最終更新日(Update)'09.11.28
白魚火 平成17年3月号 抜粋
(通巻第651号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  辻すみよ
「鰡 漁 師」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(無鑑査・上席同人作品 安食彰彦ほか)
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
小川恵子、坪井幸子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 鹿沼「水無月句会」  
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          小川恵子、久家希世 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(牧之原) 辻すみよ


運動会皆口開けて玉を投ぐ 太田尾利恵
(平成二十年十一月 白魚火集より)

 「運動会」「玉を投ぐ」と言えば定番の玉入れ競争で、一度は誰も経験しています。集中力、上に向けての投げ具合などなど、思った以上に入りませんが、見ているよりも参加ですね。ふと周りを見回すと、みんな大空に声を揚げているかに口を開けて夢中です。こんな思わぬ表情が愉快にも滑稽にも見えたのです。そこに作者は勝敗よりも楽しい一句を得ました。「皆口開けて」の措辞に俳諧があり面白い一句になりました。

赤い羽根屈みて胸に貰ひけり 三井欽四郎
(平成二十年十一月 白魚火集より)

 赤い羽根は共同募金で、例年十月一日から十二月三十一日まで行われる地域福祉事業推進のための寄付金の募金活動です。街頭でボーイスカウトの人たちなどが募金を呼び掛けています。それに応えました。お互いに目と目を合わせ、「ありがとう」のことばが自然にかわされます。子供の満足そうな笑顔と付けやすいように屈んだやさしい紳士の姿が見えてきます。胸の赤い羽根は洋服に映え、秋の陽に一層輝いていました。気持ちの良い一句でした。

晩酌は二合ときめて月見酒 山本康恵
(平成二十年十一月 白魚火集より)

 晩酌の二合が少ないか多いかわかりませんが、この方は自分にあったお酒の飲み方をしているようです。今日の晩酌の二合は月見酒です。芒を飾った縁側、それとも旅先でしょうか。お月見をしながら一句披露したかもしれません。「二合ときめて」に主人公の年令や人柄が窺えます。「真ん丸なお月様が見ていました。」
 今年の十五夜は十月三日です。函館での月見が楽しみですね。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

   郷 宿   安食彰彦

宍道湖に嫁ヶ島置き夏料理
夏雲やまたロッキードグラマンか
海凪ぐややんまの止まる錆碇
玄関の黒き大梁昼の虫
虫喰ひの代官位牌白桔梗
秋海棠運上銀の飾らるる
あきつ飛ぶ銀運上の革袋
地下蔵に蟹の置物ちちろ虫


 送り梅雨   青木華都子

折りたたみ傘畳まずに送り梅雨
変装は幅広帽にサングラス
草清水あふるる寺の外厨
茂りにも濃淡のあり橡並木
公園のベンチに誰もゐぬ暑さ
対岸で変る町名ほととぎす
神杉にしがみつきたる蝉の殻
稲は穂に庭続きなる三世帯


 夏 座 敷    白岩敏秀

烏賊釣火一途に沖を目指しをり
鬼灯の青き色買ふ誕生日
敷居よく磨かれてゐる夏座敷
蓮咲いて水の深さを隠しけり
雲の峰北へ流るる潮あり
千枚田力尽して田水沸く
水無月の音をつなぎて川流る
野の風に白のふくらむ捕虫網


   観 世 音    坂本タカ女

ふらここや崩れては立つ虫柱
鳴いてゐる鳥なんの鳥さくらんぼ
手の届く高さなりけり朴の花
二階より犬降りてくる日永かな
陶房や千手涼しき観世音
峰雲やケースの中のトロンボーン
女将なる酒のソムリエ単帯
祭笛畦に長けたる余り苗


  洛外旅吟   鈴木三都夫

木の暗に梅雨の暗さを加へたる
夏萩にしてその花の稚なき
ここだ散り花も名残りの夏椿
滴りの侘に適へる庵かな
化野の賽の河原の道をしへ
梅雨の傘たためば杖の鞍馬口
たたなはる山々模糊と梅雨霧らふ
喉越しの六腑にしむる冷し飴
 花 茗 荷   水鳥川弘宇
わが狭庭何もなけれど花茗荷
本降りとなりし茅の輪をくぐりけり
外人のちらりほらりと祇園祭
写生子に分捕られたる浜日傘
夏シャツの胸に躍れるスヌーピー
ひと張りのキャンプなれども姦しき
世界ヨットレース終りし鱚を釣る
腰痛の牛歩歩きや梅雨深し

