最終更新日(Update)'11.02.28

白魚火 平成23年2月号 抜粋

(通巻第666号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    宇賀神尚雄
「小止みなく」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
星 揚子、中山雅史 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火賞発表
 
  ・「白魚火賞発表」
   ・同人賞発表
  ・「新鋭賞発表」
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          渡部美知子、諸岡ひとし ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(宇都宮) 宇賀神尚雄


おとなりに聞えぬやうに鬼は外 荒井孝子
  (平成二十二年四月号 白魚火集より)

 むかし節分の時は、鰯の頭を刺した柊の枝を軒端に差したり、厨口に立て掛け、邪気を払う標として、豆撒きをしていました。今でもやっている所があるかも知れません。
 夕方になって、どこかの家で鬼やらいの声が上がると、それに応えるように方々の家から一斉に声が上がったものでした。ところが最近は、路地のどこからも声は上がらず、真にひっそりとした節分の夜となっています。
 ひとり住いか、家族の方がおられるのか、定かではありませんが、声を上げることへの気恥かしさが先に立ってしまって、そっと豆撒きをされている。ためらいつつも、福を招く慣わしへの責めを果たそうとする。いかにも今の世相を映し出している、そんな思いの伺える句です。鬼に対して、大変にやさしい時代になったのかも知れません。

初午や地酒振舞ふ割烹着 岡あさ乃
  (平成二十二年四月号 白魚火集より)

 幼い頃、田舎暮しをしていましたが、大概の農家が屋敷神を持ち、家の裏や奥まった所に、小さな稲荷社を備えておりました。初午の日は、そこに五色の紙の幡を掲げ、お赤飯や油揚げ、そして「しもつかれ」を供えたものでした。「しもつかれ」は、大根と人参をおろした中へ、塩鮭の頭、油揚げ、酒粕、そして節分に用意した煎り豆を入れて炊き上げたもので、栃木特有の郷土料理と言って良いかと思いますが、今でもこの時期には良く作られて、三度の食事に供され、酒の肴にはもってこいの食べ物となっています。
 初午は、地域によっては大がかりな行事が催される所もあると聞いています。その行事に携わった男衆への労いとして地酒が振舞われ、その接待に割烹着姿の女子衆が甲斐甲斐しく立働いている、賑々しい祭の雰囲気が、正に実感される句となっています。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


親 子 鹿  安食彰彦

前照灯に止まる二頭の親子鹿
親子鹿まばたきもせずみじろがず
にぎやかに銀杏落葉の吹かれをり
大銀杏裸木となり星宿し
枯菊や五三の桐の崩墓石
先輩かうしろ姿の冬帽子
ものいはず冬の卵を割りにけり
咳の児の小学校に駈けて行き


 橡 落 葉  青木華都子

散るもみぢこれからといふ山紅葉
橡落葉貼り付く雨の遊歩道
風が風呼び散りしきる大銀杏
一葉も残さず銀杏散りしかな
落葉掃く箒の先を踊らせて
寄せ返す波に乗りたる冬の海猫
雪を被て神木の名は太郎杉
三センチほどの積雪輪王寺


 冬 落 暉  白岩敏秀

木の実降る木々の言葉の降るごとし
冬落暉漁船は水尾を江に納め
眠る子の徐々に開く手初しぐれ
大根を名刺代りに提げてゆく
米を磨ぐ白き渦巻風邪心地
一枚の障子明りに紙を漉く
隙間風海きらきらと荒れてをり
冬の水三尺底に鯉沈む


 惜 命 忌  坂本タカ女

虎杖の杖もて煙茸突く
煙茸莨のやうに煙吐く
川暮れてきし初鴨の遠鳴きす
鱗雲蛸壷の口揃へ積む
枯芒風の怠けし風力計
重ねある廃船冬の日本海
電柱を抱かせてありし風囲
観音めく磯の流木惜命忌


    鴨鈴 木 三都夫

草紅葉水引草の刎ねし赤
一軒へ渡す吊橋秋時雨
末枯るるものに野菊も免れず
らんごくにして慎重な蓮根掘り
老いてなほ汚れ仕事の蓮根掘る
鴨降りて隠沼の景動きけり
沼尻の真菰隠れに鴨の声
居所と決めしか鴨の五羽六羽

