最終更新日(Update)'16.07.01

白魚火 平成28年7月号 抜粋

 
(通巻第731号)
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 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    田口  耕 
「西 施」(作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
阿部芙美子 、根本 敦子  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     中村 國司 、西村ゆうき   ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(島 根) 田口  耕   


父の日や軍事郵便出して読む  大庭 南子
(平成二十七年九月号 白光集より)

 出征された父上からのお手紙。そこには懐かしい父上の字がある。そして、たくましく誠実に生きよと優しく諭す面影が浮かんでくる。電子メールで事済ます時代だが、自筆の手紙の力は時を経るにつれ、その重みを増す。この句の場合は、軍事郵便なので尚更である。
 私も久しぶりに父の手紙を読んだ。学生時代、連絡もろくにせず帰省もしない息子を穏やかに諭す文面だった。今は私が同様に、わが息子をたしなめている。ようやく父の有り難さ、思いが分かるようになった。
 父偲ぶ父の日の佳句だと思う。

 黒南風の真つ只中の礼文島  河島 美苑
(平成二十七年九月号 白魚火集より)

 礼文島は日本最北端の離島、面積八十二平方キロ。私の住む隠岐中ノ島と隣の西ノ島を合わせた程の大きさである。今、礼文島全体を梅雨の暗い空がすっぽりと覆い尽くし南風が吹き渡っている。その情景を「真つ只中」と言い切られた。島に住む身として誠に適切な描写と感じ入った。見事な島の句だと思う。

 古池の句碑へ風来る若楓  萩原 一志
(平成二十七年九月号 白魚火集より)

 芭蕉記念館の庭にこの句碑は、ある。
 古池の句は江戸期より様々な批評がなされている。その一例として。芭蕉の時代、和歌の世界は「鳴く蛙」であった。そこから「飛ぶ蛙」そして更に芭蕉は「飛び込む水の音」へと発想の視点を転換している。このような斬新さ革新性をもって、この句は蕉風開眼の一句と言われる。当時の俳句界へ新風を吹き込んだ。そして更に「古池に蛙は飛びこんだか」「古池とは単に古い池なのか」など近年に至ってもこの句への論考は続いている。古池の句は今なお俳句の有り様を問い続けているのだ。その新風が若楓に吹くそよ風と符合し響き合っている。
 若楓が良く効いた佳句と思う。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 独 り 言  坂本タカ女
襟巻に聞かれてしまふ独り言
羽繕ひする白鳥の羽搏きて
近づいてみし岸鴨に背かれし
水蹴つて発つ白鳥の北帰かな
餌をくるる人を知りをり残り鴨
きさらぎや猫の睦める羊小屋
鼻寄せて甘ゆる羊春浅し
昇りくる折りからの月猫の恋

 蓮 浮 葉  鈴木三都夫
梅が散る去る者疎くなりにけり
囀りの始まつてゐる法の山
あたたかや仏足石に足重ね
山門も白木蓮も寺格かな
宝前に散る白木蓮は手で拾ふ
臆病に花芽を挙げしほくりかな
小走りに消えたる雉子の羽根の色
蓮浮葉はなればなれの真つ平ら

 葉  桜  山根仙花
葉桜の影の騒げる石畳
葉桜の濃き影を踏み磴のぼる
葉桜の影に向き合ふ椅子二つ
葉桜の土手お喋りの少女ゆく
ここからは坂となる道金鳳花
大空は広しと競ふ松の芯
葱坊主惚けてをりし海士の畑
水張つて重き代田となりにけり

 冷  奴  安食彰彦 
大庄屋跡はそのままさみだるる
風薫る出雲の王の墓に佇つ
好漢の泡盛を提げ来りけり
何時しかに酒の肴は冷奴
老僧は辞退したまふ冷し酒
夏座敷良寛様のいろは歌
副知事にすすめられたる肥後焼酎
編集を終へてくつろぐ籐寝椅子

