更新 2010.12.02

白魚火 平成17年3月号 抜粋
(通巻第652号)
H21.6月号へ
H21.7月号へ
H21.8月号へ
H21.9月号へ
H21.10月号へ
H21.11月号へ
H22.1月号へ
3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    浅野数方
「聖鐘」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
村上尚子、原 和子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 浜松 「円坐B句会」 
句会報 佐賀 「姫沙羅会
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          平間純一、佐藤升子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(札幌) 浅野数方


枯るるもの枯れ山腹の碧血碑 森 淳子
(平成二十一年二月号 白光集)

 函館で白魚火全国大会が行われ、私達北海道勢もお手伝いをさせて頂いた。星女さん淳子さんをはじめとした函館の方々のきめ細かいご配慮に楽しい思い出が沢山出来た。
 また、函館には吟行地が沢山あり、絞っての吟行となったが、その一つ、碧血碑を訪ねた。碧血碑は戊辰戦争の旧幕府軍戦死者の慰霊碑である。函館山の中腹にあり、周囲の木々を切り開いた小さな広場に高さ六メートルほどの石碑が佇んでいる。中国の故事に「死んだ人の血は地中で三年経つと碧玉となる」の記述があり、碧血碑としたようだ。
 掲句からは、碧血碑のあの異次元空間を大切にしている思いが聞こえ、七五五のリズムが箱館戦争を弔う優しさ悲しさになって伝わってくる句である。

冬帽を被る深さにこだはりて 平間純一
(平成二十一年二月号 白光集)

 北海道の冬も温暖化なのか、昔ほど寒くは無くなった。それでも雪が降り風が吹くと帽子は欠かせない必需品だ。格好など言ってはいられず、目深に被るか耳をすっぽり入れて被るか等々…いかに暖かく過ごすかである。と、考えるのは私で、純一さんは違う?さらりと格好良くダンディーに…どのようにこだわったのか?思いが膨らむ。
 純一さんの函館大会宴会の名司会。お疲れ様でした。また、恒例の旭川白魚火演劇隊によるダンス?お騒がせ致しました。演出兼小道具大道具係の吉川紀子さんとのコンビでどんな事でもやってのけるパワーに敬服。
 帽子を題材に北海道の冬の生活に思いを馳せる句である。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 山中御殿趾 安食彰彦

昼の虫加はる山中御殿趾
鬼胡桃錆びゆくままの一輪車
また別のかなかなの来て鳴き出せり
曼珠沙華雄蕊に力ありにけり
峡の風とらへ首振るねこじやらし
頂上は多夫志の烽花芒
五輪塔三基が残るつづれさせ
ちちろ鳴く髷をつかんで負力士


 海猫帰る  青木華都子

五稜郭五稜をめぐる水の秋
月今宵満天の星仰ぎつつ
中秋の函館山へ幾く曲り
漁り火を遠目に宵の月明かり
海猫帰る湾に釣り舟置き去りに
臥牛山よりの一望もみぢ晴れ
終ひの虫トラピスチヌの暗がりに
ホテルにもある坪庭や虫すだく


 大根の双葉  白岩敏秀

運動会終へし白線夜も白し
落梨になほ日の温み地の温み
大根の双葉の揃ふ良夜かな
来年は休耕の田の稲を刈る
窓開けて秋夕焼を誘ひ込む
柿照るや防鳥網は風はらみ
更けてゆくひとりひとりの秋灯
いくたびも秋を逝かせて歳澄む


 山 姥  坂本タカ女

音を忘れたる風鈴を外しけり
秋口やポストが消えてをりにける
山姥のしやべり通しや虚栗
秋の雷鮨屋に長居してをりぬ
植物図鑑開く背中のゐのこづち
石塊の十二支日時計緋衣草
廃坑の雲衝く櫓ちちろ鳴く
薊絮にむかし炭住街なりし


 大井川遺跡  鈴木三都夫

一声をもつて始まる鵙の秋
対岸の見えて水澄む大井川
川止めの昔は知らず秋晴るる
色変へぬ松に名のある遺跡かな
朝顔の松と伝へて色変へず
糸つけし蜻蛉飛びきし遊園地
おぼつかな水車と回る子かまきり
畦を塗り稲架にこだはり老いにけり

