最終更新日(Update)'17.07.01

白魚火 平成29年7月号 抜粋

 
(通巻第743号)
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 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    中山 雅史 
「嬰の顔」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
吉田 美鈴、坂田 吉康  ほか    
白光秀句  村上 尚子
句会報 栃木県白魚火総会及び祝賀会、俳句会  阿部 晴江
句会報 浜松白魚火会第十九回総会句会  鈴木喜久栄
句会報 浜松クリエイト句会「第一回浜松城公園吟行」について  大庭 成友
句会報 白魚火名古屋句会  野田 美子
句会報 旭川白魚火お花見句会  沼澤 敏美
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     三原 白鴉、吉川 紀子 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜 松) 中山 雅史   


心までは濡らさじ滝を離れけり  小浜 史都女
(平成二十八年九月号 曙集より)

 「滝」の句としては、随分とナイーブな句である。人は滝を前にして「心が濡れる」などという甘い感傷を持つだろうか。滝音と滝しぶきの中で、むしろ「腸(はらわた)が洗われる」位に感じるのではないか。音もしぶきもない小さな滝もあるだろうが、この場合は(身体は濡れても)「心までは」である。
 作者の自註句集に、
 間を置いて返事がかへる滝の前  平成四年
 女らの滝見るたびに若くなる   平成七年
という二句がある。いずれも「心」という言葉を使わずに、滝の迫力を前にした際の人の「心」を詠んでいる。前者は返事をする方もされる方も「心ここにあらず」の状態。自註に『紫陽花が咲く頃になると無性に滝が見たくなる。滝が私を呼んでいるかのように』とある。後者は心がリセットされて「年齢を忘れている」ということ。自註に『隣町の「見返りの滝」へ仲間と毎年見に行くことにしている。百メートル近い滝を仰ぐとき、皆小人のようになる。滝も歳をとらないのである』とある。仲の良い仲間との同行が、その思いを深めさせるのだろう。
 さて、冒頭の句。具象を伴わない「心」という言葉を使っている。そして滝の句としては感傷的に過ぎる。一読して違和感があるのだが、どうやらその違和感が、滝に背を向けたときの、少し意地を張ったような心情を伝えてもいるのだ。作者には永年滝を見続けて来たことの蓄積がある。滝の迫力に圧倒されつつも、それは身体が覚えている。分かっているから、意地を張ったのだ。先の自註を引用すれば、『皆小人のようになる』から、何かを共感しようとする心が生じる。『滝も歳をとらない』が、人の心だって、根底に変わらないものをもっている。そうした自分の「心」を大切に感じながら、しぶきを浴びた滝に「今日はこの辺で」と背を向けたのである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 ひそひそ  坂本タカ女
星見えてくる白鳥の帰る声
色どりのふえゆく春の大地かな
清明や時を正しく打つ時計
蕗の薹や季節大事にして過ごす
ねかせある粘土をずらす春蚊出づ
身支度の前の鏡や春めける
ひそひそとはたがやがやとチューリップ
二日先三日先よむ髪洗ふ

 花 片 々  鈴木三都夫
咲きそめて日々を見頃の桜かな
待ちきれぬ人等と覚ゆ花の宴
花三分咲いて天気は下り坂
命なりけり吾が郷関の山桜
山桜華やかにして奢るなし
着飾りて領巾振るしだれ桜かな
満開の花を甚振る風と雨
一日の桜へ下ろす夜の帳

 五  月   山根仙花
日に乾くタオル真白五月来る
手鏡に五月の海を入れにけり
上を向いて歩かう五月の空真青
海見んと五月の峠越えにけり
みどり子に見詰められたる五月かな
石投げて少年となる五月かな
子とつなぐ手のぬくもりも五月かな
絵手紙に五月の海の溢れをり

 葉  桜  安食彰彦 
歯をみがく時に鳴きだす蛙かな
春の日のこぼるる日差し一日旅
葉桜となりたる道を柩ゆく
葉桜の義勇の碑までつづきをり
伊勢神楽牡丹を褒めて帰りけり
籐椅子に余生と世事のつかれ置く
祖父父と使ふ籐椅子飴色に
遠雷や有為の奥山越してきて

 八十八夜  村上尚子
つままれて鶯餅の口尖る
連翹や甘くなりたる鉤ホック
満開のこぶしは雲になるつもり
花吹雪浴び参拝の列に着く
のら猫が通る狐の牡丹かな
カステラにざら目の沈む春愁ひ
射的屋の客を見てゐる春日傘
舐めて貼る切手八十八夜かな

