最終更新日(Update)'07.08.22

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第623号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    上川みゆき
座禅草」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
後藤政春、源 伸枝 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    村上尚子  45
百花寸評   田村萠尖 47
・こみち (彼岸の思い出)   清水和子 50
・俳誌拝見 「諷詠」     森山暢子 51
・「俳壇」7月号転載 52
・渡邉春枝句集「雪渓」によせて  岡田暮煙 57
・鳥雲集同人特別作品 59
 句会報 「津山白魚火 吉井川句会」   61
・北海道吟行会       西田美木子 62
・飯田中津川合同吟行会の記   後藤よし子 66
・「俳句文学館」6月5日号転載 67
・「松の花」5月号転載 68
・「青山」5月号転載 69
・「風樹」4月号転載 69
・浜松白魚火会    福田 勇 70
・今月読んだ本       中山雅史       72
今月読んだ本     林 浩世      73
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     小林布佐子、清水和子 ほか
74
白魚火秀句 仁尾正文 123
第15回「みづうみ賞」作品募集について 126
・窓・編集手帳・余滴       

鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

   北海道  安食彰彦

囀にまみるる北大農学部
春の日を額に集むるクラーク像
鰊群来やん衆の音頭聞きながら
光る運河に髭の油絵師
雁帰る傾ぐや沼を旋回し
行く雁や一羽二羽翔ち万羽翔つ
残り鴨あつけらかんとして候
座禅草釋の墓標の並びをり


  桜散る  青木華都子

桜散る白寿の母の逝き給ふ
水甕の中にも組める花筏
宍道湖の風をまともに余花残花
声かけてすれ違ひたる蜆舟
宍道湖を狭むる程に蜆舟
竹垣は男結びや花馬酔木
束のまま根付いてをりし余り苗
咲ききりし牡丹散らさぬやうに剪る


  春大根  白岩敏秀

燐寸の火炎に育て畦を焼く
枝打ちの谺に山の霞みけり
春潮や子を抱く海女の母も海女
囀りの一樹夕日に染まりをり
初蝶の空の広さをわづか飛ぶ
鳳凰を夢みて雀巣立ちけり
陽炎や川は真昼の野を急ぐ
春大根洗ふゆたかな水濁し


  さしも草  坂本タカ女

枯枝を踏めばぽきんと木の根明く
年輪の読めぬ切株座禅草
海に向く番屋の祠海猫渡る
さしも草鰊番屋の捨錨
春の雁夕焼赤に紫に
暁旦やきやらんくわらんと帰雁鳴く
北帰前薄明の雁鳴きづめに
釣果見せくれし蓬に魚籠置いて


 花の山  鈴木三都夫

郷関を出でしは昔花の山
命なりけり桜明りに西行碑
西行の歌碑へ且つ散る桜かな
桜散る地に着くまでを命とし
躑躅山句碑十歳の躑躅の賀
躑躅咲く独りを託ちゐし句碑に
初摘みを明日したる茶山かな
丹精の茶の芽を噛めば心ゆく
   巣籠り  小浜史都女
音ほどに遠くへ飛ばず紙風船
この山のほーが長くてほーほけきよ
またもとの鯛釣草に戻りけり
巣籠りのことしのつばめおとなしき
ぼうたんの黄の色ばかり咲き残る
芍薬に道順ひだり右に折れ

  緑さす  小林梨花
たんぽぽの絮みづうみへ飛ぶかまへ
ぎしぎしの色の吹かるる湖岸かな
青嵐風にも命あると云ふ
にこやかに僧の出入りの麻暖簾
全身に塗香の匂ひ緑さす
住職に御加持賜る立夏かな

 一茶の里  田村萠尖
白樺の肌のまばゆき春の雨
花の雨一茶の像の杖伝ふ
栗菓子の老舗の暖簾紫木蓮
吟行の仲間が配る蓬餅
料亭の跡の更地や鼓草
町中が明るくなりし桜かな

 緑さす  石橋茣蓙留
味付けのご当地自慢さいたづま
蔦若葉日米学院西校舎
楊梅の実のまだ青き巣箱かな
芝青くして思惑の交錯す
緑さすカーテンすべる軽さかな
風薫る青空少年合唱隊

 母の日  桧林ひろ子
母の日や茶殻で畳掃くとせむ
母の日やもんぺの似合ふ母を恋ふ
囀を抜けて身軽となりにけり
囀の高まつてゐし禁猟区
剪定の迷い鋏を鳴らしをり
五月晴れ棚田は空へつづきけり

