最終更新日(Update)'17.02.01

白魚火 平成29年2月号 抜粋

 
(通巻第738号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    大石 ひろ女 
「冬 の 街」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 敬子 、髙島 文江  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火坑道句会再開  渡部 幸子
栃木白魚火忘年句会報  小林 久子
東京・栃木白魚火有志吟行俳句会報  中村 國司
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     牧野 邦子、田久保 峰香 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(多 久) 大石 ひろ女   


返したる土より春の動き出す  飯塚 比呂子
(平成二十八年四月号 白魚火集より)

 「季節の一句」からのイメージは、春夏秋冬その季節の訪れに対する喜びや感動を感じさせてくれる作品である。
 一鍬一鍬丁寧に土塊をほぐし耕した土の匂いには、大地の鼓動を感じ地に足の着いた作者の暮しが伺える。今まで眠っていた蛙や虫達も目を覚まし春の訪れを知るのだ。
 耕しを終えた畑には様々な野菜や花が植えられ、やがて蝶の舞う日も来るであろう。「春動く」の季語によって、生きとし生けるものが息を吹き返し命を育み謳歌する様子、又そうした摂理の中に自らも動き出すという作者の喜びが伝わって来る。

寒明の光まぶしき雪野原  小林 さつき
(平成二十八年四月号 白光集より)

 寒は、寒の入り(小寒)から大寒を経て寒明けまでのおよそ三十日ほどをいう。一年で最も寒さの厳しい時期である。寒が明けると春の足音はもうそこまで来ているのだ。
 掲句は北海道旭川の「寒明け」の景である。北の大地では「寒明け」という希望の言葉も現実には未だ未だ遠い先のようだ。寒明けに対する心の昂りと、目の前の純白の雪原の輝きが重なり合って、「光まぶしき雪野原」と美しく広がっているようだ。

臘梅や闇のふはりと匂ひくる  西村 ゆうき
(平成二十八年四月号 白魚火集より)

 臘梅は、唐梅、南京梅とも呼ばれるが、梅とは全く異なる種類である。二センチほどの黄色の花は香りが高く蝋細工のように半透明で光沢のあるところからその名が付いているようだ。臘梅の馥郁たる匂いは、人の心に寄り添う清らかなオアシスのように思える。
 掲句、「闇のふはりと匂ひくる」から、闇の中に漂う臘梅の透明感とやわらかな甘い香、又作者の瑞々しい感受性が伝わって来るのである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 返 り 花  坂本タカ女
屑籠の紙屑動くちちろ鳴く
見逃せし蔦紅葉なる蔵喫茶
壷に挿す勝手気儘の吾亦紅
火を恋ふや振れば実の鳴る喘息薬種
蔓下りてくる鉄線の返り花
土に埋め鉢の鷺草冬囲
見掛けなくなりしと思ふ掛大根
雪ちらちら灯油タンクの目盛よむ

 冬  桜  鈴木三都夫
洗ひ場の流れに晒す糸瓜かな
晒し終へ網の糸瓜となりにけり
沢風に釣舟草が舟落す
丹精に応へし菊の晴舞台
懸崖の一花紛れもなき小菊
稗田とも稲田ともはた捨田とも
倒伏の稲に野分の跡まざと
冬桜咲くとしもなく散りもして

 小  春  山根仙花
ゆく秋の海に音なき日和かな
二階より見ゆる限りの海小春
わが影とゆく小春日の汀かな
打ち上げしもの跨ぎゆく浜小春
郵便車真赤小春の海辺ゆく
地に低く冬たんぽぽの小さな黄
裸木といふ親しさに触れてみる
一椀の新海苔の香を頂きぬ

 海 苔 簀  安食彰彦 
着ぶくれて海女に藻の名を尋ねけり
廃船とおぼしき船も冬の浜
冬紅葉松江の銘菓緑色
醤油瓶冬の厨に影を置く
額剃られ喉を剃らるる師走かな
寒鴉己の影をつれて飛ぶ
パチパチと海苔簀の乾く音すなる
日本海の濃紺干せり海苔簀かな

