最終更新日(Update)'10.11.30

白魚火 平成22年12月号 抜粋

(通巻第664号)
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12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   木村竹雨
「別火」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦 ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     
村上尚子、荒井孝子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 「群馬白魚火矢倉句会」
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          大村泰子、大澄滋世  ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(雲南) 木村竹雨

 本堂も庫裡も拭き終へ親鸞忌  原 みさ
 百膳のお斎料理や報恩講         〃   
  (平成二十二年二月号 白光集より)

 いうまでもなく親鸞忌は浄土真宗の開祖親鸞聖人の命日であり、報恩講はその忌日に行われる仏事である。
 この句の作者と筆者は同じ句会の仲間であり、また、たまたま同じ浄土真宗のお寺に所属している。浄土真宗では仏法を聞くこと(聞法)を大変大事にしている。私達が所属しているお寺では、外部から講師を招いての法座(聞法する集い)が年六回営まれている。その中でも報恩講は最も大事な仏事で、昼夜を通して三日間取り行われる。
 なお、いつも各法座二日前には、門徒の有志二十数名がお寺に集まり、本堂、庫裡はもとより庭の隅々まで念入りに清掃することにしている。
 報恩講の前には、特別に仏具磨きも行う。真宗の仏具は金色であるが、磨かれた仏具はいっそうその美しさを増す。
 掲句一句目からは、清掃準備等すべてなし終え、「ああこれで今年も無事報恩講を迎えることができる」という真宗門徒としての充足感、安堵感が伺われる。
 お斎は仏事の時にいただく食事である。昨年の報恩講には、三日間を通して、延べ約三二〇名のお参りがあった。報恩講の時には、お寺からお斎券が配られ、希望者にはお斎がふるまわれる。
この食事の準備が大変である。仏教婦人会の役員の皆さんは、事前にその下準備をされ、報恩講当日は、各地区からの当番が早く集まってお斎づくりをする。二句目は百膳のお斎である。準備、あとかたづけ等大変であるが、皆嬉嬉として仕事にあたられる。この句からはそのような忙しい中にあってもなごやかで温かい情景が目に浮かんでくる。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


  秋 の 蚊   安食彰彦

秋の蚊の吾を待伏したるごと
縺れつつ吾に付き来る秋の蚊め
士官の挙手受け秋晴のエアパーク
表彰者拍手で讃ふ天高し
俳句大会長く秋思の椅子に座し
真先に新酒を頼む二人かな
秋晴の浜松そいぢやさやうなら
大会終へ何と大儀な秋の汽車


 秋 天   青木華都子

目薬をさし秋天を仰ぎけり
きらきらときらと浜名湖水の秋
萩こぼる地に戻したる萩の精
穴まどひ寺に二の蔵三の蔵
廃屋となりたる庭の秋ざくら
秋日濃し湖岸に縮緬皺寄する
落ち鮎や水の逆巻くひとところ
揺らしつつ渡る吊橋崩れ簗


 爽やかに   白岩敏秀

稲の花砥石に水を含まする
夕闇に溶けゆく語尾の法師蝉
萩に触れ女立ち去る風の中
勾玉に糸孔ひとつ秋うらら
こほろぎの声の濡れゐる夜の雨
稲雀湖を旋回して戻る
雨の鵙昼を灯して精神科
爽やかに会ひ爽やかに別れけり


 蕃 茄   坂本タカ女

雪渓を丸のみにして雲の影
風躱しては向日葵の大葉かな
論よりも証據なりけり蕃茄切る
尻もちをついてをるなり茄子の馬
蕃椒料理や指の火照りくる
走り蕎麦競馬新聞読みをりぬ
辞書引いてルビを振りおく萩の雨
秋澄むや牧牛雲の影の中


 一 都 忌  鈴木三都夫

こざつぱり草刈つてあり盆の道
現世の送り火といふ別れかな
地蔵盆子供相手の小商ひ
地蔵盆開けつ放しの里住まひ
火を煙が煙が火を追ふ虫送り
殿の火の動き出す虫送り
虫送り済みたる里の真暗闇
追ひ越せぬ師を追ひ続け一都の忌
 新 涼  水鳥川弘宇
歩くのが楽しくなりぬ稲は穂に
新涼や卒寿の兄に励まされ
連名の敬老会の案内かな
裏庭は白砂青松秋桜
寺町の一筋道の秋日和
ねんごろに案内受けたる萩の寺
秋灯下眼の衰ろへをかこちあふ
「ニッポンの猫」読み返す秋灯下