 遍路杖  橋場きよ
遍路杖洗ひ今宵の宿に入る
山出でて見飽きぬ春の波がしら
山は静海は動なる朧かな
ゆきずりの駅にいただく甘茶かな
老樹には老樹の色香さくら咲く
沈丁花剪ればほろほろこぼれけり

 花の美作  武永江邨
遠く来し津山明るき花盛り
花の山三鬼は永久に慕はるる
花見茣蓙陣取る如く敷かれけり
花人へ孔雀ひと舞見せにけり
花吹雪本丸二の丸三の丸
春光や陶榻にある陶の艶


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

    後藤政春

この山にこれほどまでの山桜
一本の桜の下の雄牛かな
遠足や二輌つなぎの縄電車
農継ぎし婿は長身桃咲けり
剪定の脚立の上に鳴る電話


     源 伸枝

足跡に潮にじみ出て夏隣り
袖口を二度折り返し立夏かな
眠る児の長き睫毛や柿若葉
声出して本を読みをり若葉風
手で測る田水の深さ青嵐

  

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    士別  小林布佐子

大道に弦を奏づる桜の芽
春風や乱れし画家の絵の具箱
切り株に座るジーパン蝶の昼
春の雁空がゆつくり昏れてゆく
行く雁にかなしきまでの落暉かな


    浜松  清水和子

鴉来て鳩来て花の盛りかな
ぬきん出し銀杏大樹の芽吹未だ
花筏鯉の背見ゆるたび乱れ
重心をやや前にして青き踏む
春深し蕎麦屋に僧と隣り合ふ
      
    


白魚火秀句
仁尾正文
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春の雁空がゆつくり昏れてゆく 小林布佐子

 四月二十二~二十四日札幌で白魚火の小鍛錬会があり招かれて出席した。十四時に札幌着、北大構内を吟行して十六時より句会。二十三日はバスで小樽の運河と鰊御殿を見て昼食後句会、その後美唄市の宮島沼の春雁集結地を吟行して句会。二十四日は未明の四時に宮島沼へ着き四時半に一せいに飛び立つ雁を見て朝食。樺戸の囚人墓地に立ち寄り札幌へ帰り句会し十三時に解散した。札幌、旭川、函館の外留萌、北見等々から二十数名が集ったが現役の者は日曜日だけ参加、逆に月、火に出席の者もあり弾力的な運営ができるのがこの種の鍛錬会のよいところである。その上個別に話をする機会にも恵まれた。
 掲句は二十三日の夕刻の宮島沼の作品である。この沼はラムサール条約により国際的な湿地保護区域として十三番目に登録されている。面積は三十ヘクタールと小さいが東アジアの北帰雁の半数の六万羽が集結する中継地である。学芸員の話ではこの日の浮寝雁は五万一千羽、明日にでもシベリアへ飛ぶかもしれぬという。
 掲句は北帰を真近かにした雁。広い空知平野で一日中餌狩をして、夕刻百羽、二百羽と群をなして八方から引きも切らず沼に帰ってくるのは壮観である。十羽か十五羽の雁を見ただけで幸せと思う内地の者には驚嘆すべき景であるが作者は「空がゆっくり昏れてゆく」と心憎い程に余裕をもって詠んでいる。

春深し蕎麦屋に僧と隣り合ふ 清水和子
 
 「春深し」は春たけなわの頂点を通り越しているが惜春とか行く春と迄はゆかない微妙な季である。春愁というような主観がかった季語とも違い作者にも読者にも余り負担のかからない穏やかな季語である。
 句は春深い頃蕎麦屋で僧と相席したのである。托鉢僧でも学僧でもない、外出着を着た僧である。頭を青く剃り上げた男盛りの僧であったと思われる。特別声を交わすこともなく、それぞれが静かに蕎麦を啜ったが少しく気になる僧ではあった。
 そうでなければ一句にはしなかった筈だ。

