最終更新日(Update)'09.09.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第648号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    池田都瑠女
「忍冬」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
村松ヒサ子、西村松子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 磐田「槙の会」  黒崎治夫
今月読んだ本      弓場忠義      
今月読んだ本     牧沢純江     
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          渡部美知子、弓場忠義 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(松江) 池田都瑠女

水打ちて庭の疲れを癒しけり 川本すみ江
       (平成二十年十月号 白光集より)
 玄関先の敷石や砂、露地通りも灼ける日中の午後、少し陰りができるころ打水をします。
 幼いころ、水汲みの箍に柄杓で水を打ったものでした。今は撒水用のノズルがあって便利。
 じゅーっと音たてて、むっとする熱気のあと、暫くして涼しい風が流れるとホッとするひととき――
 庭も、通りも、おまけに人々も、お疲れさまと癒されるのです。

甚平を一日遺影の前に置く 計田美保
    (平成二十年十月号 白魚火集より)
 甚平、見た目にも涼やかな真夏のくつろぎ着です。私は子供のころ、じんべさんと呼んでいました。
 「遺影の前に置く」、とあるのは、生前に着用されていたものと推察します。そしてこの句の作者は、甚平の主の在りし日を憶い浮かべておられたことでしょう。 奇しくも、東広島の地で二男を亡くした私には、この句に感慨深いものを憶えました。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 
英国庭園    安食彰彦

ガーデンにめまとひ連れて来りけり
蔓薔薇の力の限り咲きにけり
萍に小さき水輪のはばまれて
英国の四阿薔薇を侍らせて
風に伏し風に抗ふ忍冬
未草刻まだ来ぬに音もなく
のつけから雨蛙鳴く隠池
紫の蛍袋の咲くころに


 万 緑    青木華都子

万緑のど真ん中なる山の駅
身だしなみほどの香水耳朶に
麦秋や引かれて戻る競走馬
夏落葉踏む足音に追ひ越さる
樟大樹およそ十坪の木下闇
晩年に少し間のあり青芒
朝まだき遠郭公の二た三声
窓といふ窓全開に梅雨晴れ間


 飼育当番   白岩敏秀

ぼうたんの影重ねつつ日は午後へ
村中へ日のゆきわたる柿若葉
花水木鳩にベンチの端譲る
遠くほど海のかがやく砂丘初夏
初夏の川音の流れてゆきにけり
居残りは飼育当番豆の花
そら豆のぽんと個室を飛び出しぬ
飛びたちて水の匂ひの初蛍

 著莪の花    坂本タカ女
雪囲とる煤けたる帽子かな
踵より靴を脱ぎけり花疲れ
如月の鉄瓶下げし炉鉤かな
駘蕩や置くほど美味か芋焼酎
底抜けてゐる丸木舟座禅草
著莪の花大山道中貼交図
神仏や朝の日ざしの春障子
生命の実相を読む亀鳴けり

 八十八夜    鈴木三都夫
牡丹の紫深き愁ひかな
面影を止めず崩れたる牡丹
しどけなく皮脱ぎ終へし今年竹
親竹の落葉を急ぐ竹の秋
砂丘とは茅花の風の起伏かな
浜豌豆砂丘に還る濃紫
舟虫に遁走といふ生くる知恵
かがなべて八十八夜新茶酌む

 梅雨兆す  水鳥川弘宇
荒物の出店一軒春まつり
地響きのして海風の初幟
松の花三軒にして二軒茶屋
抱へ来し洗濯物の薮蚊かな
麦秋の眩しさにあり駅ホーム
麦秋や小城羊羹の町に入る
薬だけ貰つて帰る麦の秋
刃物屋に選ぶ爪切り梅雨兆す

 雲 と 水   山根仙花
田水張り棚田一枚づつ重し
水満ちて夕べ安らぐ植田かな
植ゑし田へ洩れ灯沈めて村ねむる
麦秋の波の果てなる一戸かな
楽流れ白き椅子置く薔薇の前
雲と水野に光り合ふ五月かな
こまごまと風に夏めく木々の影
ひとり行く旅の続きの髪洗ふ


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 樟 若 葉   源 伸枝
立読みはファッション雑誌風薫る
面を打つ竹刀の音や樟若葉
青芝に座るスカートふくらませ
鉋屑くるくる茅花流しかな
青鷺の足踏みかへて佇ちつくす
豆飯を炊きて雨読のひと日かな