 落葉踏む   村上尚子
風鐸の揺れしやくなげの返り花
神留守のどこにも合はぬ螺子拾ふ
神名備へ日の移りけり冬もみぢ
山眠る賽銭箱に鍵二つ
落葉踏む我が足音を恐れけり
枯山にをり学校のチャイム聞く
湯豆腐や使ひ馴れたる皿小鉢
転がしておく冬至南瓜となるまでは

 貸  杖  小浜史都女
日翳れば風立ちやすし濃りんだう
貸杖の退屈さうや冬ざるる
芭蕉より山頭火好き枯野道
多聞櫓いまも残れり笹子鳴く
この家にこの先も住み冬構
母に似しこゑといはれて着膨れて
縁のなき町屋の畳冬ぬくし
天山は母なる山よ笹子鳴く
 知 恵 袋  鶴見一石子
眠り猫彩よみがへる冬の天
水仙や言葉をかはす師との句碑
戦中は着の身着の儘ちやんちやんこ
寒木瓜や磨り減つて来し知恵袋
蓮根掘る泥の菩薩に会釈うけ
焼芋のほこほこ新聞紙のまま
茶の花や晩年時間待つたなし
ごぼごぼと富士の湧水去年今年 
 
 雪ぼたる  渡邉春枝
雪ぼたる静かに視野を離れけり
転舵して一気に翔たす冬かもめ
日の温みのこる落葉を掻き寄せて
広がりし水輪の中の冬日かな
しなやかな馬の尾さばき名草枯る
実万両住み変りゆく床柱
神域を抜けて寺門へ冬椿
落葉踏むたびに獣の匂ひ立つ

 冬  日  渥美絹代
埋め戻す遺跡十一月の雨
布団干す民宿蕎麦を打つてをり
蕎麦を打つ畳冬日のまはりくる
しぐるるや天井低き二階の間
農大祭室咲五鉢売れ残る
均されし畑寒波のにはかなる
切り口に脂の黒ずむ冬木の芽
山削る音やつつじの返り花

 沼 の 秋   今井星女
初紅葉虚子曽遊の径とあり
どこからも駒ヶ岳見え沼の秋
紅葉の木の間がくれに駒ヶ岳
ゆくほどに右も左も紅葉かな
その中に緑が少し紅葉山
青空を一人占めして紅葉舞ふ
どんぐりを供へて屋敷神祀る
渓谷に紅葉の影を映しけり

 雪 化 粧  金田野歩女
身に沁むや覗かれてゐる肺の影
信号待ち木枯一号真正面
白樺の枝の先迄雪化粧
浜宿に届く潮騒冬銀河
細雪句歴歳時記古りたれど
出航の水尾直ぐに消す冬の潮
煤逃げの同志書店の文庫棚
厨の灯最後に消して去年今年

 三 島 忌  寺澤朝子
火恋し温泉たまごぷよと揺れ
日に四度の点眼神の留守の日々
しばらくは上げ潮眺め日向ぼこ
三島忌や皿にかたりとバタナイフ
万巻の書は読み切れず銀杏枯る
八枚の襖にをどるいろは歌
一燈にかがやく越の蕪鮓
狐火や三行ほどの恋の文


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 冬 紅 葉 (鹿 沼)齋藤  都
冬将軍男体山を先づ制す
みかん山梯子の上に人動く
足元の土の湿りやみかん山
短日や鍵一つ増え鈴もまた
大寺の屋根の曲線冬ぬくし
ひと雨のあとの明るさ冬紅葉

 冬ぬくし (宇都宮)宇賀神尚雄
冬ぬくし観音像にひとり佇つ
小春日や猫の欠伸につられたる
冬紅葉昼の日射しに華やげり
渓谷を下に見据ゑて鷹舞へり
日の温み湛へてをりぬ花八つ手
池の面の光の中を鴨横切る

 杉  山 (浜 松)佐藤 升子
行く秋の杉山に聞く風の音
山中の堂に休みて秋惜しむ
冬うらら塩や醤油は目分量
雲低く鴨の諍ひ二度三度
枯蔓に雨の静かな一日なり
冬蜂に出窓明るき日なりけり

