最終更新日(Update)'10.03.29

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第655号)
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3月号目次
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季節の一句    諸岡ひとし
「積ん読」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
奥野津矢子、原 菊枝 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          池谷貴彦、出口サツエ ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(唐津) 諸岡ひとし


白魚やゆつくり降ろす四つ手網 大石ひろ女
(平成二十一年五月号 白光集より)

 白魚はシラウオ科の硬骨魚。体長約十糎。体はやせ型で半透明。春先河口をさかのぼり産卵。日本の各地に産し食用。
 シロウオ(素魚)は外観も習性も本種に似るが別種。
 四手網は四隅を竹で張り拡げた方形の網。水底に沈めて置き、時々引き上げて入った魚を捕る。(広辞苑より) 
 宍道湖の漁法は知らないが、有明海に注ぐ河口に仕懸けた四手網は早春から目につく。
 白魚漁は白魚の産卵期に限定され、漁は海水と淡水の交わる河口で潮の満ち始めから満潮の時間帯である。四手網は頃あいを見図らって引き上げる。漁獲は潮の干満、風向、晴雨によって左右される。四手網はゆっくり引き上げ、静かに下ろすのである。
 満潮を境に一日二回の潮時、早春の風物詩の一つである。

一人去り二人去りけり春炬燵 大久保喜風
(平成二十一年五月号 白魚火集より)

 彼と私は同郷で中学の同級生である。彼との再会は二十年前の白魚火全国大会ではなかったろうか。その妻君が帰らぬ人となって、早や三回忌も過日済ませたそうだ。御冥福を祈る。
 昨年は余寒の日が長く続いた。妻の法要に来た親友、親戚の面々が、故人の面影を語り、やがて再会のあいさつことばを残して一人帰り、二人帰る。残る孤独感が迫り来る彼の気持を察した。男は外見強そうで脆い。
 後日私は庭の銀木犀の一枝を仏に郵送した。あの芳香は彼の妻君には届かなかったであろうが、私の心の思いは私のみが知っている。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 
嫁 が 君  安食彰彦

多夫志峰はるかにのぞみ大根抜く
厨にたつ妻の背中の着ぶくれて
散らかして師走の塵となりて座す
何者かに財布掏らるる年の暮
冷蔵庫の裏に駈けこむ嫁が君
寒風に手を頬にあて走り来る
六十度の泡盛くれし去年今年
母白寿年酒すすむるわしは喜寿

 
年明くる  青木華都子

赤ペンで直す一文字年明くる
しらしらと明けきらきらとお元日
元朝の神の木に結ふ吉みくじ
祝賀ハムニダ韓国よりの初電話
若水をふふみて仰ぐ男体山
青白く雪の夜明けの輪王寺
金盃でいただくお屠蘇輪王寺
シグナルの赤の点滅冬銀河

  
 力 瘤  白岩敏秀

柚子風呂や子にまだ出来ぬ力瘤
おでん屋の前を巡査の通りけり
くれなゐを重ねて開く冬椿
鴛鴦の水尾に水辺の日の揺るる
夜鳴蕎麦過ぎたる道を救急車
冬薔薇の蕾のひらく朝の弥撤
着ぶくれて優先席の前に立つ
年の暮水を流して糶終る

 
みちのく  坂本タカ女

雁や子に告げざりしひとり旅
枕辺に眼鏡をたたむ霜夜かな
屋根打ちて落つるぎんなん文庫蔵
訪ねたる主の留守や柿みのる
柿撓わ米蔵味噌蔵文庫蔵
ロケット弾めくみちのくの鳥威
佞武多過ぎ南部煎餅老舗かな
太宰治斜陽館訪ふ花八つ手

 
菊 供 養  鈴木三都夫

玉砂利の中の落葉は手で拾ふ
笑み羅漢泣べそ羅漢紅葉降る
石蕗枯れてあるがままてふ茶庭かな
焚く菊の色の変りし焰かな
燃えつくるまでを囲みて菊供養
朴一葉影に遅れて散つてきし
凍蝶となるやも翅を休めたる
裸木となっていかにも猿すべり
初 神 籤 水鳥川弘宇
潮煙立つ松原の恵方道
もう何も願ふことなし初神籤
初句会沖に横たふ壱岐島・神集島
冬海に向くつま恋ひの石碑かな
丹の色の佐與姫神社冬椿
初東風やかたこと鳴れる恋の絵馬
岬宮の社務所閉ざせる小正月
訪ふ人もなき人日の鯨館