 御 経 会  小浜史都女
長閑けしや川に川鵜とかいつぶり
花過ぎの開いてゐたる勅使門
小綬鶏に呼ばれて男立ちあがる
蝮草水音が嫌ひかも知れぬ
野いばらに絡まれながら蕨摘む
御経会の経の流るる松の芯
山あひに苗代ぐみの熟れてをり
鯉のぼりがやがやと来て園児去る
 巻繊御膳  鶴見一石子
白鷺を御神体とし鐘朧
御成街道杉鬩ぎ合ふ杉の花
咲ききつて白荒涼の花の山
杉並木神へとつづく春の雲
妻と孫巻繊御膳花見茶屋
くろがねの結び目硬き蝌蚪の紐
夜桜は紫暈し鬼女出ませ
川跨ぎ百を越えたる鯉幟 
 
 地 平 線  渡邉春枝
花菜畑吹きゆく風の海に抜け
たんぽぽの絮のふはりと日本海
春光や消えては現るる沖の舟
春雪の立山連峰間近にす
うららかや海になだるる千枚田
若芝に坐して引き寄す地平線
春夕焼消ゆるまで見て能登泊り
旅果ての朝市に買ふ螢烏賊

 普茶料理  渥美絹代
幹太き白れん長屋門の中
花冷の木箱に衣の残り布
散り初めし桜の下のうさぎ小屋
鳥の巣にをりをり山羊の声とどく
たつぷりと雨含む苔楓咲く
ゆく春の恩師と囲む普茶料理
ぎつしりの板書五月の風とほる
萬福寺青磁の鉢に金魚飼ふ

 卒 園 児   今井星女
卒園児拍手拍手でむかへられ
卒園児紺のスーツがよく似合ひ
園長の短き祝辞卒園す
第二部は短パン姿卒園児
歌が好き裸足が好きと卒園児
太鼓打つ法被姿の卒園児
側転も跳び箱も出来卒園児
卒園や六年保育今終はる

  蓬   金田野歩女
暫くは美声楽しむ初雲雀
蝦夷地より貰ふ蓬の一握り
春燈を引き寄せひらく師の句集
さかむけは母の遺伝子花李
花守の贔屓チームの野球帽
蝦夷ぶりや六月谷間の立金花
五月晴もう中学生の顔つきに
郭公や農業倉庫開け放つ

 青き踏む  寺澤朝子
不忍池の火点し頃や猫の恋
やはらかく目つむる春の月の出を
花冷えや句座の机は寄せ合うて
パソコンに収まるカルテ養花天
落花霏々長谷川一夫墓碑此処に
花吹雪浴びつつ下る御殿坂
春宵や注がれて美酒となる一盞
流寓の地みな遥かなり青き踏む


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 散 る 花 (牧之原)桧林 ひろ子
うぐひすの何の苦労もなささうに
疲れはせぬか立ちづめのつくしんぼ
散る花を髪にとどめて家苞に
葉桜が揺れ葉桜の影が揺れ
やはらかな水無月の萩咲く気配
ふんばつてゐても流されあめんぼう

 花こぶし (出 雲)武永 江邨
ゆつくりと日射しの移る花こぶし
がやがやと団体の来し花こぶし
笙の音に始まる雅楽春祭
笙の音の高き響きに花散れり
残る花いたはるやうに小糠雨
旧き友来る約束の五月来る

 春惜しむ (出 雲)三島 玉絵
春光を砕く飛沫やダム放水
もう鳴らぬ老の口笛百千鳥
花の山麓を列車過ぐる音
話声の磴を下り来る花の宮
葉桜の木蔭に句帖開きけり
暮れ泥む水面の春を惜しみけり

 芽 吹 山 (浜 松)織田 美智子
飛び立てる鳥の光りて芽吹山
春風や門口に出て人を待つ
よく晴れて山脈はるか花あんず
信号の青を待つ間の飛花落花
医科大学さくら吹雪の中にあり
雨音のかすか朝寝をしてをりぬ

 春  光 (浜 松)上村  均
春光や更地の四隅幣を立て
山波の尽くるところに梅の里
好晴や燕の触るる草の波
耕すや野末に淡き海の帯
自転車の一群過ぎて陽炎へる
岩礁の波荒ぶなり松の花

 紫 木 蓮 (宇都宮)加茂 都紀女
燕来る文殊の池の浮御堂
十一面観音菩薩紫木蓮
春の日のとつぷりと暮れ尼の宿
聖徳太子の絵巻に春を惜しみけり
石楠花の夕あかりして鎧坂
咲き満ちて風にふれあふ白牡丹
 入  学 (群 馬)関口 都亦絵
桐子、蓮てふ名の双子入学す
チューリップの花を越え来し児らの声
マニキュアの手話の手花の空に舞ふ
神杉の根方日の射す蝮草
里人と心かよはす新茶かな
水槽に山女さばしる道の駅

