最終更新日(Update)'08.12.19

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第640号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    源 伸枝
「十三夜」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
辻すみよ、 佐藤升子ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 39
・白魚火作品月評    鶴見一石子 41
・現代俳句を読む    中山雅史  44
・百花寸評        今井星女 46
・「俳壇」12月号転載 48
・ひとり旅 (こみち) 西川玲子 49
・俳誌拝見「方円」8月号  森山暢子 50
句会報 ウィエペツ俳句会  五嶋休光 51
・栃木白魚火群馬白魚火合同俳句鍜練会 52
・今月読んだ本      弓場忠義       54
・今月読んだ本     牧沢純江      55
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          竹内芳子、大城信昭 ほか
56
白魚火秀句 仁尾正文 103
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(東広島) 源 伸枝

毛糸編むかたへに嬰を睡らせて 上川みゆき
      (平成二十年二月号 鳥雲集)
 外国の映画の一コマを見ているような、ほほえましい句である。暖かく幸せな気持ちにさせてくれる。赤ちゃんの帽子でも編んでいるのであろうか、それとも小さい靴下か…穏やかな母親の面差し、時々笑みを浮かべながら安らかに眠る幼子、幸せ一杯である。子供は母親を信じ、母に頼って生きている。しかし、その母親によって幼い命を絶たれると云う、ニュースが最近良く放映されるが、これ程悲しく、心痛む事件はない。最愛の母に幼い命を奪われた子供達の、天国での安らぎを祈るほかない。日本の子供達が、いや、世界の子供達が、掲句のように幸せでありますよう心より祈る。

小児科の聖樹は昼も灯されて 渡邊喜久江
        (平成二十年二月号 白光集)
 今小児科の医師不足、新人医師が小児科を敬遠すると云う事が起きている。子供達の生と死を見つめる医療現場は大変だと思うが、あのあどけない笑顔の子供達の命を、一人でも多く救ってほしい。小児科の医師が大勢おられ暖かい手を差し伸べて頂きたいと思う。掲句は小児科のホールに大きな聖樹が飾ってあるのだろう。毛糸の帽子を被った幼い子、又は、点滴のスタンドを持って、クリスマスツリーを見上げている子、辛い治療のあいまのホットした一時を楽しんでいる様子がうかがえる。一日中ツリーが輝いている様子が想像出来、看護師の暖かい気持も伝わって来て心あたたまる。ツリーを見たいと思っても病室を出られない子供達もいるのではないか。掲句を読み、さまざまな事が想像されて心が痛み、子供達の快癒を祈らずにはおれない。 作者も聖樹を見ながら、病む子供達の一日も早い退院を願っておられる事と思う。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 
 秋 の 里  安食彰彦

稲架襖青き岬をかくしけり
花芒歩むひとりとなりたくて
大秋晴片眼をつむる辻地蔵
黒錨赤錨置く波止場秋
ねこじやらし番号のつく船揚場
銅剣の谷風敗荷ゆらしけり
神奈備の風に阿修羅の破蓮
銅鐸の音色の澄める秋の風


  捨案山子  青木華都子

午後五時に点く門灯や虫すだく
萩芒活けて韓国大使館
片脚は韓半島に秋の虹
蔦絡む電信柱にも足場
組まれたる棒稲架二列縦隊に
田の畔に寝かされてをり捨案山子
大中小鋏を腰に松手入れ
通り抜け出来る商家の洗ひ芋


 道あれば  白岩敏秀

夕暮れの煮物の匂ひ秋簾
貨車長く無月の橋を渡りけり
飴ひとつ夜長の舌にころがしぬ
運動会水飲んでまた走りけり
曼珠沙華みづうみに波立つてをり
そのままに丘となりゆく花野径
威銃峡のこだまとなりて消ゆ
花蕎麦や道あればなほ奥に村


 秋 日 和  水鳥川弘宇

普段着のままで出掛くる秋日和
売地札眺めてをりし秋遍路
秋の蜘蛛払ふ箒を振り廻す
目鼻立ちあるじに似たる案山子かな
物忘れ自慢してゐる夜長かな
ひとかどの農夫気取りや菜を間引く
秋冷や不整脈にも馴れてきし
男にもある小買物日短


  露       山根仙花

露の野へ露の重さの扉を開く
図書館へ道真つ直ぐに豊の秋
万の書の中の一書をひらく秋
谷走る秋のひびきとなる流れ
海を見て山見て秋を楽しみぬ
草紅葉小川曲れば音曲る
猫じやらし首振つて風呼びにけり
落つるより揉み合ふ水や蓼の花
 雁 渡 し 三島玉絵
秋蝉や城の鬼門の岩不動
島一つ浮かべ意宇なる水の秋
秋海棠の葉に盛る精進料理かな
家毎に橋架け峽の稲架日和
廃業の医院や棗鈴生りに
雁渡し肩寄せ合へる書架の本

