最終更新日(Update)'10.09.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第662号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   岡崎健風
「天の川」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
      
   三上美知子、小林布佐子 ほか    
句会報 旭川白魚火「泥鰌鍋句会」
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
         佐藤升子、 出口サツエ ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(札幌) 岡崎健風 


墓標なる立坑櫓花すすき 平間純一
(平成二十一年十二月号白魚火集)

 巻頭を飾った掲句は、メロンで有名な夕張市の吟行句ではと推察する。
 抑、この地帯は昔数多くの炭坑があり、大いに栄えた処である。然し、昭和の中頃になって、エネルギーが専ら電気や液体燃料、瓦斯にと変り、石炭の需要が極端に減少し、更には大きな崩落事故等の発生により、遂には閉山の止むなきに至ったのである。この為に失業や転職、人口の減少、そして、商店の営業不振による閉店等と街の財政も困難を極め、今は、之が再生に全力を傾けておるのである。思えば往時の栄華は夢となり、錆ついて残る立坑の櫓に、又歴史を積み上げた〓山の花芒、鳴く虫の音にも一入の侘しさを感ずる。作者が立坑の櫓を墓標と表現したその奥には、崩落事故で亡くなった犠牲者の慰霊の祈りを込めたものと合掌するのみである。

秋高し流派さまざま大茶会 中島啓子
(平成二十一年十二月号白魚火集)

 茶道を嗜む者にとって、先づ眼につくのはお茶の句である。私が現職時代の北海道護国神社に於ては、表千家茶道の全国大会の献茶式或は四年に一度の全道大会の献茶式が行われ、之が祭儀の奉仕をし、終了後は、参集殿茶室に於ての本席の濃茶、そして大広間(一〇三畳)にての副席の薄茶を宗匠と同席、次客として夫々のお茶を拝服した事が懐かしく思い出される。又、旭川に於ては、各流の男性による霜月会と云う会が結成され、年に一度(十一月三日文化の日)護国神社で茶会が催され、当日の参加者は延べ八百名に及び、今年で第六十三回目を迎える。掲句は、晴れ渡る秋の一日、様々な流儀の人等が集まっての楽しい大茶会、その光景が瞼に浮かんでくる。作者も恐らく茶道を嗜まれる方と拝察、掲句を拝見、現職時代の数々の茶会の記録写真を取り出して見ながら懐かしく偲ばれた次第である。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

  
    滝   安食彰彦

滝の音猫と女とヴィオロ弾き
大滝の水煙となり落ちにけり
造り滝も毛利陣山そびらにし
小さき滝連らなり群るる緋鯉かな
大国様も兎も鰐も夏の浜
末生りの胡瓜の蔓の糸蜻蛉
吾が影を添へをり今日の牽牛花
丘の上の玉蜀黍の中に墓


 はたた神   青木華都子

昨日とは違ふ風向き梅雨明くる
暮るるまで声かるる迄油蝉
涼しかりおばんざいとふ京料理
二年坂下りいただく冷し汁
体当たりして橡の実を落したる
風少し出てはたた神呼び寄する
いかづちの夜通し日付け変るまで
四日目は鳴りをひそめてはたた神


 綿 菓 子   白岩敏秀

ハンモック子がざりがにを見せにくる
天牛の鳴いて夜空は海のごと
風鈴を吊して影を吊しけり
水叩き叩き噴水はたと止む
綿菓子の不思議見てゐる夜店の子
蓮青葉水引張つて揺れにけり
片陰を鳩と分け合ふバス乗り場
日雷けものは罠に落ちにけり


 どぜう鍋  坂本タカ女

蛍火や闇の彼方の人家の灯
鷺草が咲いて民生委員来る
土用太郎指の覚えてゐるピアノ
新聞紙にずらりと下足どぜう鍋
泥鰌鍋の蓋を畳の上にとる
風鈴の鳴らぬは淋し鳴るはそも
遠雷や刃物は手段といふ彫師
話しごゑ通つてゆきぬ草を引く


