最終更新日(Update)'16.12.01

白魚火 平成28年11月号 抜粋

 
(通巻第736号)
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 11月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    竹元 抽彩 
「牧  牛」(作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
      
  檜林  弘一 、高山 京子  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     三上 美知子 、計田 美保   ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松 江) 竹元 抽彩   


じやんけんの最初はぐうや師走来る  本杉 郁代
(平成二十八年二月号 鳥雲集より)

 掲句「師走」は旧暦十二月の異称であるが、新暦十二月にも用いる季節を代表する時候の季語である。この時期は忙しく走り回るから師走の語が出来たとも、又一年の終りの月(為果つ月)から来たとも言われているが、いかにも年の暮れらしい言葉である。
 (板橋へ荷馬のつづく師走かな 子規)の句もある。作者は掲句「じやんけんの最初はぐうや」と毎年約束ごとの様に来る季節であるが、「師走来る」と表意して、今年はどう対処しようかと気持を引締められた。

 救はれし命大事に十二月  小林 梨花
(平成二十八年二月号 曙集より)

 梨花さんは私を俳句の世界に誘ってくれた恩師である。地元出雲で白魚火の俳人を多く育てられた人望の人であった。
 掲句季語の「十二月」は終りではなく来年に続く明るさがある。作者は闘病中であったが、「救はれし命」と快方に向かって年を越せる希望を詠っておられるのに、それから半年、今年六月十五日突然の訃報に驚き涙した。最後まで俳句を詠まれていたと聞いた。白魚火の大きな柱を失って残念でならない。今そのことをつくづくと感じている。
 露の世や別れは何時も唐突に 抽彩
 ご冥福をお祈りする 合掌。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 烏 柄 杓  坂本タカ女
夕永し雀啣へしもの動く
縷紅草にはかに庭の雀ふゆ
なにをいたづら企む烏柄杓かな
風鈴の舌を障子に噛ませおく
蜘蛛の巣に顔わしづかみされにけり
鶸群れて種向日葵の顔つつく
目鼻楽しみし線香花火かな
歳時記に栞る照葉のうら表

 流  灯  鈴木三都夫
海坂の一望模糊と土用凪
風と蔭二物は成らず浜炎暑
滝落ちて霧湧き滾る坩堝かな
魂の抜けて散華の蓮かな
花びらの総てを緩め蓮の散る
流灯の水に映るはまぼろしか
遠目にも流灯離れては寄れる
降り出せし雨鎮魂の流灯会

 新 豆 腐  山根仙花
稲熟れて風が重たくなりにけり
山水の流れに浸す新豆腐
宍道湖に生活の漁や鳥渡る
露けさの太陽身ぶるひして昇る
双葉菜の列ひよろひよろと揃ひけり
日に揺れて蓑虫自在をよろこべり
庭石に露置く日々となりにけり
道々に摘みし秋草なり親し

 毛 見 竿  安食彰彦 
風の神老の組みたる稲架倒す
干拓地全面ほのと蕎麦の花
台風のことなく過ぐる神の国
平凡な顔して素振り秋の暮
玄関に架けある毛見の二間竿
酔漢の祝儀読み上ぐ里祭
里祭酒に呑まるる茶立婆
里祭をさな児踊る三番叟

 広  島  村上尚子
天高し呉の海軍カレーかな
秋潮を集め音戸の瀬戸暮るる
草の実の飛んで原爆供養塔
被爆樹に天辺のあり鳥渡る
色鳥の遊ぶ原爆ドームかな
爆心地を踏む足元に秋の蝶
広島の空より一葉また一葉
秋ともし話はいつも途中まで

 宮島の鹿  小浜史都女
秋麗や木目ゆたかな大杓子
宮島の霊気に育つ新松子
秋天にとどく五重の塔の鉾
巻き上げて千畳閣の秋簾
渓谷の砂さばしれる紅葉かな
宮島の鹿みなかしこさうな顔
牡鹿の長きまつげに旅惜しむ
月代も月もなき夜のルームキー

 草 紅 葉  鶴見一石子
八甲田鋭士眠れる草紅葉
君平の碑の入口の曼珠沙華
槌音のせぬ石山の蔦紅葉
六角堂修復の崖海桐の実
疊糸締む効き膝の冷まじや
新米のふつふつ炊ける釜の音
落磐の道筋に入る竹の春
走り根の石を抱きて冬隣