 大 年  山根仙花
余り水捨つる枯野へ声かけて
熱き番茶啜る枯野を前にして
束の間の日に華げる枯野かな
短日や子を呼ぶ声の隣より
裸木となり真直ぐに天を突く
反故焼きし煙の絡む冬木かな
冬菜洗ふしろがね色の筧水
大欠伸して大年の長湯かな

 蓮 根 掘 小浜史都女
干拓の蓮田に冬日ゆきわたり
有明の海風まとも蓮根掘り
潮鳴りの暗さ加はる蓮根掘り
機具使ひ足も使ひて蓮根掘る
蓮満たし陸上げされし蓮根舟
天山の裾野を借りて鳰あそぶ
鳰の潜るには水浅すぎし
百姓に田があれば足り年送る

 神名火野  小林梨花
初鏡曇りて齢隠しけり
恵方へと流るる川の光かな
初日影眩しく峠を越しにけり
門潜る時に破魔矢のかたと鳴り
買初は真紅のばらを選びけり
人日や煙流るる神名火野
寒紅梅手折りて匂ひ持ち帰る
雪解けの水の豊かに神の嶺

 凍 鶴  鶴見一石子
あかときの男釜女釜の垂氷かな
よき風の集まつて来る牡丹焚
啼き合へる鶴の昂り舞ひはじむ
光芒の小雪争ふ関ヶ原
足もとに闇奔り来る冬夕焼
除夜の鐘時間の束のながれゆく
凍鶴の大地万象詩の世界
ふところの小さなこぶし日脚伸ぶ

 初 明 り 渡邉春枝
裸木に鳥の寄り来る駐在所
さい銭の音のこぼれて雪催
辛口の評を真摯に山眠る
煤逃げの男ばかりの映画館
夫を知る人と話して年の暮
初明りとどく食卓囲みけり
初夢の居るはずのなき人とゐて
声変りせし子が読み手歌留多会


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

霜 の 花  野口一秋
百合の樹の直幹落葉しつくして
窓開けて小春日容れし轆轤部屋
しもばしらまこと咲かせし霜の花
凍滝に対ふ黒髪束ねけり
笹鳴や碧梧桐句碑薮中に
雑木山枯れつくしたる無音界

 根 深 引  福村ミサ子
神岳の影を背負うて根深引く
冬耕の手をとめ由緒語らるる
火の細り独りとなりぬ焚火守
嘴鳴らす鳥の来てをり冬木宿
堰落つる音を寒しと見てをりぬ
鳥の羽根散らばつてをり冬木道

 句碑の辺  松田千世子
満を持し谷戸の椿の花芽かな
句碑の辺の落葉に色の残りをり
焚く菊の香り燻ゆらす句碑の山
煤逃げの三三五五と吟行す
初日の出序曲とし舞ふ鴎鳥
総勢を見せ電線の初雀

  注 連  三島玉絵
続けては打てぬ砧や注連を綯ふ
藁の丈いつぱいに綯ふ飾り縄
注連張るや棚の上なる厨神
注連綯ひの仕上げ真白き四手を裁つ
牛蒡注連穂先大事に飾りけり
元旦の涛立ち上る日本海
 初 神 樂 森山比呂志
わが指と思へぬほどに悴める
いつよりを余生と云はむ青木の実
神酒注ぐ巫女の初髪艶やかに
翡翠の翔び立つ堰の淑気かな
初神樂待つ天空を鷹舞へり
米寿なほ主人の座なり実万両

 炭焼小屋  今井星女
山裾に炭焼小屋の煙かな
訪ねたる炭焼小屋に錠あらず
樏をそなへて山の一軒家
炭焼いて生活としたる杣の家
焼き上る炭を炭もて叩きけり
分校の雪中運動会とあり