 秋冷ゆる  水鳥川弘宇
座る島横たはる島秋高し
法師蝉またはじめより鳴き始む
書肆あれば書肆に入りて秋の雨
一本にこだはつてをり菜を間引く
病院へひと汽車遅れ秋の雨
遺句集を栞りしままに秋冷ゆる
ふくらめる薬袋や秋の雨
手の届く高さに熟るる棗の実

  鵙  山根仙花
そこらまで出て朝露に裾濡らす
水の辺に住みて露けき灯を点す
みづうみに向く椅子二つ鰯雲
鍵穴に鍵差して雁仰ぎけり
二人居て二人の孤独鵙猛る
鵙鳴くや墨淡く書く喪の便り
秋晴れの空へ筒抜け子等の声
身ほとりに置くわが一書秋深む

 望 の 夜  小浜史都女
燕はや帰りて残るルルドかな
電柱の真四角雨のななかまど
よく降つて函館の夜の長かりし
菱紅葉五稜郭町一丁目
秋のたんぽぽ海は青さをとりもどす
望の夜の縁のひとりひとりかな
望の夜の函館山にのぼりけり
タカ女の手ぬくし函館山の月

  霧   小林梨花
露しとど海の上なるクルス墓
鳥渡る寺の欄間の波模様
一位の実熟るる坂道碧血碑
チャチャ登りのぼる頭上に鵙の声
夕刊を配る少年霧の中
漁火のぽつりと霧の海峡に
押し寄する霧の切れ目のネオン街
銀色の鍵をぶら下げ月見客

  詩 韻  鶴見一石子
新涼の弦絞りたる指の反り
水を挿す菊師悪役贔屓かな
百貫の鍋に蓋なき芋煮会
海峡の神さぶる詩韻月渡る
漁火を小さく揺らす律の風
銀河の尾洗ふ海峡括れゐし
音のなく寄する漁火天の川
駒ケ岳背をななめに鳥渡る

  桂 浜  渡邉春枝
色変へぬ松の枝張る渚径
万葉の歌碑より翔ちし秋の蝶
松の樹に凭れば松の香残る蝉
お手植の松に色なき風わたる
嬰のもの高く干しあり秋桜
浦人の身に入みて聞く話かな
鰡飛んで遣唐使船寄りし浜
大曲り小曲り島の葛の花


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  千 枚 田  野沢建代
ぼつとりの屋根に石置き鰯雲
千枚田女が使ふ稲刈機
稲架を組む父におやつの届きをり
澄む水に荒砥仕上げ砥浸しあり
被写体は小学生の稲運び
花野道涙出る程笑ひけり

  泣き相撲  星田一草
ここよりの富士は小さく秋澄めり
無花果の熟れ鶏小屋の朽つるまま
簗過ぎてよりくつろげり秋の水
夕厨水止めて聴く鉦叩
呼出しは皆ちやん付けや泣き相撲
泣き相撲六百番の札もらふ

 男 郎 花  奥田 積
捨て墓に日の集まれる秋の蝶
逆波のうろこ光りや男郎花
さやさやと稲田さやさや風渡る
秋分の浜を引きゆく波頭
万葉の高き石文穂絮とぶ
身に入むや屏風立ちせる石切場

 藍 工 房  浅野数方
風の色日の色秋や藍布干す
新涼や藍建ての泡七色に
露万朶藍工房の色見本
染め上ぐる布帛晒さば秋高し
昨日とは違ふ秋風藍染むる
羅漢堂出て熟れどきの茱萸口に

 新 藁  渥美絹代
背を出して近づく真鯉秋彼岸
橋向かうより稲架竹を引きずり来
一束の新藁橋に落ちてゐし
豊年の祭根引きの榊立て
一木の母校の桜紅葉かな
鋸を研ぐ音のありけり秋日和

 秋 耕  池田都瑠女
八雲忌の風さはさはと堀渡る
八雲故居庭に紅白曼珠沙華
名刹に投句箱あり新松子
延命水含めば小鳥来てをりぬ
秋雲を蹴り逆あがりできし児よ
秋耕や手艶の鍬に楔打ち