 さくら咲く (松 江)福村 ミサ子
真直ぐに走る畦火は叩かれず
野火果ててなほも昂ぶる勢子の声
捨て積みの榾木や春子育ちをり
戦争を知る樹知らぬ樹さくら咲く
永き日やウォーキングコース変へてみる
一本の電話に春愁解かさるる

 花  筏 (群 馬)金井 秀穂
ふつくらと蕊金色の紅椿
うぐひすや遥かに雉子の声のして
竹の葉の千切れんばかり春疾風
張り詰めて鯉の見えざり花筏
折からの花びらも飲む鯉のぼり
踊子草押し合ひへし合ひつつ踊る

 草 競 馬 (牧之原)坂下 昇子
花辛夷空のほぐれて来たりけり
初燕戸籍調べの婦警来る
眠る子の笑ひ出しさうチューリップ
前山も背山も茶の芽吹き始む
柔らかき茶の芽両手に包みけり
コースなどあつてなきもの草競馬

 黄金週間 (八幡浜)二宮 てつ郎
帯状疱疹ずつきんぴりと日の永し
山吹や何かと言へば医者通ひ
紫荊海光といふ遠きもの
黄金週間始まる病一つ足し
昔々メーデーの列にゐしことも
春は行く痛み止めとふもの服めば

 代を掻く (浜 松)野沢 建代
マニアとは饒舌ぞろひ桜草
食べごろの楤の芽採れぬ高さかな
釣糸に誰彼触れて浦島草
ひと字を賄ふ水や代を掻く
竹藪に人の気配や麦は穂に
雨蛙棚田の空のよく晴れて


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 吉田 美鈴(東広島)

駅頭の絶えぬ靴音朝ざくら
進水の巨大タンカー風光る
海うららぽんぽん蒸気音高く
繰り返しショパンを聴けり菜種梅雨
新講座始まる五月来たりけり


 坂田 吉康(浜 松)

水底を鯉が濁らす桜東風
だだつぴろきソーラーパネル麦の秋
吊り橋は交互通行夏つばめ
浮橋のときをり軋む薄暑かな
鬱といふ厄介な文字走り梅雨



白光秀句
村上尚子


進水の巨大タンカー風光る  吉田 美鈴(東広島)

 見る機会の少ない、進水式の光景である。たぶんこのタンカーは、中東の産油国から原油を運ぶために行き来をするのであろう。外航船ともなれば、三十万トン、五十万トンとも言う。
 進水式のテープが切られ、巨大な船の舳先が初めて水に触れる瞬間であり、大海原への一歩をしるす記念すべき日でもある。海辺に吹く風はまばゆいばかり。素材の良さに加え、「風光る」はこの上ない季語の斡旋である。実景がすっきりと捉えられており、海への憧憬を強く感じさせる。
  海うららぽんぽん蒸気音高く
 掲出句とは対照的な小型舟。かつてはよく見掛けたが、最近は殆ど見ることはなくなった。その名の通り、〝ぽんぽん〟と高らかな音を立てて走り行く姿は、うららかそのものである。

鬱といふ厄介な文字走り梅雨  坂田 吉康(浜 松)

 〈冬といふ文字に贅肉のなかりけり〉、仁尾先生の句集『晴朗』の中の一句であり、記憶にも新しい。「冬」という字は小学生でも書けるのに対し、「鬱」は幾つになっても書けない。読めても書けない文字の代表格であろう。作者もこの投句をされるのに慎重になられたに違いない。
 類句類想を恐れていては何も進歩はないが、この句には仁尾先生とは違う独創性がある。
 正岡子規の説いた写生論にも、このような見方があることに気付かされた。究極の写生と言えるかも知れない。

新緑の蒜山三座雲を脱ぐ  米沢  操(津 山)

 岡山県と鳥取県の境にある「蒜山」。作者はこの山をはるかに見て暮らしてこられたのであろう。「雲を脱ぐ」と擬人化したところにも親しみがこもっている。山は四季折々違う顔を見せてくれるが、「万緑」、「青葉」と呼ぶ日も近い。

桟橋に旅の始まる春ショール  佐藤陸前子(浜 松)

 作者が男性であることも面白い。「春ショール」は奥様か、それともよそのご婦人か。まるで映画のワンシーンを見ているようだ。また、船旅は飛行機や電車よりロマンがある。

引越しの荷物にバギー花ぐもり  田口三千女(三 浦)