 春 の 雪  大屋得雄
鐘が鳴る新しい年鐘が鳴る
江の川いちにち雪のお元日
川上に連なる嶺に雪が降る
江の川大竹藪に春の雪
一月の絵本大事に買ひにけり
母の咳いつも氣になる三が日

 冬 仕 度 織田美智子
病みをればことに急かるる冬仕度
長押には父母の遺影や枇杷の花
目で追へる磴百段や冬紅葉
山茶花に鳥の出入りの一日かな
また違ふ鳥の来てをり冬欅
糸巻きの母に手をかす小春かな

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  浜松  池谷貴彦

紺碧の海を引き寄せ石蕗の花
福笹を担いで福の神となる
糶る人も糶らるる牛も息白し
聞き役も看病なりし日向ぼこ
遠州の配置の石に雪積もる


   江田島  出口サツエ

植ゑ替へにほど良き湿り神還る
短日の日差しを背に豆を選る
巫女募る紙の貼らるる十二月
流行は追はず徒食の根深汁
峠茶屋律義に榾木積み上げて


白魚火秀句
仁尾正文
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紺碧の海を引き寄せ石蕗の花 池谷貴彦

 つわぶきは、海に近い所に自生する。キク科ではあるが、蕗の薹の出る水蕗やアキタブキとは種が違う。何れも初夏軟い茎を摘んで山菜として食に供される。花は、冬場花の貧しい中で黄が鮮やかなので園芸植物として目立つ。
 掲句は、海辺に自生の石蕗の花を一句の中心に据えた一物仕立て。「紺碧の海を引き寄せ」と力感が漲る。焦点を花石蕗の一点に絞り画面一杯に大写しさせたのである。
 「芹ぬきし濁りながれてゆきにけり 一都」「水中花まことしやかに露むすぶ 一都」のような一物仕立てが最近俳壇では年々少なくなっている。この作者の今回一連五句はすべて一物仕立てである。これには写生の力倆がないと叶わないのである。なお「遠州の配置の石に雪積る 貴彦」の遠州は茶人、造園家として名を遺した小堀遠州である。

植ゑ替へにほどよき湿り神還る 出口サツエ

 掲句は、取合せの句であるが「神還る」が際やか。過不足がなく、この句にはこの季語しかない、と思わせる据え方だ。上句はどちらかというと「こと俳句」である。「こと俳句」は季語の斡旋により一句の成否が決まるが「神還る」は絶妙であった。

くさめして歪みし顔をたてなほす 大村泰子
 
 くさめは一気に出してしまうとすっきりするが、人目があるとき、特に女性の場合はハンカチで鼻を押えて音をたてまいとする。爲に鼻がねじ曲る程の思いをするが、出た後もすっきりしない。辛抱を強いられた目も鼻も口も元の状態に戻るのには何分かかかる。「歪みし顔をたてなほす」がユーモラスである。
 
白菜のラガー送りに積み上ぐる 山口あきを
 
 二、三人の若者が収穫した白菜を車の来ている所まで運んでいる。白菜はラグビーボールの型をしているので、ラガーがスリークオーターにパスするように垂直に立てたまま投げ、受け止めている。「白菜のラガー送り」が新鮮、手垢がついてない。「足もて作ら」ないとこういう場面には遭遇しないであろう。
 
拳出す赤城相手に寒稽古 天野幸尖
 
 空手か柔道の寒稽古であろう。赤城山に正対して左右の拳を交互に突き出している。
 忠治親分も郷党の若者に、にっこりしてエールを送っているのにちがいない。
 
  ぬくめどり夫も絶滅危惧種かな 高橋花梗
 「温め鳥」とは、冬の夜鷹が小鳥を捕えて掴み、その脚を温めて翌朝これを放してやるといわれている。又色々な親鳥が雛を翼でおおって温めることもいう。
 子を生んで育てる役目を果した夫に「あなたも佐渡のトキのように絶滅危惧種だね」と揶揄している愉快な一句である。だが「夫も」の「も」は作者自身も同類だということ。呵々大笑の一句だ。
 