 薫 風  横田じゅんこ
若鮎の跳ねたる姿串刺に
足裏に探る浅蜊のあるはあるは
かすみ草足して花束仕上がりぬ
あぢさゐを剪りて二の腕濡らしけり
蛍呼ぶ男の声のしてゐたり
薫風の見ゆるまで拭くガラス窓

  青葉木菟  富田郁子
神ほとけ多き銀山青葉木菟
寺涼しクルスを胸に地蔵尊
長持に葵の紋や葵咲く
万緑に青ざめてをり掘子墓
間歩までは歩くほかなし閑古鳥
間歩出でし肩に常磐木落葉かな

 与一の空   鶴見一石子
的のなき与一の空へ草矢打つ
蜻蛉の羽化生臭く眼に鼻に
奔り来る飛騨の流水葛桜
鉋屑両手で払ひ三尺寝
県庁のビルに総立ち栃の花
口笛を吹き草笛を鳴らしけり
 草 笛   小浜史都女
草笛の上手になりて誰もゐず
透けてゐるほたるぶくろの中の蜂
木苺をふふむも独りひとり歩す
ほろほろと鳥はらはらと花いばら
天領も一揆も遠し花うばら
鉾先を揃へ括らる淡竹の子

  薔 薇   小林梨花
少女子の薔薇の雫に手を濡らす
青芝に立つや笛吹き少年像
祝婚のベルの鳴り出す薔薇の苑
車椅子薔薇のアーチを潜りけり
薔薇の香に時を忘れて了ひけり
捜し当て栞る四つ葉のクローバー

  麦 秋   渡邉春枝
酒蔵のつづく八十八夜寒
麦秋や象がサッカーボール蹴る
太閤の井戸を住処に青蛙
母の日の笑ひすぎたる涙とも
老斑も生きゐる証更衣
忙中の閑あり百合の花ひらく

 四 万   田村萠尖
濃く淡く朝靄あがる藤の花
紅白の継ぎ目際立つさくら草
鶯や谷のしじまを独り占め
師の句碑のそびらの四万の河鹿笛
街道の面影拾ふ松の芯
花桐や風通しよき無人駅

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    出雲  渡部美知子

女生徒に囲まれてゐる武者人形
麦秋や農学校の始業ベル
茶柱を一気に飲みし芒種かな
反り著き鴟尾に迫れる青葉かな
白玉にいつも小さき銀の匙


    浜松  弓場忠義

美しき剣を浮かべて菖蒲の湯
青梅や本卦還りの妻とゐて
みづうみの見ゆる駅舎の立葵
サーファーの一人を見つむる日傘かな
ぶつ切の男料理やキャンピング


白魚火秀句
仁尾正文
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白玉にいつも小さき銀の匙 渡部美知子

 古事記に出ている白玉は真珠などの宝石のようであるが、掲句は真夏に好まれて食べられている白玉。糯米を寒晒した白玉粉を練り丸めて小さい玉にして茹であげた団子。冷やして白砂糖や冷し小豆を載せて涼しく食べる。宝石になぞらえられたように美しい食品であるが、庶民の好物になって数百年の歴史をもつ。その白玉を食べるときは銀の匙を取り出して使うというところに白玉への愛惜があり一寸したおしゃれ心が働いているようで面白い。
 かつて東大寺の仁王像の修復が成り落慶式の後歌手のさだまさし(だったと思う)のコンサートが行われた。天平の古寺と近代的な音楽の取り合わせは思いもよらぬことであったが、みごとに調和していて感銘した。
 掲句の白玉を食うのに銀の匙を取り出したということに不思議な感銘を受けたのである。

美しき剣を浮べて菖蒲の湯 弓場忠義

 旧暦五月五日の端午の日に菖蒲の葉を湯船に浸し、これに入浴すると菖蒲の霊力により邪気が払われて身心が清浄になると言い伝えられている。掲句は「美しき剣を浮べて」と菖蒲湯を礼讃している。しらべがよく句姿がすっくと立っていて佳。
 近世端午の日には天皇が出御し、選りすぐられた近衛の兵士の騎射(流鏑馬)の勝者に賞を授けて尚武の気風を盛り立てた。又上賀茂神社でもこの日競馬が行われている。端午に菖蒲湯、菖蒲酒、菖蒲冑、菖蒲刀等々菖蒲を用いた行事が多いので、ショウブの語呂を合わせたのかと思って調べてみたが確たる文献には至らなかった。只一つ「菖蒲を献ず」という季語があり端午の日に武徳殿に出御した天皇に中務省の内薬師と宮内省の典薬寮から菖蒲を進上する宮廷行事があった。尚武と菖蒲はショウブという語呂で繋がるという筆者の推量も全くの的外れではなかったようだ。
 掲句の「美しい剣」は強く胸にひびいてくるものがあった。