 冬木の芽 (江田島)出口 廣志
小春凪舫ひ網曳く親子船
「青春を惜しめ」の碑文冬木の芽
落葉踏む「哲学の道」辿りつつ
一湾の海光浴びて蜜柑熟る
野天湯に枯葉一枚茜雲
日溜りの庭に一輪寒椿

 旅 の 荷 (宇都宮)星  揚子
宮島や波穏やかな神の旅
からつぽの原爆ドーム片時雨
時雨るるや能面闇の奥見つむ
旅の荷を解きて広げて冬ぬくし
十二月八日五色の城下絵図
手前より奥がゆつくり雪降れり

 紅  葉 (牧之原)本杉 郁代
一筋の紅葉の中の登山道
吊り橋でつなぐ紅葉の山と山
SLの紅葉の中を抜けてきし
ゆく秋の川面に薄き日差しかな
やはらかな日差しに応へ返り花
石蕗あかり残して庭の暮れはじむ

 冬  晴 (出 雲)渡部美知子
冬晴の浦曲に交す遠会釈
冬凪の岩に思はぬ波しぶき
岬鼻の彼方は隠岐や冬紅葉
朱を放つ風の止み間の冬薔薇
漁網干し二階に小さき蒲団干す
冬日向見知らぬ人と分け合へり

 冬 満 月 (群 馬)荒井 孝子
黄落す女の通る男坂
小春日や夫の手を借り厨事
冬満月屋並つぶさに曝しけり
サイレンの音消してゆく夜の雪
懐手解き説教のはじまりぬ
寒月に聞かれてしまふ独り言

 寒  禽 (浜 松)安澤 啓子
磐座に寒禽こゑを落しけり
存分に標高千の落葉踏む
ラケットを振つて勤労感謝の日
てのひらに大綿虫の息づかひ
足音に鯉の寄り来る小六月
寝つくまで冬川の音親しくて
 小 春 日 (群 馬)鈴木百合子
手渡しの下足の袋村芝居
幕引ける頃合はづす村芝居
小春日や母といふ字をふんはりと
手に重きファッション雑誌冬桜
冬雲の下をゆつくり冬の雲
入日影蒟蒻玉の鬼の貌

 十 二 月 (東広島)挾間 敏子
小春日や世過ぎの土鈴縁に干し
次々と泣かす小児科十二月
山眠る窓に向きたる木地師の座
毛糸編む肩のやさしき反抗期
熟睡のふりをし蒲団直さるる
肝心に触れんとすれば咳しきり

 木 葉 髪 (旭 川)平間 純一
点滴の音なく落ちて吹雪をり
病得て命を惜しむ木葉髪
病みぬきてひたすら雪を掻きにけり
流されて流れのままの鴨の群
戸を開けて神殿拝す十二月
獣跡たどれば雪の鎮魂碑

 殉死の碑 (宇都宮)松本 光子
新幹線乗り継ぎ釣瓶落しかな
丹の橋に秋冷いたる一之宮
行く秋の履歴書を書くペンの音
殉死の碑見上ぐ木の葉の散り止まず
流鏑馬の馳せし参道冬紅葉
柴又の飴切る音も神無月

 枝  打 (浜 松)弓場 忠義
手を振つて手を振つてゆく枯野かな
枝打の檜山杉山こゑ放つ
麹屋の長押に掛くる大熊手
おでんの具一つ忘れて買ひ戻る
大根洗ふ亀の子束子泳がせて
青竹の欄干の橋冬もみぢ

 冬  蜂 (出 雲)生馬 明子
神奈備の稜線著し文化の日
竹林や冬の音して風過ぐる
捨舟やひとかたまりの石蕗の花
離れてはまた寄りあうて鴨の陣
保健室の少年冬蜂見てをりぬ
日向ぼこ漫画の手紙読み返す

 雪  蛍 (牧之原)小村 絹子
秋薊一人の巾の木の根道
豆殻を物干し竿に干しにけり
自然薯を買うて零余子を貰ひけり
昼花火秋空へ抜け開山忌
ひとひらは肩に触れもし枯葉散る
雪蛍舞うて友との別れかな

