最終更新日(update) 2010.12.31 


支部・地方の便り
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旭川白魚火会 平成19年1月号掲載
浜玉町句会(佐賀) 平成19年2月号掲載
群馬白魚火 磴の会  平成19年3月号掲載
江の川吟行句会(島根) 平成19年4月号掲載
榛句会(東京) 平成19年5月号掲載
静岡白魚火 さつき句会  平成19年6月号掲載
津山白魚火 吉井川句会  平成19年7月号掲載
松江白魚火 古志原鳥雲句会  平成19年8月号掲載
栃木白魚火 鹿沼いまたか句会  平成19年9月号掲載
浜松白魚火 円坐A  平成19年10月号掲載
静岡白魚火 さざんか句会 平成19年11月号掲載
浜松白魚火 天竜句会 平成19年12月号掲載
群馬白魚火 こまくさ句会 平成20年1月号掲載
浜松白魚火 梧桐句会 平成20年2月号掲載
栃木県白魚火 忘年句会・忘年会 平成20年3月号掲載
群馬白魚火矢倉句会 平成20年4月号掲載
松江千鳥句会 平成20年5月号掲載
函館新葉句会 平成20年6月号掲載
鹿沼いまたか句会 平成20年7月号掲載
旭川白魚火句会報 平成20年8月号掲載
中津川白魚火 硯墨会 平成20年9月号掲載
飯田白魚火句会 平成20年10月号掲載
高知白魚火会 平成20年11月号掲載
ウィエペツ俳句会 平成20年12月号掲載
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平成19年1月号掲載 句会報
   旭川白魚火会
大作佳範

平成19年01月号へ 

 旭川白魚火会は毎月第一・第三土曜日に投句十句の句会を行っている。それ以外に吟行句会も、年に何回かあり近郊に留まらず時には日本海まで足を延ばすこともあり、そのような時は私も参加させてもらっている。
 私は札幌在住の入会してまだ三年ほどの新参で、月二回の夜の句会は一年に三、四回ほどの出席以外はほとんど参加できず、そのため不在投句は決して休まないことを心に参加させてもらっている。初心者の私が続けてこられるのは、坂本タカ女、宮野一磴、佐藤光汀、三浦香都子の諸先生のご指導と多くのよき先輩、仲間に恵まれているからと思っている。毎月の不在投句は平間純一、小林さつきさんに快諾してただき、悪戦苦闘の句をメールか郵便で送り、その結果は吉川紀子さんから、喜怒哀楽の顔マーク入りで当日の選者の選評などを書き込んだ返送がくる。今ではこの月二回の句会が大変な楽しみとなっている。十数人の会員の皆さんに大変よくしていただき、西本一都先生の志が旭川の句会にしっかりと根付いていることを感じている。一都先生は残念ながらお会いしたことは無いが、タカ女先生から若き日の句会の様子、お人柄を聞く機会があり非常に身近に感じている。
 先日仕事の帰り旭川に一泊、タカ女先生と純一さんの案内で藤川碧魚先生の句碑を訪ねた。居酒屋「しれとこ」で夕食の折、割箸の袋を短冊にした三人句会をして俳句が大変身近なものとなった。
 自分の人生の中で俳句に出会えたこと、旭川白魚火会のお仲間に出会えたこと本当に良かったと思っている。

白鳥の渡りの声を仰ぎけり
鮭簗の出水に緊まる土嚢かな
鮭颪汐霞せる蜑部落
風の音波の音鮭のぼりきし
黒く照る千木鰹魚木や小望月
爽籟や橋のたもとの宿堤灯
夕日より朱き珊瑚草の湖
淵のぞく吊橋に酔ひ紅葉山
小康を得て秋空に鳶の笛
放られてゐる鮭の口かつと開く
水澄むや竹の柄杓の荒削り
鮭網の見えぬ糸にて編まれけり
向日葵の全身種となりにけり
一日の仕事の褒美新酒かな
坂本タカ女
宮野一磴
佐藤光汀
三浦香都子
東條三都夫
金田野歩女
五嶋休光
平間純一
滝見美代子
小林布佐子
小林さつき
萩原峯子
吉川紀子
大作佳範 



平成19年2月号掲載 句会報
    浜玉町俳句会(佐賀)
 水鳥川栄子

平成19年2月号へ

  海辺の浜玉町には、松露俳句会、しおざい俳句会があります。松露は戦前から続いている俳句会、戦後公民館報に掲載されるようになって四七四号(三十九年五か月)を数えましたが、さきの市町村合併により残念ながら掲載中止になりました。一方しおざいは公民館生涯学習の一環として発足した初心者の俳句会、この十一月で月一回発行の会報は一七五号(十四年七か月)を数えました。何れも水鳥川弘宇氏のご指導を仰いでおります。地方にあって加えて高齢化も進み、十年一日の如き句会の歩みを続けていますが、皆さんが口々に俳句は難しいけど楽しいねと言って下さるのが、世話する者にとって何よりの励みになります。これからも一人でも二人でも仲間が増えるようにつとめたいと思います。
例会作品
  松露句会
鰭酒や自慢話をつまみつつ
解禁の第一砲の谺かな
日向ぼこ楽しき話題持ち寄りて
紅茶色少し残して山眠る
冬茜鍬の柄にある亡夫の字
山里ははや日昃りて石蕗の花
小鳥来て窓辺明るくパンを焼く
猪鍋に人だかりして鍋祭
冬紅葉割つて落ち行く滝の音
朝鵙に猫背の背を正しけり
山崎けい子
水鳥川栄子
吉原ノブ
太田昭子
谷口泰子
古藤弘枝
脇山石菖
才田素粒子
諸岡ひとし
水鳥川弘宇
  しおざい句会
秋日和築百年の瓦替
打ち納め撥に力の秋まつり
神棚に高々盛られ今年米
色鳥の一閃川面たじろぎし
久々に色紙認む菊日和
ほろ苦く炊き上りたる零余子飯
秋の日を浴び楽しげに畑を打つ
稚児たちの伝承はげむ秋の舞
軒に積む薪の黒ずみ冬に入る
ホールインワンにどよめく鰯雲
体調の可も不可もなし葛湯吹く
栗原艶子
辻村多鶴子
堤 鈴代
水鳥川栄子
橋川千代子
常吉峯子
吉原ノブ
鬼塚ひろむ
小柳芳郎
諸岡ひとし
水鳥川弘宇

松露句会 しおざい句会


平成19年3月号掲載 句会報
   群馬白魚火 磴の会
横手一江

平成19年03月号へ 

 磴の会句会は、毎月一回第二火曜日の午後一時より三時まで、伊香保温泉の公民館で行っています。会場から谷川岳をはじめ白根山や国境の山々を遠望し、季節の移ろいと共に発会以来十四年余が過ぎようとしています。会員数は今迄に多少の増減はありましたが、現在女性ばかりの八名です。当会も新会員のないのが悩みです。
 七句投句、互選五句ですが、きびしいと皆云いつゝ素晴らしい句を出されます。披講後はお互にアドバイスや自由に意見を交換し、ほど良い緊張と刺激に脳の活性を計りストレス解消にもなっています。終了後は句稿を田村萠尖先生に送り、添削での指導をお願いしております。又句会での一人一句を地方新聞に毎月載せています。
 吟行は年に一、二回程度行っていますが、出来ればもう少し回数を増やせたらと願っています。
 昨年十一月伊香保の紅葉山公園へ吟行をしました。ロープウェイで着いた山頂は下界とは打って変って北風が荒れ狂い紅葉も吹き散り無残でしたが展望台からの大パノラマに絶句しながら景色を堪能した二時間でした。宿での句会にはその成果の句が並び、感心したり驚いたりと大いに詩心が触発されました。 