  皮茸採り   森山比呂志
生徒より教師の若し夏期講座
茹で栗のまだあたたかき見舞かな
大工町鉄砲町や藤袴
おひねりの投げどころいま村芝居
すれ違ふ篭に皮茸匂ひけり
神の岬めぐりて鷹の渡りけり

 虫 の 声   今井星女
星降りて虫が虫呼ぶ夜なりけり
虫の音と夜風を入るゝ書斎かな
虫の音の一瞬止みて又つづく
灯を消して虫の声きく一と夜かな
俳小屋の四方八方虫時雨
虫の声止むを待たずに寝まりけり

 猪 の 垣    大屋得雄
夕焼の障子の部屋に鮎を干す
とびとびに杭新しく猪の垣
米糠に酒たつぷりと猪の罠
折紙の案山子を飾る山の駅
どろばうと言ふ紫蘇の実を貰ひけり
夜神楽やころころ丸く子が眠る

 雨 月    織田美智子
まだ伸ぶる鉈豆の莢休暇果つ
海沿ひの自転車道路新松子
厄日過ぐ車庫に南瓜の転がりて
きちかうや寺に親子の猫の住む
葛咲いて身幅ほどなる塩の道
降り立ちて雨月の駅でありにけり

 曼珠沙華    笠原沢江
爽やかや箒目未だ乱されず
芯絡み合うてささ搖れ曼珠沙華
曼珠沙華終りは何時か有耶無耶に
浦祭りお船起しの足袋踝足
諦めのつかぬ雲行き月を待つ
蔓荊の色を深めし月の浜

 鳥 渡 る   奥田 積
棕櫚の葉の大きな影や秋簾
発電の風車ゆるゆる秋気澄む
松籟や山門にある昼の月
護摩堂のすさびし縁や秋の蝶
人影のなき神苑や小鳥来る
筏組む太き竹棹鳥渡る

 台 場 跡   梶川裕子
鬼の子のつと動きけり五輪塔
鰡とんで城の影より暮れにけり
台場跡さびさび吹かる猫じやらし
潮入川触るるばかりに石榴の実
新松子石碑小さき母校跡
鷹渡る古地図の中の舟番所


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

     群馬  竹内芳子

はるかより迎へたる師や新酒酌む
大花野ロープで仕切る遊歩道
湯畑は草津のまほら新松子
湯けむりにたつぷり触れて秋惜しむ
     賽の河原
石一つ積めば触れゆく雪蛍

     浜松  大城信昭

山脈を見晴らす軒の唐辛子
コスモスや民話の里の道の駅
中道に沿うて稲架組む千枚田
童謡を流し信濃の林檎売り
土瓶蒸し華甲を祝ふカウンター


白魚火秀句
仁尾正文
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湯けむりにたつぷり触れて秋惜しむ 竹内芳子

 九月二十九、三十日、群馬、栃木白魚火会の合同鍛練句会が草津で行われた。参加者四十六名。第一日目は標高二、一七一メートルの草津白根山。山頂近くまでバスが行けるので火口湖(湯釜と呼ばれている)迄の三十分程の坂道を登っての吟行で下りは急な所を人杖に頼った。二日目は草津温泉の上方、湯の川沿いに下り、この温泉の目玉である湯畑までを歩いた。両日一回ずつ句会を行った。
 さて掲句。高温で湯量の多い草津は源泉が多く町中が湯けむりの中にあるといってよい。まさに「湯けむりにたっぷり触れて」である。「秋惜しむ」の座五も深みゆく秋を愛惜するだけでなく旅愁をも思わせて上々の作品となった。同掲の「湯畑は草津のまほら新松子 芳子」の「まほら」は「真秀」に漠然と場所を示す「ら」の接尾語の付いたもので、すぐれてよい所という意味である。「大和は国のまほらば」と大きく用いることが多いが、郷里の名湯の褒め言葉に用いても違和感は全くない。

山脈を見晴らす軒の唐辛子 大城信昭

 日本のチロルといわれる長野県の旧南信濃村や旧上村からは赤石岳や聖岳など三千メートル級の南アルプスの連嶺が一望できる。掲句からはそのような場所が想像された。近景には「耕して天に至る」程の急峻な畑を耕し続けている人の営みがある。その具象が唐辛子の付いたままの株を二束、三束軒場に吊って貯えているのである。昔ながらの人々の暮しを点景にして雄大な景を荒々しいタッチで描き上げて爽快、正気を貰ったような気がした。同掲の「土瓶蒸し華甲を祝ふカウンター 信昭」の華甲は「華」を分解すると六つの十の字と一とになる。「甲」は甲子で数え年六十一歳、つまり還暦である。カウンターで還暦を静かに祝っている図だ。
 