 秋 深 し (松 江)寺本 喜徳
本棚に三寸の空き秋深し
榠樝みな落ちて曇天軽くなり
痩せさんま焼くる間に暮れにけり
薫立つセージを揺する秋の風
片時雨堀辺の古書店開けてをり
寒雲の切れて日の射す遠つ峰


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木  敬子(磐 田)

楮蒸す煙ふる里近きかな
西の内和紙に漉き込む空つ風
漉桁の揺れの大きく山眠る
蒟蒻掘る八溝山地の風しもに
吊されて鮟鱇やぶれかぶれかな


 髙島 文江(鹿 沼)

蜜柑剝く短編小説読み了へて
締切の消印有効石蕗の花
冬ぬくし庖丁二本研ぎあぐる
十二月ゆるりと生くることにして
木枯や朝から煮込むビーフシチュー



白光秀句
村上尚子


吊されて鮟鱇やぶれかぶれかな  鈴木 敬子(磐 田)

 〝鮟鱇の吊し切り〟というように、鮟鱇は俎板の上ではなく、下顎に鉤をさし込み、吊すことから始まる。そうすることにより、あの捉えようもない大きな魚体の内臓を傷付けることもなく捌くことができる。
 「やぶれかぶれかな」はその時の鮟鱇の様子を如実に、又端的に語っており、これ以上の表現はない。加藤楸邨の〈鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる〉は、掲句の数分後の姿であろう。
  蒟蒻掘る八溝山地の風しもに
 作者の古里は茨城県である。そこに立てばいつも「八溝山地」が寄り添ってくれる。この日も蒟蒻掘りをする人の姿を前にし、改めてこの土地に思いを深くしている。どちらの作品も、敬子さんの古里讃歌が心にしみる。

木枯や朝から煮込むビーフシチュー  髙島 文江(鹿 沼)

 寒い日の食べ物は温かいものに限る。「ビーフシチュー」は季語ではないが、やはり寒い日によく合う。そんな日の朝、作者は〝そうだ、今夜はシチューにしよう〟と思いつき、すぐ支度に取りかかった。「木枯」の音を聞きながら、牛肉も野菜もじっくりと煮込まれてゆく。鍋蓋を取ったときの声が湯気の中から聞えてくるような気がする。下五の破調感の効果でもある。
  蜜柑剝く短編小説読み了へて
 「短編小説」は気軽に読み始め、短時間で読み終える良さがある。そのあと俳句に切り替えたのかも知れないが、先ず「蜜柑」を剥いたという。いち日のほんの一齣を上手に切り取っている。掲出句に続き、寒さの中にも楽しいひと時が見えてくる。

テレビ消し夜寒の壁となりにけり  永島 典男(松 江)

 日常、テレビを点けたり消したりすることにあまり気を遣わない。しかし掲句には驚嘆した。今迄見ていた賑やかな「テレビ」の画面が一瞬にして消え去り、そこには壁と同化したテレビが寒々と残されていたというのだ。

北窓を閉づ球根の眠る箱  小林さつき(旭 川)

 北国では寒さがくる前に色々と準備が必要である。「北窓」を閉じることもその一つ。その部屋に、大切に掘り上げた「球根」を箱に入れ、静かに眠らせておくのである。春がきて土に戻されたあとは、夏の開花を待つばかりだ。

八十のこの手この足柚子湯かな  若林 光一(栃 木)

 男性の平均寿命も八十歳を越した。日頃は特別気にしないが、「柚子湯」に浸るとしみじみと自分の手足を眺めるものである。〈頑丈に生んでくれたる柚子湯かな 仁尾正文〉の句が思い出される。六十二歳の作品である。

トーストのパン跳ね上がる冬隣  花木 研二(北 見)

 このトースターは、焼き上がったパンが飛び出すポップアップ式と呼ばれるものであろう。現在ではむしろ旧式と言われるかも知れないが、俳句は新鮮そのものである。

向き替へし机冬日を引きよする  原  菊枝(出 雲)