取りかかるまでの幾日賀状書く 高橋圭子
 
 祝電などは期限内に打たぬと宴や集りに間に合わぬのであるが賀状書きには締切りがない。明日は書かねばと思いながらもずるずると延ばし、結局例年の如く年末ぎりぎりになってしまうのである。誰しもが横着なのだ。
  
地に触れぬまま風となる落葉かな 古川松枝
 
 一陣の風に落葉となり、空高く舞い上がってどこへ行ったか分らなくなった。こう言われると「朴散華即ちしれぬ行方かな 茅舎」を想起してしまう。散華はしない朴を散華させた心象的な写生句だが物思いを誘って止まぬ。頭掲句もモチーフはその辺りにあるようだ。
 
白鳥を見むと二駅先の町 野田弘子
  
 解説を要しない句で、散文ならば何ということはない。だが、韻文の俳句で詠むと朗々としていて作者の心が十分に表出されていることに気付く筈だ。

三百度回る白梟の首 平野健子
  
 白梟の首が三百度回るということは一つの発見。余り詠まれていない句だ。しらべも、八音九音で俳句らしくない俳句だが、この句の場合はそれがユニークになっている。
 
歳晩の開眼したる達磨かな 田村扶美女
 
 新年に達磨を買って一年。心願が成就したので大晦日に両眼に墨を入れたのである。

    その他触れたかった秀句     
風呂吹のことこと夫の帰る頃
抱き上ぐる兎重たし春隣
賀状書く心ときどき遠遊び
餅搗くや肺年齢は六十歳
読み初めのむらさき色のしをり紐
けあらしや海に背を向く蜑の墓
時雨るるや終着駅の車輪止め
数へ日の初の海苔摘む身拵へ
寒稽古一人遅れて走りをり
松風や音色のちがふ虎落笛
少年のぎこつなき辞儀年賀いふ
お茶の間に湯呑が二つ山眠る
梅一輪咲いて寒さのつのりけり
元日や折り目正しき日章旗
手から手へ髻摑みに泥大根
村上尚子
山岸美重子
野澤房子
福田 勇
飯塚比呂子
花木研二
塩野昌治
渡部幸子
稗田秋美
渡部昌石
坂東紀子
柴田純子
加藤芳江
保木本さなえ
大野静枝


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      奥野津矢子

長椅子の真中の窪み冬至来る
雪囲一番高い木を仰ぎ
たまさかに芒と生れて枯れにけり
上手には曳けぬ眉墨片時雨
十二冊並ぶ白魚火年つまる


       原 菊枝

餅搗きの杵すこやかな音たつる
搗きたての餅ふところに小雪舞ふ
風かたき冬至や粥のふきこぼる
喪の提灯ともり冬霧濃く流る
振りおろす仕事納めの鍬一打


白光秀句
白岩敏秀

十二冊並ぶ白魚火年つまる 奥野津矢子

 平成二十一年の『白魚火』の表紙は夜桜であった。闇に浮く桜がひとつひとつ美しく描かれてあった。一月号から十二月号までの十二冊の厚さおよそ七センチ。たかが七センチ、されど七センチである。
 千人近い句友が「白魚火集」や「白光集」にお互いの句を競い、好調なときも不調のときもたゆまぬ努力を重ねてきた十二冊である。そして、それは自らの思いを十七音に乗せた自分史でもある。毎号の一句一句には本当の自分がいる。今年の最後の『白魚火』に思わず「ありがとう」と声を掛けたくなる。
 間もなく一月号が届く。新しい一年がまた始まる。
 雪囲一番高い木を仰ぎ
 雪囲のシーンから一転して一番高い木のシーンに映像が移る。それはラストシーンでなく、これから始まる長く激しい冬のスタートシーンである。
 一番高い木が支えている空は今にも降り出しそうな雪催いの空。北国の冬は雪囲のシーンで始まった。