忍冬の渡し舟の名ちぎり丸 青木いく代

 先般浜松白魚火会が豊川の支流の渡舟場を吟行した。この渡しは県道であるので船頭は公務員、舟賃は無料であった。
 掲句は舟の名の「ちぎり丸」という固有名詞が面白い。阿久悠作詞の五木ひろしの「契り」の冒頭に「あなたは誰と契りますか」「永遠の心を結びますか」で始まり節の終りに「愛する人よ美しく」「愛する人よすこやかに」という男女の美しい契りを称えた名歌を思い出させた。
 固有名詞については繰り返し繰り返し注意を申し上げているが、未だ、採れないものが投稿されてくる。掲句の「ちぎり丸」はロマンチックな詩語ともいえる固有名詞だ。

梅雨晴れを発つ開港の一番機  大川原よし子

 六月四日富士山静岡空港が開港し、一番機が飛び立った。二十年の歳月をかけ莫大な金を投入し、関係者の苦労の上に成った開港である。静岡県民にとってはめでたく、メモリアルなこの日のこの句を本誌に収録しておこう。

武装して毛虫退治の日課かな 谷美富士

 平畑静塔の「毛虫焼く火を青天にささげゆく」は一樹の毛虫を一網打尽にせんとする勢いのよい秀句である。対して掲句は何らかの事情で毎日少しずつ出てくる毛虫を退治している意気上らぬもの。だが、フードを下した雨具に手袋など武装は万全でなければならない。憂うつな日々の毛虫退治だが実体験の句だという所に強みがある。

一滴に光満ちきて滴れり 野上 晢

 突き出た岩の裏側を水が躙りきて玉になりしばらくしてぼたりと滴った。「光満ちきて」は水滴が膨らんできて落ちる直前の状景を完璧に写生した。絶品の滴りである。

日に何度植田の機嫌見て回る 佐野栄子

 農耕機械が発達して随分と便利になったがこれを制御するのは人間。浮き苗を見つけて挿し直しすることなどは人間でなくてはできない。朝々植田を見回って生育してゆく稲を見ることはこの上なく楽しい。篤農家には植田の機嫌のよい、わるいは一目で分る。

嘴を交す子雀親雀 石川寿樹

 まだ巣の中に居る子雀。親雀が餌を二度三度に分けて与えるのでその都度親子の雀の嘴が触れ合う。「顔中口にして」という描写は手垢がついてしまったが掲句は独自の視点に立って写生して新鮮だ。

五月逝く万年筆の太き線 新屋絹代

 季語と取り合せたものとの距りが限度一杯の所で詠み、よい感性を示した。秀句である。

    その他触れたかった秀句     
半世紀書き来し住所黄水仙
三百年の釣瓶井今に鴨足草
山法師ぱちつと剪つて持たさるる
加勢とも結ひとも茶摘みしてをりぬ
ほととぎす一つ位牌に父と母
三味線の撥はべつ甲夏袴
今二人いづれ一人の青田畦
植ゑし田の水面にあまた星散らす
草笛の草に機嫌のあるらしき
肘高くあげて髪結ふ柿若葉
はつ夏の雲はなれゆく利尻富士
蛍見に帰りておいで逝きし人
絵手紙に手彫りの雅印著莪の花
瑠璃の湖春蝉の声澄めりけり
トンネルを抜けて新樹の梓川
山田敬子
岡田暮煙
河野幸子
佐藤陸前子
高橋花梗
金原敬子
中西晃子
藤江喨子
相澤よし子
尾下和子
小林布佐子
高久都季江
高橋見城
槍田さやか
伊藤寿章


