 
 長野市安茂里正覚院の一都先生の墓所である。故桃代刀自が生前永代供養料を十分に出して供養を寺へ頼んだと聞いているが、墓掃除は余り行われてないようだ。桃代刀自の葬儀の折暇を見て私も墓参したが草ぼうぼうで墓までの身巾の道を作るのに草を手折った。侘しい限りであった。

バケツでもしつかり実る稲穂かな 良知あき子
 
 学童の体験学習の稲作であろう。バケツでもプランターでも指導された通りに育てれば成功することを実感した筈である。

台風去り川に戻りし鯉の群れ 戸谷賀寿子

水馬出水の間天にゐる 百合山羽公
 出水が奔騰している間は何処にも見えぬが水が引くと淀みにもう浮いている水馬はその間天に居たのであろうという秀句。頭掲句の一群れの鯉もその間何処か秘密の場所に居たのに違いない。動物の勘の鋭さに驚く。

    その他触れたかった秀句     
飛行機雲伸びて八月十五日
地蔵盆空の小さき峡の里
定年の二度目皇帝ダリア咲く
盆過ぎて藍深みゆく山の襞
一握り程の緑蔭あれば良し
嫁ヶ島へ舟を渡して松手入
コスモスや六文銭の鬼瓦
雁渡る錆の深まる鰊釜
朝顔や十二違ひの姉妹
落雁の和紙の包や涼新た
渋滞す夾竹桃の分離帯
少しづつ秋に近づく雨の音
乾盃のグラス触れ合ふ庭の秋
巨大猪村の話題になりにけり
藍の花うだつの町に日照雨来る
出口サツエ
本杉郁代
阿部芙美子
田中藍子
石川寿樹
須藤靖子
高島文江
平間純一
内田景子
斉藤くに子
山口あきを
板木啓子
岡あさ乃
平田くみよ
樫本恭子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 三上美知子

青空を入れてシャッター蕎麦の花
親展の封書の届く虫しぐれ
竹皮の匂ふおにぎり鵙の晴
おもちや売る出店が一つ村祭
割烹着の白著て払ふ秋思かな


 齋藤 都

落ちてなほ縋る形に蝉の殻
青胡桃雨に濁らぬ沢の辺に
台風一過リボンつけたる忘れ傘
秋暑し何か言はむとして忘る
昨日とはちがふ風あり今朝の秋


白光秀句
白岩敏秀

竹皮の匂ふおにぎり鵙の晴 三上美知子

過ぎ去ったことやものが、懐かしく思い出されるときがある。弁当箱のかわりに竹の皮でおにぎりを包んだこともそのひとつ。
叔父に連れられ山菜採りや渓流釣りに行ったときは、竹皮に包んだ握り飯を持参であった。日本が戦争でなにもかも失ったころの話である。
しかし、掲句にはそんなネガティブさは微塵もない。むしろ、ファッション的ですらある。「鵙の晴」が底抜けに明るく、スカッとしているからであろう。竹皮に包むおにぎりは大きくて三角形のどっしりしたやつがいい。
割烹着の白著て払ふ秋思かな
 秋思…秋のもの思い。どこからとなく忍び寄ってくる秋の寂しさである。
それを払ってくれたのが白い割烹着。割烹着を著ることによって、作者個人の秋思から家族全員への思いへ。みごとな気持ちの切り替えだ。割烹着は主婦の制服か変身の衣装なのかも知れない。
作者の作った夕食を家族揃っておいしく食べる。この句には家族の幸せが一杯詰まっている。

落ちてなほ縋る形に蝉の殻 齋藤 都

蝉は地中に数年を暮らし、地上に出てひと夏の旬日を鳴き通して死ぬ。蝉の殻は地中での生命の終焉の形とも地上での生命の誕生の形とも見える。
 幹にしっかりと爪を立てて縋っていた蝉の殻もやがて落ちる時がくる。そして、落ちても縋ったままの姿勢。生きても死んでも何かに縋っていなければならない蝉の弱さが哀れであるが、これも生きとし生きるものに通底する弱さであろうか。