 草 の 花   渡邉春枝
寺町のここにも空家草の花
文学の小径いざなふ秋の蝶
文人の終の住家やつくつくし
海光のとどく食卓初さんま
廊曲るたび窓越しの初紅葉
秋深し句会の済みてよりの宴
しんがりを歩くも楽し花野径
山霧の晴れて一望富士の嶺

 芝居小屋  渥美絹代
背鰭出し鯉の寄りくる秋彼岸
まだ何も播かざる畑や野分だつ
不揃ひの槙垣鳥の渡りけり
羽根おとし鳶のよぎりてゆく花野
十六夜の組みかけてある芝居小屋
対岸の煙濃くなる葛の花
よき声の鳥や大根芽を出しぬ
豊年や着地のグライダー弾み

 朝  市  今井星女
港涼し海産物の店並ぶ
釣ぼりや褐色の烏賊泳がせて
活烏賊をさばきて朝の市ひらく
召し上れ今採りたての烏賊さしみ
ふんだんに海胆と鮑の海鮮丼
釣堀の烏賊を釣らする朝の市
朝市や「イカイカイカ」と聲枯らす
海を見て空を仰ぎて秋高し

 鮭 遡 る  金田野歩女
窓広き閲覧室や秋の虹
長き夜や頻りに頼る電子辞書
珊瑚草に彩足してある昨夜の雨
鮭遡る濁流やうやう治まりぬ
コスモスへ稚手を展べて歩み出す
今し方熊啄木鳥居しとふ見遁せり
渓紅葉吊橋高し五歩十歩
剪り取りて茶房の戸口蔦紅葉

 廣 島 へ  寺澤朝子
潮入の川の幾筋秋つばめ
秋日傘連ね原爆ドーム前
秋天へ原爆ドーム錆深め
コスモスや彼の日のヒロシマ思へとぞ
己斐城の栄枯盛衰水の秋
秋日照る遥かに仰ぐ天守閣
四十二万石城への磴や秋高し
さやけしや弥山縦走せし昔


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 蓑  虫 (八幡浜)二宮 てつ郎
電線に黙して鵙の尾の長き
明日はもう九月の半ば雨と言ふ
芋虫の山を動かしさうな奴
何事も無く今日暮るる蓑虫も
海光る日なり通草の熟れをらむ
昼は昼の夜は夜の蚯蚓鳴きにけり

 名古屋城 (浜 松)野沢 建代
枡形の垣に沿ひ行き虫時雨
城垣に印す刻印萩の風
木曽桧の香る書院やつづれさせ
名古屋城に開かずの門や昼の虫
天守より望む尾張の初紅葉
石落しに風の吹き上げそぞろ寒

 秋  扇 (宇都宮)星田 一草
跫音に砂のくづるる蟻地獄
髭一本隠し切れずにごきかぶり
秋扇ただ聞き役となりてをり
蓮の葉を裏返しゆく野分かな
葛の花城の断崖攻め上ぐる
橡の実の転ぶ県庁大通り

 雁 渡 し (東広島)奥田  積
チョコレート匂ふ少女や在祭
月淡し湾岸線を空港へ
水澄むや被爆地巡る旅行生
折鶴のガラスケースに秋日かな
ひろしまは川の町なり雁渡し
つんつんと伸びて開きし曼珠沙華

 露  草 (東広島)源  伸枝
身ほとりに増ゆる虫の音針運ぶ
濡縁のかすかな湿り星月夜
露草や井桁に組まれ下駄の材
指切りで会ふ日を約し秋うらら
爽籟や両手にほぐす畑の土
さらさらとさらさらと風稲を刈る

 ジャングルジム(藤 枝)横田 じゅんこ
新涼や遠き山ほどよく見えて
新涼の文机何も物載せず
振り向いてばかり花野を行く少女
天高しジャングルジムに父と子と
竈で炊く新米一人暮しかな
小春日や墓前に長居してゐたる
 草 雲 雀 (苫小牧)浅野 数方
手に握る小さな句帳草雲雀
咲ききりぬ柵の向かうの男郎花
行き暮るる沼のはたての黄釣船
聞き役に徹す桔梗濃く咲けり
ちんちろりん夫と二人の厨事
ままごとの茣蓙に一日小鳥来る

 秋  暑 (松 江)池田 都瑠女
朱線ある初任の頃の書を曝す
色のなき風が波押す川灯台
茶房出て城下町行く秋日傘
出来し句を書かねば忘れたる秋暑
秋涼や故郷の家並すぐ尽きて
コスモスの一本道をポストまで