 小 六 月 水鳥川弘宇
冬滝の響きの中の夜詩夫句碑
きゆつきゆつと弾む間引菜引きにけり
ひとうねのままごとめきし菜を間引く
目の高さなる句碑親し小六月
足元にまつはりつける風邪の猫
海沿ひの道引き返す風邪心地
焚火跡残りてをりし目観音
植林の若木黄葉も極まりし

 落 葉   山根仙花
鵙高音濃ゆく濃ゆくと墨を磨る
張り詰めし青空雁の声渡る
水澄みて一つの皺もゆるさざる
落葉焚く人と落葉の話して
落葉終へ空に安らぐ大樹かな
落葉踏むかそけき音の行き違ふ
山ねむる夜は満天の星飾り
ごみ袋ふくらんでゐる冬の鵙

 おかめ笹   小浜史都女
木の実一つ拾ひその後十ばかり
木の実ごま廻すとき指まはしけり
よく歩きよく振り返る紅葉狩
庭師きて隣まる見え冬隣
逝く秋の真竹は幹をみがきゐる
夕日浴び枯野の雀よくはづむ
をどり出しさうな枯木となりにけり
おかめ笹くま笹長寿池涸るる

 神 迎    小林梨花
星一つ二つ零るる神迎
斎場を囲む人垣夜の時雨
篝火の火の粉高舞ふ冬天に
吹き荒れし後の静けさ神迎
斎場の神官咳を零しけり
人垣の人も祓はれ神迎
銀の波の幾重に神着けり
十九社の開け放たれて冬の月

 時間の把  鶴見一石子
枯木星首切塚はいまはなく
微動だにせぬ男体の山眠る
修験者の韋駄天走り白き息
矢来垣道鏡塚の竜の玉
初鱈をぶつきり波の潮汁
日向ぼこ骨の髄まで恵比須顔
農継ぐと決めて笛の座夜の神楽
年の暮時間の把の流れゆく

 山 茶 花  渡邉春枝
明けきらぬ海に釣舟笹子鳴く
山茶花や北前船の来し港
冬天をつき抜け蛸の干されあり
念願の港めぐりて冬ぬくし
落葉踏む一足ごとの音違へ
冬帽を目深に光るイヤリング
冬落暉沈むまで見て旅にあり
沈みゆく夕日の色に冬岬


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 枯 野   星田一草
小春日の海を見てゐる風見鶏
曲るたび築地に添へる石蕗の花
野面積石の隙間の冬すみれ
大鬼怒の光を散らす枯野かな
路地を掃く十一月の音たてて
雨霽れて枯野の色を広げたり

 山 眠 る   奥田 積
この一樹桜紅葉の極まれる
パソコンの青き光や夜の長き
裸婦像に少女の像にいてふ散る
時化提灯棚に並べて冬館
藍染めの小さき工房冬のばら
安芸備後備前備中山眠る

 振り分けに  梶川裕子
尼子の里振り分けに干す大根かな
干物に湿りの戻る暮早し
小路幾筋津山城下の菊日和
虫籠窓並ぶ下津井冬うらら
落葉掃く漢が二人きりもなや
一山は紅葉時雨に鎮もれり

 根 深 汁  金井秀穂
暫くは芋茎を剥きし手でありぬ
病妻の味に合はせし根深汁
大銀杏小滝のごとく落葉せり
吹越や山の向かうはもう越後
四万渓のここに狭まり虎落笛
八十の意気も高らか餅を搗く
 自然薯掘   渥美絹代
天狗ゐる山に自然薯掘失せぬ
柿干してにはかに寒くなりにけり
くろもじの切口匂ふ冬はじめ
振袖の掛かる衣桁や神の留守
紅葉且つ散る茅葺きの二階の間
酒造る湯気を盛んに冬木の芽

 秋 冷   池田都瑠女
秋冷やケトルは笛を吹きつづく
数珠玉の小径が好きで遠回り
豊の秋見据ゑ神名火裾延ばす
ちやんちやんこ着て日和見の元漁師
芦枯れてやぶれかぶれの風がゆく
句のことに関はり多き霜月尽