 「バギー」には二つの意味がある。一つは荒れ地を走る金属パイプの頑丈な車。もう一つは折りたたみ式の乳母車である。掲句は「花ぐもり」の季語から察すると、やはり後者であろう。家族揃って新天地へ夢も一緒に乗せて行くのである。

夕方のチャイム五月の風の中  樫本 恭子(広 島)

 役所や学校から聞こえる「チャイム」は、平和な暮しのあかしとも言える。一日の活動の終りに聞くその音は、朝や昼とはまた違う音に聞こえてくる。「五月の風の中」には、明日へのあかるい希望も含まれている。

ウォシュレットに点字の表示あたたかし  池森二三子(東広島)

 最近の日本のトイレ事情には、画期的な進歩が見られる。高速道路のサービスエリアもその快適さを売物にしている所もある。小さな子供にも障害者にも、実にやさしく作られており、文字通り「あたたかし」である。

七七忌終へ花の種まきにけり  鈴木喜久栄(磐 田)

 今年一月、突然ご主人を亡くされた。作者も療養の最中でもあり、驚きと悲しみの日が続いた。四十九日の法要を終え、「花の種」をまくことにより、自分を取り戻そうとする覚悟が見える。秋にはきっときれいな花が咲くことであろう。

畦を塗る水を掛けたり叩いたり  山田ヨシコ(牧之原)

  最近は畦塗機が普及しているというが、作者は昔ながらの手作業をしている。その様子を知らない人でも、この句を読めばすぐ分かる。音も加え、臨場感にあふれている。

田水引く音して夜の明けてきし  森  志保(浜 松)

 田に引く水が音を立てて流れ出した。今迄静かだった田が一気に活力に満ちる時である。静かな詠みぶりの作品だが、夜明けと同時に変わってゆく田園の風景が広がってくる。

新婚の厨にひとつ春キャベツ  牧野 邦子(出 雲)
春キャベツ加へまな板歌ひだす  吉川 紀子(旭 川)

 どちらも台所の風景。一句目は新婚家庭を第三者の目で見ている。「春キャベツ」がいかにもふさわしい。それも「ひとつ」でなければ句にならない。二句目には作者が登場している。まな板に「春キャベツ」が加わった途端にリズムが変った。「歌ひだす」は料理の腕前であり、この日の心の表現でもある。



    その他の感銘句
鳥の影よぎりふらここ揺れにけり
健脚でありし日もあり山桜
春風が捲る植物図鑑かな
春の虹片脚高層ビルに掛け
花の雨片足立ちのフラミンゴ
独り居の夜や水槽の蛍烏賊
幣辛夷ぬかるみに足取られけり
さざ波を被りて伸ぶる蘆の角
一ユーロの切手で届く花便り
たんぽぽの絮は飛鳥の首塚へ
薫風や竜の口より手水受く
鯉幟空を元気にしたりけり
参道に海の音きく華鬘草
矢車草の色ごちやまぜに吹かれをり
蛍烏賊大き器の底にあり
西村ゆうき
金子きよ子
花木 研二
村松ヒサ子
髙部 宗夫
永島 典男
宇於崎桂子
鈴木けい子
山田 眞二
稗田 秋美
江連 江女
橋本 快枝
荒木 友子
山本 美好
榛葉 君江


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 出 雲  三原 白鴉

菜の花や夕陽を乗せてゆく電車
湾口の赤い灯台風光る
花屑の光の渦となりて舞ふ
小さき村の小さき社の春祭
ハミングで登る坂道花は葉に

 
 旭 川  吉川 紀子

空の青笹のあをさや芽吹山
やさしさのふくらんでくるふきのたう
振り向けば恥づかしさうな草若葉
付いてくる鴉の睨み春の山
裏山の吾しか知らぬ鳥の恋



白魚火秀句
白岩敏秀


菜の花や夕陽を乗せてゆく電車  三原 白鴉(出 雲)

 一面の菜の花のなかを、夕陽を受けながらコトコトと走る玩具のような電車。絵本の世界にいるような印象鮮明な句である。かつては盛んに栽培されていた菜種だが、最近は見かけることが少なくなった。だから余計に菜の花の明るさが印象的。読み手を童心に帰らせてくれる。
  ハミングで登る坂道花は葉に
 先日までは花を訪ね、また花吹雪を浴びながら登った坂道である。今は葉桜の季節。葉桜のこぼす木洩れ日を受けながら同じ坂を登っていく。初夏の爽やかさがハミングを誘い、葉桜のざわめきが心を楽しませてくれる。