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

        村松ヒサ子

 帰るころ風向き変はる菖蒲園
母の日の家族に貰ふ感謝状
足る日々を重ね卯の花腐しかな
梅雨兆す少し開けある蔵の窓
老鶯や外出の化粧長引いて


   西村松子

踝に冷えのぼり来し薔薇の昼
薔薇園の天使の像は鳩飛ばす
えご散るや人悼むとき雲低し
暈被く月の出てをりみどりの夜
蛇を見てより海光のぎらぎらと


白光秀句
白岩敏秀

母の日の家族に貰ふ感謝状 村松ヒサ子

 感謝の気持ちを贈り物で表す句が多いなかで、掲句はそれを「感謝状」で表した。
 母の日は五月の第二日曜日。一九一四年五月九日、ウイルソン大統領が制定したという。贈る花はカーネーション。花ことばは「母の愛情」。
 感謝の気持ちで母を囲む家族の明るい顔が見えてくる。きっとやさしい息子夫婦や孫達と楽しく暮らしている作者なのであろう。感謝状を読上げる孫の声を聞きながら、今ある幸せを感謝している作者。作者にとって一生の宝物となる感謝状である。
足る日々を重ね卯の花腐しかな
 この句も前句につながっている。
 『老子』の中に「足るを知る者は富む」とある。「足るを知る」とは、あるがままをあるがままに肯定して、満足するということであろう。それが真の富者だという。
 卯の花腐しさえもプラス思考に変えてしまう作者の平穏な暮しぶりが窺える。叱っても喧嘩してもすぐ仲直りできる暖かな家族。そんなかけがえのない家族に囲まれた「足る日々」である。

薔薇園の天使の像は鳩飛ばす 西村松子

 天使といえはキリスト教で、天国からの使者、鳩は平和の象徴である。その天使が夏空へ鳩を飛ばす。動くはずのない天使の像にあたかも意志がある如くに叙してある。しかも、「薔薇園の」とつなげて、薔薇園でなければ決して起こり得ない景として表現されている。
 飛び去っていく鳩と天使像との遠近の構図もさりげないし、「鳩飛ばす」の擬人化は翼を持つもの同士の仲の良い遊びのようで微笑ましい。

代田掻き村一斉に動きけり 大川原よし子

 作物の植え付けには時期がある。
 いつもは眠っているような静かな村も代掻き時分には一斉に忙しくなる。嘗ての牛や馬を使っての代掻きが機械に変わってもその忙しさは変わらない。どの家も朝から一日中代掻きをする。村そのものが動いているのである。
 自然に従い、自然から恵みを貰う日本の農業は、こうして守られ続けられてきた。

母の日の幸せいろのちらしずし 松本光子
 はて、幸せ色とはどんな色?。幸せ色…。考えていると不意に木下夕爾の「家々や菜の花いろの燈をともし」が浮かんだ。ああ、幸せ色とは菜の花の黄色なのだ。いや、燃えるような紅かも知れないし、生き生きした新緑の色かも…。色々と楽しい想像が出来る幸せ色である。
 母の日に家族揃って食べる幸せ色のちらしずし。暖かな家族に囲まれて和やかな夕餉のひとときである。

あいの風きしむ音あり櫂伝馬 荒木千都江
意宇川に潮満ち祭来たりけり 三上美知子
渡御船の列なす彼方夏燕 森山世都子

 三句とも十二年に一度行われる松江の「ホーランエンヤ」を詠んだもの。今年はその十二年目にあたる。正式には「松江城山稲荷神社式年神幸祭」という。宮島の管弦祭、大阪天神祭と並び日本三大船神事の一つである。
 一句目の櫂伝馬は神輿船の曳き船で五隻で勤める。櫂伝馬船の上では歌舞伎風の衣装で勇壮な「剣櫂踊り」と女形の衣装で華麗な「菜振り踊り」が行われる。船は総勢十六人の漕ぎ手で進み、この時の掛け声が「ホーランエンヤ」である。
 二句目の意宇川。松江城内の稲荷神社に祀られている護神霊は神輿船で大橋川を下り中海に出て、更に意宇川を遡り東出雲町の「阿太加夜神社」に安置される。この間の十キロの道のりである。この神社で「中日祭」が行われる。
 三句目も渡御祭の様子。渡御祭には神輿船や櫂伝馬船、供船など約百隻の船が出て、その列は一キロにも及ぶ。還御祭は渡御祭とは逆の経路を辿って城山稲荷神社に還る。
 こうしては渡御祭、中日祭、還御祭を執り行って九日間に及ぶ神幸祭は幕を閉じる。因みに今年の人出は三十六万五千人あったそうである。

青葉潮少年リール巻きもどし 藤元基子

 先日、突堤で初老の夫婦が仲良く釣りをしていたのに出合った。釣り竿にはやはりリールが付いていた。夏の明るい青葉潮に釣り糸を投げ込み、リールを巻き戻している少年。釣り糸の先の獲物が少し気になる句である。