 土 用   鈴木三都夫

危ふきに遊ぶか蓮の散り怺へ
揺れあふは誘ひあふこと蓮散る
散るときを風の誘へる蓮かな
蓮を見る幾度人を失ひし
初蝉にして忽ちに鳴きこぞり
土用浪立ち上らんと力籠め
土用太郎二郎三郎夕立来る
海までの熱砂を駆ける裸足かな
 泳 ぎ 子 水鳥川弘宇
泳ぎ子の同じ背丈で色黒で
泳ぎ子を早や見失なひをりにけり
水着着てやうやく機嫌直りたる
一発で泣き出せる子や大花火
花火待つ玄海灘も息ひそめ
留守を守るごと風鈴の鳴つてをり
風鈴や今朝より変る海の風
松原の一歩に暗き日の盛り

 夜 涼  山根仙花
ポケットに鳴る釣銭や走り梅雨
枇杷熟るる波は光りとなりて寄せ
雷遠し机上開きしままの書に
理髪屋の暇を逆立つ金魚かな
躓きし水に夜涼の灯のゆるる
炎天の光り敷きつめ屋根瓦
吊ればすぐ風に応へし軒風鈴
風鈴を吊るだけの釘残しをく

 碇 石  小浜史都女
花終りたる河骨の乱れかな
沢蟹の慌てたるとき爪真赤
蜘蛛の子の背のすぢと脚らしきもの
蜘蛛の子に盲走りといふがあり
碇石折れたるままに灼けてをり
黴の香のしてうすぐらき望夫石
白南風やこゑも力に力石
玉すだれ墓にむらさき太夫の名

 一瞬の闇  小林梨花
炎昼や国造館の大扉
神木に日の斑の揺らぐ滝飛沫
そぞろ出て橋に集まる夜涼かな
仮宮の灯り初めたる夜の秋
空と海しばし彩る大花火
沖風に流され消ゆる花火屑
花火消え一瞬の闇新しき
からうじて残る家紋や墓を掃く

 単 衣 帶  鶴見一石子
粛粛と動く高張虫供養
松明の無垢の灯火虫送り
百の提灯一つとなれり虫流し
小さき手に小さき提灯虫送り
驕りなき生活を守り単衣帶
村里の気安さに触れ冷し瓜
只見の夜くれなゐに染め虫供養
闇が来て仏来るごと蛍の火

 夏 休 み  渡邉春枝
島人の誰れも急がず合歓の花
表より裏庭見えて夏休み
昼寝児の頬にひとすぢ涙あと
碑にそそぐ百選の水原爆忌
明易の葉先にのこる昨夜の雨
夕焼を引つぱつてゐる帰船かな
夏霧のまとふ蔵王の釜めぐり
大皿のピザを切り分け魂迎


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 山 の 神  浅野数方
青鷺の眼差し確と脚を替ふ
万緑の雫と化する道祖神
蚊遣り焚く山番に聞く山の道
雲海や扉の固き山の神
法要の膳にひとひら沙羅の花
取れさうな釦つくろふ敗戦日

     炎 昼   池田都瑠女
炎昼に出る決心の靴を履く
蜘蛛の囲に顔をとられて先導す
庭園に風の集まる未草
馬場跡を下り夏蝶と別れたり
古書店を出て立ちくらむ油照
ふつ切れたき事あり真夜に髪洗ふ

  郭 跡  大石ひろ女
ゆつくりと暮色整ふ遠蛙
梅雨明や豆腐コロッケ一つ買ふ
三伏や水門に置く鬼瓦
夏草や壁に屋号の郭跡
蜂の巣の掛かり遊女の格子部屋
蜘蛛の囲や坂の上なる遊女墓
  
 色褪せし月 奥木温子
青梅の臀に紅さす虚子旧居
色褪せし月の昇りし河鹿かな
花合歓の月光宿す雫かな
虻も蚊も生け捕る蠅取りリボンかな
鳥の啼き時告ぐる時計明け易し
痩せつ蚊を打てば血の出る哀れかな 
  遠まはり 清水和子
知恵の輪と銘ある茅の輪くぐりけり
藍浴衣母が遠くに見えにけり
夏暁や小鳥のしのび鳴き始む
目薬の程よき冷えや朝曇
片陰を拾ひ十歩の遠まはり
短夜の乗つて押ふる旅鞄