  小鳥来る  山根仙花
風触れて水引草の紅散らす
山国の秋あたらしき水と空
眼鏡屋のめがねめがねに秋日澄む
秋蝶の塀に沿ひゆき塀を出ず
小鳥来る峡に古りゆく廃校舎
み仏のうすれし朱唇小鳥来る
皆大樹みな秋天へ枝ひろげ
蛇穴に入りたるあとの葬二つ

 蛇 笏 忌  小浜史都女
浜名湖の全容美しき蛇笏の忌
鰯雲密にして湖青からず
紅萩や御目文字適ふ観世音
鳥たちに戻る巣ありて神の留守
藪茗荷実に滑滝の滑らかに
黄落や起伏よろしき石畳
古戦場あたりもつとも時雨けり
冷まじや軍扇の房いと褪せし

 七 七 日  小林梨花
山門を潜る色なき風の中
念佛の流るる路地や宵の月
方丈の後姿や虫しぐれ
澄む水をたつぷり手向け七七日
夕月に湖茫洋と忌明けかな
黒雲の透き間に凛と望の月
慣らし笛止みて一峡無月なる
花束のごと畦に咲く曼珠沙華

 銀 河   鶴見一石子
崩れ簗水轟轟と蛇籠打つ
虫すだく鬼怒の流れの一里塚
唐黍街道百の七輪火を起す
穴惑不恰好なる塒解く
聞き流しあひづちを打つ一葉かな
馬小屋の金具の銹し昼の虫
新車購入ハンドルを切る星月夜
大鬼怒の流れ滔々銀河濃し

 毛利城跡  渡邉春枝
かなかなや木洩日ゆるる毛利墓所
露草の露一滴のたなごころ
初もみぢ元就公の井水湧く
本丸跡ただ秋風の吹くばかり
椎の実の落ちて二の丸三の丸
神木に耳あてて聴く秋の声
神官の声のさやかに爽やかに
切株となりし神木小鳥来る


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 秋 の 蚊  関口都亦絵
虫の音も人も途絶えし観音堂
初もみぢ生死分けたる石の階
秋の蚊の人肌恋うてまつはりぬ
神奈備のたそがれ刻を鳴くちちろ
外壕の風の吹く道式部の実
日向ぼこ恵比須顔なる百二歳

 子規の忌  寺澤朝子
知らず知らず近道えらび曼珠沙華
晩稲刈る漢の腰に括り藁
単線の鉄路を隠す花すすき
宙とんで鵯が蟷螂取り逃す
子規の忌をすぎてへちまの太りけり
烏瓜引けば乾ける音のして

 濃竜胆  野口一秋
一心の色に出にけり烏瓜
二荒山の霊草といふ濃竜胆
貧厨の華新米の炊き上り
きちきちに晩年の胸掴まれし
松手入畢る心もがらんどう
まだできる鮎の友釣り秋暑し

 放 生 会  福村ミサ子
みづうみに舟津の跡や鳥渡る
薬蔘の苫屋の廃れ蚯蚓鳴く
湧水のふつふつとして秋澄めり
色鯉の尾を振つて散る放生会
銀漢や沈没船はいま魚礁
鰡とんで神話の海の煌めけり
 秋 深 し  松田千世子
阿羅漢の御頬ゆたに萩の風
石橋の羅漢にこやか鵙高音
父に似し羅漢に佇てり秋の声
天守より望める富士や秋深し
秋夕焼一舟戻るみをつくし
秋風とゆく家康の散歩道

 願 ひ 石  三島玉絵
水はみな海をめざせり鰯雲
一人歩きの自在な歩巾秋の空
虫を聴く聞ゆる方の耳澄まし
鵙の声疣神に積む願ひ石
小鳥来る寺に火渡り行の跡
鹿垣に潜り戸のあり人住める