 夕  霞  村上尚子
春の夢骨やはらかく目覚めけり
岬への道はまつすぐ花菜風
窓開けて琴運ばるる花の昼
おにぎりの中身見せ合ふ花筵
夜桜やへぎに張り付くごはん粒
桜蘂ふる軒下に祢宜の沓
花海棠十字架に日の定まりぬ
夕霞てまりほどなる山を置き

 余  震  小浜史都女
散るときの大きくなりぬ桜の木
熊本に長男二男春の地震
野苺の花のまぶしき地震のあと
余震なほ八重の桜も終りけり
やはらかきけふの海風種下し
踏まれたる後を踏みゆくさくらしべ
蕨狩穴場誰もが知つてをり
落ちてきて雲雀の空でなくなりし

 朧  夜  小林梨花
あかときの背山迫りて匂ひ鳥
華鬘草古墳の裾の日溜りに
蜆蝶草におぼれて了ひけり
熊蜂や花粉まみれになつてゐし
卒業生旅の土産を送りくれ
はじめてのネクタイ姿進学生
春深しちちははの忌を修し終ふ
朧夜や先師の句集読み返す
 護  符  鶴見一石子
白鷺の舞ふ御社の護符もとめ
板室街道右に左に小判草
水音の聞ゆる里のほととぎす
狩人の里を守りし蟇
人見えぬ猟人の里遠郭公
晩節は神を頼りや青葉木菟
那須岳の高き空より夏きざす
合はす手の一日尊し菖蒲の湯

 緑 立 つ   渡邉春枝
春風を袂に若き月忌僧
空海の悟りの岩屋緑立つ
遠足の女先生声高に
子供らのジャンケンポンに蝶の舞ふ
燕来し日をまづ記す農日記
農継がぬ子も帰りくるみどりの日
樹の洞を風の抜けゆく立夏かな
葉桜や閉店近き百貨店

 蜜  蜂  渥美絹代
錆の出し塩の看板燕来る
筒切りの丸太くりぬき蜂を飼ふ
墓山の裾に蜂飼ふ箱を置く
別荘の庭に蕨の長けてをり
かげろふやサーカス小屋を解きしあと
桜蘂降る風呂桶のよく乾き
笑ふやうに鳴く鳥春の更けにけり
ゆく春の雨の浸みゆく土橋かな

 啄 木 忌  今井星女
達筆な啄木日記春隣
守らるる啄木位牌彼岸寺
啄木忌立待岬に人集ふ
鳥雲に啄木像は海に向く
今日ここに啄木百年忌を修す
啄木の歌口ずさみ忌を修す
啄木の墓に止まりし春鷗
啄木忌蝦夷の桜はまだ咲かず

 双  子  金田野歩女
落雲雀廃線跡に見失ふ
春耕の芥焼くこと手始めに
あさがほの苗札の文字覚えたて
耕人と目礼交はす棚田かな
花の香や予後の夫の深呼吸
小鉢より生命溢るる桜草
花吹雪駆けつこ僅差の双子なり
夕郭公畝真つ直ぐに麓まで

 応 援 歌  寺澤朝子
逍遙す三四郎池のかきつばた
東大の応援特訓五月来る
宙に舞ふバトンに汗のチアガール
青嵐スクラム組んで応援歌
銀杏若葉明日は東大立教戦
青春といふ唯中や新樹燃ゆ
夏落葉散るちる本郷通りかな
学びの燈遥かとなりぬ水中花


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 夏  椿  桧林 ひろ子
囀に散歩の足をゆるめけり
花人となる日の髪を染めにけり
せせらぎを来て組み直す花筏
風薫る母の匂ひの紺絣
人声はテレビでありし明け易き
終日が一世の命夏椿

 蝿 生 る  武永 江邨
天窓の温みをつかみ蝿生る
ぐつすりと眠り五月の朝迎ふ
存分に葉桜雨を吸ひ込めり
葉桜にひねもす止まぬ嵐かな
若葉風入れて始まる法話かな
雲の峰かくも小さき吾が拳