 夜 の 秋   山根仙花
揃へ置く靴の先なる青野かな
向日葵の横顔ばかり海荒るる
夏帽の鍔ひらひらと渚ゆく
賽打つてしばらく滝を仰ぎけり
蝉の声湧き揃ひたる大樹かな
わが影に躓きのぼる梅雨の磴
梅雨荒き鏡に今日の顔を剃る
膝に置く指のしたしき夜の秋

   稲 の 花   小浜史都女
隠沼のいやはやしろし未草
眼を流し糸を流して鮎の川
餌をはこぶ蟻の前脚うしろ脚
荒海の荒きがままに秋に入る
鵲の子も鵲もしたしよ庭に来て
盆過ぎや子と飲む酒は酔はざりし
暮れてより畑の匂ひや紫蘇の花
湿りたる月のあがりぬ稲の花

 薬 師 寺    小林梨花
帰省子に習ふパソコン儘ならぬ
鋸の音八方へ秋の風
稲架襖薬師寺までの道くねり
霊山を煙らし秋の収穫期
参道は昔のままよ初紅葉
薬師寺の参道曲る葛嵐
姥百合は実に参詣の老夫婦
秋風を背に霊山を下りけり

 修 験 道  鶴見一石子
炎天を断つ街道の杉並木
修験道太き走り根道をしへ
雷一閃下野の国袈裟懸けに
崩れ簗本流となり水訪ぐ
浄め塩格子戸に盛り居待月
天の川いま在ることを神に謝し
姥捨の石は仏よ昼の虫
眼を癒し心を癒す月に逢ひ

   新 涼   渡邉春枝
新涼の数へてふやす宵の星
皿と皿ふれ合ふ音も涼新た
昼と夜を違へし嬰と生身魂
秋澄むや造り酒屋の紋瓦
爆ずる火に箸焦がしつつ秋刀魚焼く
木道を日照雨の過ぐるななかまど
衣被だれ待つとなき夕ごころ
山々のにはかに昏れて深む秋

鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  猪 の 罠   大屋得雄
山百合を大事にさげて畦道を
刈草の匂ひを負うて戻りけり
今年竹とんがりながら五六本
叱られて宿題はじむ裸の子
泥落し薬缶で酒を沸かしをり
猪の罠糠の匂へる山の中

 夜 の 秋   織田美智子
満天の星戴きて麦酒つぐ
三日目となりたる晴へ梅を干す
先頭を行くまつさらな捕虫網
日除け深く下ろして音のなかりけり
話すことなけれど二人夜の秋
送り来し人と仰げり天の川

  百 日 紅   笠原沢江
虫送り身の丈余る火の穂擧げ
雲の峰にも有る影と明るさと
里に来て線香花火に跼み合ふ
百日紅咲き継ぐ空の定まりぬ
白粉花びつしり咲いて眞紅
色紙に分け朝顔の種包む

  旧 姓   金田野歩女
噴水を何周もする鬼ごつこ
青鬼灯図書館昼の灯をともし
森襖蝦夷雷鳥の忽と現る
旧姓を呼ばれ応ふる新豆腐
父母に完治報告盆参り
爽やかや美幌峠の深呼吸
 一鐘の響き  梶川裕子
妻逝きて言葉少なき金魚売
日盛りや松の影置く浜広し
寺の子の振りまはしをり捕虫網
夏休みリュック一つの児を駅に
夏の果波の運べる破れ靴
一鐘の響きに応ふ法師蝉

 稲穂垂る   金井秀穂
蝿打つに少し手心妻の背
半袖の腕に手が行く涼気かな
戦知らぬ世代が主役終戦日
猪こねしぬたの干上る残暑かな
芋の葉に日焼け残して葉月尽
稲穂垂る止めの水を深く張る

 虫 送 り   坂下昇子
向日葵に風の重たき晩夏かな
今朝秋の空にさざ波たちにけり
丁寧に鳴き修めたる法師蝉
暗がりに来れば手を抜く踊かな
虫送り出陣のごと火を掲ぐ
闇を追ひ闇に追はれて虫送る