 夕 花 野 (多 久)大石 ひろ女
改札を出てふるさとの秋夕焼
町並みの昭和の匂ひ林檎買ふ
道行は笛に始まる秋祭
窯元の灯りの点る夕花野
人の世にすこし離れて曼珠沙華
秋祭出を待つてゐる鬼の面

 ひどろつ田(群 馬)奥木 温子
登り降りは手摺りが頼り秋に入る
風の来て瀬音の変はる吊舟草
誰も来ぬ日黄の蝶つれて秋の風
水分の峰をはるかに懸巣鳴く
鰯雲空掻き廻すクレーン車
稲を刈る動きのとれぬひどろつ田

 稲  刈 (牧之原)辻 すみよ
山門の高さは知らず蟻地獄
昼の虫途切れ途切れに声綴る
鳴く虫の姿わからずじまひかな
捕まへし蝗に指を咬まれけり
稲刈の済みしばかりの匂かな
夕日はや山の端にあり蕎麦の花

 秋 澄 む (松 江)西村 松子
ひぐらしや遠嶺は人の臥すさまに
秋澄むや出雲は八重に雲湧きて
夜をこめて念仏のごと虫鳴けり
糶を待つ鱸の顎銀光る
簸川野をまつさらな雲飛んで秋
大根蒔く神名火山の裾に生き


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 檜林 弘一(名 張)

秋風の軍港に立ち先師恋ふ
海峡の波足疾し秋入日
駅の名に原爆ドーム秋暑し
梁足せる原爆ドーム草の花
長き夜の眼に残る千羽鶴


 高山 京子(函 館)

銀漢や崖の上なる奥の院
色変へぬ松や蔵王の御釜池
朝市を行きては戻り猫じやらし
激辛とメモ付けてあり唐辛子
鬼灯の地中に火種あるごとし



白光秀句
村上尚子


長き夜の眼に残る千羽鶴  檜林 弘一(名 張)

 台風を心配しつつ、広島での全国大会が終った。広島は風光明媚な土地である。しかし、最も忘れてはならないのが、世界最初に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者が出たことである。大会でもその傷跡に触れた作品が多く見られた。そのなかで気になったのは、季語の即き過ぎの為説明的になってしまったことである。掲句が「短夜の」だったら詩にならない。「寒き夜の」としたらやはり即き過ぎである。多くの方が目にされたであろう「千羽鶴」。私の目にも残る作品だった。
  秋風の軍港に立ち先師恋ふ
 呉は、先の主宰仁尾先生が海軍兵学校で学ばれた地である。私も特別な思いでその風景を眺めてきた。作者の気持を説明するまでもない。「秋風」が全てを語っている。

鬼灯の地中に火種あるごとし  高山 京子(函 館)

  鬼灯」の花は目立たないが、色付き始めた萼と実の美しさ、可愛らしさは格別である。子供の頃はその実を壊さないように種を抜き、口に入れて鳴らしたものだ。とかく懐古的な作品になりやすいが、掲句には全くそれがない。言われてみればあの〝赤〟は地中の仕掛けなのかも知れない、と思わせる。思い切った発想から「鬼灯」に新しい息吹を感じた。
  激辛とメモ付けてあり唐辛子
 ひと口に「唐辛子」と言っても最近は辛くないものもある。又、辛くないと言われて買ったものに辛いものが混っていたりする。これには、はっきりと「激辛」と書いてある。用途によってはそれで有り難い。売り手の心くばりが嬉しい。

江田島より秋日背負ひてフェリー着く  塩野 昌治 (磐 田)

 叙景句としても充分理解できるが、広島大会の吟行句となれば、やはり仁尾先生への思いを抜いては考えられない。作者は一隻のフェリーを見て感情を抑えて表現している。「江田島」という固有名詞に深い思いが伝わってくる。

空仰ぐ禎子の像や小鳥来る  中村美奈子(東広島)

 広島の平和公園には、原爆ドームの他にもさまざまな慰霊碑や記念碑が建っている。そのなかの一つが〝原爆の子の像〟であり〝禎子の像〟と呼ばれているものである。この句の「空仰ぐ」という言葉には、多くの子供達が見られなかった未来の夢と、鎮魂の思いが込められている。

長き夜のかたはらに置く甘露飴  原  和子(出 雲)