湯の町の三角山の黄落す
四阿のここに源泉石蕗咲けり  
照り昃りつゝ雲流る紅葉山
湯の街の谷戸馳けぬける落葉かな  
紅葉山鉄塔一基天をつく
温泉街見下ろす山頂紅葉舞ふ  
晩秋の雲の傘さす小野子山
山頂は大荒れ落葉しぐれかな  
東歌文字のうするる新松子
冬装ふ雄岳孫岳目交に
紅葉のトンネルくぐり伊香保の湯
石仏の苔のしめりや秋時雨 
名月や亡き母に見ゆ人の影
海近く山せまりをる晩稲かな  
ロープウェイの中に残さる紅葉かな
山風の幹を揺らしぬ新松子  
花梗

志宇
 〃
昌子
 〃
ミドリ
 〃
もとめ
 〃
幸恵
 〃 
早苗
 〃
一江
 〃



平成19年4月号掲載 句会報
    江の川吟行句会(島根)
 柳川シゲ子

平成19年4月号へ

 江の川吟行句会は、昭和五十九年六月六日田室澄江先生のご指導のもとに発足しました。
 その時は、江の川の河原で句会を開かれたとのことです。澄江先生が亡くなられ、能美百合子先生が引き継がれ、昨年四月迄御指導を受けていました。
 ところが百合子先生も病に倒れられて、あっという間に亡くなられ、現在は指導者の居ない生徒ばかりの句会となりました。
 平成十六年十一月十日には吟行千回記念の句会も行いました。とても和気あいあいとした句会です。
 私達の町は山あり海あり、中国太郎の川の河口の町で、自然に恵まれて居ります。吟行地は十五、六ヶ所を廻っています。時には弁当を持って出かけることもあります。白魚火の「足もて作る」をモットーに頑張っています。皆さん熱心な方ばかりで八名から十名位で今日迄続けて居ります。吟行は毎週水曜日とし、どんな悪天候でも八時に集合して吟行地へ出かけ、二時間位かけて作句します。十時より句会に入ります。その時は全員黙々と唯ペンの走る音がするのみで、十一時〆切りで、十二句投句します。互選は何句でも良い事になっています。
 この様な句会が出来ることも先輩方のお蔭と感謝し一回でも長く続けて行きたいと思って居ります。
 私も能見先生との出遭いにより、六十才の手習いで、こうして晩年になっても俳句のできることを倖せに思って居ります。
 今後とも白魚火の諸先生方の御指導の程をよろしくお願い致します。

大礁呑みて吐き出す冬の涛
寺一つ懐にして山眠る
年重ね句縁重ねて年忘れ
寒禽や森閑として無住寺
冬大河海猫の鳴き声して暗し
海見ゆる窓の高さや初句会
日課なる土手の散歩や日脚伸ぶ
健やかと記す嬉しき初日記
寒月や甍の町は濡れ色に
安田心道
服部遊子
森脇タヅヨ
井廻昭子
田室清子
山崎てる子
大村かよ女
浅野智佐子
柳川シゲ子

 


平成19年5月号掲載 句会報
   榛句会(東京)
檜林弘一

平成19年05月号へ 

 母親の勧めで白魚火に入会いたしまして二年余りになります。ご指導いただいております鈴木三都夫先生をはじめとして、先輩方から毎月刺激を与えられなんとか二年間継続させていただいたという表現が適切かもしれません。
 私事となりますが、仕事の関係で東京に単身赴任しております。たまたま郷里の静岡榛原(現、牧之原市)の高校同級生が多く在京しておりましたので、とある日、単身の徒然に友を俳句に誘ったところ数名が賛同。郷里の旧町名の頭文字を拝借しまして、にわかに掲題の句会を始めた次第です。
 当初はもっぱら酒の肴に作句を始めた友人達でしたが、徐々にその魔力にはまるとともに、類は友を呼び、郷里静岡の友人および遠くは札幌の友も加え、現在十二名で月例句会を楽しんでおります。ただし、メンバー全員すべて結社に所属しない言わば我流の素人俳人ですので、私も含め俳句のレベルはまだまだお恥ずかしい限りです。何名かが入会して、せめて結社平均年齢の低減に貢献させていただければと密かに思うのですが、なかなか敷居は高いようではあります。番外句会で恐縮ではありますが、最近の拙句にて近況報告とさせていただきます。
(三重県名張市在住)

二月度句会より
早梅の一花に蘂の賑はひぬ
灯台の高みに春の風つかむ
薄氷の溶け出してをり日の匂ひ
節分の戸口賑はす童かな
豆撒きの声高らかに鬼退治
春一夜一茶の句集枕元
ラヂオから古典落語や梅見茶屋
夕暮れの影を踏みあふ春隣
上越の上りトンネル抜けて春
春を待つ五番サードの恩師古希
荒磯波泡と砕ける鰤起し
身動ぎてより凍蝶の翅正す
松浦玲子
田部井いつ子
柴原信夫
山崎たつ枝
松浦美栄子
関彦次郎
大野 均
水野ちや子
桜井通雄
萩原一志
名波庄吾
檜林弘一

そもそも友が集うこととなったきっかけは、数年前、久々に行われた那須高原でのクラス会でありました。春先になるとその光景が甦ります。
      少年と少女の瞳風光る  弘一


平成19年6月号掲載 句会報
    静岡白魚火 さつき句会
 横田美佐子

平成19年6月号へ

 さつき句会はこの四月に新しい仲間を一人迎え十人になりました。
 毎月の句会には名誉会長の鈴木三都夫先生の御指導をいただいています。先生は俳句の作り方や言葉の使い方など、未熟な私にも解るようにとても丁寧に易しく教えてくださいます。毎回毎回が大変貴重な勉強の場です。
 毎月、句会の仲間で吟行に行きますが、これがとても楽しく、一緒に歩き,見たり聞いたりやってみたりしながら、そこで句会の先輩の皆さんがいろいろなことを教えてくださいます。花や鳥の名、季語のことなど、それだけでなく合同句会が近いとき、できない、休みたいと弱音を吐くと、「だめだめ、一度怠けると癖になってしまうよ。一緒に行こう頑張れ」と、叱ったり励ましてくださったりするのも先輩の皆さんです。こんな時本当に有り難く思います。
 年一度、一月の吟行には三都夫先生にも同行していただき句会も行われます。吟行してすぐの句作は厳しく苦しいものですが、先生がご自分の若いときのお話をしてくださったり、一作一作をあたたかく手直ししてくださったりするので、少しでも良い句を作れるように頑張ろうと心が引き締まる思いがします。
 俳句のことはまだまだ解らない私ですが、素晴らしい先生とあたたかな先輩方に囲まれている幸せを感じます。ゆっくりでも一歩一歩自分を磨く努力をして行きたいと思っています。

