最終更新日(Update)'24.01.01

白魚火 令和6年1月号 抜粋

 
(通巻第821号)
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1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  山田 哲夫
「村十戸」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 安食 彰彦ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
  萩原 峯子、佐藤 やす美
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
  鈴木 利久、神田 弘子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(鳥取)山田 哲夫

薄き雲ぽつと輝く初日の出  星 揚子
          (令和五年三月号 鳥雲集より)
 初日の出は、雲がなくすっきり拝むことが出来れば最高であるが、揚句のような場合も経験する。期待した初日の出を拝むことが出来ずがっかりしたことは多い。しかし、途中で日顔の見えた時の喜びは何とも言えない気持になる。
 光は萬物の希求するものである。神代の昔、天照大神が天の岩戸にこもったため、天地が常闇となり、群神が奔走し、元の明るさに戻ったことで、光はこの世の起源でもある。

母の味詰めてお重の節料理  三島 信恵
          (令和五年四月号 白魚火集より)
 何と言っても節料理で正月の気分が充分に表現されている。>
 幼いころ、母が手間をかけて節料理を作り、雑煮と一緒に食べるのが正月の御馳走だった。
 雑煮は地方により異なるが、筆者の地方では小豆の粒あんに餅を入れたものである。
 今は節料理も手っ取り早いスーパーの物で間に合うので、母の味とはほど遠いものとなった。

丁寧な文字に始まる初日記  遠坂 耕筰
          (令和五年三月号白魚火集より)
 新しい日記に最初の一字は緊張するものである。筆者もこれまでに、十年日記、五年日記を使ってきたが、現在は三年日記を使っており、これが年末には終はる。
 次のものは三年にするか、一年にするか迷っている。やはり三年位が手頃ではないか。自分の余命と相談して決めたいものだ。
 日記には天候、検温、血圧を記入していたが、今夏から酸素供給量、脈拍数も追加した。数年使えるものが過去のデータと比較しやすく、現在の状態を把握するのに便利である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 文化の日 (出雲)安食 彰彦
秋扇たたみ句材の話など
俳諧の校正作業窓の月
老ひとり米研いでゐる文化の日
陶房に秋灯ひとつ椅子ひとつ
陶房に五線譜のごと柿すだれ
柿吊すこと厄介となりにけり
一卓に座し朋友と走り蕎麦
師を偲び句集をさがす窓に月

 まつしぐら (浜松)村上 尚子
機首上げてより秋天へまつしぐら
黄落の真つ只中に待ち合はす
秋の虹運河に舟の発着所
街の灯を水面に集め秋暮るる
キャンパスに入れ替りくる小鳥かな
釣瓶落し狸小路に迷ひ込む
高層のビルに灯を積み冬隣
札幌の街を眼下に秋惜しむ

 神の留守 (浜松)渥美 絹代
天高し棚田の裾に小学校
秋時雨蕎麦屋の奥の畳の間
サイホンの炎を見つめゐて秋思
唐辛子吊り十席の喫茶店
屋根と屋根触るる街道鳥渡る
蕎麦咲くや寺を過ぐれば道細り
鮎落ちて天竜杉の並び立つ
鎌を研ぐ人に道問ふ神の留守

 ポプラの木 (唐津)小浜 史都女
札幌の十三階の雁の棹
秋深みゆく北大のポプラの木
その先は天狗山なり秋の虹
秋惜しむ北一硝子九号館
しろがねの山を遥かに一位の実
子も交じるアイヌ踊りや十日月
大蕗の葉の大仰に枯れゐたる
雪ぼたるクラーク像の眼の潤む

 時雨 (名張)檜林 弘一
木洩れ日を幾度もくぐり茸狩
暁の傾く星座星流る
万歳に丸く収めぬ村芝居
秋簾風に揉まれてをりにけり
藁塚の並びの揃ふ夕日中
煙突の突つ立つてゐる十三夜
時雨るるや鴟尾の向き合ふ天守閣
珈琲を啜り近江の北時雨

 秋の虹 (宇都宮)中村 國司
世の人に詩人たるべし楡黄葉
おんこの実つかず離れず群鴉
嗚呼嗚呼と鴉のゆける秋夕焼
大会や選句を夜なべして務め
小鳥来て開拓紀念碑をあふぐ
ボーイズビー学食菜譜秋茄子
末枯れて札幌最古ライラック
北大に支那まんさくや秋の虹

 涼新た (東広島)渡邉 春枝
再読の漱石全集涼新た
木犀の香に誘はれて宮居まで
里川の豊かな流れ草は実に
ただ歩くことがリハビリ花野径
幼児を追ひかけて行く赤とんぼ
深秋の一歩に力また力
友と逢ふまでの立読み秋夕焼
格子戸に煮炊の匂ひ秋深し