 盆 休   二宮てつ郎
徒食しててのひらの秋立ちにけり
山鳩の眼のまんまるの盆休
送り火の四人に四人分の闇
蜘蛛の糸の引つ張る光盆終る
蚯蚓鳴くところばかりとなりにけり
八月の鴉の鳴いてゐる木かな

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

     栃 木  小川惠子

切株の涼しき距離に夫とゐて
香るものスープに浮かべ秋涼し
まだ兄のゐる故郷の盆の月
篝火を焼べ足す踊たけなはに
被らせてもらふ編笠踊の夜


    出 雲  久家希世

いかづちの雲と戯れ盆の月
衣擦れや茶席の窓の鰯雲
籠に盛る芒秀づる茶の湯かな
山寺の庭に日照雨や薄もみぢ
待合の窓に声張る秋の蝉


白魚火秀句
仁尾正文
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まだ兄のゐる故郷の盆の月 小川惠子

 西嶋あさ子氏に「はらからに母はかすがひ単帯」という秀句がある。母が健在の頃は、生計を別にして離れ住む兄弟たちも何の気兼ねも無く盆帰省する。母が亡くなっても長兄が居ると母が居た時程ではないが、「わが家」という思いをもって帰ってくる。
 掲句は、その長兄もかなり高齢になり、今までのような盆帰省が何時までもとはいわれなくなったことを案じている。
 生家が遠く一年一年齢を重ねて、うからに不義理をすることが多くなってきた筆者には身に沁みる一句である。
 
籠に盛る芒秀づる茶の湯かな 久家希世

 「秀づる」は「ホ(穂)イヅ」が転じたもので、「特にすぐれる」「ぬきんでる」「目立つ」という意である。
 掲句は、「籠に生けた花芒」が茶花として「秀でた」ものだと作者は感じた。茶の湯に詳しくない筆者にも侘茶にふさわしい花だと共感する。金の茶室を誇った関白秀吉の血統は絶えてしまったが、侘茶を守るためこれに殉じた千利休の一統は今も脉々と続いている。そのようなことを思わせる「籠に盛る芒」であった。

秋涼し上寿迎へし僧の妻 松浦文月

 人の寿命の長さを上寿、中寿、下寿に分け、その最たるものが上寿、百歳(または百二十歳)といわれる。長寿世界一といわれる日本の最高齢は百十三歳と聞いているので、上寿は百歳とみるのが至当であろう。
 百歳を迎えて健やかな大黒さんに心から祝意を寄せていることが季語より分る。この作者は語彙が豊富。詞芸に携わる者には何物にも替えがたい強みだ。

稲の穂の孕みて忌日来りけり 鈴木百合子

白木槿十三回忌修しけり 竹内芳子

 今号群馬の作家から鈴木吾亦紅十三回忌の句が沢山寄せられ、改めて吾亦紅氏の人柄に敬服した。氏は平成九年、俳句の日といわれる八月十九日七十三歳で逝去した。同年十一月号の白魚火は二十一ページにわたる追悼特集を組んだ。先師一都と邂逅して意気投合。忽ちにして百名の群馬白魚火会を作り、門弟の指導に腐身した実力者であるが、ユーモラリストで氏の周辺には笑いが絶えなかった。白魚火へは逝去後の九月号まで句が出ているので最後の最後まで投句を休まなかった。没後見付かった紙片の、みみずが這ったような字を解読すると「炊き上げし粥銀色に風青し」という明色の一句。これが絶筆であった。

この夕べつくづく惜しと蝉の鳴く 河島美苑
 時鳥は「テッペンカケタカ」と聞く人と「トッキョキョカキョク」と聞こえる人に分かれる。法師蝉は「ツクツクボーシ」と聞こえる外は知らなかったが、この作者には「ツクツクオーシ」と聞いていたという。言われてみると納得がゆく。こういう息抜きのような俳句があってもよい。読み手に負担がかからぬので心たのしい。

一枚は巻き上げてあり秋簾 岩成真佐子

 単純明快、何の解説もいらぬ。午後になって秋暑が和らいできたので一枚だけ簾を巻き上げた。そこから見える景は読者がそれぞれ想像すればよい。心が癒されるにちがいない。
 この句は余白がたっぷりある。選者はこの余白から、白を描いた墨絵を思った。