  万 緑   辻すみよ
万緑や吊り橋一歩一歩づつ
空に咲き風受けやすき朴の花
捩花の捩れ損ねと言ふ捩れ
梅採りて漬くるつもりもなかりけり
飛行機雲一直線に梅雨明くる
扇風機一日まはし疲れけり

 藍 浴 衣   源 伸枝
目を細め梳かるる牛や夏薊
喉元を震はせ矮鶏の暑に耐ふる
万緑や少女の胸に双眼鏡
白雲の流れ涼しき城址かな
日盛りや銀行員の黒鞄
たたみ皺残る揃ひの藍浴衣
 
   虫 干   横田じゅんこ
滝見あと顔の大きくなつてをり
羅の懐に透く懐紙かな
炎昼やガラスの箱の昇降機
虫干や一日暗き部屋の中
夏痩せのピカソの顔となりにけり
ダリヤ大輪母は帽子を斜交ひに

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

      浜 松  佐藤升子

桜桃の水光らせて洗ひけり
風よくとほる夏菊の一種活け
夜濯ぎの音立てて水匂はする
夏痩せて蛇口の水を細くせり
大念仏若き男のふくらはぎ


       江田島  出口サツエ

それつきり鳴かぬ老鴬島暮るる
死んで色さらに濃くせり金亀虫
昆虫記は子の愛読書曝しけり
雲の峰高し少年顔上げよ
暑き夜の熱き足裏をもて余す


白魚火秀句
仁尾正文
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大念仏若き男のふくらはぎ 佐藤升子

 「大念仏」という季語は、静岡新聞社刊の『しずおか俳句歳時記』にのみ収録されている。元亀三年(一五七二)徳川家康は上洛の武田信玄を三方原に迎え討ったが惨敗した。両軍におびただしい戦死者が出て、これらの亡霊が盆が来るとうめき声を上げるので家康が大念仏を行わさせ霊を弔ったことに起因する。現在は盆供養芸能行事として遠州地方で行なわれ「遠州大念仏」ともいわれている。
 総勢三十人余の若者がピンクの長襦袢に手甲脚絆、赤襷で装い、笠を目深かに、太鼓、笛、双盤を携え初盆の家々を回り供養する。主役は太鼓切り衆で、動きが激しいので若者に限られている。平成十八年浜松における白魚火全国大会のアトラクションとして大念仏の一端を披露されたのでこれを見た人も多かろう。
 さて掲句。こういった芸能行事を片々十七音で、これを見ない人にも感銘させることは不可能に近い。芸能を詠むのではなく、芸能を見た作者の思いを吐露すべき。作者は「若い男」の「ふくらはぎ」と写実したが、若者が発散する色気のようなものに魅かれたことが伝わってきた。少しときめいたのである。
 『しずおか俳句歳時記』の「大念仏」には例句が三句あるが三句とも「踊る」の語が入っていて上出来とはいえぬ。元々盆踊は念仏踊が原点であるので「大念仏」「踊り」の取り合せは盆踊の説明になってしまっている。その中で

婿に欲し大念仏の太鼓切 広田みさ江

は「大念仏」が独立季語になった暁には真っ先に例句になり得る秀句だ。

死んで色さらに濃くせり金亀虫 出口サツエ

 金亀虫は「ぶんぶん」ともいわれ、家の中の灯をめがけて突進してくる。ガラス戸に激突するのもあり、家の中に入ってきて電灯の周りを音たてて飛び回ったりする。だから喧しいだけで虫の色など見る機会はない。
 ある日金亀虫が死んでいるのを見た。しげしげと見た。濃緑の胴体も褐色の翅もきれいである。翌日又見てみると、その色合いが昨日より深まっているように見えた。すると死んでしまった金亀虫を愛惜する気持がおのずと湧いてきたのである。

まづはまづは娑婆に出たるぞ泥鰌鍋 平間純一

 「体調を崩したので休息し、四ヶ月後には社会復帰する積りです」という便りを受けたのは確か四ヶ月程前だった。その復帰の挨拶が掲句。重々しい上句の口上には茶目っ気も見え隠れするが季語の「泥鰌鍋」がよく据っている。「コト俳句」の成否は季語次第、の典型である。まずはめでたい。