 夏 終 る  森山比呂志
ゆるやかに老い深みゆく夜の秋
晩年の日日流れゆく雲の峰
雑草の強きをほめて夏終る
ほどほどと言ふを知りゐて生身魂
誰となく艶ばなし出て敬老日
自転車を降りて挨拶草の花

 海亀の子  今井星女
孵化したる一寸五分の子亀かな
遠州の砂丘に生れし子亀かな
今生れし砂まみれなる小亀かな
手のひらに乗せし小亀を砂に置く
水際にきて立ちどまる小亀かな
引く潮に子亀の姿もう見えず

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   浜松  大村泰子

太刀魚のしろがねこぼす糶場かな
鳥威きつちり風を裏かへす
鉦叩の一打が口火切りにけり
川沿ひの尾花は吹かれ上手かな
荷ほどきの小菊の匂ふ何でも屋


  浜松  大澄滋世

肉細の本陣日記つづれさせ
四階の窓に飛び来る螇蚸かな
御番所の庭のしじまや今日の月
尺八の音色の澄める良夜かな
白萩や置屋に残る桐箪笥


白魚火秀句
仁尾正文
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鉦叩の一打が口火切りにけり 大村泰子

 カン、カン、カンと鳴き一寸間を置いてカン、カン、カンと鳴く鉦叩はコオロギ科の小さな虫。少し低音であるが鉦叩が鳴き始めると、満を持していたようにこおろぎがリ、リ、リ、リと、又美声の松虫がチンチロリンと鉦叩より一段高い音程で鳴き始めた。そのうちに鈴虫が澄んだ音色を聞かせるようになった。
 虫しぐれの口火を切ったのが低音の鉦叩であることが面白い。鉦叩はオーケストラの指揮者の如く堂々としていたのだ。句は「一打が口火切りにけり」が如上のような想像の輪を拡げ、読者に虫しぐれを聞かせてくれた。
 今回の浜松における全国俳句大会では浜松、磐田勢の成績がよかった。大会参加の百九十余名中八十余名を磐田、浜松が占め内四十数名が大会運営役員で、この作者もその中の一員であった。役員は三日間ホテルを一歩も出られぬので、事前に大会句を作り置いた。大小のグループが何回も近郊を吟行した。同掲の「太刀魚のしろがねこぼす糶場かな」は舞阪漁港の朝の糶市吟行。頭掲句は、あるいは自宅周辺の景かもしれぬが吟行の余韻が詠ましたものであろう。日常見る物聞く物すべてが遠州という地の利に恵まれてもいた。

肉細の本陣日記つづれさせ 大澄滋世

 東海道五十三次は百二十五里(約五百粁)あったが舞阪宿と新居宿との間一里は海上の舟便に拠った。新居関は出女入鉄砲の詮議が特に厳しく、舞阪から新居へ渡るのには往復十二里もの奉行所(現磐田市にあった)へ行かなければならなかった。為にこの両所間では婚姻はもとより物流や文化が途絶した。
 新居宿には三つの本陣があり、例えば匹田八郎本陣は、薩摩、長州、尾張の定宿で、空いた時は、大、小名や公家、高僧寺が宿泊を許された。これらの大藩は二千人もが泊るが三十部屋位しかないので旅籠や加宿に分宿した。寝具や風呂桶、食材も大名が持参するのでこれらの用人や料理人も連れ大世帯になった。参勤交代は諸藩に出費を強いるのも目的であったから大変なことであった。一年も前から本陣と打合せして夕刻新居関を通り一泊した翌朝西方へ旅立ったのである。
 掲句は新居関にある資料館で本陣日記を見付けたのが手柄。B5版位の和紙の綴帳に巾八ミリ位の細字がびっしり書かれていたが手触れ禁止のため細部は分らなかった。今の宿帳のようなもので簡単な記録だったようだ。タクシーを待たせた吟行では資料館を見る余裕はなかったであろう。
 句は「肉細の本陣日記」「つづれさせ」と名詞を重ねたものであるが「つづれさせ」が動詞からきた名詞であるので、しらべが滑らかである。その一芸も評価した。