妙高山の花野の果ての野風呂かな 吉澤桜雨子

 妙高山は新潟県南西部にある標高二四五四メートルの火山。付近には赤倉温泉など至る所に温泉がある。掲句は、妙高山麓の広い花野の果に噴湧する露天湯だが、ホテルのそれと違って殆んど人工的な設備がない。「ノブロ」というひびきも荒々しく野趣に溢れる。

盂蘭盆や仏間に嫁の魂在す 土江ひろ子

短夜の眠れぬ一夜長きかな 前川きみ代

 前句の作者は九十一歳。長生きしてくれることはわれわれに勇気を与えてくれるが、逆縁の悲痛にも遭わなければならない。
 後句の作者は、九十四歳。夏の短夜、目が冴えて仲々眠れなくて一夜が長く感じられた。それは、翌日予定したことがあるから焦ったのであろう。寝たきりであればこんな心配はない。
 両者ともに俳句がしっかりしていて選者はうれしい。俳句が生き甲斐になっていることもうれしい。是非白寿、百寿迄作句して欲しい。

    その他触れたかった秀句     
蜩の鳴きて裏山近づきぬ
内堀も外堀も虫時雨かな
入江まで境内といふ鰯雲
コーランの流るる広場秋暑し
新涼の追ひ込み座敷蕎麦を待つ
目交に木曽駒ヶ岳墓洗ふ
蚊燻しへ抱へて来ては草を足す
湾曲に沿へぬ濁流梅雨長き
秋茱萸の三つ四つ五つなつかしき
秋時雨短所の欄を塗りつぶす
帰省子は荷を置くだけで出かけけり
早稲刈りて親子でかかる村の医者
虫除けのまじなひ受けて阿波をどり
夏休み魚派肉派の一家族
蟻地獄どこにも鍵は見つからず
星 揚子
檜林弘一
安達みわ子
長島啓子
島田愃平
後藤よし子
山田ヨシコ
山口和恵
加藤数子
長棟里沙
山下恭子
柴田純子
川崎久子
山田春子
岸 寿美


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     小川惠子

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ
脱ぎ捨てしまだ柔らかき蝉の殻
蝉生る羽化の一瞬見届けぬ
積み上げし荒草匂ふ夏の果
目薬の瓶の水色秋涼し


     坪井幸子

鳥渡る夜更けの声を落しつつ
新涼やポストまで行く日和下駄
女医に肌ほめられてゐる生身魂
待宵の尖りしままの色鉛筆
身に入むや旅人のごと生家訪ふ


白光秀句
白岩敏秀

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ 小川惠子

 七月の「主宰等を囲む吟行会」で行った鞍馬寺の手洗石に空蝉を発見した。水の滴る所で見つけた空蝉を囲んで、皆がわいわい言っていると、入山受付のおばさんがやって来た。何が居るのかと聞くから、水の中に空蝉を見つけたと言ったら、おばさんは「ふーん」と面白くもないといった顔をして受付に戻っていった。それにしても、俳人とは好奇心が旺盛なものだ。加茂都紀女さんが「殻を脱ぐ蝉の始終を見てをりぬ」と披露した(作者名は失念)。作者も羽化の一部始終をご覧になったようだ。
 暗い地中から明るい地上へ這い出た蝉。地中で貯えたエネルギーを放出するように一気に殻を脱ぐ。そして、暑い夏の盛りを力の限り鳴いて短い一生を燃焼してやがて死ぬ。
 「力満ち」「一気に」の強い措辞に生き急ぎ死に急ぐ蝉の一生がしっかりと見据えられている。
積み上げし荒草匂ふ夏の果て
 私事ながら、隣接する荒れ地の一部を借りて、猫の額より狭い畑を作った。先ず最初の仕事は除草。背丈ほどの夏草の抵抗を受けながら、積み上げた草は小山のようであった。草はしばらく青臭く匂っていた。だからこの句は実感として分かる。畑には今、大根が双葉から本葉に変わって秋風に吹かれている。

身に入むや旅人のごと生家訪ふ 坪井幸子

 何か所用があって生家を訪れたのだろう。父や母はもう亡く、生家は代替わりしている。道で出会う人も顔見知りはほとんどいない。生まれ育った故郷ではあるが、川や田もどことなく昔とは様子が違う。久しく訪わなかった故郷であり、生家である。自分はもう旅人なのだと納得させてみるが、さびしさは拭いきれない。
 歳月は懐かしさを膨らませもするが、人を疎遠にしたり、旅人の気持ちにさせるものであろうか。秋風がひどく冷たく感じられる。