風ぐせのつきし白根のななかまど 篠原米女

 草津白根山は活火山である。過去何回も噴火し鎮静化するとだんだんに緑化してくるが樹木の繁茂状態を見ると、この辺が第一期の噴火、この辺から第二期でないかという大凡の見当がつく。ななかまどは熔岩原に強い植物のようで緑化の先頭を切っていることに感嘆した。這松のように背を低くして上方に這い登っている。作者は「風ぐせのつきし」と写生したが核心をついている。昼夜の寒暖の差が激しいのでここのななかまどは葉も実も真紅で美しかった。
 
木柵の萩枯れ初めし野風呂かな 田中藍子
 温泉旅館の露天湯はパターンが似ているせいか秀句に恵まれない。対して温泉の源泉があちこちにある草津では湯が掲句のような所に噴湧している。脱衣などの設備はないが無料である。それが野風呂、野趣に溢れる言葉である。

小兵なれど秋の蚊のジャブ食らひけり 柴山要作

 ジャブは、ボクシングで腕だけで小きざみに相手の顔などを打つこと。一度のダメージはさ程でないが間断なく打たれるとじわじわ効いてくる。小粒の秋の蚊は音もなく近付いてきて払うとすぐ逃げるが、気がつく蚊の腹が万杯になる程血を吸い取られている。一句は軽妙な語を連ねてぴりっとした味を出している。

秋灯不得手で拾ふ叔父の骨 小松みち女

 不得手は利き手の反対の手。弔いは全国各地で種々様々のやり方であるが奇っ怪なものが多い。掲句の不得手同志が箸一つで骨を拾い合ったり、死装束の着付や足袋などを逆にしたり。誰に尋ねても「昔からのしきたりで」としか答は返ってこない。死神が近寄り難いようにという願望なのだろうか。

三日月や波は浜辺を研ぎにけり 田口 耕

 一句の中に「や」「かな」、「や」「けり」という強い切字が二つ用いることは禁忌となっている。ところがリズムの上では「や」「かな」は調子のよいせいか投句稿の中には結構多い。掲句も「や」「けり」であるが中句に「波は」と「は」が入っているので禁忌が解ける。この「は」を抱字という。作者はそのことを熟知していたのか偶然であったのか知らないが…。広辞苑では「抱字」について「俳諧で一句の中に置くことを避けるべき二語の間に他の語を挟んで句をまとめる時、その挾んだ語の称。例えば「降る雪や明治は遠くなりにけり」(草田男)の「や」と「けり」の二つの切字の間にある助詞「は」の類と解説されている。
 草田男の「降る雪や」は名句であるが「や」「けり」について明解な鑑賞をした者は殆んど居なかった。が、抱字ではっきりした。「胸の手や明け方は夏過ぎにけり 波郷」も又抱字を用いた例である。

    その他触れたかった秀句     
気仙沼の秋刀魚届けり生で食ふ
裏山より夜がしのび寄る茸汁
思ひつきり種を飛ばして通草食ふ
試着室より秋服の妻出でし
白樺火口湖にある秋思かな
木犀の匂ひぶくろを風つつく
里芋の一鍬余す子沢山
冬瓜を包む風呂敷こま結び
流星や今日生き明日のこと知らず
白桔梗忘れ形見のうり二つ
島田愃平
青砥静代
松原政利
五嶋休光
尾下和子
金子フミエ
良知由喜子
村田相子
高橋静女
内田景子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

        辻 すみよ

咲くほどに蕊の絡まる曼珠沙華
一望の目に安らかな穭かな
いく度も雲を被きて今日の月
芋虫の波打つやうに進みをり
風を切る羽音確かに小鳥来る


         佐藤升子

虫籠を枝に残して越されけり
秋潮の匂へる橋の真中かな
まつむしさう蜂の重きを許しをり
初鴨の川面を広く使ひけり
ポケットに何時か拾ひし木の実かな


白光秀句
白岩敏秀


一望の目に安らかな穭かな 辻すみよ

 この句、まさに日本の秋の風景。稲刈りが早まった昨今ではあるが、穂の垂れた稲を見るより刈田の方が秋を強く感じないだろうか。
 先日まで稲穂を垂れていた田に、ある日突然コンバインが騒がしい音を立てたと思うと田は一面の刈田になっていた。
 「安らかな穭かな」の表現には今年が豊作であったこと、無事に収穫を終えた安堵も含めていよう。読む者の気持ちまで豊かにしてくれる句である。
 人影の居なくなった田には穭が穏やかに揺れているだけである。稲と共に生きてきた日本の秋がここにはある。
芋虫の波打つやうに進みをり  
 これがまさしく芋虫と破顔一笑したのちに何やら淋しくなってくる。「放屁蟲エホバは善と観たまへり 川端茅舎」の放屁蟲は神から存在を許されている。勿論、この芋虫も然り。存在を許されているから懸命に生きる。そう思うと芋虫がいじらしくなる。
 決してスマートとは言えない芋虫の動きも、俳人の手にかかるとかくも美しく詠まれてしまう。          