四月の句会より
白蓮の百灯ゆるる点りかな
花形の切り貼り散らし春障子 
この寒さ春は何処まで戻りしか
雨音に心ゆだねてゐて朝寝 
貝殻のピンク色して花見時
鳥帰る空に道筋あるごとく 
点眼の半分零れ春うらら
菜の花の混じり気のなき黄色好き 
ひらがなのやうに舞ひ出づ蝶の昼
ふらここを風が軋ます日暮れどき 
眼差しの遠くを見つめ古雛
春の虹掛かりし空の濡れてをり 
恋猫のなで声やがて声高に
ふんはりと雲の居座る春の富士 
初蝶やひらひらひらり又ひらり
首傾げ囁き合へる黄水仙 
蓬摘み手を休め見る水平線
幼子の指さす日暮鳥帰る 
雲間より落ちてその名も揚雲雀
郵便夫菜の花畑の向かうから 
加茂川かつ
加茂川かつ
郷野和子
郷野和子
河森利子
河森利子
加藤 梢
加藤 梢
野村悦子
野村悦子
坂下昇子
坂下昇子
大川原よし子
大川原よし子
本杉智保子
本杉智保子
藤田光代
藤田光代
横田美佐子
横田美佐子

 


平成19年7月号掲載 句会報
   津山白魚火 吉井川句会
渡邉美代子

平成19年7月号へ 

 吉井川句会は、平成六年十月産声を上げ今回で百五十一回の月例句会となりました。会員はN・T・TのOB会の有志十四名が毎月一回第三金曜日の午後一時より三時過ぎまでN・T・T・サロンに集まり勉強会を行っています。
 年間四回は中国会報誌「電友会報」にも掲載されるので他県の吟友の方からも元気で頑張っていらっしゃいますねとの励ましの電話も頂戴しております。 
 その他、地方新聞では会員の皆様多くの方が投句され上位選句に掲載されています。
 月例句会の投句は三句で互選は五句とし点数を発表します。
 あとは全ての句を一句一句読み上げ自由に批判や、意見を交換する合評形式で、アドバイスし合います。
 ほどよい刺激と緊張がストレス解消になっているようです。
 皆様とても熱心で病気か緊急の用事以外は休まれることがなく出席率はいつも上々です。いつまでもよきライバルでありたいものです。
 他に白魚火の会員以外の方が、五名いらっしゃいますが、皆様優秀な方ばかりですが、作品は省略いたします。
 私も頭の体操とストレス解消をめざし自分なりに頑張っております。

平成十九年四月例会より
ひと振の鍬に目覚めて初蛙
空を切る飛行機雲や豆の花
擦れ違ふ訛ことばの暖かし
効ありと夫の薬好き四月馬鹿
浄めたる墓石にこぼる初音かな
花冷となりゆく路地の笛の音
春光や生きとし生けるもの光る
青麦の伸びるを待ちて土を寄す
一つ識り二つは忘れ春隣
中島美津子
鈴木 勲
有田俊子
柴田佳江
広岡博子
渡邉美代子
米沢 操
渡辺晴峰
江見作風



平成19年8月号掲載 句会報
    松江白魚火 古志原鳥雲句会
 小玉みづえ

平成19年8月号へ

  鳥雲句会は、富田郁子先生にご指導していただき、月の始めに集まります。原あや子さんが体調不良の為、今は十四名で先生宅のアトリエを会場にさせてもらっています。
 七句持ち出しで十句選。終ると選評が始まります。
 高得点であっても、態とらしいので、少し素直に作ってみたら。上五と下五を入れ換える。一字を直してリズムを整える等々、実際の句を前にしているので、とても良い勉強になります。独り善がりの句が、人の目に曝され洗練されることになり、自分の思い入れが評価されず、そうでないものが評価されるという句会の面白さを味わうことになります。
 お互は、聞いた事のない季語、知らない言葉(今月は行道でした)を教わり、固有名詞の人名、地名を知り誰もが質問をするというのも膝つき合わせる距離だからかもしれません。先生より常に「句会に出ないと俳句は上手にならない」と言われる事が納得出来ます。
 一切終ると茶話会。笑いが絶えません。会場が二階なので隣家と接しておらず、各々が力一杯の声で話すので、その騒々しさ、姦しさは男性がいたらひっくり返るでしょう。この楽しさがあるので精勤の人がほとんどで、年末には忘年句会を他所でやり一年を終ります。
 気持ちの良い仲間との交流は何ものにもかえがたい一時です。

足病めば時計も止まる麦の秋
雪柳亡き母の帯よく締まり
稚児行道のひとりがしやがむ小判草
遠雷の眠りの底をなでゆけり
新樹光鎌倉彫りの四脚門
祭笛聞きつつ母の髪を梳く
裏木戸より訪へば匂へり椎の花
整然と蔵並ぶ路地黒揚羽
植田風学校田に木札立つ
雨しづく紫陽花路地をせばめをり
雨雲を引き寄せてをり鴨足草
わが白髪いよいよ白き母の日よ
宿の灯の昏きに守宮噛み合ひぬ
纜を解く声のして明易し
富田郁子
青砥静代
安達みわ子
石本浩子
井上栄子
小村絹代
門脇美保
武田美紗子
小玉みづえ
田久和みどり
原千恵子
福間都早
森山暢子
吉岡房代

 


平成19年9月号掲載 句会報
   栃木白魚火「鹿沼いまたか句会」
齋藤 都

平成19年9月号へ 

  鹿沼いまたか句会は、昭和五十六年五月に今市まで橋田一青先生をお迎えし御指導いただける事となり発足しました。会員は当時同じ職場の今市高校教職員が中心となり、 それに旧教職員・校医・父兄・卒業生にも参加を呼びかけ十五名ほどでした・会名はいろいろ考えましたが総合高校でもある今市高校はわかりやすく今高(いまたか)と呼ばれているので「いまたか句会」としました。しかし発足から歳月を経て現在は転勤や退職で今市高校勤務者はいないが、休会することなく会場は今市から鹿沼に変更し同じ橋田一青先生の指導であった鹿沼白魚火とも合流し、会員も更に元同僚、友人、知人、卒業生と加わり平成十三年に橋田一青先生が亡くなるまで「俳句はだれでも作れる楽しいもので、今まで見過してきた自然や日常の生活の中から詩を見つけ誰にでもわかる表現ながら余韻を充分に残す。それには歳時記をしっかり読み、写生句から始めましょう」と指導がつづけられた。数少ない鹿沼白魚火からの会員の一人は八十歳代ながら頑張っていつも若々しい句を欠席投句ながら見せていただき会員の励みにもなっている。橋田先生亡きあと会員の一人で毎日新聞「しもつけ文園」俳句選者も引き継がれていた星田一草先生を中心に句会は発足以来毎月第二土曜日鹿沼市内で会員がいろいろな係を分担し、兼題も含め五句出句。互選とし、なごやかなあたたかい雰囲気で選評し合い星田一草先生にまとめていただき句会報もつづけて発行している。これまで会員の移動・会場の変更があっても続けられているのは発足当時の人がかなりいるのと、最初の橋田一青先生が鹿沼から今市まで来ていただき熱心に懇切・丁寧な御指導と先生亡きあと代表者として引き受けていただいた星田一草先生に支えられての鹿沼いまたか句会である。
 