大蟻の漆黒走る信長忌 柳川シゲ子

 織田信長の忌日は天正十年(一五八二)陰暦六月二日である。享年五十歳。
 その日の未明、明智光秀は信長がいる京都本能寺に攻め入り、信長を自刃させた。
 陰暦の二日と言えば新月のころで月明かりはない。光秀の長い軍勢が暗闇の中を丹波から京へ急ぐ。近くの大阪城には信長の三男信孝が率いる四国遠征軍がいる。とにかく急がねばならぬ。
 掲句から「本能寺の変」のシーンに引き込まれてしまった。「漆黒走る」「信長忌」に戦国武将のイメージが重なる。

田を渡る風も火となり虫送る 古川松枝

 虫送りは稲の害虫を追い払うために行う行事。村中の大人や子供達が松明を持って囃しながら畦を練り歩く。松明が夜空を焦がし、渡る風さえ火にしてしまう。害虫駆除は農家にとっては切実な問題である。農薬のない頃の稲はこうして守られてきた。農薬で駆除することが当たり前の現代である。観光化した行事ではなく、稲作を大事にした先人達の思いに心を繋げた行事が、今でも続いていることが嬉しい。日本の明るい米作りのこれからが見えてくる。

秋に入るおしやれ心のイヤリング 吉村道子

 鏡に向かって化粧しながら、ふっと湧いたおしゃれ心。夏は暑さに追われてすっかり忘れていたおしゃれ心。お気に入りのイヤリングをつけて鏡に笑いかけてみる。鏡の中の顔が満足そうに似合うと言っている。何か良いことが起こりそうな楽しいおしゃれ心である。
 目にはっきりと分からない秋の気配を、風の音より先にキャッチした女性のデリカシー。日本の秋は女性のおしゃれ心から来るのかも知れない。

萩の風介護にゆとり生まれけり 藤元基子

 介護にゆとりができたと云うことは、病状が快復に向かったということ。「生まれけり」には病人が快復へ向かった安堵と同時に、それまでは片時も病人から目を放すことができなかった緊張の連続であったことを伝えている。語りかけるように置かれた「萩の風」に作者の安らぎが感じられてほっとする。

地下足袋を軒端に干して敬老日 若林光一

 日本の平均寿命は男性が七十九歳、女性八十六歳である。世界有数の長寿国といえる。
 六十五歳以上を老人というそうだが、元気は年齢では測れない。作者は敬老の日に畑仕事をしていたようだ。軒端に干された地下足袋がそれを物語っている。一日だけ大事にされる敬老日より毎日の畑仕事が出来る元気が嬉し。

ひぐらしや日暮れを帰るユニホーム 山本千恵子

 小学生の野球チームであろうか。滑り込みやファインプレーで汚したユニホームを着て日暮れの道を帰って行く。明日もまた学校が終われば野球の練習である。野球少年達の夢は将来の大選手へと膨らんでいる。ひぐらしが子供達を応援するように鳴いている。
 子供達を見送る作者の目があたたかだ。

  

    その他の感銘句
バス停は森の入口蝉時雨
深みゆく秋の音する土鈴かな
銅剣の錆あを青と秋深し
愚痴ひとつポンと飛ばして鰯雲
夕闇が来る冬瓜を厚く剥き
一人旅する時刻表望の月
迎火やぽんぽん船の着く時分
新涼のももいろ透ける山羊の耳
束ねつつ捌く鵜縄に縺れなし
頬杖をつきて一人や秋の雲
魂迎ふ提灯の灯を明るくす
一村に松明浮かぶ虫送り
割引の二百十日の映画館
牛の子の乳吸ふ力草の花
秋の夜や規則正しき子の寝息
大滝久江
角田しづ代
田久保峰香
稗田秋美
中山雅史
平間純一
後藤政春
松本光子
柿沢好治
舛岡美恵子
岡本せつ子
大河原よし子
中野宏子
村松智美
北原みどり