家系図に空白多し昭和の日 前田清方

大婚の記念の切手昭和の日 伊藤巴江

 「昭和の日」は今年から定められた国民の祝祭日で四月二十九日。終戦日までは天長節と呼称されていたが平成になって「みどりの日」と改称されていた。
 昭和天皇は、大正十年大正天皇の摂政になられ大正十四年大婚、翌年天皇が崩御されて践祚。支那事変から太平洋戦争、敗戦と困難な治政をされた。敗戦後は制定された憲法により象徴天皇となられ八十八歳で数奇な生涯を終えられた。
 「昭和の日」はまだ耳に馴染まないが「みどりの日」よりはずっとよい呼称だと思う。昭和天皇を介して戦争と平和、軍国主義と民主主義等々を考えることができるからだ。
 前句。昭和天皇は皇統百二十四代であったが、前田家も古い家柄のようで家系図には多くの空白があることを「昭和の日」に思ったのだ。
 後句。昭和四十九年に大婚五十年記念切手が出たのを作者は保持している。民間でいえば金婚式の記念に当り、庶民的な目でこの日を捉えている。

板敷に莚や渡り漁夫の寝間 五嶋休光

 小樽の鰊御殿は、鰊大尽の豪華な家だと思っていた。晴れの場所は贅を尽した造りで、予想通り立派であったが、土間を隔てた向う側の中二階や屋根裏部屋は渡り漁夫の住居であった。ここは狭い場所に大勢が詰め込まれて蛸部屋同然であったと聞いて驚いた。何時の時代にも分限者は座っているだけで富んでゆき、貧しい者は働けど働けど貧しい格差が厳然としてあった。掲句は、渡り漁夫への一片の同情である。

風光るウィーン少年合唱団 江連江女

 テレビで見るウィーン少年合唱団は、純情可憐でボーイソプラノの声がすばらしい。この句の「風光る」はこの季語の他にはない程よく効いている。読後爽快な風が胸を吹き抜けた。

母よりも十長らへてよもぎ摘む 中西晃子

 「母の齢」という言葉は母の亡くなった齢の省略で、これは俳人外にも通用するだろう。作者は母の齢を十年も生き長らえて母を思っている。日本人の女性の平均寿命は八十五歳を上回って世界一であるからこの作者は後二十年は生きて母の供養をして上げられる。

鳥曇り短かかりけり老の過去 前川きみ代
 
 作者は九十二歳。卒寿を越すと人々は長寿だと称えてくれるが、本人は九十二年間は短かったと思っている。この意欲は更に寿命を伸ばされるであろう。
その他触れたかった秀句        
熊ん蜂羽音に殺気ありにけり
剪毛を終へてよろめく羊かな
更衣逆お下がりの派手かとも
薫風といへる風ある吾が家にも
開拓を知る蝦夷松や鳶交む
たかんなに鍬の入れ処のありにけり
金堂の憧幡揺るる新樹光
竹元抽彩
富田育子
橋本しげ乃
大久保喜風
大作佳範
船木淑子
鈴木 匠
        
百花寸評
(平成十九年四月号より
田村萠尖

餅花の満開といふしだれやう 大山清笑

 餅花は小正月の飾り木の一つで、紅白の餅をきざんで、みずき、柳などの枝に吊し、神棚や柱などに吊す小正月の伝統行事の一つである。吊された紅白の餅花が満開の花のように枝垂れている様が目に見えるようである。
“しだれよう”の下五の活用がさすがで句を引き締めている。
 脇道にそれるが、筆者の地では養蚕が盛んであった爲か、繭玉が小正月の飾り木に使われている。

元旦の誰にも合はず暮れにけり 榛葉君江

 いかにも現代風の元旦の句である。
 かつては年賀客が次次と訪れ、なかには屠蘇を酌み交す客もいたりして、主婦にとっては多忙な元日であった。
 掲句にはこうした時代の移り変わりを偲ぶことができる一方、なにかしら淋しさも感じられる一句である。

冬服のはし噛んでゐる箪笥かな 漆原八重子

 この句を味わってみると、どこの家庭でも見られるようなごく普通の事柄であると気付く。それでいて何故か心にひびくものがあるから俳句は不思議なものだ。冬服の端を噛んでいる箪笥の大きさ、形まで想像すると、句がいっそう面白くなってくる。

友達を待つ雪の上に文字書いて 小田川美智子

 若若しさがいっぱいの句である。
 待ち合わせ時間よりすこし早目に来て友を待つひととき。さりげなく雪の上に文字を書いた。友人の名前かな。愛のことばかな。
 雪がきらきらと輝いて好い日和である。

少年の眼に囲まれて独楽唸る 鈴木喜久栄

 独楽まわしに打ち込む真剣な少年たちの眼が独楽に集中している。
 打ち合う独楽の唸る音も聞えてくるようだ。下五の働きで句がぐっと引き締まった。

春近しドーナツの穴覗きたる 太田尾利恵

 春が近づいたと思っただけでも心が弾んでくる。流れる雲もなんとなく軽くなって、明るさが増したように思える。
 心の動きとは面白いもので、普段思ってもみなかったドーナツの穴から空を覗いてみた。待春の情切切たるもの在りの句。