とんばうは往来自在海の関 大城信昭

 幕藩政治体制の元で海の関は船番所とも呼ばれ下関の赤間関や下田、防府の中岡、対馬、小樽など名だたる港に置かれ回船の積荷特に鉄砲などが検査された。海に接した陸関の新居も海関に入れられているのは、言うまでもなく入鉄砲の詮議であった。多くの文献では海の関というと新居関の記述が殆んどで、ここが難関だったことがよく分る。
 眼前には、とんぼが屈託なく自由に飛び交ってのどかであるが、読者には当然海の関新居に思いが至る。

櫂の音に合はす舟唄水の秋 奥野津矢子

 何処ででも見られる舟下りの景であるが、これは天竜市の舟下り。かつて最上川や松江城濠では美声の船頭に恵まれた思い出が楽しい。
 北海道勢は、この日遠州浜で海亀が孵化し海に向かってまっしぐらに進む景にも遭遇した。千載一遇の僥倖に恵まれたのは、先師の「足もて作れ」を実践したからだ。

木犀や脇本陣に門のなし 田口 耕

 昔は門があり庭もあったのが道路拡幅により舞阪の脇本陣には確かに門がない。私どもはそのことに何の不思議も感じなかったので虚を衝かれた。隠岐からきた若いこの作者に一本取られたのである。

寺の名と字の名ひとつ小鳥来る 大石益江
 舘山寺のある町名は、浜松市北区舘山寺町。小鳥来るという綺麗な季語で土地褒めをしたのである。

ひとときのホバリングせる稲雀 三谷誠司

 ホバリングはヘリコプターや鳥が空中で停止した状態にあること。稲雀が稲田へ下りるときどの稲穂に止まろうかと一瞬逡巡している様を「ホバリング」と活写した。秀句だ。

    その他触れたかった秀句     
背をぽんと叩きさやかに再会す
太平洋載せて砂丘の秋夕焼
浜松城金木犀の香りをり
川底の砂の小躍る水の秋
湖に向きみかん山みかん山
稲抜くや手回り役のおほわらは
渡る鷹渡らぬ鷹も昇りけり
ジーパンで侍る茶席や菊日和
茗荷咲く遺言セミナー案内書
玄海の波つま立たす葛の風
砂丘にも生命の証し草は実に
満月の波の眩しき浜辺かな
池の端の月光受くる花芒
紺碧の白馬三山草紅葉
大木となりて芳し独活の花
村上尚子
竹元抽彩
高井弘子
片瀨きよ子
松下葉子
川本すみ江
一宮草青
江見作風
高橋花梗
谷口泰子
仙田美名代
中野キヨ子
廣川恵子
鎗田さやか
本田咲子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      村上尚子

水平線は空の始まり鳥渡る
今切の潮に触れゆく秋つばめ
秋燕や日暮れて高き波の音
風紋を踏みて露けき靴の先
数珠玉や叩きてこぼす靴の砂


      荒井孝子

風紋の濡れ色秋を深めけり
潮騒の寄せては途切れ虫の声
鷺一羽杭に吹かるる湖の秋
砂山の秋風紋の襞深し
行秋のみな風敏き草木かな


白光秀句
白岩敏秀

水平線は空の始まり鳥渡る 村上尚子

 そうだ、空にも始まりがあったのだ。海の彼方、渡り鳥の集団が黒い点となって現れるところが空の始まりなのだ。そこが水平線。
 詩人とは思いがけない発想をするものだ。例えば、三好達治の「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」(『土』)とかルナールの「蝶=二つ折りの戀文が、花の番地を捜している」(『博物誌』より)など。
 海上に渡り鳥を見出したときに詩の心が動いている。
数珠玉や叩きてこぼす靴の砂
 十月の浜松全国大会の時に中田島砂丘に出かけてみた。砂丘は砂の感触を楽しみながら裸足で歩くのが一番だが、靴を履いていると気づかぬうちに靴に砂が入っている。
 この句は「叩きて」と表現が具体的であるため、砂をこぼす動作がはっきりと見えてくる。そして、数珠玉の固さが砂の柔らかい感触を引き立てている。