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     小川惠子

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ
脱ぎ捨てしまだ柔らかき蝉の殻
蝉生る羽化の一瞬見届けぬ
積み上げし荒草匂ふ夏の果
目薬の瓶の水色秋涼し


     坪井幸子

鳥渡る夜更けの声を落しつつ
新涼やポストまで行く日和下駄
女医に肌ほめられてゐる生身魂
待宵の尖りしままの色鉛筆
身に入むや旅人のごと生家訪ふ

白光秀句
白岩敏秀

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ 小川惠子

 七月の「主宰等を囲む吟行会」で行った鞍馬寺の手洗石に空蝉を発見した。水の滴る所で見つけた空蝉を囲んで、皆がわいわい言っていると、入山受付のおばさんがやって来た。何が居るのかと聞くから、水の中に空蝉を見つけたと言ったら、おばさんは「ふーん」と面白くもないといった顔をして受付に戻っていった。それにしても、俳人とは好奇心が旺盛なものだ。加茂都紀女さんが「殻を脱ぐ蝉の始終を見てをりぬ」と披露した(作者名は失念)。作者も羽化の一部始終をご覧になったようだ。
 暗い地中から明るい地上へ這い出た蝉。地中で貯えたエネルギーを放出するように一気に殻を脱ぐ。そして、暑い夏の盛りを力の限り鳴いて短い一生を燃焼してやがて死ぬ。
 「力満ち」「一気に」の強い措辞に生き急ぎ死に急ぐ蝉の一生がしっかりと見据えられている。
積み上げし荒草匂ふ夏の果て
 私事ながら、隣接する荒れ地の一部を借りて、猫の額より狭い畑を作った。先ず最初の仕事は除草。背丈ほどの夏草の抵抗を受けながら、積み上げた草は小山のようであった。草はしばらく青臭く匂っていた。だからこの句は実感として分かる。畑には今、大根が双葉から本葉に変わって秋風に吹かれている。

身に入むや旅人のごと生家訪ふ 坪井幸子

 何か所用があって生家を訪れたのだろう。父や母はもう亡く、生家は代替わりしている。道で出会う人も顔見知りはほとんどいない。生まれ育った故郷ではあるが、川や田もどことなく昔とは様子が違う。久しく訪わなかった故郷であり、生家である。自分はもう旅人なのだと納得させてみるが、さびしさは拭いきれない。
 歳月は懐かしさを膨らませもするが、人を疎遠にしたり、旅人の気持ちにさせるものであろうか。秋風がひどく冷たく感じられる。

大蟻の漆黒走る信長忌 柳川シゲ子

 織田信長の忌日は天正十年(一五八二)陰暦六月二日である。享年五十歳。
 その日の未明、明智光秀は信長がいる京都本能寺に攻め入り、信長を自刃させた。
 陰暦の二日と言えば新月のころで月明かりはない。光秀の長い軍勢が暗闇の中を丹波から京へ急ぐ。近くの大阪城には信長の三男信孝が率いる四国遠征軍がいる。とにかく急がねばならぬ。
 掲句から「本能寺の変」のシーンに引き込まれてしまった。「漆黒走る」「信長忌」に戦国武将のイメージが重なる。

田を渡る風も火となり虫送る 古川松枝

 虫送りは稲の害虫を追い払うために行う行事。村中の大人や子供達が松明を持って囃しながら畦を練り歩く。松明が夜空を焦がし、渡る風さえ火にしてしまう。害虫駆除は農家にとっては切実な問題である。農薬のない頃の稲はこうして守られてきた。農薬で駆除することが当たり前の現代である。観光化した行事ではなく、稲作を大事にした先人達の思いに心を繋げた行事が、今でも続いていることが嬉しい。日本の明るい米作りのこれからが見えてくる。

秋に入るおしやれ心のイヤリング 吉村道子

 鏡に向かって化粧しながら、ふっと湧いたおしゃれ心。夏は暑さに追われてすっかり忘れていたおしゃれ心。お気に入りのイヤリングをつけて鏡に笑いかけてみる。鏡の中の顔が満足そうに似合うと言っている。何か良いことが起こりそうな楽しいおしゃれ心である。
 目にはっきりと分からない秋の気配を、風の音より先にキャッチした女性のデリカシー。日本の秋は女性のおしゃれ心から来るのかも知れない。