ピカソの絵上手かと問ふ夏帽子 平塚世都子

 「これは何が描かれているのでしょうか」「…」。「この絵上手なんでしょうかね」「…」。ピカソらによって始められたキュビスム。立体と平面を展開図のように広げた絵。上下逆さまに見ても、裏から見ても絵に見えるからピカソはやっぱり上手なのだろう。

水芭蕉歩道丸太の二つ割り 篠原庄治

 見たままが見たとおりに詠まれていて、作者の思いは一切説明していない。その潔さが水芭蕉と二つ割りの丸太歩道にリアリティーを与えている。言ってはいないが、頬を吹く高原の風さえ感じられる。

    その他の感銘句
夏鴬余白の多き時刻表
田の神に一礼をして代田掻く
口笛に鹿の耳立つ夏の朝
堰守の板引き上ぐる青芒
透き通る白を幾重に大牡丹
紫陽花や染屋の流す藍の水
田水張る大雪山を容れ切れず
おしぼりにミントの香五月来る
シェフの出て菖蒲の花殻摘んでをり
走り梅雨黒光りして箱階段
初鰹箱に投げ込む荒氷
角組める葦の高さに日の昇る
永き日の疲れに外す腕時計
囀りの明るさにあり薬師堂
根切虫亭主関白貫きぬ
鈴木敬子
池谷貴彦
長島啓子
原 菊枝
齋藤 都
森井章恵
滝見美代子
小川惠子
水鳥川栄子
早川三知子
秋葉咲女
加藤徳伝
高橋圭子
山本康恵
田口三千女


今月読んだ本

弓場忠義


 句集『一冬木』 杓谷多見夫著

 本句集は結社「小鹿」の杓谷多見夫主宰の第二句集である。高橋沐石先師の俳句の精神「俳句は自然と人間を同時に愛するところに生まれる」(俳句界五月引用)と脈々とに引き継がれている。まさに著者の人間性が句に滲み出ていて暖かさを感じる。人が「愛する」と言うことを教えてくれる句集である。
 自覚していつも自尊の一冬木
 見えてゐて故なく淋し一冬木
 一句目は主宰としてこの木の如く在りたいと、二句目は亡き妻を想う淋しさをこの一本の木に見る。あとがきに「この度の句集名を『一冬木』としたのは「欅の細道」をイメージしたものである。この欅の「一冬木」が私の目には、時に亡き妻の幻影であったり、時にはわが孤身単影の姿であったりする。」奥様の好きな道で毎日散歩した細道の途中にある広場の欅の木であると記す。平成十七年から平成二十年までの作品で編まれている。
 鶯の鳴くや荒瀬に舟着けて
 偲ぶとは遠く蜩鳴くときに
 忘恩の果ての月日や寒牡丹
 次の駅に降りてみようか破れ傘
 一抜けて秋夕焼のなか帰る
 人待つに似て蛍火の見え隠れ
 この旅はもとより一人萩と月
 アルプスをころがり落つる秋没日
 大枯野ゆく旅人になりきれず
 そのなかの桜大樹の威を解かず
 自然と人間との営みが十七文字に依って繋がれているようである。抒情豊かに詠われて著者の暖かさに触れる句集に共感した。
 昭和四年静岡市生まれ。昭和四十一年高橋沐石氏が「小鹿」を創刊と同時に編集同人として参加。平成四年「小鹿」同人会長。平成七年「子鹿」副主宰。平成十一年主宰承継。句集「自然」。俳人協会会員。
小鹿賞・小鹿大賞・小鹿特別功労賞受賞
発行所文學の森。定価二九〇〇円(税込み)

 句集『山の日』 菅野忠夫著

 山の日の眩しさうなる捨案山子
 山の日に追はるるやうに穴惑
 山の日のはりついてゐる古巣かな
 山の日のせかせか退るばつたんこ
 著者の第一句集の句集名「山の日」の句である。平成十一年から平成二十年までの三四六句で編まれている。
 「春野」黛執主宰は序文に『「柔らかで透明度の強い抒情的な風景詠」故郷を夙に離れた今でも、氏の中にはみちのくの農の血が連綿と流れており、氏の俳句の源泉は常にそこにある。そして、それがそのまま氏の作風の特色を形成しているといってもいい。』と記す。
 新涼の湖へ走り根伸びにけり
 捨苗にあまねき月の光かな
 田に畑に人影動く穀雨かな
 落日に麦の波うつ母郷かな
 朝ぐもり砥石がひとつ畦の上
 風よりも月に痩せゆく懸大根
 ゆつくりと暮るる一日金魚玉
 風鈴を鳴らしてゆきし狐雨
 風景の捉え方が非常に柔らかく且つ抒情豊かに詠めるのは日々の研鑽あってこそだと感動した。また季語を自然に句の中に溶け込まして、季語の持つ本意・本情を充分に表現され一句一句が楽しく納得できる句集である。
 昭和十五年福島県生まれ。平成十一年「春野」入会黛執主宰に師事。平成十四年「春野」同人。平成十七年第十回春野賞受賞。平成二十年第二十二回俳壇賞受賞。俳人協会会員。発行所本阿弥書店。定価二八〇〇円(税別)