 花 辛 夷  福村 ミサ子
真直ぐに走る畦火は叩かれず
飾るより手間を掛けをり雛納
一斉に村動き出す花辛夷
穴を出し蛇や迂回の道しるべ
おぼろ夜の桶に呟く二枚貝
海に出て山を見てをり春惜しむ

 躑 躅 山  松田 千世子
東に富士を仰げる躑躅山
躑躅山眼細むる偉人像
躑躅祭雨となりたりにべもなく
豆腐屋の笛の過ぎゆく茶摘時
幸せを乘せて大きな鯉幟
薫風や老いても唄ふ応援歌

 春 の 渚  三島 玉絵
新緑の海風届く海士の寺
砂払ひ春の渚の貝拾ふ
瓔珞の翳春愁を深くせり
拾ひ若布一笊干され庫裡は留守
釣人の狙ひの鰆まだ釣れず
湖をひつくり返す春疾風

 春 の 山  織田 美智子
ちかぢかと送電線や春の山
若き日の父母の写真や春灯下
持ち寄りしもののいろいろ花筵
借りてさす傘の小振りや花の雨
花吹雪野点の席へ及びけり
春昼のどこかで電話鳴つてをり

  蝶    上村  均
青空へもつれてのぼる蝶黄なり
若芝をついばむ鳩に雨兆す
汐風に川草なびく初燕
春光の売地を鉄鎖囲むなり
もくもくと遠嶺に雲が葱坊主
自転車を漕ぐや連山春深し

 甘茶受く  加茂 都紀女
虚子門の僧が甘茶を足しに来る
刀匠の菜切庖丁風光る
土牢の幣の湿りも菜種梅雨
錨草吉田松陰留置の碑
孫弟子と告げ寿福寺の甘茶受く
土牢の磴に竿指す浦島草

 八 重 桜  関口 都亦絵
ロープウエーぐらりと発てり山笑ふ
引鴨のたちてさみしき渡舟跡
八重桜麻痺の諸手に余る房
尼寺の伽羅の香かすか夕桜
うす墨の先師の茶掛風薫る
煤けたる大黒柱武具飾る

 白たんぽぽ  梶川 裕子
冴返る遺品となりし広辞苑
来し方を子に語りゐる雛納め
白たんぽぽ少女の前歯ひとつ欠け
前略と書き子雀を見てをりぬ
花菜漬今宵の酒は酔ひやすし
畑尻は湖に展けて葱の花

 葱 坊 主  金井 秀穂
他愛なく終に耄くるチューリップ
見納めの覗き窓閉づ花の昼
しつとりと春満月の夜の更くる
小綬鶏の呼び声に合ふ歩調かな
葱箱の中のやんちやな葱坊主
藤棚に翅音のこもる団子蜂

 落  花  坂下 昇子
しばらくは落花の行方追ひにけり
雪洞の中に落花の二三片
少し間を置きて落花のひとしきり
囀や明るくなりし雑木山
釣れぬまま日暮となりぬ浦島草
筍を斜めに包む新聞紙

 大根の花  二宮 てつ郎
風の中大根の花風の中
春愁の岬の山に雲一つ
紫荊終りぬ葬の一つあり
水槽に日の弾けをり葱坊主
ひとり居れば山吹の散り尽しけり
行く春の指に提げたるレジ袋

 鳴 き 竜  野沢 建代
回廊に午後の日のあり百千鳥
釘隠しに菊の御紋や昭和の日
蹲踞の杓の濡れをり藤の花
鳴き竜を鳴かせて春を惜しみけり
御簾越しの燭の揺らぎも夏近し
著莪の花咲き継ぐ寺の結界地