春泥の重き長靴洗ひけり 中山まきば

 長靴についた春の泥は意外と重く、短い道を歩いても結構疲れてしまう。
 筆者の若い頃は、田舎道のほとんどが舗装されておらず、一旦ぬかるみに入るとまさに春泥地獄にはまった状態におちいる。流れでもあれば長靴のまま入って泥を流し落すこともしばしばであった。
 掲句の“重き長靴”が春の泥の実態をたくみに表現されている季節の一句である。

パレットに色を合せて寒椿 木下緋都女

 寒椿のもつ微妙な色彩を出すべく、パレットの上で絵具の色合せを懸命に行っている画人が目に浮かんでくる。
 寒椿との取り合わせの妙が心憎い作品である。

明日の霜兆してをりし星光る 峯野啓子

 夜に入って寒さが加わってきた。
 このぶんでは明朝は霜かなと外へ出てみた。心配したとおり戸外はかなり冷えこんで、畑の馬鈴薯の芽や、とうもろこし、苗物などへの遅霜の恐れがでてきた。
 空を見れば晴れ上がって星が出ている。霜の降る気配は十分にあるようだ。
 下五の“星光る”がなんとも不気味。

節分の鬼ぐつすりと眠り込む 廣川恵子

 節分の鬼の役を引き受けた可愛い男の子。父親の撒く福豆に打たれたり、追いかけられたりして小さな鬼もよく動いた。
 夕食も和やかにすみ一家団欒の時が続いた。見れば小さな節分の主役はぐっすりと眠りに入っている。
 温かみのある節分の句である。

自分史の表紙のみどり春立てり 大澄滋世

 自分史そのものについては、解釈がいろいろとあろうが、ここでは自分の句集に随想など加えたものと解したい。
 こうした作品集を、限られた人へ贈ろうと念入に作成した。
 表紙の色はどんな色にしようか悩んだ結果、春にふさわしいみどり色と決めた。
 瑞瑞しいみどり色の表紙の自分史をじっと見つめる作者の姿が浮かんでくる。
 若若しいこの自分史を読んでみたくなるような句である。

戦中の冬の軍服捨てきれず 庄司誠発

 いまわしい戦争が終り、命ながらえて復員された時の軍服であろうか。
 戦後六十年を過ぎた今なお捨てきれずにいる冬の軍服。この思いは余人にはなかなか理解してはもらえない。

木刀で風を二つに寒稽古 天野和幸

 早朝の空気のぴんと張りつめた中、気合をこめて寒稽古の木刀を一心に振る。
 寒気を一刀両断にする気迫のこもった掛声まで聞えてきそうである。
 風を二つにの措辞がよく働いている。

ちぐはぐな会話の弾む春炬燵 川瀬米子

 会話にまじって笑い声が聞えてきそうな楽しい句である。
 ちぐはぐな会話ということから、耳のちょっと遠くなった年配の方も交じっての気心のおけない者同士の席であろう。
 春炬燵の季語が一層雰囲気を盛りあげている。

冬の虹雲が一緒に連れてゆく 江角トモ子

 冬の虹がなかなか見られないだけに、出合った時の印象はすばらしくぐっと胸を打つものがある。こうした感動も長くは続かず、すばらしい虹も雲が一緒に連れ去ってしまった。
 うつろさを残して。

  筆者は群馬県吾妻郡在住


白光秀句
白岩敏秀

農継ぎし婿は長身桃咲けり 後藤政春

 婿とは勿論、作者の家に来てくれた娘の夫である。しかも、農業をやってくれる。親にとってこれほど嬉しいことはあるまい。その気持ちが「婿は長身」とさりげない褒め言葉に込められている。
 おそらく作者は娘さんばかり育てたのであろう。淋しいとは思わないが、行く末を考えると不安があったことも事実。
 婿が来てくれたお陰で、今まで一人でやってきた農作業も楽しくなる。娘は良い婿を選んでくれたものだ。桃の花を見ながら作者の思いは婿から娘へ移っていく。娘への気持ちが桃の花に集約されていよう。控えめな表現ながら家族へ向ける作者の眼は暖かい。
 「一本の桜の下の雄牛かな」
 句を鑑賞する場合、表現された以上のものを付加することは慎まねばならないが、想像は自由。私はこの句に闘牛の雄牛を思う。静かな中に闘う気力をみなぎらせている雄牛。
 一切の夾雑物を排した即物的な把握が桜と雄牛に鮮明な実在感を与える。説明過剰の句の多いなかにあって、こんな剛情な句に出合うと嬉しいものだ。作者の肺活量の大きさを感じさせる。