 虫 時 雨  大石ひろ女
乱れなき僧の箒目つくつくし
夕ぐれの海を見てゐるゑのこ草
ささやかな暮しとりまく虫時雨
秋風や昼を灯しぬ小間物屋
風の盆うしろ姿を追ひにけり
稲熟るる中の合掌造りかな

 草 虱   奥木温子
草虱取つてもとつても草じらみ
鳴く事の叶はぬいとど一トつ跳び
漁火と湾の灯溶くる良夜かな
どの椅子も木目露はや実玫瑰
生キャラメル一瞬に溶け星月夜
長き夜の踊り嫌ひの踊らされ

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  旭川  平間純一

(ずり)山の森となりけり雁来紅
炭山(やま)廃れ六万本の緋衣草
墓標なる立坑櫓花すすき
屋根塗替へ炭山(やま)に古り棲む秋灯
水澄むやかつて洗炭したる川


  浜松  佐藤升子

沓脱ぎの突つ掛けを借る萩の花
月白や浦に二軒の佃煮屋
背の高きコックの帽子小鳥来る
SLの駅発つ汽笛吊し柿
秋深し鼻にくつきり眼鏡あと


白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ

墓標なる立坑櫓花すすき 平間純一

 福永耕二に「新宿は遥かなる墓碑鳥渡る」という秀句がある。高さ二百メートル余のビルの林立を墓碑とみた心象的な写生句である。対して掲句は、廃坑の立坑櫓を墓標とみて思いを深めている。内容は全く別であるが、沈思という点では通底している。
 立坑とは、鉱山の大動脈で垂直に掘り下げた坑。深い所では三百メートルを越えるものもある。ケージと呼ばれるエレベーターで、人員の昇降、資材の搬入、鉱石や石炭や(ずり)(廃棄される岩石屑)の搬出が行われた。立坑櫓は、立坑口の上に組んだ堅牢な構造物で、ここにケージを吊る大滑車が固定され、ワイヤーロープで巻揚機に接続する。
 作者は、錆びたまままだ存置されている立坑櫓を廃鉱山の墓標と見て取った。ここに昔栄えた大鉱山があったという証。廃坑の矜恃のようなものを感じたのだ。季語の「花すすき」がその思い入れを象徴している。
 同掲の「(ずり)山の森となりけり雁来紅 純一」坑道掘進の発破で破砕されたの捨場は、豪雨により流出する防止策が廃坑になっても義務付けられている。バブル華やかな頃は近隣の砕石業者が安く買い取って一欠片もなくなっている所が多い。の上に土が溜り木が生え、それが森になったというのは、相当な僻地で廃坑になった永い歳月が思われる。

背の高きコックの帽子小鳥来る 佐藤升子

 掲句の「背の高き」は、コックにかかった措辞であるが連想は帽子にも及ぶ。一八〇センチに近い長身のコック、被った白い帽子も三〇センチ程ある。「小鳥来る」の季語が一句を穏やかな雰囲気にし、コックに近親感を与えた。きっと腕のいいコックだろう。
 一連五句は特大のホームランはないが総てクリーンヒット。どの句もしっかりと立っている。白魚火集の五句欄は、ホームランが三本あっても三振があれば選ばれない。四球は許されるが打率は十割でなければならない。この作者の打率は毎年九割を切ったことがない。

榧七寸に居住まひ正す秋灯下 竹元抽彩

 作者は剣道七段、教士の称号を許されている強者。国体などに出場のときは県チームのキャプテンを務めていた。掲句をみると作者は剣道の外に囲碁か将棋の有段者のようだ。榧七寸の盤というと碁でも将棋でもタイトルのかかった対局に用いられる程の高級品。「居住ひ正す」が、この盤を挟んで対局している作者なのか、対局を見せて貰っているのか。何れにしても盤側のしんとした空気が伝わって来る。