 花の冷え  星田 一草
小さきもの引つ張り合つて春の蟻
初蝶の草に躓きつつ飛べり
掌に受くる一片花の冷え
すかんぽや少年棒を振りたがる
東京は鈍行の距離目借り時
土塊の傾ぎしままになづな咲く

 若葉照り  奥田  積
代金を地べたに研師つばめ来る
四月から始まる手帳風光る
新しき表札かかる花かへで
図書館の庭をうめたる桜しべ
体感の余震いくたび花蘇枋
手の甲にサインの跡や若葉照り


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 阿部 芙美子

甘すぎるのど飴一つ四月馬鹿
法螺鳴りて僅かに春の雲動く
自転車の補助輪外し五月来ぬ
軒菖蒲神武鍾馗を子は知らず
玉ねぎを水にさらせば水に消え


 根本  敦子

四方より雪解の水の集まり来
重さうな春満月の迫り上がり
陽炎や原野へ消ゆる一輌車
恋猫に覗かれてゐる牛舎かな
足裏を遊ばせたくて青き踏む



白光秀句
村上尚子


玉ねぎを水にさらせば水に消え  阿部芙美子

 「玉ねぎ」は年中出回っているが季語は夏。春先に新玉ねぎとして売られるものは特に甘みもあり、生で食べるのに適している。うすく切ったものを水にさらすことにより、味も歯ざわりも一層よくなる。調理の一般的な過程の一つだが、そんなところをよく見て表現したところが腕前である。
 日頃、元気な声で仲間を引っ張ってくれる作者だが、作品のような細やかさも持ち合わせており、頼もしい存在である。
  軒菖蒲神武鍾馗を子は知らず
 最近の少子化、核家族化により、五月の節句のやり方も変りつつある。「神武鍾馗を子は知らず」には頷くばかりである。
 両作品とも、作者ならではの独自性が光っている。

恋猫に覗かれてゐる牛舎かな  根本 敦子

 猫の繁殖期は春に限ったことではないが、俳句ではあえて春の季語として、勝手に猫の気持を分かったような作品にしたものが多い。それに対して掲句は「牛舎」に重きを置いているところが異色である。そこには当然たくさんの牛の大きな目がある。それを覗く「恋猫」の小さな目。このあとの両者の視線が気にかかるところである。
  四方より雪解の水の集まり来
 早春の北国ならではの景。「四方より」により、広い景色と、雪解水の勢いがそのまま音となって聞こえてくる。作者は全身で、春の訪れを受け止めているのがよく分かる。

園丁の真つ赤な軍手蝶の昼  檜林 弘一

 「園丁」が軍手をはめて仕事をするのは普通のことだが、それが「真つ赤」だというところがこの作品の眼目。最近は女性の園丁も増えつつあるので、ひょっとしたらこの方も女性かも知れない。通りかかった作者との会話も聞こえてきそうな明るさがある。

藤棚の下ゆふぐれの近づきぬ  中山 雅史

 「ゆふぐれ」は毎日どこにも訪れるが、掲句は「藤棚の下」と強く印象付けている。この季節の夕暮れは長いが、満開の藤の花の下に入ると、あたかもそこからゆっくりと暮れ始めるような気がする。神経の細やかな作品。

日に乾くジーパン二本燕来る  三原 白鴉

 難しい言葉は一つも使われていない。素材も取り立てて新しいということではないが、「ジーパン二本」の言葉とそのあとの切れによるリズムで、軽やかで健康的なイメージを強く感じさせる。

網繕ふ男の肩や蝶の昼  渡部 信子

 たまたま通りかかった海端で、男性が黙々と魚網を繕っていたのに出合ったのだろうか。その顔は見えない。大きな肩には長年漁師としてつちかってきた逞しさが見える。「蝶の昼」は、それを見ている作者のやさしさである。

春風や麒麟の恋は柵を越え  髙部 宗夫

 「麒麟の恋」の季節がいつかは知らないが、掲句は「柵を越え」により、それを恋と捉えたところがユニークである。ライオンや虎ではありえない。春風も応援しているように見えるところも面白い。