七月の句会報例会より
半夏生草白の飛び交ふ草の丈
葉がくれの青酸漿に触れ数ふ
番傘のバリバリひらく花菖蒲
更衣話のはずむ少女来る
青鬼灯長き廊下の雨戸繰る
ひたすらに灼くるに任す野の仏
雑木山枝打つ音や梅雨晴れ間
家々の静けさ梅雨の気配かな
どくだみの花明りなる薬師堂
日本人萬次郎之碑の灼けてゐし
風灼くるはたと客足途絶えけり
豆腐屋の笛ぴたと止む大夕焼
紫陽花や垂れて地球の重みかな
風鈴を全部鳴らして店開く
青鬼灯いよいよ母の恋しかり
灼くる日や東北本線貨車長し
朝霧をもてあましをり青酸漿
杉の香の肌に沁み入る夕立かな
星田一草
山口菊女
海老原季誉
桑名 邦
田原桂子
宇賀神尚雄
川田貞子
永山民子
鷹羽克子
大野静枝
山田三恵子
齋藤満子
本倉裕子
星 揚子
柴山要作
高島文江
高内尚子
齋藤 都



平成19年10月号掲載 句会報
   浜松白魚火 円坐A
阿部芙美子

平成19年10月号へ 

  円坐A句会は社会保険センター浜松で平成元年に始まり、現在は月二回の句会を第二、四木曜日の午後六時半から二時間五句投句の六句選で仁尾先生以下二十三名(男性八名女性十五名)の会員で行っている。その内の一回は先生の御出席を頂き一回は上村均さんを講師に指導を受けているが、句会での披講、感銘句の鑑賞文、次回の兼題等は当番制で行っている。会員の変動は多少あったが、ここ四年ほどの間に男性陣が続いて入会してこられ、行動力のあるところを発揮して、色々な催しにも協力を惜しまず頼りになる面々である。人数の多い会ではあるが、それぞれが個性を持ちながら和気藹々と、会としての活気もあり、まとまりが出来てきて年に数回の有志による吟行会等への参加も多いほうだと自負している。これからも切磋琢磨しつつ楽しい句会を続けて行きたいと思っている。
 円坐ではA、B、Cとの合同句集を年一回秋に発行しており今年で第十七集となる。その為に一人作品二十句と原稿用紙一枚半程度のエッセイを提出すべく今奮闘をしている処である。この句集を通して自分のこの一年を振り返ると云う意味でも楽しみな企画であるが監修、校正をされる先生、講師の方々には感謝をし厚くお礼を申し上げたい。

多島海縫うてヨットの傾ぎゐる
馳足の一団過ぎて茄子の花 
柿葺き梅雨に打たるる銀閣寺 
高きより夜景眺めつ夏料理  
絵日傘をひらき遠き日想ひけり
紫陽花や青の世界のひしめきて
初島の海の光に草を刈る
夕顔に仄と折目のありにけり
白秋や蹲に引く山の水
家中を暗くして見る揚花火
夕蝉の一声あげて落ちにけり
返信の暑中見舞を二三通  
昼酒の過ぎたる土用太郎かな
SLの汽笛が残り風涼し
通り雨花火は音のするばかり
男坂昇り青葉の異人館
薫風を絵手紙にのせ投函す
鉄橋の一跨ぎせる青田かな
パーの手もグーの手もあり雲の峰 
団子屋に雨除けに入る鬼灯市
足元の砂丘崩るる雲の峰
涼風を入れて仏間に灯を点す
長雨や酒屋の軒の燕の子
正 文
均 
修 

文 子
ルミ子
泰 子
葉 子
升 子
千 穂
くに子

忠 義
はるゑ
照 代
安 子
瑞 之
京 子
誠 
芙美子
ひろ子
千代子
信 昭


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平成19年11月号掲載 句会報
   静岡白魚火 さざんか句会
笠原沢江

平成19年11月号へ 

 「静岡白魚火会」は十二句会、会員数九十名(九月現在)で構成されていましたが、今年九月から七句会に再編成され、私達の句会も新しく「さざんか句会」と改名し、会員数十二名として発足しましたので、その経緯と概要から紹介したいと思います。
 従来の十二句会の構成は、新しいグループの誕生と関係があって、それが今日までの発展の歴史でもありました。又その運営については、毎月の定例句会のほか、句会相互の親睦と研鑽のために合同句会(年五回)と合同バス吟行会(年三回程度)が定例的に行われ、大きな励みとなっております。 
 その指導者の名譽会長の鈴木三都夫先生が昨年七月、体調を崩され一ヶ月休養されたことがありました。検査結果は内耳の三半規管の軽度な疾患によるものと判明し、服薬と定期通院をされておりますが、これ以上の御無理がかからないよう、役員会の総意として現行の句会数の再編、句会報の簡素化について先生の御了解を得て、九月から新出発いたしました。当「さざんか句会」は従来の「さざ波」と「葵」の合同ですが、もともと句会相互の親睦は十分図られていますので、新体制についての違和感もなく、むしろより活発な活動が期待されます。

九月例会 一句抄
地蔵盆樒売る子のねびまさり
ひとつまみほど引く小菜の朝の椀
一と鍬に埃舞ひ立つ旱畑
灯の川となり闇に浮く万燈籠
お茶漬けでさらりとすます残暑かな
後ず去り出来ぬ舟虫散り散りに
一声の今日の命を法師蝉
波音の近し気になるみのりかな
炎天を来て炎天の草を引く
哀れとも忙しく鳴きぬ法師蝉
恥多き命永らへ敬老日
魂送る矧k足しては話しかけ
持て成しの網戸の風を通しけり
鈴木三都夫
榎田まき子
大石こよ
小田登志江
大関ひさよ
笠原沢江
片瀬きよ子
加藤美保
知久比呂子
永田松江
中山雅子
山田ヨシコ
横田茂世



平成19年12月号掲載 句会報
   浜松白魚火 天竜句会
 渥美尚作

平成19年12月号へ 

 天竜句会は平成六年三月に、当時浜松白魚火初生句会の会長、河合萬平さんの御支援により始まりました。
 会員は永井会長以下九名です。毎月一回、第一木曜日の午後七時より二時間、五句投句の六句選で仁尾正文主宰直々に指導を受けております。投句、互選、当番制による披講が済みますと、先生が予選、入選、特選の順に発表されます。入選の一部と特選の句には講評をいただいております。取り上げられた句の良いところ、直すところ、ものの見方、考え方、或いは俳句会の潮流とか、俳誌で発表された句の解説などを評されます。話は多岐にわたり、句会の一番の楽しみとなっています。
 当地は車で一時間ほど走りますと、南は遠州灘、北は信濃、又東は駿府城、西は三河の鳳来寺山に届きます。火の神として名高い秋葉神社へは三十分で行くことが出来ます。海あり、山あり、諏訪湖を源として太平洋へ流れ出る天竜川もあり、自然環境、名所旧跡に恵まれています。この条件の良さを句作りに十分反映できるように全員張切っております。
 年二回の浜松白魚火会の吟行には積極的に参加をしています。今年度、一回目は五月にあり、近江醒ヶ井へ行って来ました。二回目は八月に天竜句会が当番となり、天竜川支流の阿多古川において簗漁見物と体験を行いました。
 先陣は女流簗瀬を徒渡る 仁尾正文
簗場の近くには名所百選の一つの不動の滝があり、少し歩を伸ばしますと、鍾乳洞もみられました。
 頃合ひの岩あり掛けて滝を見る 仁尾正文
 四十名を越す参加者があり、一日を童心にかえり楽しく過しました。