 筆者住所 
静岡県浜松市東区


今月読んだ本

牧沢純江


 句集「澄ちよう」 宇江点平著

 戒名に「澄」の一文字すみれ草
 この句は、句集名となった句である。宇江氏の亡き妻の一周忌の供養としての一書であり、失明の妻と共に生きてきた暮しの記録であり、亡き妻の魂鎮めの一本であったとも思われると、「運河」茨木和生主宰は、序文でこのように記す。
 見えぬ目でわれを見る妻春寒き
 花時雨妻を死なせてしまひけり
 花曇逝きたる妻の頬に触れ
 花冷や仏の妻と向ひあひ
 妻の手をひいてゐる夢明易し
 一つ家に仏の妻と秋の暮
 妻の死も遠くなりたる鳥曇
 「妻恋の句」は、いつの世にも悲しく切ないものである。宇江氏のさらりとした諷詠に、一層胸がしめつけられる。そこには往々にして、悲しみのピエロが横たわっている。そうでもしなければ、妻の死など到底諾うことはできないであろう。淡淡とした詠みであればあるほど、胸中に秘めた哀切はきわまりない。
 あの世へは誰もが手ぶら浮いて来い
 大阪といふ故郷や鱧の皮
 死ぬまでは頑張りまつせ茗荷汁
 妻とのこまやかな思い出の故郷を終の栖とし、読み続ける著者の赤裸々な心情に心引かれた句集である。
 著者略歴
 大正十三年大阪市生れ。昭和二十四年「青潮」入会。二十六年「馬酔木」「鶴」入会。四十五年桂信子主宰「草苑」入会。四十六年「草苑」百花賞受賞、同人。五十年細川加賀主宰「初蝶」同人。平成十八年茨木和生主宰「運河」同人。俳人協会会員。著書「辿」「盲ひ妻」「残日」「無色」「平成俳人代表作全書」
発行所
(株)角川書店 定価二六六七円(税別)


 句集「露きらめく」 神徳幸子著

 『露きらめく』この露はとりもなおさず神徳幸子さんの純粋ともいえる詩精神である。著者のたおやかな姿にはむしろ勁い詩精神が息づいていることがわかる。「港」大牧広主宰は帯文に記す。
 引鶴の一羽おくれて声を上ぐ
 立春の朝日射したり鉢のもの
 白地着てバス待つひとの遠会釈
 朝粥の湯気やはらかく冬立ちぬ
 落人の里てふ満目蕎麦の花
 冬服の食養生の腕通す
 生きている証を季節へのこまやかな愛情をこめて、熱く詠んでいる。女性としても、しとやかであるに違いない。何の飾りもない表現で深い味わいの言葉を紡ぎ出している。
 独り食む夫の好みし鮟鱇鍋
 梅満開浄土の夫を呼び出さむ
 大根蒔く夫の残しし鍬持ちて
 煮凝や独りの夜は更けやすく
 夫恋は、妻恋でもあったであろう。決して離れ得ぬ思慕の情であるからだ。
 歳月とは有難いもので、亡き夫のよい所だけが記憶に残るのである。
 方丈の芙蓉日和や風やさし
 着る物も顔もはやりの案山子かな
 渚まで色づく早稲や千枚田
 カバーの装丁、中扉のデザインをお孫さんと弟さん、著者のご趣味のモノクロ写真を以って編集され、あたたかなものを醸し出している。夫に捧げた一集である。
 昭和五十七年「草の実」俳句会にて野口白城氏に師事、毎年句集発行、現在二十六集。平成十五年「港」入会。二十年「港」港集巻頭。二十一年「港」未明集同人。現代俳句協会会員。
発行所 本阿弥書店 定価二八〇〇円

 筆者住所
浜松市北区引佐町

禁無断転載