生えたての前歯が二本初節句  三浦 紗和

 赤ちゃんは生後半年位で歯が生え始めるが、生まれた時期により「初節句」には全く歯が見られないことがある。掲句ははっきり「二本」と表現しているところから、その様子がよく分かる。周囲の人達と赤ちゃんの笑顔が見えてくるようだ。

蒔く順に並べてありし種袋  落合 勝子

 何の仕事をするのにも、準備がきちんとしていると効率が良い。作者のこのやり方には大いに頷いた。「種袋」の作品としても独創性があり、鮮明な印象を与えてくれた。

花冷や掌で鳴るオルゴール  神田 弘子

 「オルゴール」は、大きな柱時計のようなものから、子供の掌に乗る位のものがあるが、掲句は後者。同じ旋律のくり返しと、ロマンチックな音色が聞こえてくるようだ。その思いは「花冷や」により想像するしかない。

あんぱんの臍の黒胡麻万愚節  大野 静枝

 「あんぱん」のまんなかに「黒胡麻」が乗っている様子をそのまま言っているが、その確実なデッサンと「万愚節」という季語が出合ったことで、俄然一句に息吹のようなものが通い始めた。俳句ならではの表現である。


    その他の感銘句
北国の五月音たて動き出す
前掛を外し誕生仏拝す
青嵐鏝絵の鶴を発たせけり
後ろ手に宮司の歩む花の下
七階の軒に親子の鯉のぼり
貝殻を拾ひて春の砂こぼす
花筏風に吹かれて戻りくる
棟上げのフォークリフトや風光る
茹で白子笊を叩いて仕上がりぬ
老犬に任す行く先花水木
鯉高く跳ね春の闇ほぐれけり
小楢の芽夕月白く懸かりけり
花祭はち切れさうな稚児の頬谷
絵日記の鉛筆五色うららけし
風薫る雲太の白き大鳥居
吉野すみれ
植田美佐子
岡 あさ乃
谷口 泰子
柿沢 好治
江⻆トモ子
和田 洋子
大澄 滋世
清水 純子
中嶋 清子
村上千柄子
鎗田さやか
田部シツイ
石田 千穂
須藤 靖子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 鹿 沼  中村 國司

柳絮飛ぶ川原に馴染む禍の芥
猫車蒲公英踏まぬやうに来る
雪解風給油案内はロボット語
初蝶の紆余のその先津波の碑
たそがれや礁と見ゆる春の鴨

 
 鳥 取  西村 ゆうき

春蝉へ潮騒やはらかく届く
永き日や昭和の時計鳴りをはる
朧夜や角煮の角のくづれをり
乗車券持てば旅人春コート
涙してうすむらさきの春の夢



白魚火秀句
白岩敏秀


初蝶の紆余のその先津波の碑  中村 國司

 東日本大震災による津波から五年が経った。掲句の蝶は生まれてもおらず、知りもしなかったであろう。それでも風に逆らいつつ、不安定な飛び方で津波の碑へ向かっている。
 初蝶の紆余の飛び方に、復興への懸命な歩みが重なり、句の味わいを深くしている。
  雪解風給油案内はロボット語
 自動販売機にお礼を言われて怒っていた友人がいた。しかし、それも昔のこと。今は電子音やロボット語が幅を利かせている。
 富安風生に〈退屈なガソリンガール柳の芽〉がある。当時はガソリンガールも珍しかっただろうが、今は当たり前になった。そのうち、ロボットが給油してお辞儀する時代が来るにちがいない。

乗車券持てば旅人春コート  西村ゆうき

 「ふらんすへ行きたしと思えども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん…」(「旅上」 萩原朔太郎)。詩はこの後、汽車が山道をゆくときと続く。
 手に持つ一枚の乗車券が気ままなる旅の始まり。軽やかに春コートを身にまとい「五月の朝のしののめ/うら若草のもえいづる心まかせに」(同)の旅人となる。豊かな抒情が薫る句である。