十月四日句会
鶏頭の朱や葉脈の端までも
玉簾白い花には白い蝶
栗飯は卒寿の母の味自慢
空仰ぐ羅漢の頬に月の雨
鳥渡る流れに鎌を研ぎてをり
幸福の岸見つからず曼珠沙華
誘ひて展望台へ後の月
記念樹の金柑の実のふくらめり
気が付けば鈴虫の音に癒されし
深山に鼓の響く無月かな
仁尾正文
永井昭二郎
山下勝康
岩佐和子
渥美絹代
花島邦隆
坂口秀子
植田美佐子
戸倉光子
渥美尚作



平成20年1月号掲載 句会報
   群馬白魚火 こまくさ句会
福島ふさ子

平成20年1月号へ 

 群馬白魚火初代会長であられました、鈴木吾亦紅先生の御指導をいただき「こまくさ句会」が、平成八年八月六日会員七名で発足致しました。
 尚先生は、昭和五十五年より加入していた「葉月会」でもお世話をしておられました。その中で、白魚火の人達の勉強会をつくろうというのが「こまくさ句会」の始まりです。
 先生は農家のお忙しい折りや、催し物のある時でも句会第一に考え、俳句文化の向上に努められました。ところが平成九年体調を崩され、各方面から惜しまれつつ御家族に見守られながら還らぬ人となって仕舞われたのです。
 その後、白魚火会長を引き継がれた田村萠尖先生にお願いし、書道教室の多くの生徒さんをかかえ、公私共にご多忙のなか懇切丁寧な御指導を頂きました。
 平成十一年より笛木峨堂先生に八年間の長きに渡り、東吾妻町から名久田公民館まで十八キロの道程を、ご高齢にも拘らず自家用車で毎月来ていただきました。
 持ち前の大きな声と戦時中に鍛えたバイタリティーとで、常に「不易流行」を大事に指導してくださいました。
 残念なことに峨堂先生は今年黄泉路へと旅立たれてしまいました。
 現在は会員十名で、毎月第一日曜日、五句投句、互選をし、披講等は当番制で行います。披講後は清記の一句一句に作者名を記します。それから自由に選評に入ります。毎月の句会報も発行し一二八回を数えました。
 句会のみならず他のさまざまな催し、吟行会にも積極的に参加し好成績を残している心強い会員揃いです。これからも田村萠尖会長さんをはじめ、諸先生方、諸先輩の御指導御鞭撻を賜りながら、会員一丸となって邁進していきたいと思っています。

別れの手振る淋しさよ秋の風
草紅葉足裏にやさし牧の径
緬羊も山羊も人恋ふ牧の秋
牛のにほひ残して牧を閉ざしけり
神さびの神木に聞く秋の声
酒蔵の能面の黙秋ふかし
紅葉山天文台の煌めけり
天高し山頂光る天文台
牛去りて牧場の秋の深まれり
秋澄むや昼星見ゆる天文台
宮崎都祢
角田しづ代
釼持妙子
飯塚比呂子
篠原米女
鈴木百合子
塚田紀子
関うたの
前田福井
福嶋ふさ子



平成20年2月号掲載 句会報
   浜松白魚火 梧桐句会
野沢建代 

平成20年2月号へ 

  梧桐(あおぎり)句会十六名、平均年齢七十?才、元気だけは、どこの句会にも負けません。
 師走は、それなりに忙しいのが常、当地、奥山は有名な三ケ日蜜柑産地の隣り合せでもありやはり蜜柑所であります。
 十二月ともなれば、蜜柑の収穫で、猫の手も借りたい程、句会も休む人が出る始末、句会紹介の写真を撮るのに七名も欠席でした。
 句会は月一回、第一月曜日に食事が出来る料理屋を借りて行います。仁尾主宰に奥山までお越し頂き、十一時より三時迄昼食をはさんで行います。七句出句の八句選で午前中に清記、選句食事の後、当番制で披講を行います。その後いよいよ主宰の予選、入選、特選と選が始まります。仁尾主宰自らの選句、選評を頂くのは全国誌友の皆さんには、申し訳無い程有難い時間です。特選十二句程頂きます。予選句入選句の直す所、又特選句の良い所等細かに評されます。
 各人、一番句を静岡新聞へ投稿しております。句会が終わりますと句碑の掃除当番が三人ずつで掃除を致します。今は紅葉の一番美しい時季でもあり、又落葉も多く大変ですが、「常にきれいに」を合言葉に句碑を守っております。又、梧桐句会の一番の楽しみは「特選饅頭」なるものです。俳句大会や、他の募集等で特選を採った人が嬉しさのお裾分けの気持として饅頭を振舞うのです。
 又今回も期待して句会に出掛けます。それは奥山方広寺観月の夕べ俳句会にて、平野摩周子先生、九鬼あきゑ先生から三人が秀逸を採りました。特選饅頭が配られることでしょう。又今月十二月号で伊藤巴江さんが白魚火巻頭をとられて梧桐句会の誉れであります。主宰の白魚火秀句の評の通り根っからの俳句好きなのでありよいお手本であります。
 又今回は久々に鈴木夢さんも出席されて写真に収まりました。元気な夢さんを写真にて御覧下さい。

十二月句会
列車過ぐる度山門の紅葉散る
無気味なるもの潜ませて枯葎
神鶏の胸立て歩く十二月
出来たての赤飯届く七五三
花苗を植ゑ終へ仰ぐ冬の星
冬の薔薇一輪咲けり葬の庭
日向より日陰の好きな石蕗の花
鷦鷯真中の光る厩栓棒
年用意デッキブラシと如雨露買ふ
冬麗や杭に小猿の繋がれて
冬紅葉ゴンドラで聞く京言葉
花芒大きな夕日落ちにけり
日の射して柿の照葉の眩しかり
石蕗の花風曲りくる土蔵かな
とろろ汁作るひげ根をガスで焼く
仁尾正文
鈴木 夢
影山香織
影山美代子
平山陽子
田中いし
柴田純子
牧沢純江
中田秀子
大澄滋世
岡部章子
高井弘子
長田和子
西沢三千代
野沢建代



平成20年3月号掲載 句会報
   栃木県白魚火 忘年句会・忘年会
小川惠子

平成20年3月号へ 

 今年のカレンダーも最後の一枚になってしまった十二月九日、県白魚火忘年句会が宇都宮中央生涯センターにおいて行われました。
 忙しい時期でもあり、出席者は二十一名と少なめでしたが、一年を締め括るに相応しく中身の濃い、充実した句会となりました。
 句会の後、鶴見会長より那須支部長の佐藤都葵さん(八十八歳)が十二月五日に亡くなられ、九日の葬場祭が忘年句会の当日と重なってしまったので、前日八日の通夜祭に、県白魚火の代表として鶴見会長、柴山さん、加茂さんの三名が弔問に伺ったとの報告を受けました。奇しくも葬場祭と忘年句会が同じ日となったのも佐藤都葵さんの俳句に対する強い想いの現われと思いました。踊りの大好きだった佐藤都葵さんの全国大会でのあの艶やかな舞姿が目に浮かびます。心よりご冥福をお祈りいたします。
 句会後、会場を移して忘年会が楽しく行われました。