合歓の花咲いて芭蕉の故山かな  森井杏雨
箱庭の草屋二つを相へだて      森井章恵

 五月三十一日の伊賀上野における一泊吟行会でこのお二人には色々お世話を貰った上に芳志迄戴いた。お礼を申し上げる。
 前句。伊賀上野の人々は芭蕉とふるさとを同じにしているという誇りがある。合歓の花を美しく詠み上げて故郷讃の句とした。
 後句。箱庭に二つの草屋を少し離して配置していてすずしい。戦前の趣が感じられ懐かしい。

水少しこぼして過ぎぬ遠夕立 篠原庄治

 待ち望んだ夕立雲が遠くに現れた。しかしお義理程に「水少しこぼして」夕立雲は通り過ぎてしまった。「水少し」は自嘲のような悔しがりようである。

やいとばな記念写真はいつも端 高部宗夫
 
 卒業写真も旅行の写真も記念写真はいつも端っこである。たまたま、と一向に気にしていないことは「やいとばな」から分る。仮に「へくそかずら」の季語であるならば、このように平穏にはならぬかも。

鞦韆に乗つてみないか蝸牛 福家好璽

 白魚火は、有季定形、文語体従って旧かな遣いで通しており、これを変える積りはない。だが掲句のように口語体の発想で楽しく仕上がったものは口語体でもよい。一句に文語と口語が混在するようなものは困るけれども。

十一文の足の覗くや夏暖簾 高木豊子
 
 十一文の足というと戦後生まれの男でも二十六センチ半の靴を履く大足、すなわち長身である。夏暖簾の隙間からこの大足だけが見えている。
 暖簾から足が見えるというのは止り木が四、五個、小上りが二つ位の一杯飲屋で一緒に飲んでいる者達も店主も遠慮のいらぬ仲間。このように想像が次から次へと拡がるのは、十一文の足だけを呈示したことで単純化が果たせたからだ。

    その他触れたかった秀句     
水中花ボトルの棚に肩並べ
虎鶫連れ呼ぶ声に闇深し
榊葉を咥へ伝供のまつり神饌
滝音に言葉消さるる山路かな
万緑の立ちはだかりし山幾重
空蝉の爪打込みし海鼠壁
庭師来て辺り涼しくなりにけり
雪渓を上るスキーを杖にして
海を割り海より開く花火かな
夏休み来る日来る日も夏休
民宿の並ぶ漁村や月見草
庭手入れ先づは蚊遣の煙にむせ
橋桁に流木集め梅雨はげし
信州の蔵を飲み干す暑気払ひ
風鈴に恋して伸ぶるゴーヤかな
島田愃平
町田 宏
岡崎健風
加藤雅子
藤浦三枝子
竹元抽彩
七條きく子
西田美木子
横田美佐子
保木本さなえ
土江江流
金子フミエ
土井義則
中村和三
小池 愛


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      三上美知子

丁寧に繕ふ汗の剣道着
雲の峰延長戦の応援歌
夜をこめて床踏み鳴らす夏神楽
花火見し筵を畳む夜の風
三伏の祇王の墓を濡らす雨


      小林布佐子

返事なきクリーニング屋土用入り
風入れや酒を量りし五合枡
日に当てし俎包丁トマト切る
子の歓声波の歓声海の家
酒蔵の柱の屋号秋立ちぬ


白光秀句
白岩敏秀

花火見し筵を畳む夜の風 三上美知子

 敷物を持参しての花火見物。しかも、筵とあるから大都会の賑やかな花火ではなく、地元の納涼花火大会のようだ。見物客も大方は顔見知りなのであろう。
 花火が終わって初めて気づいた夜風。それ程までに花火に見入っていたのだ。花火の美しさに感動した言葉がなくても作者の気持ちは伝わってくる。
 事実を淡々と叙し「夜の風」と納めたところに作者の深い感動がある。
夜をこめて床踏み鳴らす夏神楽
 夏神楽を見たのは平成二十年七月六日の白魚火松江大会のとき。四頭の八岐大蛇と素箋鳴尊が舞台狭し激闘する場面であった。
 掲句も「床踏み鳴らす」とあるから激しい場面もあったことだろう。夏の夜の暑さを忘れるような、楽しい神楽であったことが想像できる。