手で測る田水の深さ青嵐 源 伸枝

 稲作は最も経験が必要な農作業である。会社勤めの農家の夫より、毎日田の世話をしている妻の方が米作りが上手な場合がよくある。
 米作りで大切なことは水の管理。米作りは水に始まり、水に終わるようなものである。
 田水を張ると田植えが始まる。水が少ないと苗の育ちが悪く、多いと植えた苗が浮いてしまう。
 掲句は苗を植えるに丁度よい水の深さを手で測っているのだが、同時に水の温度も計っているのである。これも経験が教えた知識。
 青嵐が過ぎると田植えが始まる。作者に米作りの経験があるかどうか知らぬが、米作りの勘どころを押さえた作品である。

朗朗と天に声あり朝ざくら 横田じゆんこ

 桜は朝がいい。勿論、昼でも夜でもそれなりの美しさはあるが、朝桜には一日中見られた顔を洗ったような、さっぱりとした美しさがある。
 朝の蒼穹にある朗朗とした声は詩吟か謡の声か。静かに朝桜を眺める作者にその声はあたかも天からの声のように響いたのであろう。
 伸びやかな対象の把握に作者の並々ならぬ詩魂を感じる。

沈丁にぽんとふれゆく御用聞 杉浦延子

 この御用聞はよほど機嫌が良かったか、或いは茶目っ気の多い人かも知れぬ。
 御用聞の思いがけない動作に、初めは驚いた作者も鼻歌まじり帰っていく後ろ姿に笑いを禁じ得なかったであろう。
 ふとしたことがきっかけで人に親しみを覚えることがある。掲句の場合がそれ。今までは普通の御用聞と思っていたが、思わぬ一面を見て親しみを覚えたのである。沈丁花の香りが漂うような馥郁たる印象を残す句である。

若楓光は影をゆらしをり 錦織美代子

 若楓が風に揺れ、その木洩れ日が動き、木洩れ日のつくる影が揺れたという句意。縦方向を軸に階層的な構成がしてある。しかし、表現はそんな構成の妙味を微塵も感じさせないほど簡潔。揺れる影に注目すればするほど若楓の緑の輝きが眼に映る。
 作者は公園かどこかで木洩れ日に揺れる影をご覧になったのだろう。それを一句にするとき、「木洩れ日」という平凡な常套語を避けるため、選び抜かれた言葉が「光」だったのである。作者の詩的感性の冴えである。

鳴きやまぬ子猫を親にもどしけり 萩原寿女

 私の家には野良猫が住みついている。今の猫は三代目になる。初代の猫の記憶は定かではないが、二代目の猫は二匹を残し、他の子猫を連れてどこかに消えた。多分、我が家では多くの猫は養い切れないと見切りをつけたのであろう。
 掲句の猫は家族に可愛がられている猫のようだ。子猫を取りあげると親猫は心配そうにうろうろとまつわりついてくる。子猫は遠慮なくあのソプラノ声で鳴きちらす。結局は親に戻して事なき得るのであるが、子猫はたしかによく鳴く。作者の困惑顔とやれやれという安堵の表情が見えるような句。親元がよいのは人間に限らないようだ。

まつすぐにハイと手をあげ入学児 田口啓子

 私の子どもが入学したのははるか昔のこと。確かにこんな元気な子どもがいたなと思い出す。こんな子は友達の面倒見もよく、クラス委員にもすぐ選ばれることだろう。元気で明るい子どものいるクラスはきっと楽しく勉強ができるに違いない。

 その他の感銘句
薫風に乗りたる凧を子に渡す
花疲れ信玄袋の緒のゆるみ
喪の席の嬰の泣き声余花の雨
天平の甍に近く囀れる
多喜二忌の窯は千度の火色して
芋を植う歩巾一歩を目安とし
分校は三椏の花咲くところ
茄子植ゑて午後は喪服に着替へねば
子供の日洗濯物がよく乾き
思ひきり身軽となりて青き踏む
今村 務
小林さつき
浅野数方
柴山要作
松浦文月
野田早都女
森井杏雨
若林光一
桑名 邦
山岸幸生

禁無断転載