萩の風介護にゆとり生まれけり 藤元基子

 介護にゆとりができたと云うことは、病状が快復に向かったということ。「生まれけり」には病人が快復へ向かった安堵と同時に、それまでは片時も病人から目を放すことができなかった緊張の連続であったことを伝えている。語りかけるように置かれた「萩の風」に作者の安らぎが感じられてほっとする。

地下足袋を軒端に干して敬老日 若林光一

 日本の平均寿命は男性が七十九歳、女性八十六歳である。世界有数の長寿国といえる。
 六十五歳以上を老人というそうだが、元気は年齢では測れない。作者は敬老の日に畑仕事をしていたようだ。軒端に干された地下足袋がそれを物語っている。一日だけ大事にされる敬老日より毎日の畑仕事が出来る元気が嬉し。

ひぐらしや日暮れを帰るユニホーム 山本千恵子

 小学生の野球チームであろうか。滑り込みやファインプレーで汚したユニホームを着て日暮れの道を帰って行く。明日もまた学校が終われば野球の練習である。野球少年達の夢は将来の大選手へと膨らんでいる。ひぐらしが子供達を応援するように鳴いている。
 子供達を見送る作者の目があたたかだ。

  

    その他の感銘句
バス停は森の入口蝉時雨
深みゆく秋の音する土鈴かな
銅剣の錆あを青と秋深し
愚痴ひとつポンと飛ばして鰯雲
夕闇が来る冬瓜を厚く剥き
一人旅する時刻表望の月
迎火やぽんぽん船の着く時分
新涼のももいろ透ける山羊の耳
束ねつつ捌く鵜縄に縺れなし
頬杖をつきて一人や秋の雲
魂迎ふ提灯の灯を明るくす
一村に松明浮かぶ虫送り
割引の二百十日の映画館
牛の子の乳吸ふ力草の花
秋の夜や規則正しき子の寝息
大滝久江
角田しづ代
田久保峰香
稗田秋美
中山雅史
平間純一
後藤政春
松本光子
柿沢好治
舛岡美恵子
岡本せつ子
大河原よし子
中野宏子
村松智美
北原みどり


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     小川惠子

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ
脱ぎ捨てしまだ柔らかき蝉の殻
蝉生る羽化の一瞬見届けぬ
積み上げし荒草匂ふ夏の果
目薬の瓶の水色秋涼し


     坪井幸子

鳥渡る夜更けの声を落しつつ
新涼やポストまで行く日和下駄
女医に肌ほめられてゐる生身魂
待宵の尖りしままの色鉛筆
身に入むや旅人のごと生家訪ふ

白光秀句
白岩敏秀

力満ち蝉は一気に殻を脱ぐ 小川惠子

 七月の「主宰等を囲む吟行会」で行った鞍馬寺の手洗石に空蝉を発見した。水の滴る所で見つけた空蝉を囲んで、皆がわいわい言っていると、入山受付のおばさんがやって来た。何が居るのかと聞くから、水の中に空蝉を見つけたと言ったら、おばさんは「ふーん」と面白くもないといった顔をして受付に戻っていった。それにしても、俳人とは好奇心が旺盛なものだ。加茂都紀女さんが「殻を脱ぐ蝉の始終を見てをりぬ」と披露した(作者名は失念)。作者も羽化の一部始終をご覧になったようだ。
 暗い地中から明るい地上へ這い出た蝉。地中で貯えたエネルギーを放出するように一気に殻を脱ぐ。そして、暑い夏の盛りを力の限り鳴いて短い一生を燃焼してやがて死ぬ。
 「力満ち」「一気に」の強い措辞に生き急ぎ死に急ぐ蝉の一生がしっかりと見据えられている。
積み上げし荒草匂ふ夏の果て
 私事ながら、隣接する荒れ地の一部を借りて、猫の額より狭い畑を作った。先ず最初の仕事は除草。背丈ほどの夏草の抵抗を受けながら、積み上げた草は小山のようであった。草はしばらく青臭く匂っていた。だからこの句は実感として分かる。畑には今、大根が双葉から本葉に変わって秋風に吹かれている。