 千 人 塚   大石ひろ女
花石蕗や海を背にして曽良の墓
枯れ切つて波音だけの岬鼻
山茶花や千人塚に碑のひとつ
元寇の島の浦曲の掛大根
洞窟は鬼の足跡笹子鳴く
冬木の芽北に対馬の方位盤

 雪ぼたる   奥木温子
ほつれたるままや月夜の鰯雲
松かさの燠になりたる落葉焚
蹇の夫に連れ添ふ雪ぼたる
落葉踏む音を楽しみ夫の試歩
雪ぼたるさすらふ鳥獣供養塔
啄木鳥のドラムを聞いて山眠る

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  出雲 渡部美知子

絵硝子の色を濃くする時雨かな
神在祭納屋に休める電気鋸
虎落笛いまだ尾を引く事ひとつ
神楽果て荒き息継ぐ国つ神
一茶の忌紅一点の句座に着く


   唐津 諸岡ひとし

鶴首の地味な器に寒椿
高原の風に波うつ枯芒
日は射せど長くは翔べぬ冬の蝶
湧水に大根を洗ふ藁束子
北風や自転車下り坂も漕ぐ


白魚火秀句
仁尾正文
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神在祭納屋に休める電気鋸 渡部美知子

 出雲では新暦の十一月十一日から十七日迄の間出雲大社で神在祭が行われる。また十一月二十日から二十五日迄島根半島にある佐太神社でも同じく神在祭が行われている。この間全国の神々が出雲に参集し、前者を上忌、後者を下忌と称し、地の人々は歌舞音曲はもとより婚姻、建築や裁縫、爪切に至る迄禁忌とされ慎しみ深く暮している。現在は下忌すなわち佐太神社のお忌祭だけ残っている。
 佐太神社の主神は猿田彦大神で外に伊弉諸、伊弉冉も祀られているが、伊弉冉が新暦十月十六日に崩じたのでお忌祭は修忌の趣も強いようだ。
 掲句は、佐太神社のお忌祭の禁忌の一端を詠んだものであろう。出雲の人々は長い間の伝習で物忌を体で覚えているのだろうが他の国の者には殆んど分らぬ。「納屋に休める電気鋸」という具象は改築、新築はしないという心が景によって示された。「物を通さねば作者の心は読者に届かぬ」という唱導を実践したのである。

日は射せど長くは翔べぬ冬の蝶 諸岡ひとし

冬蜂の死に所なく歩きけり 村上鬼城
はよく知られた句であるが「死に所なく」が境涯作家鬼城らしく主観が強すぎる憾みなしとしない。対して頭掲句は「長くは翔べぬ」と客観写生している。死期が迫っていることは傍観者には一目であるが冬蝶は少し飛んでは止りながら飛ぶことを諦めていない。鬼城作は大声を上げて耳が痛い程である。が、ひとし作は殆んど声を出していないけれども読者の胸奥にひびいてくる。同時掲載の
北風や自転車下り坂も漕ぐ ひとし
外一連の諸句、何れも無欲で無心であるが俳句の完成度は上々である。
 この作者は加齢の毎に句が深くなってきている。偉とするに足る。

片足が遅れて上がる蓮根掘 村田相子

 蓮根掘は過酷である。柄の短い四つ鍬に体重を乗せて土を掘り背後に移す。湧いてくる水は柄の長い柄杓で汲んで後に空けて流す。ポンプのジェット水による機械化もまだ完成していないようだ。
 掲句は昼餉にでも蓮田を出ようとしている景。まずぬかるみから片足を踏み出して、その後片方の足を引っ張るようにして歩いている。「片足が遅れて上がる」の写生が佳い。

猟期来るみづうみに潮濃く差して 西村松子

 宍道湖も浜名湖も汽水湖である。従って海水の干満によって湖水の塩分濃度に僅かながら差ができる。掲句は満潮時の湖水である。この状景に置いた季語の「猟期来る」に迫力がある。取合せ句では季語との距りが大きい程インパクトが強い。但し離れすぎると句意が伝わらない。掲句は限度に近い距離、場面転換も鮮やかだ。