秋天の雲に渋滞なかりけり 渡辺晴峰

 先般東名高速道路が工事中で二車線の内一車線だけしか通さないための大渋滞に巻き込まれた。中部国際空港から浜松まで二時間を予定していたが倍の四時間半もかかり、サービスエリアにも寄れず随分と難渋した。掲句の秋雲は峰雲と異なり軽くて塊りも小さい。ゆっくり動いているようであるが大空は広々として余裕たっぷり。前述の渋滞にいらいらした後、この句を見て日本の国土は狭いものだと痛感した。

何もなき机の上の秋意かな 川島昭子

「秋意」「秋思」「秋声」など形の見えない季語では、はっきりした具象を持ってこないと一句の作意が伝わってこない。掲句は、何一つ置かない机を見て秋意を感じた。きっぱりとした清潔な秋意である。

爽やかに吾献体を約しけり 大山清笑

 献体とは、本人の意志により死後その遺体を医学の研究用に無償で提供すること。臓器移植のドナーの承認も含まれているのだろう。作者は助産婦として今も現役で生命誕生の素晴らしさを常に見てきたので、生命を大事にするため一身を投げうったのである。

暮早し行商人の捨て値かな 矢本 明

 山深い所への行商は、車を使うので「動く何でも屋」であるが、その中で魚類や衣料が主なものである。短日となってまだ売れ残っている魚などは半値にしても売り捌かねばならぬのである。最近チェーンスーパーの本部が売れ残りを値引して売ったスーパーを叱って世論の反発を招いた事が報道されていた。

水の道大きく開き簗仕舞 稲野辺洋

 簗には逆八の字形の簀を立てて落鮎を簗に誘導するが、簗解体となると先ずこの簀を外す。「水の道大きく開き」はそのこと。簡明な描写が句柄を生き生きとさせている。

    その他触れたかった秀句     
朝顔の種色別に採り収む
襖入れ部屋の小さくなりにけり
空稲架の高さを風の抜け行けり
爽秋の刻ゆるやかに野点席
アイヌ名の駅のつづきし草紅葉
水は秋きのふとちがふ雲うつし
五稜郭見下す鷲の目となりて
夢色の函館山の良夜かな
色変へぬ松亭々と五稜郭
笛方は二人の古老里祭
百二十二人前なる南瓜割る
かまきりの大き腹して壁登る
壺に活け一歩さがりて見る芒
鉛筆を置きて良夜の旅枕
万巻の書に囲まれて秋惜しむ
古藤弘枝
牧野邦子
田中ゆうき
林あさ子
小林布佐子
山西悦子
舛岡美恵子
小川惠子
出口廣志
大城信昭
三関ソノ江
山口菊女
近藤すま子
江角トモ子
稲井麦秋


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

  村上尚子

待宵や函館湾の灯をつなぎ
蛇笏の忌明日は素十忌木の実降る
朝露をきて讃美歌に声合はす
持ち帰るトラピスチヌのもみぢかな
風見鶏くるりと秋を深めけり


  原 和子

生身魂の皺の手足の長きかな
かなかなの一声墓を洗ひけり
秋茄子の太め細めを使ひ分け
虫捕りの少年ひとり帰りけり
献金のことりと落つる秋思かな


白光秀句
白岩敏秀

朝露をきて讃美歌に声合はす 村上尚子

 函館空港は雨が降っていた。初めて訪れる函館の街である。空港から函館駅へバスに乗り換え、駅前で観光バスに乗った。こうして私の「白魚火全国大会」の『函館大会』第一歩は始まった。
 掲句は大会第一日目の俳句会で私が特選一位に推薦した句。
 「朝露をきて讃美歌」でも十分に美しい。しかし、この句の焦点は「声合はす」にある。傍観者のように「聞く」のでもなく、積極的に「歌う」のでもない。旅人として謙虚な気持ちで、地元の人達の歌う讃美歌に声を合わせる。そして、敬虔な気持ちで神を崇める。函館の地に対する慎みのある挨拶である。
蛇笏の忌明日は素十忌木の実ふる
 「ホトトギス」の第一期黄金時代を築いた飯田蛇笏の忌日は十月三日。「ホトトギス」四Sの一人高野素十の忌日は十月四日である。
 この両日は「函館大会」の開催の日に当たる。俳句の大先達の忌日を借りて函館大会の成功を祝しているのである。更には「木の実降る」。「降る」には「落つ」に比べてボリュウム感がある。ここでも大勢の誌友が参加した大会の喜びを表している。
 作者は承知の上で、季語を重ねて大会にエールを送ったのだ。