作品
天衣無縫無官となりし懐手
つくばひは小鳥の水場石蕗の花
通夜ともす神の杜打つ那須時雨
小春日や小鷺を艫に舫ひ舟
落葉踏む健脚の音たてならし
繰り言のぐつぐつこぼれ根深汁
山眠る地震の崩落さらけだし
膝行りては日向に身を寄す冬の蝶
冬薔薇の庭を裸身で走りぬけ
干柿の分銅軽くなりしかな
スパイスを効かせ男の鍋料理
冬空にジャズ響かせる街若し
銀杏ちる街に一番二番町
落葉道まじめな顔で丸木橋
夜神楽や気になる女神の喉仏
里神楽魚籠より大き鯛を釣る
カクテルに灯の透く十二月八日
黒い雲巻き込んで行く冬夕焼
虫喰いもまた大いなる冬菜かな
讃美歌のとどく巨木の黄落す
梟の仏顔して身じろがず
鶴見一石子
星田一草
加茂都紀女
柴山要作
阿部晴江
荒川政子
江連江女
大野静枝
大寄 健
小川惠子
小林久子
齋藤 都
高島文江
田原桂子
高橋静女
野澤房子
星 揚子
谷田部シツイ
松本光子
丸田 守
和田伊都美


平成20年4月号掲載 句会報
   群馬白魚火矢倉句会
竹内芳子 

平成20年4月号へ 

 矢倉句会は、昭和六十三年の夏に発足しました。鈴木吾亦紅先生をお招きして、指導をして頂いておりました。
 平成九年八月十九日、思わぬ吾亦紅先生のご逝去に、矢倉句会は、途方に暮れました。
 その後、荒井孝子さんを中心にして、いろいろとアドバイスを受けながら今日に至っております。
 会員は、六名です。句会は、月一回月初めに、夜七時より、田中藍子さん宅にて行っております。句会が終ると、それぞれが持ち寄った物を広げて、お茶を頂きながら、句の評をし合ったりします。この一時は、あっと言う間に過ぎてしまって、十一時を回ってしまうこともしばしばあります。
 忘年句会には、藍子さんの特製の「お切り込み」が御馳走になれます。毎年楽しみにしております。 
 新年早々に、孝子さんの「同人賞」受賞のめでたいニュースが飛び込んで来たので、会員一同は大喜びで、早速くお祝いをしようと一月六日、お寿司屋さんの一室を借りて祝賀会を催しました。
 孝子さんの受賞は、会員一同にとりましても大変嬉しいことで、誇りでもあります。
 このように会員に佳きことがあると食事会をしたりします。年に三、四回位あるかと思います。巻頭になったとか、五句欄に載ったとか、地域の行事に参加して好成績だったとか、皆んなで喜びます。
 定例句会は月一回ですが、その他でも結構顔を合せることが多いです。吟行の帰りには藍子さん宅へ寄ったり、孝子さん宅へ寄ったりしてお茶を頂いたりします。
 この楽しい矢倉句会が長く存続するように頑張ってゆきたいと思います。


 二月句会より
ゆるぎなき庫裡の敷石寒に入る
雷動く音かもしれぬ日向ぼこ
大寺の家紋浮き立つ初明り
雪女郎窓打つ風を連れて来し
せせらぎに色みがかれて冬の草
漆黒の帯戸の光る初点前
荒井孝子
田中藍子
中曽根田美子
荻原富江
関本都留子
竹内芳子



平成20年5月号掲載 句会報
   松江千鳥句会
梶川裕子

平成20年5月号へ 

 松江市城東公民館に句会を発足して六年。当時、市立図書館長を勇退された田口一桜先生に御指導をお願して立ち上げた。とは云え、どれだけの人が集るのか不安であったが、白魚火諸姉の協力もあって、現在十三名。頃合の人数ではないかと思う。
 何しろ、松江は京都、奈良と並んで国際観光都市。宍道湖を眼下に重要文化財の千鳥城。八雲旧居から武家屋敷。更にこの街並を内濠、外濠と船頭の説明や唄をきき乍ら十六橋を潜り、一巡する屋形船。冬は炬燵舟となり、夏は風鈴が涼しい音をきかせる。
 宍道湖の朝の蜆舟。沈む夕日は一日とて同じではなく、全国でも有名で、沈んだ後がなお美しい。紫陽花の盛り、歴代の藩公廟所も庭園を眺め乍ら書院で銘菓と抹茶一服。藩公の楽山公園は睡蓮が池を埋め咲く。吟行には事欠かない。
 ところが、十八年一月、田口先生の急逝。優しく指導して下さっただけに衝撃は大きかった。
 折角ここまで来た句会。途方にくれていた所、編集長である安食彰彦先生のお蔭で、福祉関係で御多忙の澤弘深先生が引継いで下さる事になった。田口先生同様、優しく懇切丁寧に指導して下さるので、一同大安心。澤先生は、亡き栗間耿史先生と机を並べてのお仕事の関係で、毎日の様に句会を持った事など、楽しくお話して下さる。
 第四金曜日の午後は、千鳥句会の為に時間を割き、その上、三句づつそれぞれの句を会報として配ってくださる。公民館の文化祭には、短冊を一枚づつ出品。又月毎に公民館玄関には、短冊を掛け替えている。

十二月句会より
浮き沈む鳰の水輪のをちこちに
冬晴れの箒の音や大手門
鬼門橋舟伏しとほる花八ツ手
動かざる石の青鷺藪柑子
初時雨傘の置かれし山の駅
潮騒の風にのりたる穂綿かな
石垣の反りさはやかに冬日影
相客と堀川舟に年惜しむ
ああああと赤子と語る小春かな
背の入りし夫にしたがふ冬の道
透明な埴輪が坐せり秋夕焼
雲の影乱して鳰の潜きけり
澤 弘深
安達美和子
井筒生子
稲村貞子
岩成真佐子
佐々木よう子
西村松子
福村ミサ子
ト蔵百合子
吉岡柏枝
吉岡光浪
梶川裕子


平成20年6月号掲載 句会報
    函館新葉俳句会
西川玲子

平成20年6月号へ 

 『新葉会』は、平成七年、女性ばかりの俳句会として誕生し、今井星女先生の御指導を受け、現在会員は十五名です。平成十三年と十七年に合同句集を発行しております。年令、俳歴も巾広く、又、講師をされていたり、仕事を持っていたり、子育て中・家族の介護中等、立場も様々ですが、俳句を作りたい≠ニいう思いと、皆女性であるという事は共通しております。
 句会は、毎月第三木曜日の午後から町会の一室をお借りして行っております。五句投句、七句選句し、それぞれが披講・選評を行い、星女先生が各人の選評をされ添削をして下さいます。星女先生が、ひとつの文字を変えるだけで、ひとつの言葉を入れ換えるだけで、十七文字の世界が生き生きとし、ぼんやりとしていた景色が目の前に鮮やかに広がってゆきます。とっても感動します。どんな句を作っても「とってもいい」とほめて下さいます。どんな事を聞いても、星女先生はじめ先輩の方々が、いろいろ優しく教えて下さいます。時には脱線し、季節の料理教室になったり、函館や日本の歴史、道内はもとより日本各地の話や“国語”の時間になったりもします。俳句を通し、日常の生活だけでは知る事の出来ない多くの事を学ばせていただいております。
 これからも星女先生の御指導を受けて、会員の皆と和気あいあいと、「よく見て観察」し「見たまま感じたまま」を「きれいな、やさしい言葉で」で十七文字の世界を深めてゆきたいと思っております。