 本を読んでいるのだろうか。あるいは俳句を推敲しているのだろうか。そんな時の気分転換には、ケーキやお饅頭より健康の為にも飴玉位が丁度良い。敢えて商品名の「甘露飴」としたところも面白い。

掌を俎にして新豆腐  鷹羽 克子(鹿 沼)

 年中食べられる豆腐も「新豆腐」となれば特別である。日常の主婦の動作の一端を「掌を俎にして」としたところが鮮明であり、実感がある。〝台所俳句〟の典型である。

散る萩にうたれし萩のこぼれをり  阿部 晴江(宇都宮)

 「萩」は秋の七草のなかでも筆頭に思い浮かぶ。古来から日本人にその風情を愛され、多くの詩歌に詠まれてきた。掲句はその萩の一つ一つが散る様子をじっと見つめることによって一句を成した。

参拝の浄衣にまとふ残暑かな  石川 寿樹(出 雲)

 長い坂道を金剛杖を突きながら歩いているのだろうか。「浄衣」の白が目に浮かぶ。今年の「残暑」は特に厳しかった。しかし目的地に着いたときの気分は例えようもないだろう。身も心も浄められたに違いない。

産気づく牛を見守る良夜かな  大菅たか子(出 雲)

 日頃、牛が寝静まった小屋は静かで暗いが、今日は違う。お産を控え懸命に頑張る牛の姿を見て、労り励ますしかない。作者のやさしい声と姿が月光に濡れてありありと見える。

秋祭禰宜が掃除機かけてをり  清水 春代(群 馬)

 集落に住む人が減って、禰宜が一緒になって「秋祭」の準備をしている。「掃除機」をかけるのも大事な仕事の一つ。秋祭(在祭)ならではの光景である。それを見てすかさず俳句にした作者の感性が光っている。

沖に船白粉花にある暮色  鶴田 幸子(中津川)

 「沖に船」として間を置いている。ふと足元を見ると「白粉花」に夕暮が迫っているのに気が付いた。遠景と近景の対比が、一枚の絵のように鮮やかにおさめられている。


    その他の感銘句
城閣に普請の足場菊合
萩の風砂紋に終はりなかりけり
朝寒や卵に黄身の二つあり
大本営跡にたち入る秋の蝶
台風のあと月ひとつ橋ひとつ
小袋に朝顔の種分けてをり
秋簾ほつれしままに巻かれけり
湖に来て崩れたり雁の棹
ひとりでに動く指先大根蒔く
撫で回し南瓜の艶を出しにけり
白髪となるも巻きぐせレモン切る
生かされてをりぬ手窪に籾のあり
帰省の子スリッパ揃へ帰りけり
知己のごと花野の花と向き合へり
蕎麦を刈る遠き筑波山に峰二つ
佐藤陸前子
野田 弘子
栂野 絹子
樫本 恭子
中山 雅史
佐藤 琴美
大石登美恵
三井欽四郎
大石 益江
石川 純子
松下 葉子
永島 典男
山越ケイ子
広川 くら
若林 光一


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 雲 南  三上 美知子

敷石の露を踏み行く爆心地
折鶴の飛び立ちさうな秋の空
身に入むや広島に聞く鐘の音
旅の傘たたみて払ふ秋思かな
さはやかや路面電車の朝の音

 
 東広島  計田 美保

騎馬戦の号砲鳴りて天高し
爽やかに大縄跳びの脚揃ふ
担任は周回遅れ運動会
惣菜売る横丁釣瓶落しかな
国境の有刺鉄線霧深し



白魚火秀句
白岩敏秀


敷石の露を踏み行く爆心地  三上美知子(雲 南)

 敷石に露が残っているほどだから、かなり朝の早い時刻だろう。観光客の姿はなく、散歩やジョキングする人も稀である。そんな朝の静けさの中を爆心地へ向かう作者。踏んでゆく敷石の露の一歩一歩に心が洗われていく感じがする。そして、向かい合った原爆ドーム。ドームと作者の間には祈りにも似た静寂な時が流れている。朝の清浄さと露の組み合わせが作品に透明感を与えている。
  さはやかや路面電車の朝の音
 広島市には色々な市電が走っている。例えば元京都市電や元大阪市電、そして被爆電車など。広島市は電車の似合う街である。
 路面電車は今日も、会社や学校へ通う人たちを乗せて、市内をくまなく走る。さわやかな人たちと爽やかな市電の音に広島の一日が始まる。