日暮きて水口に置く余り苗  上松 陽子

 「日暮来て」とあるから、一日で田植えが終わらなかったのだろうか。普通は田植えが終わって、その余り苗を水口に置くことが多い。浮き苗などの補植に使うためである。
 水口は新鮮な水が入ってくるところ。明日植える苗を、懇ろに置き並べている作者。米作りに対する作者の思いが表れている。

田植機の進む方へと子の駆くる  川本すみ江

 一家総出の田植えなのであろう。よく手入れされた田植機の機嫌も上々。調子のよい音に苗を植えていく。農道を田植機と並行して子がはしゃぎながら走っている。かつては子どもは苗運びを手伝わされたが、今はピクニックのようなものかも知れない。田にのびていく緑の線と子の声。健康な家族の明るい田植えである。

吊り橋を渡る少年ホトトギス  計田 芳樹

 足下には清流が岩を嚙んで流れ、目がくらみそうな高い吊り橋。そんな吊り橋を少年が物怖じもせず渡っていく。
 清流に架かる吊り橋と鳴き渡るホトトギス。新緑の中に少年を点描して、夏の清々しい情景をスピードある句調で表現した。

咲き満ちて花天井となりにけり  古川 松枝

 余程の大樹なのであろう。青空を隠すほどに枝を広げて咲き満ちている桜。豪快な咲きぶりである。
 「花天井」は手持ちの辞書に載っていなかった。おそらく作者の造語と思うが、満開の桜にはぴったりの表現。俳句には言葉を発見する楽しさがある。

入園児母の顔見て並びたる  天倉 明代

 入園式での情景。喜び勇んで園まで来た子どもだが、いざ、入園式に臨むとそわそわして、母親を探している。
 「並びたる」に母親を見つけた子どもの安心感がある。母はいつも頼りになる存在。言葉を発しなくても、信頼のテレパシーが交わされている。

長靴の村の漢の花の宴  三谷 誠司

 桜見の場所は村の近くなのであろう。だから、農作業を終えた長靴のままで、一席を設けたところ。漢たちの話題は花より団子か農作物の出来具合のことか。
 農を継ぐ漢たちの、気心の知れた村の仲間たちの、花の宴が何時までも続いている。

行く春の夕陽ぐんぐん沈みけり  杉山 和美

 一月は去ぬ、二月は逃げる、三月は去ると時の移ろいはまことに速い。桜だ、花見だと騒いで居る間に残花となっている。特に楽しい春は過ぎ去りやすいもの。「夕陽ぐんぐん沈みけり」が春が去ってゆく速さを暗示している。
 行く春も沈む夕陽もそのスピードを実感できる「ぐんぐん」である。


    その他触れたかった秀句     

春田打つ秋葉古道の分岐点
春風に束ねし髪をほどきけり
遮断機のまた降りてきて春暑し
亀鳴くや親の思ひと子の思ひ
山吹や誰にも会はぬ塩の道
表札の真新しくて初つばめ
初蝶の翅まだ風に乗り切れず
羽衣を纏ふ心地の春ショール
葱坊主一人遅れて横断す
大好きなリボンを髪に入学す
花冷えの駅のベンチの小座布団
丹精の滲み出てゐる新茶かな
病棟の百個の窓の春灯
海峡の渦を眼下に鳥の恋
セーラーのライン真白に更衣
藤房に触れて行きたるベビーカー
一つ目の花のたしかさ立葵

富田 育子
井上 科子
金原 敬子
青木いく代
森下美紀子
小村  嫩
山田 哲夫
萩原 峯子
荻原 富江
篠㟢吾都美
米沢 茂子
中野キヨ子
髙橋 圭子
大平 照子
渡邉知恵子
加茂川かつ
博田 淑子

禁無断転載