初鴨の川面を広く使ひけり 佐藤升子

 私の家から二百メートル離れたところに川がある。小さくもないが、大きくもない。橋の長さが八十メートルぐらい、流水幅が三十メートル程度である。
 その川に今年も番の鴨がやって来た。辺りに仲間の鴨が居ないので、川面を思うさまに泳いでいる。作者のご覧になったのはこんな光景だったのであろう。
 初鴨だけのたっぷりとした空間とゆったりした時の流れ。鴨には今が無上、最高の時なのだ。           

稜線のすかつと旭岳粧ふ 五嶋休光

 とある日の旭岳の稜線は際やかであった。激しい風雪に削られた稜線は、刃のような透明感をもって作者の目に映ったのであろう。その印象が「すかつと」の言葉で表現されている。しかも、胸のすくような「稜線のすかつと」のフレーズと「旭岳粧ふ」との声調を変化させた微妙な間合いも新鮮。
 旭岳(標高二、二九○メートル)は大雪山の主峰。大雪山はアイヌの人達からカムイ・ミンタラ=「神々の庭」と呼ばれている。
 紅葉の旭岳もやがて雪の旭岳に移っていくことだろう。

秋の灯や園児まだゐる保育園 島田愃平

 釣瓶落としの秋の日が沈み、灯の点っている保育園。保育園には迎えに来てくれる母親を待つ園児がいる。
 おとなしく遊んでいる園児ではあるが、外の靴音や人声には敏感に反応している。音や声が迎えでないと分かるとまた保母との遊びに戻る。
 灯の点いた保育園には、描写されていないが、園児の相手をする保母の懸命な明るい姿が見えてくる。

漱石も虚子も根岸に獺祭忌 大石越代

 獺祭忌は正岡子規の忌日で九月十九日。子規忌、糸瓜忌。
 漱石も虚子も共に子規と親しかった人。獺祭忌に子規の住んでいた根岸で顔を合わせても不思議はないが、どんな話をしたのだろう。
 子規が亡くなった時、虚子は子規の枕頭にいたが、漱石はロンドンに留学していた。
 漱石は子規の訃を聞いて「手向くべき線香もなくて暮の秋」(五句中の一句)と詠み、虚子は「子規逝くや十七日の月明に」(二日違っている)と詠んでいる。
 俳句、短歌の革新を目指した子規の三十六歳は若い死であった。

小鳥来て庭が明るくなりにけり 高橋陽子

 秋草の花もあらかた終わり、赤い木の実も少なくなった。庭の一木一草を知り尽くしている作者には淋しい毎日である。そんなある日、庭に小鳥が来てくれた。
 小鳥が庭を明るくしたのではない。作者の気持ちを明るくしてくれたのである。小さな鳥から貰ったこころの大きな変化。読み手にも素直に明るさが伝わってくる。

人麻呂の袖振山に雁渡る 武田美紗子

 「石見のや/高角山の/木の際より/わが振る袖を/妹見つらむか」(柿本人麻呂 万葉集巻二―一三二)。これは奈良へ帰る人麻呂が現地の妻との別れを惜しんで、石見の高角山で詠んだで歌である。
 高角山は明らかでないが、江津市東方の島星山(標高四七○メートル)を地元の人は袖振山と呼んでいるのだろう。
 作者は去るものと来るものの遥かな旅路に思いを寄せているのであろうか。或いは、来る雁に都から戻る人麻呂の姿を重ねているのだろうか。袖振山は作者の思いをよそに秋を深めている。

登高や欲の一つを捨てて来る 井上科子

 仏教で五欲と言えば、色・声・香・味・触。今では財欲・色欲・飲食欲・名欲・睡眠欲であろうか。
 作者の欲は高きに登って捨てられる程の軽傷の欲。健康な欲の解消方法である。
 欲を捨てた軽い足取りで、また平安な日常に戻っていく作者の後ろ姿が見える。

    その他感銘句
十五夜の海金箔の波がしら
秋めくや喪服に袖を通すとき
初紅葉庫裡より笑ひ声のして
ちちろ鳴く回り舞台の奈落かな
稲刈りの農婦の腰の束ね藁
ほうほうと鵜匠のこゑや秋の川
五六歳若く見られて秋日傘
爪はじきされしか星の流れけり
秋彼岸趣味べつべつに老いにけり
百年の蔵百年の金木犀
須藤靖子
森 淳子
藤元基子
高橋見城
村松典子
小林久子
稗田秋美
高橋圭子
重岡 愛
鮎瀬 汀

禁無断転載