風紋の濡れ色秋を深めけり 荒井孝子

 砂丘は四季折々に違った表情を見せる。一日の時間帯によっても表情は変わる。その砂丘のなかに生まれた風紋。風紋を「風のあしあと」と詠んだ人がいる。
 夏のさらさら乾いた砂のつくる風紋とは別の、しっとりと重さを感じさせる秋の風紋。その変化をあたかも風紋に意志あるごとく「秋を深めけり」と結んでいる。生き物の盛衰ない砂丘の季節を風紋の変化に見出した直観が鋭い。同時に断定の背後に深い秋思のあることも見逃したくない句である。

溝萩や蝦夷山椒魚に手足出て 奥山美智子

 蝦夷山椒魚を初めて見たのは平成十五年の旭川全国大会、コタンの森の坂道にある水路の中である。それは小さな山椒魚の子であった。「山椒魚等身大の魚を食ふ 油井やすゑ」がその時の状況。仁尾主宰が『白魚火燦燦』で鑑賞されている。
 共食いする山椒魚であっても子は可愛い。手足がでて得意そうに泳いでいれば尚更のこと。溝萩の近くの世界で、元気に育っている小さな生き物に作者の目が喜んでいる。

天高し注連を結びし滝頭 原 みさ

 日本人は古来から万物に神が宿ると信じてきた。山に田に樹木に岩に…等々。滝も例外ではない。丈余の高さから轟音とともに落ちてくる水に神威を感じたのは間違いないことであろう。
 高々とある空、滝頭の注連から垂直に落ちてくる滝水そして蒼々と神秘の色を湛えてる滝壺。天から地へ一直線に繋がる構図が神の降臨の道を思わせる。迷いのない詠みがそう思わせるのだ。夾雑物を取った簡潔な表現に臨場感があり、作品に力がある。

屈み見る程の小草も実を付けて 北原みどり

 人は大きなものや華やかなものに目を奪われ、小さなものや地味なものは見逃し易い。
 しかし、掲句は違った。屈み見る程に小さなものに目をとめた。「よく見れば薺花咲く垣根かな 芭蕉」を思い出す。
 咲くべき所を得て咲き、そして実を付けた神の配慮のような小さな秋の草。感嘆符をつけたような止め方に余情がある。

登高の円座に味を広げたる 秋葉咲女

 登高は陰暦九月九日で五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日)の一つ。高いところに登って災難を避けたという習わしがあったが、今ではあまり行われていないようだ。
 この句の「円座に味を広げたる」はユニークな表現。美味しいご馳走の匂いがさっと広がってくる。円座に広がる笑い声や楽しい会話も聞こえてくる。
 澄みきった秋空の下で、登高を兼ねたピクニックの様子が健康で明るい。

踊りけり不漁の浜の砂蹴りて 浅見善平

 豊漁を期待しながら不漁で終わった漁。胸中は悔しい思いであったろうが、句にはそれに反発する強い響きがある。
 「踊りけり」「砂蹴りて」に不漁のことはすっぱりと忘れ、次の漁に期待する決意が込められていよう。不漁というテーマは決して軽くないが、ポジティブな気持ちに救われる思いである。

威銃四方に山ある響きかな 井上科子

 新緑の頃に植えられた苗が山々に見守られながら育って稲穂の時期を迎えた。山々は今、紅葉の準備を始めている。
 田に鳴る威銃が山々にこだまして、こだまがこだまを呼んで響く。四方を山に囲まれた稲田の景。作者の風土を垣間見る思いの句だ。

    その他の感銘句
街角の托鉢僧の赤い羽根
検診の農夫胸より籾こぼす
餅一斗担がせてゐる菊日和
藍青の天金色の望の月
ふたごころなき木犀の香なりけり
初秋の猫の目があり長廊下
一粒づつ輝いてゐる今年米
赤い羽根紺のスーツを選びけり
面上げて女なりけり蓴舟
鰯雲残し山湖の昏れにけり
窓開けてあきつの空とつながりぬ
牧牛に広ごる空の高さかな
今日の月静かな街を照らしけり
秋潮の満ちて高鳴る船溜り
散髪のくりくり坊主衣被
福田 勇
野澤房子
遠坂耕筰
村松綾子
鈴木敬子
上武峰雪
大石美枝子
広岡博子
森 淳子
横手一枝
池田都貴
角田しづ代
川島昭子
藤井敬子
黒崎すみれ
禁無断転載