献金のことりと落つる秋思かな 原 和子

 秋思には秋のさびしさやあわれさなどしみじみした気持ちがある。杜甫の「秋思雲髻を抛ち、腰肢宝衣に勝る」から出ているという。
 この句も函館大会で発表された句。吟行の途次に立ち寄った教会で献金したのだろう。
 十字架のキリスト像を拝しながらの献金。善意の硬貨が献金箱に立てるかすかな音に生まれた作者の秋思。季節に関係なく置かれている献金箱に、秋という気持ちの陰翳が投影されていよう。そして、遠く家郷を離れているという旅愁も又。

花野行く人みな知己のごとくして 伊藤巴江

 楽しい句である。花野を行く人は皆、百年の友達のようだと言う。花野を行く時には大手を振って歩き、人に会えば共に花を愛でる。花野にはどこか人を親しくさせるところがある。咲き乱れる花の賑やかさのせいであろうか。屈託のない明るさと健康な花野の一日であった。

サーカスの去りし広場や鰯雲 高間 葉

 かっては小さなサーカス団が田舎にも回ってきて、賑やかに幟を立てていたが、今はほとんど来なくなった。
 サーカスには幼い頃の郷愁がある。そして、サーカスの華やかに比例して、去った後の淋しさは一層つよい。
 この句、サーカスの情緒を中七の「や」で切って、場面を「鰯雲」に転じて景を大きくした。サーカスの去った広場の上には、日本の空があり、秋がある。

拭き終へて秋の廊下となりにけり 横手一江

 廊下は拭いても拭かなくても廊下であろうと思いながら、さて、「春の廊下」ではどうか、夏ではと思い巡らしてみた。しかし、綺麗に拭き上げた廊下の清々しさは矢張り秋のものと得心した。再読、再々読するうちに爽やかな廊下が浮かびあがって来る。
 平明な描写に主婦の心映えが感じられる句。

返り花今幸せといふ便り 山田春子

 何かトラブルがあってゴタゴタしたのだろうか。それも今はすっかり片づいて、元のような穏やかな幸せが戻った。冬の暖かな日差しに咲いた返り花に今の幸せが託されていよう。思わず肩の力をほっと抜きたくなるような便りである。
    
蟷螂の堂の暗さに身を構へ 佐野栄子

 蟷螂は闘う性質を持って生まれてきたらしい。堂内という場所柄もわきまえず、暗さの中で身構えている蟷螂。作者の驚きを抑えた表現に、蟷螂の姿や貌がリアルに浮かびあがる。
 交尾を終えた雄蟷螂はやがて雌に喰われてしまう。そうした行く末を思えば、死ぬまで鎌を振り上げている蟷螂が哀れである。

一息に酒飲み神輿担ぎけり 中西晃子

 一気に酒を呷って神輿を担ぐ男達。祭りのクライマックスである。男達の吐く荒い息遣いが聞こえ、神輿を担ぐ肩の筋肉の盛り上がりまで見えてくる句。作者はすでに祭りの渦中の人になっている。

    その他の感銘句
尾の先の力ゆるめて蛇穴に
鶏頭や垣といふもの結はず住む
刻かけてもどす椎茸秋納め
旅の夜のことんと寝付く萩の雨
紅葉且つ散る杣人の握り飯
秋風や素通りしたる郵便夫
青空に近きいちじく捥ぎにけり
風吹いてコスモス風となりにけり
無花果の熟れて土蔵の崩れをり
秋声や石室閉ざす鉄格子
銀木犀少し離れてよく匂ふ
種ふくべ庵主は白寿ひとつ越す
名月や我が足音と水の音
スーパーの氷の中の秋刀魚かな
水引草湯桶に生けてありにけり
森山暢子
挟間敏子
陶山京子
奥野津矢子
東條三都夫
鈴木百合子
田原桂子
村松典子
宇賀神尚雄
小村絹代
河森利子
鮎瀬 汀
佐川春子
佐藤恵子
勝俣葉都女

禁無断転載