裏山の吾しか知らぬ鳥の恋  吉川 紀子(旭 川)

 裏山でしきりに鳥が鳴いている。枝移りも活発だ。鳥たちに恋の季節がやって来たのである。そんな裏山で作者は見てしまったのだ。小鳥の恋の成就を…。
 「吾しか知らぬ」に初めて恋をした時のような、秘密めいた心のときめきがある。そこには、そのことを胸に秘めて置きたい気持ちと、誰かに全部打ち明けたい気持ちの微妙な揺れがありそうだ。
  やさしさのふくらんでくるふきのたう
 仁尾先生の句に〈むらさきの苞をゆるめず蕗の薹〉がある。先生は蕗の薹の固さを、揚句はやさしさを発見している。それぞれに新鮮な発見である。表記をひらがな書きにしたのも、蕗の薹を一層優しくして効果的。

祝儀値に先の明るき新茶かな  山田ヨシコ(牧之原)

 一年の丹精の結晶である新茶の初糶。算盤の音が高い祝儀値を弾き出した。これまでの苦労が報われた思いである。「先の明るき」にこれからの茶作りへの期待がある。二番茶、三番茶と茶摘みは続くが、前途は明るい。

緩みなき轆轤の音や夏隣  福本 國愛(鳥 取)

 春の長閑さが終わりに近づき、万物がきびきびと夏に入ろうとしている季節。工房に吹き込む風もどこか颯爽としている。つよさを増してきた日の光が明るい。「緩みなき音」に春愁も惜春も断ち切った潔さがある。夏はすぐそこに来ている。

蒼天の包んでゐたる桜かな  太田尾利恵(佐 賀)

 桜は地上に咲いていると思っていたが、実は、青空に包まれて咲いているのだと作者は言う。それも「包んでゐたる」と、あたかも蒼天に意志があるように詠っている。発想の柔軟な句である。蒼天に包まれている地球をもっと大事にしたいもの。

桜餅食ふ引越しの荷を囲み  池谷 貴彦(浜 松)

 春は転勤や進学の季節であり、引っ越しで忙しい時でもある。この句は荷物を大方運び出して、残った荷を囲んで一服しているところ。この引っ越しが不本意な引っ越しではないことは、季語の「桜餅」の明るさに現れている。ひょとしたら栄転だったのかも…。

囀や嬉しき事はすぐ口に  藤尾千代子(東広島)

 「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」という諺がある。腹に溜めておくことは良くない。決してお喋りではない。嬉しいことはついつい口に出てしまう。一人に喋れば嬉しいことが二倍に、三人に喋れば三倍になる。嬉しいことのお裾分けもまた楽しいことである。

すぐ帰る訳にもゆかず柏餅  金子きよ子(磐 田)

 玄関での立ち話で済む用事で行ったところ、「まあまあ」と居間に通された。用件を切りだそうとすると「まあまあ」と柏餅とお茶が出てくる。これでは用件だけで帰る訳にもいかず、ついつい長居となってしまった。
 「すぐ帰る訳にもゆかず」に作者の困惑顔が見えるようだ。

水切りの石の弾んで夏に入る  河森 利子(牧之原)

 水切りは小石を水面にバウンドさせながら遠くへ飛ばす遊び。
 「水切り」と「夏に入る」ことは関係ないが、「弾んで」と結ばれると夏が俄然と生きてくる。小石が小躍りして夏を喜んでいるようだ。山には新緑があり、川には涼やかな流れがある。いよいよ活動的な夏が始まった。


    その他触れたかった秀句     

句碑の辺の余寒の石に坐しにけり
待ち人の来て春雨へ傘開く
春の昼椅子は二つの理髪店
寄り合ひの長引いてゐる朧かな
日溜りに膨らんでくる蝌蚪の紐
山鳩のこゑ伸びやかに暮春かな
鶏小屋の屋根に跳ねたる雀の子
からくりのかくと顔振り桜散る
春耕の足跡裏戸までつづく
眼鏡拭く春の綿雲映るまで
花時の京の土産の金平糖
角曲がる引越トラック春一番
花びらを付けて戻りぬスニーカー
一葉づつ拾ふ茶畝の春落葉
パンジーの黄色が正午花時計
分校の新入生の椅子二つ
亀鳴くや二人暮しの米を研ぐ

原  和子
村松ヒサ子
永島 典男
山下 勝康
佐藤 琴美
須藤 靖子
髙島 文江
徳増眞由美
野田 美子
寺田佳代子
萩原 峯子
山羽 法子
藤澤八重子
藤浦三枝子
山口 悦夫
樋田ヨシ子
米沢 茂子

禁無断転載