 三月句会より
ラテン語を学ばん冬のトラピスト
火の山の裾野の沼に残る鴨
堀り出せる越冬キャベツ湯気を吐く
蕾抱く一等席の君子蘭
街中を流れる川や猫柳
おしやべりも良薬として日向ぼこ
墨液の馴染む筆先春近し
チューリップ元気出せよと五十本
贈られしコサージュ胸に卒業す
いつまでも母に寄り添う仔馬かな
紫の袴凛凛しく卒業す
春隣今日はどの服着ようかな
姑の居ぬ部屋は椿の花ざかり
大安の吉日えらび雛飾る
レシピ付け蕗のたう売る道の駅
今井星女
内山実知世
赤城節子
吉田智子
三浦昌代
山田春子
広瀬むつき
山下恭子
西川玲子
吉田志希子
岡田万由美
細越登志子
白崎信子
堀口もと
橋本喜久子



平成20年7月号掲載 句会報
   鹿沼いまたか句会
鷹羽克子

平成20年7月号へ 

 昭和五十六年五月、県立今市高等学校、すなわち今高に誕生した、ちょっと変わった名称の句会、いまたか句会は二十七才になる。
 橋田一青先生に御指導をいただき、職員を中心に学校関係の者で構成されていた。
 一青先生は鹿沼にお住まいで今市まで足を運ばれ御指導下さったが、鹿沼在住の職員もいて、活動の拠点が鹿沼に移ったのであった。その頃から会員の大半が定まって来たように思われる。
 吟行も時々行われ、現在ではほとんど見られなくなった天然氷の切り出しや、大麻の生産なども連れて行っていただいた。大変貴重な吟行となった。
 しかし、平成十三年五月、橋田一青先生は他界されてしまわれた。その後は星田一草先生に代表をお願いして御指導いただいている。現在会員数は十五名、句会出席者十二・三名というところ、亡くなられた方や、退会された方もあるけれど、入会下さる方もあるので、ほとんど会員数は変わらない。活動しやすい人員といえようか。
 月一回の句会は、五句出句、互選の後の感想や意見交換も和気藹々で句作の向上にも繋がっていると思われる。楽しい会である。
 鳥雲集同人の星田一草先生をはじめとし、実力者揃でもある。白魚火誌の句作は勿論、みづうみ賞や、六百号記念特集号で見られるように随筆賞など大活躍のメンバーである。
 毎月、皆さんのすばらしい作品を、楽しみながら、仮名遣に注意し、句稿としてまとめている私である。

五月句会より
聖五月雨の明るき大銀杏
夏燕棚田の空を逆落とし
ぺたぺたと踏まる五月の板廊下
新樹光うさぎ放して遊びをり
五月祭銀の靴履くピアニスト
登り窯奥まで見ゆる五月かな
一升餅背負ひ一歩の五月かな
石仏のかんばせ洗ふ新樹光
桐の花また山の色深まりて
山も木も大きくなりて五月入る
なめらかに流るる川の五月かな
シーソーの高き笑顔やさくらさく
蜜蜂の息もつかせぬ藤の花
各駅をふらりとおりる五月かな
子規旧居小さき空の新樹光
星田一草
宇賀神尚雄
大野静江
桑名 邦
斉藤 都
柴山要作
高内尚子
高島文江
田原桂子
永山民子
星 揚子
本倉裕子
山口菊女
山田三恵子
鷹羽克子


平成20年8月号掲載 句会報
    旭川白魚火句会報
三浦香都子

平成20年8月号へ 

 旭川白魚火会は、長い経歴を持つ句会です。始まりは昭和四十年。初代会長は鈴木一晴氏、二代目は藤川碧魚氏、現在は三代目の会長で坂本タカ女氏、顧問には、先師西本一都と共に各句会に参加していた宮野一磴氏と、現在まで幅広い指導で会員を育てている方々です。
例会は月二回、第一と第三土曜日に七句投句七句選で行なわれています。先師西本一都の指導を受け学んで来た方々から、三代目の会長坂本タカ女氏になられてから入会した方までの、十八名の会員による句会です。当日欠席の場合は、不在投句で句会に参加されています。
新しく入会して来た方々の俳句への印象は、今まで何気なく見ていた草木、鳥、動物、風景など、季節の移り変わりなどが、肌で感じられる楽しさと、作句に夢中になる静まり返った句会場の雰囲気、その後の句会にあるようです。平成十五年、旭川で開催された白魚火全国大会は、入会間もない会員達の大活躍の場になりました。皆で何度も話し合い、考え行動していく中で、お互いが俳句と言う絆で、何でも話し合える仲になりました。
各地で開催される全国大会へ参加する楽しみにも繋がり、今日まで続いております。
時には句会後の居酒屋でのカラオケ、俳句談義など、これが句会の緊張感、その後の開放感、またお互いをよく知り合える場にもなり、作句する上での大きなエネルギーにもなっているのです。お互いが良きライバルであると共に、刺激を与え合う良き仲間になりました。

終生の牛の耳標や聖五月 
公式玄関市民玄関遅桜
青鷺の夕べの帰巣前山に 
余花の雨五十三年ぶりの友 
街薄暑玻璃のわが影正しけり 
蝮草沢の奥にも日を溜めて 
ままごとのお客となつて花の昼 
夏来る水琴窟の音を拾ふ 
かつこ鳥もうそろそろや青信号 
牛の枷人間の枷丹生の雨 
軽鳧の子のうかと塒を通りすぐ 
残り鴨人を遠ざけたる瞳 
かつこうや歩くと決めて歩くなり 
口上のほらほらほらと宵宮かな 
万緑の一枚の葉の緑かな 
みどりごを抱きて湯に入る聖五月 
春の蝉瞼重たくなりにけり 
親は子を子は親を追ひ軽鳧育つ 
タカ女
一磴
光汀
三都夫
休光
美代子
喜久江
野歩女
敬子
純一
早知
布佐子
峯子
紀子
佳範
さつき
靖子
香都子



平成20年9月号掲載 句会報
   中津川白魚火 硯墨会
井上科子

平成20年9月号へ 

 私達の句会の名前を「硯墨会」と言います。硯と墨の会?不思議に思われる方も居られるでしょう。もとはと言えば、習字の集りなのです。故沢田早苗先生のお勧めで俳句を始めることになりそのまま移行し使っています。
 句会は、当初故沢田早苗先生に御指導を受けていましたが御高齢と言う事で、平成十六年九月より橋場きよ先生の御指導をいただいて居ります。
 それより三年八ヶ月会員三名が、月一回十五句投句にて句会を開いています。会員三名は少し淋しいのですが何と言っても、先生の御指導が届きそれぞれに意見を出し合う事が出来ます。一番嬉しいのは披講の後に掲出句全句について先生が丁寧な評をして下さる事で、少人数だからこそと思いながらも先生には感謝しているところです。
 時には、来月は会場を変えて・・・と言う事になり、先日は島崎藤村の菩提寺でもある「永昌寺」にて句会を開きました。当寺の十世桃林智仙は、「夜明け前」の「松雲」のモデルであり永昌寺も「万福寺」として登場している所です。そんなに大きなお寺ではないのですが、庭の手入れも行き届き本殿と客殿との間を太鼓橋でつなぎ建物と庭に調和した珍しい造りとなっています。句会の後は、精進料理に舌鼓、朱の碗の五目の白和え、素朴な塩味の菜飯、話も弾み楽しいひとときでした。
 木曽の大自然の中に四季の移ろいを感じられ句会には、とても良い所です。
かたかごの花うつむけるおもひごと
白梅や顔も知らざる姉の墓  
浅利より出でし小蟹を飼ふと言ふ
永き日の誰からも来ぬ電話拭く
アトリエの主人不在や藤垂るる
百片を襲ねて軽き白薔薇
新茶・古茶母の指輪の話など
燕の子幼き頃の口喧嘩
きよ
きよ
延子
延子
道子
道子
科子
科子
 早苗句会の先輩方と御一緒する事もあり、熟練された俳句の豊富な言葉とその使い方季語の据え方にと、とても勉強になります。
 また、長野県飯田の方と合同句会を開いています。まだ四回目ですがいつもと違う雰囲気の中多くの俳句に触れる事の大切さを感じる句会となっています。
 この合同句会も、回を重ねながらひとつの良い形となり定着するのを願っています。