餅搗きの杵すこやかな音たつる  原 菊枝

 近頃のスーパーマーケットには雑煮用やお供え用の餅がパック入りで売られている。だからといってそれを買って済ます、という訳には行かないのが日本人の心情だろう。そこで家庭用餅搗器がごうごうと音を立てて餅を搗くこととなる。
 掲句は杵と臼による餅搗き。「すこやかな音」に餅搗きの全てが言い尽くされている。
 搗き手と捏ね手、餅を丸める人そして出来上がりを待つ子ども達。全てが調和した輪のなかにある。
 餅搗きが終わると正月がかけ足でやって来る。

先ず母が起きて今年が動き出す 古藤弘枝

 かって平塚雷鳥(一八八六~一九七一)は「元始、女性は太陽であった」と主張したが、それは今でも変わりないようだ。家庭の中に女性が―特に母親が居ないと家庭が廻らない。男性は、例えば太陽の惑星のようなものかも知れない。
 元旦の早朝。母は既に起きて、台所で朝の支度を始めている。母が動くことによって今日が動き今年が動く。母親はかけがえのない大きな存在なのだ。料理の味付けも掃除の行き届きも母には及ばない。そんな母を誇りに思うとともに何時までも健やかにいて欲しいという願いがこめられた作品。

この家に妻の歳月屠蘇を酌む 西田 稔

 この家に嫁してから妻は何年になるのだろうと思わず指を繰りたくなるような句である。習慣も違う見知らぬ家に、自分だけを頼りに嫁いで来た妻の歳月。義父母に仕え、子を産み育て、生家より長い期間をこの家で過ごした妻の歳月。注ぐ屠蘇に自ずと感謝の気持ちがこもる。
 夫婦の貴重な時間にこれ以上お邪魔することは不粋なことだろう。

暖冬の畑に真赤なトラクター 中村國司

 今年は暖冬と言われながら、のっけから雪が降って積もった。太平洋側は暖冬だったようだ。その暖冬の畑に真っ赤なトラクターがある。何故そこにあるか不明だが、これもれっきとした事実。真っ赤なトラクターの意表ついた出現に驚かされるが、句はなかなかに直情。そこが魅力だ。

行く年を妻と二人ですごしけり 石前暁峰

 なんと穏やかな平和な情景であろう。
 若い時には仕事一筋に生きてきた自分だが、それを黙って支えてくれた妻。職を退いて味わう妻との二人だけの静かな時間である。
 過ぎて行くものを追わず、来るものを拒まず。自我のはからいを捨てて、妻と二人で静かに年を守っている作者。
 どこにも気負ったところがなく、淡々とした詠みぶりにこころ惹かれる。

新しき友も加はる年賀状 大川原よし子

 三月号の作品は一月上旬頃に手許に届く。従って、年末や正月の句が多くなる。それぞれの句には年末、年始の思いがこめられていて楽しかったが、特に明るい句が多かったのが嬉しい。
 掲句もそのひとつ。何かの切っ掛けで新しく友達となった人からの年賀状。出会った時のことを懐かしく思い出される。末永くお付き合いして頂きたいものだ。

初春の頬に風受け郵便夫 天野幸尖

 職業欄に郵便局員とあるから、年賀状を配達しているのは作者であろう。
 この句の目出度さは「初春の風」でなく「初春の頬」。頬はきっと輝いていたことだろう。年賀状は新しい年のスタート。初春にふさわしい一句である。

    その他の感銘句
太釘に変へて吊るせり初暦
冬帽子脱げば親しき顔となる
初詣願ひの列の端にゐて
枕木に雀の遊ぶ霜の駅
漁り火の遠くにありて夜寒かな
祖母の代からの大桶大根漬
お日様の近道を行く冬至かな
花の名の香を炷きをり冬座敷
雪吊の縄の千筋臥竜松
初氷踏みつつ音を楽しめり
寒むざむと部屋広びろとひとりかな
石段の高きを仰ぐ初明り
寒椿咲きて荒れ出す日本海
落葉踏む音に日暮の気配かな
ゆるぎなき嫁の座守り年くるる
渡部美知子
木村竹雨
弓場忠義
牧沢純江
米沢 操
吉村道子
加藤 梢
渡邊喜久江
篠原庄治
広瀬むつき
川本すみ江
藤元基子
池田都貴
河森利子
伊東美代子

禁無断転載