騎馬戦の号砲鳴りて天高し  計田 美保(東広島)

 四人一組となって、相手の騎馬武者を落とすか鉢巻を奪い合ったりするゲーム。男の子にとって棒倒しも面白いが、騎馬戦も面白い。東西に幾組かに分かれて、スタートラインで戦いの合図を待つ。そして、号砲一発で喊声を挙げて相手の騎馬へ突進しあとは乱戦。観客もやんやの声援。底のぬけるような秋晴れのもとでの大運動会である。

平成となりし被爆樹小鳥来る  加藤三恵子(東広島)

 今年の広島での全国大会も無事に終わった。一泊二日の短い大会であったが、楽しく有意義な日を過ごした。
 広島には爆心地からおよそ二キロメートル以内に百六十本の被爆樹があるという。八月六日の惨禍は昭和の時代。それから時は移り今は平成の世である。惨禍に耐えて芽吹き、広島の人たちに守られて生き続けた被爆樹。この句の「小鳥来る」が平和の尊さを象徴していよう。広島大会の第一日目の句会で、私が特選一位に選んだ句である。

てつぺんは朝霧の中縄文杉  安達みわ子(松 江)

 縄文杉は鹿児島県の屋久島の標高千三百メートルのところにある。トロッコ道を歩き、険しい山道を片道十一キロを歩き、やっと縄文杉を見ることができる。樹齢七千二百年と推定され、樹高三十メートル、根回り四十三メートルの大樹である。天辺が霧で見えないことが、より一層縄文杉を大きく見せている。縄文杉の生命の力強さが伝わってくる句。

鬼になる前の一服里神楽  岡崎 健風(札 幌)

 読み始めてドキリとし、読み進めてエッと驚き、読み終えてナルホドと納得する句。
 正義の鬼なのか、退治される鬼なのか。舞台に上がる前の緊張をほぐしているのだろう。何度も演じた役であるが、いざ本番となればやはり緊張するもの。ゆっくりと一服して呼吸を調える。快い緊張のひとときである。

一旦は降りて腕組む松手入れ  関 うたの(群 馬)

 松の枝のなかに紛れ込み、鋏の音を立てていたが、やがて脚立を降りてきた庭師。松を下から見て、離れて眺め、腕を組む。目は枝振りや松葉の重なり具合を追っている。そしてまた、やおら脚立を登る。「一旦は降りて」に庭師の仕事振りがよく表れている。手入れの終わった松はさっぱりとして清々しい。

稲架を解き一年の荷を降ろしけり  川本すみ江(雲 南)

 刈り取った稲を天日乾燥させる稲架。これを解くのは稲の脱穀が終わった証拠。一年の米作りのけじめの作業である。春の田起こしから始まり、田植え、刈り取り、脱穀と続く米作り。その間に水の管理や害虫の駆除、雑草の除去など気の抜けない一年であった。その苦労が豊作につながり、稲架を解くまでになった。「一年の荷を降ろす」に大きな安堵がある。

今朝の秋潮の匂ひのあらたまり  川神俊太郎(東広島)

  〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉。『古今集』の藤原敏行の歌は特に有名。藤原敏行は耳で秋を捉え、掲句は匂いで捉えた。日本人は秋の気配を五感をフル回転して捉えている。日本人の繊細な美意識である。


    その他触れたかった秀句     

花野より戻りきれいな息を吐く
ふるさとの山澄みきつて曼珠沙華
とどまれば身の湿りくる花野かな
印籠の跳ねて男の盆踊り
芋を煮る我ら左岸に座を取りて
野分立つ夜中に小さき妻の咳
霧を来し髪の湿りを直しをり
赤とんぼ群れゐて色のもの足りず
風紋の刷りかはりけり野分後
山もまた灯台となる秋灯
水族館の底にゐるごと鱗雲
稲の花朝のにほひに開きをり
忿怒仏微笑仏にも木の実落つ
秋茄子の色を仕上げて雨去りぬ
新米を搗くや隣に保育園
待つ人のありて秋暑の坂登る
秋風をほほに受けつつ髪をとく

林  浩世
田久保峰香
大隈ひろみ
吉川ユキ子
後藤 政春
伊東 正明
池田 都貴
牧野 邦子
植田さなえ
佐藤 琴美
大石 越代
伊藤 達雄
若林 光一
河森 利子
伊藤 政江
本田 咲子
割田 伊予

禁無断転載