平成20年10月号掲載 句会報
     飯田白魚火句会  
大澤のり子

平成20年10月号へ 

  飯田白魚火句会は、会員十二名で、年一回の吟行句会と、懇親会を持ち最近の句会は昨年十月に開催しました。又、中津川白魚火よりお誘いいただき交流会に参加し、橋場先生をはじめ素晴らしい皆様の活き活きとした雰囲気に、大いに刺激を戴き、俳句への意欲が湧いて来る気が致します。
 一方、故伊東敬人先生のご指導で昭和六十三年に出来たサークル「かざこし句会」があります。現在は男性五名女性六名計十一名で、月一回の句会を開いております。平成十五年二月には敬人先生の急逝で途方にくれましたが、菅沼公造さんを中心にして、諏訪市在住の宮澤薫先生にご指導戴き、途切れることなく俳句を楽しんでおります。
 このかざこし句会も昨年は二十周年を迎えることができ、作品集「かざこし」第二十集ができました。本年二月には、全面結氷で、御神渡りが見られた諏訪湖畔を吟行し、一泊二日で二十周年記念のお祝いをいたしました。
 白魚火のモットー「わが俳句足もて作る犬ふぐり」を肝に銘じていますが、吟行句会はなかなか開くことができません。そんな中、六月には駒ヶ根市の名刹「光前寺」へ出かけました。出席は少人数でしたが、霊犬早太郎の伝説、光苔、重要文化財の弁天堂等信州ではよく知られた天台宗の古寺を散策して静かな一時をすごしました。
 会員それぞれ、家庭のこと体調のこと種々の問題をかかえながらも、それ故に俳句の魅力に取り付かれた者ばかり、仁尾主宰をはじめ白魚火の皆様のご厚情に感謝しつつ頑張って参りたいと考えております。
 尚、飯田白魚火の他サークルについての記述を省かせていただくことお許しください。
   六月句会より

荒梅雨を吐き出す渓の発電所
早太郎忍び歩むや夏木立
石の間に星座の如し光り苔
白壁に影を残して桐の花
むき出しの仁王の眼風薫る
菅沼公造
後藤泉彦
本田咲子
佐川春子
大澤のり子 



平成20年11月号掲載 句会報
   高知白魚火会
川崎久子

平成20年11月号へ 

 年間の日照時間日本一、降水量日本一「これなに」実は、これが高知の気候なのです。だから白・黒はっきりしているのも県民性、こんな高知に白魚火会が発足したのは、平成十五年徳島の川崎ゆかりさんからのお誘いで、一も二もなく三人の会員で始めました。会員数七名となりました平成十五年十一月より石橋莫蓙留先生のご指導を頂くようになり俳句のいろはから教えていただき平成十八年の全国大会に参加する事もできました。現在会員数八名で毎月添削して頂いておりますが、提出句全句に先生の丁寧な説明がございますので皆で持ち寄り勉強しております。
 先日九月七日句会報の写真をと言う事で、徳島より莫蓙留先生他三人ご一緒していただき五台山牧野植物園にて句会を開きました。園内には、牧野富太郎博士が名前を付けて発表した品種をはじめ、日本の植物の約半数に匹敵する三千種が成育しています。広大な敷地には、四国霊場三十一番札所・竹林寺に続く「遍路道」も見られます。
 当日は、秋とは名ばかり真夏を思わせる暑さでしたが、ここだけは別格で、彩り豊かな花々に目を奪われ、歴史の足跡を感じながらの楽しい句会となりました。

   九月句会より
五台山より二期作の稲孫かな
秋暑し喉半分に鳴く烏
蟷螂の注目集め登りけり
蝉の声ずつと鳴いて止まりけり
新涼や水たつぷりの鉢の菅
ついと来て肩に止まりし蜻蛉かな
風上に並びては飛ぶ赤蜻蛉
地底より風登り来る夏の洞  
挨拶の声のつまりし残暑かな
暗闇に夕顔ほのと浮かびけり
せせらぎの貴船の村の夏料理
葛の花置き薬屋の入替え日
茣蓙留
ゆかり
菜央
葉月
美冨士
幸子
英子

みよ子
由紀子
正枝
久子



平成20年12月号掲載 句会報
     ウイエペツ俳句会  
五嶋休光

平成20年12月号へ 

   北海道の北部、日本海に面した農林漁業の町、遠別町はアイヌ語の地名ウイエペツ(相話する川)を音訳したものですが、これをそのまま句会名としております。
 昭和五十六年五月、遠別公民館による俳句講座(週一回、二か月間)が開催されました。
 講座終了後、俳句会として移行しようとのみんなの希望により七月に会員二十名によりウィエペツ俳句会として発足しました。
 以来、毎月第三水曜日を例会日と定め現在まで一度も休むことなく続いております。
 例会は兼題を含み四句を投句、それをB4の紙に筆書きにより清記して壁に貼り出し披講、七句選をした後、感想や選評をします。批評はなかなか賑やかで辛口評もあったりでお互の刺激や励みとなり楽しんでおります。翌日、書記が纏めコピーし会報として全員に配布しており、九月例会で三百十二号となりました。
 現在の会員は十二名ですが、その中、白魚火を拠り所として励んでいる誌友同人八名が会の中心となって運営を担っており、例会の進行、会報の発行などと活躍しております。年に一、二回日帰りの吟行会、公民館ロビーに四季毎の短冊掲出、町民文化祭には発足以来毎年参加しているほか町の広報紙や新聞社の文芸欄に発表を続けております。また合同句集を発足五周年の節目に、第二句集は二十周年の際に発刊して各方面からお褒めを頂戴しました。
 今後の課題として高齢化に伴う会員減を補うため、特に若い世代を誘って会の活性化を図っていきたいと申し合わせております。
 

虫の闇言葉を選び手紙書く
秋雲の湧き立つ有珠山羊蹄山
蓮巻葉何か秘め事ありさうな
日矢射せる水平線や秋の夕
飛行機雲じやが薯選ぶ手を休め
鮭網のひと息つきし男たち
立ち止る余白のほしき花野かな
捗らぬ身辺整理秋の雨
信じられない訃報なりけり秋の雨
昨日今日明日をも知れぬ散り柳
逝かれけり月見の句座に坐る人
爽やかな風に包まれ散策す
稲びかり独り住まいの身の置き処
高橋圭子
国谷ミツヱ
(故)佐久間和子
加藤数子
森野糸子
守屋ヒサ
家入麗子
鈴木久栄
佐々木艷子
別段典代
川上政志
小山踏尾
田中清春


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