青色の絵の具十一月の空 林 浩世

 句意は一読の通り。一句のしらべは八・九の破調であるが斬新な印象の作品となった。
 この作者は作句歴二十五年、数え切れぬ作句の課程を経て偶然に出来て成功した破調句である。無闇に真似てもまず失敗するだろう。
 破調の名手に俵万智氏がいる。一首の中に一ヶ所八音があるのだが読者に破調を感じさせない。
 「「この味がいいね」と彼が言ったから七月六日はサラダ記念日」『サラダ記念日』「年下の男に「お前」と呼ばれいてぬるきミルクのような幸せ」『チョコレート革命』

山重なつてなほ奥に雪の嶺 田中ゆうき

 この句も七・五・五。破調といえば破調だが日本語は一息に吐き出すのは五音・七音が最も適している。和歌、旋頭歌、俳句や都々逸に至るまで五音七音が基調になっている。七・五・五の秀句は数え切れぬ程ある。

庭手入釣瓶落しに捗ゆかぬ 土屋 允

 この作者は風の盆の踊りの名手。技を更に磨くため毎年八尾通いは欠かさぬという。
 掲句は、庭手入に秋の日がすとんと落ちて仲々捗どらぬという佳句である。師匠の野田早都女さんが逝去してもう数年になるがこつこつと作句を続けていて腕を上げている。

初旅は足で越えたき磐余道 矢本 明

 磐余というと「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠れなむ 大津皇子」の挽歌で知られる地名。天武帝の遺子でありながら反逆の汚名のもと磐余の池のほとりで処刑される時の臨終歌を思わせる一句である。

    その他触れたかった秀句     
腰紐の一本残る捨案山子
調教の人も輓馬も髭凍つる
干蛸の冬日を集めつつぱれる
冬晴れやはるか遠くの遠くまで
茶の花の胡桃平の斜畑
軍扇か朴の落葉か遺址の磴
一打ごと過去となりゆく除夜の鐘
腕捲りして立冬の水使ふ
外套も軍靴も遺品遠忌くる
学校へ列を成したる白き息
冬紅葉即身仏の緋の衣
金時山尾根まで見えて十二月
天平の琵琶の螺鈿や返り花
刑務所の塀低くして冬ぬくし
厨房を男占領牡丹鍋
間渕うめ
岡崎健風
大隅ひろみ
荒木千都江
渥美尚作
中村國司
山本波代
高間 葉
川本すみ江
土井義則
鮎瀬 汀
勝俣葉都女
水島光江
古川志美子
相澤よし子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      星 揚子

川底に日溜まりのあり冬紅葉
一本が拗ねて大根干されけり
落葉踏む音合はせたく歩を合はす
木の匂ひしたる四阿銀杏散る
毛糸編む指先に日を絡ませて


       中山雅史

山道の里に出るころしぐれけり
雨だれのしばらくつづき笹子鳴く
月さしてゐて狐火のあはれかな
雪止んでまた鉄橋の近くなる
水仙の道は湖へとつづくなり


白光秀句
白岩敏秀

落葉踏む音合はせたく歩を合はす 星 揚子

 この句には合わすの語が二度出てくる。一句の中に言葉の繰り返しがあると意外に耳につくものだが、この句にはそれがない。落葉を踏む音が一つに重なっているからだろう。
 作者の合わせたい歩幅は、勿論ご主人の歩幅。しかし、男の歩幅と女の歩幅は違う。それでも懸命に合わそうとするところに作者の純粋さがある。
 これまでもそうであったようにこれからも続く夫との穏やかな暮らし。冬のうららかさに溶け込むように落葉を踏む音が一つになって明るくつづく。
 毛糸編む指先に日を絡ませて
 日向ぼっこしながらの編物のようだ。無心に網目を読み、弾むように動く指先。指先にある暖かな冬日差し。贈る喜びが網目の一つ一つに込められている。
 着る人の喜びが浮かんで来る一句である。