子福者の揃ひの下駄や揚花火 牧野邦子

 少子化と言われる今の時代に幸福な家族である。
 揚花火を見に出かけた一家。父親を先頭に長男、長女そして歳の順に兄弟が続き最後はお母さん。子福者一家のお通りだ。
 この句の「揃ひの下駄」が抜群にいい。同じ下駄の大小を揃えるのは下駄屋さんでも大変だったろう、と要らぬ心配までしてしまった。
俳句がチマチマしていては揚がる花火も揚がらない。この句、ドカーンと大きな花火が揚がったようで痛快である。

大岩を蹴りて飛び込む川遊び 篠崎吾都美

 飛び込んだ水音まで聞こえて来そうな勢いのある句だ。
上流の流れが淵になったあたりの青々とした川辺である。大岩をジャンプした子どもは足から飛び込む。頭から飛び込むと必ず腹打ちをして胸が真っ赤になって痛い。飛び込んでは岩に戻りまた大声をあげて飛び込む。
宿題もない、塾もない。子ども達は自然の中で自然児として育って行くのが一番いいようだ。

夜の秋無為の時間をいとほしむ 大城信昭

「夜の秋」は晩夏の頃の秋らしい感じのする夜のことで夏の季語である。投句の中に秋の句と一緒になっていることがままあるので敢えて一言。
さてこの句。具体的なものが何も指示されていない。夜の秋と無為の時間とそれを愛しむ自分だけある。それでいて胸にほっこりと納まる。
スピード時代、情報化時代の人間世界を離れて何をするでもない空白の時間に身を置く。しかも、外は涼しい夜風。これほどの贅沢な無為の時間はないと思う。

山合ひの九戸で睦む地蔵盆 荒木友子

この集落は初めから九戸ではなかったはず。集落を離れていった家族や跡継ぎがないままに廃屋となったりして、今の戸数になったのだろう。
僅かな戸数ではあるが、しかし昔からずっと親しく付き合ってきた村の人達。今年の地蔵盆も皆が睦み合って勤めているのである。
 淋しいけれども心の和む地蔵盆である。

山紅葉ななかまどより始まれり 鎗田さやか

「ななかまど」と言えば白魚火の函館大会を思い出す。大会も楽しかったし、ななかまども美しかった。どこかのコマーシャルに「食べて二度おいしい」とあったが、ななかまどは見て二度美しい。
 ななかまどに見つけた山の初紅葉。紅葉を見て紅い実を思い浮かべながらの山歩きはさぞ楽しかったことだろう。

一本の松を離れず松手入 加茂川かつ

 剪っては眺め、梯子を降りては眺める。一本の松を得心のいくまで時間をかけて手入れをする。松の言葉を聞きつつ、松の意に沿った手入れをしているのだろう。
 頑固ではあるが名人芸の松手入れ。

    その他の感銘句
草の葉のみな細みゐる酷暑かな
奥伊賀や盆提灯を霧に吊り
夜なべの灯消して明日の米洗ふ
花木槿火花散らして石を彫る
雨を得て四葩喜色を深くせり
稔り田や出雲平野の築地松
宿題を急げかなかな鳴いてゐる
迷ひたる螢ひとつの部屋あかり
あさがほや小学生の登校日
草涼し我が家の鶏は放し飼ひ
小雨降る小田原城の夏つばめ
常備薬増えて八月十五日
鰯雲往復はがき折り重ね
蜻蛉の風の高さを飛びにけり
ひと雨にすとんと夏の果てにけり
鷹羽克子
福永喜代美
脇山石菖
高橋花梗
五嶋休光
河合ひろ子
大塚澄江
長島啓子
大隅ひろみ
広瀬むつき
山下勝康
内田景子
山田敬子
宮崎鳳仙花
川本すみ江

禁無断転載