 ありえないことをいかにも当り前のように表現したところが面白い。難しい文字も難しい言葉もない。ちょっとした見方から新しい発想が生まれるのである。

黒牛の長き睫毛や山眠る  神田 弘子(呉)

 牛舎の前には既に冬枯となった牧場が広がっている。その回りの山の木々も葉を落とし、静かに眠っている。作者はそこにいる一頭の牛に近付き、何か声を掛けているのであろうか。巨体には似合わない愛くるしい目元をいとおしく思って見つめているのである。

よそさまの落葉掃く日の続きけり  平塚世都子(松 江)

 周囲に緑があるのはありがたい。春は新緑、夏は緑蔭、秋は紅葉、と楽しませてくれるが、「落葉」は喜んでばかりはいられない。掃いても掃いても降る落葉。作者の「よそさまの」とはなかなか言えることばではない。掃き終わる頃には本格的な冬がやってくる。

星ひとつ冬三日月に寄り添へり  小林 久子(宇都宮)

 「冬三日月」は、他の季節とは捉え方が違う。寒い夜空に冴え冴えと、鋭ささえも感じさせる。そのそばの星の一つが寄り添っていると見て取った。作者のやさしさであろう。童話の一頁の絵を見ているようでもある。

セーターの男手を上げやつて来る  佐藤 貞子(浜 松)

 読み下した通り何の説明もいらない。即座にこの男性の活発な姿と、飾らない人柄が目に浮かぶ。一句一章の力でもある。



    その他の感銘句
実朝の海短日の日が沈む
木枯に追はれ回転ドア抜くる
押込みの中より返事日短
地球儀のハワイに止まる冬の蠅
鍬一丁肩に勤労感謝の日
綿子縫ふ指三本に絆創膏
八十の坂は本物冬仕度
寒禽の枝移りゆく朝の月
朝日射す玉砂利に霜尖りけり
神留守の風柔らかき天守かな
焼藷を御生大事に抱き帰る
冬日和読みかけの本十五冊
傾きて欠けたる月の寒さかな
婆にまだ残りし役目年用意
酒一合ふやし勤労感謝の日
上武 峰雪
三井欽四郎
岡 あさ乃
石田 博人
山田ヨシコ
藤島千惠子
宮﨑鳳仙花
吉村 道子
荻原 富江
塩野 昌治
和田伊都美
市川 節子
髙添すみれ
梶山 憲子
中村 公春


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 出 雲  牧野 邦子

佐比売野や日矢に穂芒輝けり
空の色して一むらの野紺菊
秋草の中の起伏の馬柵かな
朽葉つく山の茸のしめりかな
秋寒し地震の落果の畑うづむ

 
 唐 津  田久保 峰香

結界の竹ま新し紅葉寺
柿たわわ捥ぐ人のなき府庁跡
冷えて来し都府楼跡の礎石かな
辻念仏の笠深ぶかと神無月
博多とは眠らざる街冬の月



白魚火秀句
白岩敏秀


佐比売野や日矢に穂芒輝けり  牧野 邦子(出 雲)

 佐比売山は『出雲國風土記』に「石見の國と出雲の國の堺なる、名は佐比賣山(サヒメヤマ)、是れなり」とある。島根県中部にある三瓶山の古称。また、同書に国引きの綱を繋ぎ留めた山とある。
 古代のロマンを秘めた佐比売山。すそ野に広がる芒原に注ぐ日矢が、あたかも降臨の光のように神々しく描かれている。
  朽葉つく山の茸のしめりかな
 茸狩りに行ったのだろう。栽培された茸でないことが「山の茸の」で分かる。ここぞと思うあたりを探し続けてやっと見つけた茸。「朽葉つく」に採り立ての茸の新鮮さがある。しっとりとした湿りに、茸の質感がある。

冷えて来し都府楼跡の礎石かな  田久保峰香(唐 津)

 都府楼は筑前国(福岡県)に設置された大宰府の政庁の別名。遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれ、西国の守りであり、交易の窓口でもあった。万葉集筑紫歌壇はここを中心として、大伴旅人、山上憶良、小野老、沙弥満誓などが活躍した。そんな隆盛を誇った都府楼も九四○年の藤原純友の乱で焼失した。
 かつての都府楼は今は広い野原となって、巨大な礎石を残すのみである。荘厳な建物を支えた礎石も、むなしく冬の風に晒されている。千年余の歳月の無常を感じさせる都府楼跡である。