雨だれのしばらくつづき笹子鳴く 中山雅史

 笹鳴きを聞いた。その前は雨だれの音を聞いた。そして、雨だれの前は雨の音を聞いた。
 掲句は物事の起こった順に叙してあるが、考えは逆の方向を追って奥へ奥へ踏み入るような思いだ。そして、奥へ辿りついて再び順を追って笹鳴きに戻ってくる。
 大きな音をして降った雨から小さな音に変わった雨だれ、更にもっと小さな笹子の鳴き声。笹鳴きの次はどんな些細な音を聞くのだろう。
 大から小へ、小から大へと音の循環を追いながら、笹鳴きを聞く作者と同じ姿勢になっていた。

朝の雪雫となりて小屋根打つ 国谷ミツエ

 不安の緊張から解放されて安堵するひと時である。
 降り続く朝の雪がようやく止み、雪が雫になって落ち始めたのだ。小屋根を打つ雫のリズムが気持ちを明るくしてくれる。
 限りなく降る雪に対する不安と僅かでも雪が解けて落ちてくる雫への安堵。不安と安堵を繰り返しながら、遠い春を待つ雪国の人の暮らしがしっかり見つめられている。

物置かぬ机が一つ冬座敷 安食充子

 床の間に飾られた一輪の花。きっちりと閉められて白障子を通して来る淡い冬日。この句の「机一つ」置いただけの表現から冬座敷の内部まで見えてくる。日本間は日本人の暮らしの原点なのだ。
 冬座敷にはやがて家族が集まり団欒の灯が点り或いはお客との談笑が始まることだろう。冬座敷は今、その時を待って静かに冬日に温められている。

雨あとに追伸ほどの冬の虹 花木研二

 追伸は本文に洩れた重要なことや軽い思いつきを書くこともある。ここでは後者ほどの意であろう。
 冷たい雨の後に出た淡く短い冬の虹。まるでお愛想に書く追伸のようだ。これが神様の遊び心であれば、神様も粋な計らいをするものだと喜んでいる作者。寒さのなかではあるが、気持ちの余裕が感じられて楽しくなる。
 「年用意三方六に薪摘まれ」の「三方六」は「三尺四方 高さ六尺の薪の容積でこれを一式」と言うと作者からご教示を得た。辞書にはなかったが、言葉の抽出に仕舞ってもよい言葉だと思った。

塩咥へ新巻鮭の糶られける 浅見善平

 塩を咥えて糶られるが具体的でリアルである。荒海を自在に泳いでいた終焉の姿がここにある。
 糶落とされた新巻鮭はやがてスーパーやデパートに出回り、年末商戦の賑わいに一役買うことになる。年末らしい活気のある一句。

鳥翔つて光をこぼす冬木立 樋野久美子

 鳥翔つて―鳥の翔び立つ静から動への一瞬の変化を「光をこぼす」と捉えて新鮮である。
 葉を落とした寒々とした冬木立の中で光となって飛び去っていった鳥。光の消えた瞬間に鳥の姿は視界から消えていた。一瞬の光が儚くも美しい。

新米を炊き母の忌を修しけり 角田しづ代

 掲句は難しい言葉なく淡々と詠まれているが母への思いは深い。「炊き母の忌を」と一瞬息を詰めた詠み方に、こみ上げて来た母への思いの深さがある。「炊きて母の忌修しけり」であればリズムは良くなるが思いは流れてしまう。リズムより母への思いを大事にした句である。

    その他の感銘句
落葉踏む音の軽さも信濃かな
夜祭の冷えあたたむる秩父蕎麦
骨董市焚火の跡のまだ匂ひ
十二月八日人絹の帯を解く
牛買ひの指で値を踏む冬帽子
名水に洗はれてゐる赤蕪
高原の風に細身の枯尾花
聖夜劇どの子も光るもの纏ふ
寄合の冬日差す席から埋まる
松の木も柿も聖樹になりにけり
綿虫をふやす遺構の要石
開きたる頁温めて冬日去る
雨の日は雨に落ち着く白障子
カミソリの刃の切れ味に師走来る
月光に原爆ドーム青く照る
大滝久江
野澤房子
柴山要作
江連江女
岡崎健風
吉村道子
須藤靖子
古川松枝
阿部芙美子
稗田秋美
安納久子
広岡博子
重岡 愛
弓庭一翔
五十嵐藤重

禁無断転載