身に入むや旅人のごと生家訪ふ 坪井幸子

 何か所用があって生家を訪れたのだろう。父や母はもう亡く、生家は代替わりしている。道で出会う人も顔見知りはほとんどいない。生まれ育った故郷ではあるが、川や田もどことなく昔とは様子が違う。久しく訪わなかった故郷であり、生家である。自分はもう旅人なのだと納得させてみるが、さびしさは拭いきれない。
 歳月は懐かしさを膨らませもするが、人を疎遠にしたり、旅人の気持ちにさせるものであろうか。秋風がひどく冷たく感じられる。

大蟻の漆黒走る信長忌 柳川シゲ子

 織田信長の忌日は天正十年(一五八二)陰暦六月二日である。享年五十歳。
 その日の未明、明智光秀は信長がいる京都本能寺に攻め入り、信長を自刃させた。
 陰暦の二日と言えば新月のころで月明かりはない。光秀の長い軍勢が暗闇の中を丹波から京へ急ぐ。近くの大阪城には信長の三男信孝が率いる四国遠征軍がいる。とにかく急がねばならぬ。
 掲句から「本能寺の変」のシーンに引き込まれてしまった。「漆黒走る」「信長忌」に戦国武将のイメージが重なる。

田を渡る風も火となり虫送る 古川松枝

 虫送りは稲の害虫を追い払うために行う行事。村中の大人や子供達が松明を持って囃しながら畦を練り歩く。松明が夜空を焦がし、渡る風さえ火にしてしまう。害虫駆除は農家にとっては切実な問題である。農薬のない頃の稲はこうして守られてきた。農薬で駆除することが当たり前の現代である。観光化した行事ではなく、稲作を大事にした先人達の思いに心を繋げた行事が、今でも続いていることが嬉しい。日本の明るい米作りのこれからが見えてくる。

秋に入るおしやれ心のイヤリング 吉村道子

 鏡に向かって化粧しながら、ふっと湧いたおしゃれ心。夏は暑さに追われてすっかり忘れていたおしゃれ心。お気に入りのイヤリングをつけて鏡に笑いかけてみる。鏡の中の顔が満足そうに似合うと言っている。何か良いことが起こりそうな楽しいおしゃれ心である。
 目にはっきりと分からない秋の気配を、風の音より先にキャッチした女性のデリカシー。日本の秋は女性のおしゃれ心から来るのかも知れない。

萩の風介護にゆとり生まれけり 藤元基子

 介護にゆとりができたと云うことは、病状が快復に向かったということ。「生まれけり」には病人が快復へ向かった安堵と同時に、それまでは片時も病人から目を放すことができなかった緊張の連続であったことを伝えている。語りかけるように置かれた「萩の風」に作者の安らぎが感じられてほっとする。

地下足袋を軒端に干して敬老日 若林光一

 日本の平均寿命は男性が七十九歳、女性八十六歳である。世界有数の長寿国といえる。
 六十五歳以上を老人というそうだが、元気は年齢では測れない。作者は敬老の日に畑仕事をしていたようだ。軒端に干された地下足袋がそれを物語っている。一日だけ大事にされる敬老日より毎日の畑仕事が出来る元気が嬉し。

ひぐらしや日暮れを帰るユニホーム 山本千恵子

 小学生の野球チームであろうか。滑り込みやファインプレーで汚したユニホームを着て日暮れの道を帰って行く。明日もまた学校が終われば野球の練習である。野球少年達の夢は将来の大選手へと膨らんでいる。ひぐらしが子供達を応援するように鳴いている。
 子供達を見送る作者の目があたたかだ。

  

    その他の感銘句
バス停は森の入口蝉時雨
深みゆく秋の音する土鈴かな
銅剣の錆あを青と秋深し
愚痴ひとつポンと飛ばして鰯雲
夕闇が来る冬瓜を厚く剥き
一人旅する時刻表望の月
迎火やぽんぽん船の着く時分
新涼のももいろ透ける山羊の耳
束ねつつ捌く鵜縄に縺れなし
頬杖をつきて一人や秋の雲
魂迎ふ提灯の灯を明るくす
一村に松明浮かぶ虫送り
割引の二百十日の映画館
牛の子の乳吸ふ力草の花
秋の夜や規則正しき子の寝息
大滝久江
角田しづ代
田久保峰香
稗田秋美
中山雅史
平間純一
後藤政春
松本光子
柿沢好治
舛岡美恵子
岡本せつ子
大河原よし子
中野宏子
村松智美
北原みどり

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