ひよつとこの腰から踊る秋祭  飯塚富士子(牧之原)

 収穫を感謝して行われる秋祭。おそらく恒例になっているひょっとこ踊りなのだろう。踊り手も見せ場を知っているし、観客も踊りの振りはあらかた分かっている。しかし、それでもやっぱり面白いし可笑しい。
 腰から踊り始めたひょっとこ踊りに、観客の笑いと喝采が秋天に響く。ひょっとこの腰の動きに焦点を当てて、おかしみを引き出している。

息白しブルーシートの地震の屋根  植田さなえ(鳥 取)

 平成二十八年十月二十一日、鳥取県中部地方に震度六弱の地震が起こった。建物の全壊や半壊が多数におよんだ。地震から二ヶ月たった十二月になっても、屋根をブルーシートで覆った家々が目立つ。鳥取はこれから雪が降る。
 寡黙な句であるが、作者の罹災者を気遣う気持ちが十七音に凝縮している。

叩かれてガラスの音の軒つらら  萩原 峯子(旭 川)

 朝起きてみると、軒にずらりと氷柱が下がっている。まるで、氷の鉄格子のようだ。昨夜のしばれの強さが納得できるというもの。
 氷柱の折れる音を「ガラスの音」と形容して、透明感のある硬質な音をみごとに表現した。

早梅や真綿のやうな日溜りに  渡部 幸子(出 雲)

 早梅は近づく春に先立って咲く早咲きの梅のこと。冬至梅や寒梅とは趣を少し違えている。
 春に近づくとだんだんと日差しも伸び暖かくなってくる。その暖かさを「真綿のやう」な日溜りと捉えた。春を待つ気持ちが日溜りに咲く早梅に寄り添っている。

白菜や母の手数の重さあり  土井 義則(東広島)

 手数は動作・作業などにかかる労力の度合いと辞書にある。葉が固く巻き、ずしりと手応えのある白菜。作り手の労力の分かる重さである。草取り、虫取りと手間のかかる白菜もちゃんとその手数に応えてくれる。ひと手間をかけること、これは人間社会にもあてはまるようだ。

着ぶくれの足の上がらぬジャングルジム  天倉 明代(三 原)

 暖かい冬の日の、ある遊園地での出来事。
 「うーん、よいしょ!。うーん、よいしょ!」
 何度やってもジャングルジムの横棒に届かない着ぶくれの足。ついにお母さんの手を借りて「どっこいしょ」と登ることになる。母と子の冬うららの一日である。

庭師来て樹と話し居り十二月  藤原 翠峯(旭 川)

 十二月になって庭師がやって来た。自分が手入れした松の様子を見に来たのだ。腕組みをして松を眺めていたが、やがて松と話をはじめた。〝松のことは松に習え〟ベテランの庭師なればこその仕事ぶりである。



    その他触れたかった秀句     

笑ひ声のなかへ散りくる紅葉かな
冬芽立つ幹のぬくもりほほに当つ
神の旅波立つ海に月の道
肩にある母の手温し枇杷の花
木の実降る鎮守に子らの秘密基地
鳶舞ふや分水嶺の枯木の秀
落葉掃く明日は校内長距離走
大根干す夕日ずんずん沈みけり
遠州の風は山より大根干す
新海苔の干さるる脇に背負ひ籠
箒目の濡るる石庭落椿
豆爆ぜて日向の音が生まれけり
敵味方色で分けたる菊人形
小春日や舟は揺れつつ橋くぐる
乳くはへ寝入る赤子とひなたぼこ
石蕗の明るく咲いて一軒家

富田 育子
成田 幸子
田部井いつ子
神田 弘子
松本 義久
野田 弘子
熊倉 一彦
宮澤  薫
村上  修
福間 弘子
落合志津江
桜井 泰子
清水 春代
鍵山 皐月
内山 純子
中澤 武子

禁無断転載