子の歓声波の歓声海の家 小林布佐子

 不思議な句というより思い切った手法の句である。
 「の」でつないだ言葉のグループが三つ並べられて一句となっている。それでいて全体の平仄は合っていて違和感がない。
 三つの小さな世界の集合が、波とたわむれ遊ぶ子ども達の海水浴という大きな世界へと変身している。しかも視点が子から波そして海の家へと海から陸に真っ直ぐに伸びている。大胆でありながら構図のしっかりした句だ。

代々の家守る松や蝉の声 友貞クニ子

 この松は樹齢も定かではない程の老樹であるが、十分に枝を拡げてどっしりとした風格のある松であろう。老松に守られた旧家の庭で鳴く蝉。ひと夏の旬日を生きる蝉と松の命を長さを比較したくない。与えられた環境で与えられた生命を懸命に燃焼している蝉と松。蝉の鳴き声が松に守られた旧家の静寂を一層深めているようだ。

刈り頃の色もて靡く稲穂かな 橋本快枝

 稔り田の大景をみごとに映し取っている。穂を重く垂れた稲が折からの秋風に右に靡き左に靡く。そのたびに稲穂がきらきらと光る。美しい稲穂の波模様だ。
 幼い早苗田の緑から青田の力強い緑そして花を咲かせて刈り頃の色となって靡く稲穂。「刈り頃の色」とは丹精を込めて育てて貰った稲の最後の感謝の色かも知れない。
 豊かな実りの日本の秋がここにある。

夾竹桃噂広がる如く咲く 大久保喜風

 噂とは厄介なものだ。大抵は根も葉もないものだが、本人がむきになって打ち消せば打ち消すほどに広がっていく。七十五日もすれば消えてしまうというのに…。
 夾竹桃の咲き方が噂話のようだとする見方が俳諧だ。したたかさといい、続いている期間といい、確かによく似ている。
 ものの見方が自在になるということは楽しいことだ。

幸せの齢を重ねさくらんぼ 山西悦子

 なんとすてきな句だろう。
 「幸せの」とあるから、幸せでない忍耐の時期もあったと想像されるが、それさえも幸せの部として齢に加えられている。一日一日を大事に生きて積み重ねて来た幸せの齢である。可愛いさくらんぼが作者を祝福しているようだ。

大方は野良着のくらし稲の花 佐野栄子

 作物を育てることは難しいことであり、忙しいことである。草取り、水遣り、消毒など一日中作物の世話に掛かり通しだ。おそらく野良着を脱ぐ暇もないぐらいであろう。
 日本の食料を根底から支えている農業。掲句の「野良着のくらし」は自嘲や卑下とは無縁のもの。農に生きる気概や誇りが伝わってくる。稲の花が終われば稲刈り。また忙しくなる。

蜩や片言の児の饒舌に 久保美津女

 幼児に智慧のつくのは早い。大人の動作、言葉を見て聞いてすぐ覚えてしまう。幼児の前で迂闊な言動は禁物である。
 言葉を覚え始めた子には、また新しい可愛さが加わるようだ。大人からの一方通行の会話から幼児との双方通行の会話になるからだろう。片言ながらよく喋る幼児を囲む暖かな家族が想像出来て楽しい。
 折から鳴き出した蜩をカナカナと覚えるのもすぐのことだろう。

    その他の感銘句
稲妻のはしる曼陀羅絵図の上  
鈴祓ひ音を涼しく収めけり
アポロンを恋うてひまはりのつぽかな
梅雨あがる槻の大樹の梢より
植木屋の木を降りてくる原爆忌
庭木戸のぎぎつと鳴りて晩夏かな
同じ木にとまり直して蝉鳴けり
夜の秋児の洗ひ髪すぐ乾く
サングラス掛けて銀座の四丁目
鯉跳ねて夢の半ばの昼寝覚
花に水たつぷりと撒く原爆忌
虫の声とぎれ棚田に水の音
カンナ咲く角を曲りて小学校
蜘蛛の囲を大きく張つて蜘蛛の留守
ふる里は毛の国夏蚕太りたる
飯塚比呂子
奥野津矢子
弓場忠義
高間 葉
秋穂幸恵
出口廣志
清水静石
脇山石菖
早川俊久
陶山京子
鷹羽克子
若林光一
嘉本静苑
古藤弘枝
坂東紀子

禁無断転載