 追風 (北見)金田 野歩女
秋の虹架かる辺りは日本海
爽やかや明治の音色時計台
椋鳥群れて大樹より声零るるや
松手入弟子に指南のハンチング
マラソンの子等に追風刈田道
雪螢左右に躱し電車待つ
異邦人と同じ順路を落葉踏む
白鳥来バレエの舞台見るやうな

 秋果つる (東京)寺澤 朝子
おしろい日暮里散る江戸の名残の御殿坂
十一面をろがむ禅堂秋澄めり
逆峯の行者より受く吉野葛
賽の目に切つて美しきや新豆腐
秋深し千歩に満たぬ夕散歩
母の忌を修すや後の更衣
今一度立ち出であふぐ十三夜
思ひ出多きことはさきはひ秋果つる

 雪婆 (旭川)平間 純一
伊万里より手鞠ほどなる梨届く
的を射る矢音静かや蔦もみぢ
雑木もみぢ博物館の飾り窓
一粒の抓んでそつと銀杏の実
紅葉かつ散る二畳台目だいめの八窓庵
銀杏散る北の学府の並木ただ
旅装解く庭の紅葉の散りそめし
雪婆綿あをあをと暮るるかな

 釣瓶落し (宇都宮)星田 一草
色変へぬ松不動明王天に立つ
蕊はねて雨粒こぼす曼珠沙華
にぎやかにコスモスの風渡りゆく
赤とんぼ数ふるほどに数ふゆる
釣瓶落し自転車に籠前後ろ
柿食ぶや長生きせいと師の言葉
なぞりたる句碑に寄り添ふ秋の声
今日のこと風に流してねこじやらし

 秋の声 (栃木)柴山 要作
目交に日光の嶺々秋澄めり
巨き投網打ちたるごとく鱗雲
吟行の帽子に肩に秋あかね
山の日に千顆耀ふ寺の柿
野紺菊眼下の鬼怒川きぬの綺羅まぶし
木の実踏む足裏の楽し城址かな
秋の声烽家とぶひや跡に佇めば
尼寺僧寺つなぐ小径や秋の声

 尉鶲 (群馬)篠原 庄治
新藁の香を輕トラに高く積む
花壺に撓む一枝梅もどき
挨拶の舌打ち愛し尉鶲
活花の芯に挿し込む実紫
風に舞ふ朴の落葉の裏表
ちやんちやんこ猫背に纏ふ八十路かな
雑草と云はれ枯れゆく名無し草
芒の穂枯れて吹かるるばかりかな

 秋の駒 (浜松)弓場 忠義
ちやん付に呼ぶ人逝けり星月夜
在祭一日は雨となりにけり
測量士の抗打つ音や末枯るる
秋の駒北アルプスを近くして
樅の木の天辺にゐて鵙猛る
丁寧に落款押せば小鳥来る
鳥渡る山の端より日の暮るる
満天の星近くして茸山

 秋の薔薇 (東広島)奥田 積
救急車また救急車穂絮飛ぶ
さはやかに晴れてナースの片ゑくぼ
点滴のたらりたらりと夜半の秋
もう歩けるよ栴檀の実の色づける
執刀医を慕ひて退院秋の薔薇
八十路半ばこの大粒の黒葡萄
噴丘の裾に音たて穴惑
池の鴨また増えてゐる昨日今日

 風の仲間 (出雲)渡部 美知子
しろがねの湖心を過り鴨来る
紙袋の底の危ふし黒葡萄
秋の蝶ひらひら人の輪に入りぬ
子どもらも風の仲間に芒原
海光へ濃きあめ色の吊し柿
すぐそこに闇の来てゐる秋の暮
そぞろ寒湖岸電車の軋む音
椅子ふたつ向ひ合せに秋行けり

 日の温み (出雲)三原 白鴉
階に拾ふ木の実に日の温み
穂薄や湖岸つたひに行く電車
縁切りの宮に薄き日帰り花
神在の雲の押し合ふ稲佐浜
花八手糊の利きたる割烹着
御成門閉ざす木の柵石蕗の花
白鳥の声掛け合うて飛び立てり
湖心へと水尾を揃へて鴨の陣



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 札幌へ (島根)田口 耕
札幌の道は真つ直ぐ黄落期
秋晴や開拓の地の千木光る
ポプラ並木絶えたる先の天高し
農学部の裏口どこも蔦紅葉
木の枝をりすかけ上がり雪蛍
地下道を足早に行く冬はじめ

 実玫瑰 (浜松)大村 泰子
曲家の背戸の畑に種なすび
秋霜の馬塞ステッキの忘れ物
丸木舟に手斧あとあり実玫瑰
近道は胸突き八丁かけす鳴く
秋冷や瓦斯灯いまも残る街
漁火と見ゆる一灯暮の秋

 秋麗 (東広島)吉田 美鈴
山頂に沸かすコーヒー秋澄めり
秋麗や一歩踏み出すクラーク像
酒蔵の煙突掠め燕去ぬ
休田に続く休田草の花
落日や鎌で刈り取る田の四隅
腰落とし息をひそめて茸狩

 月毛の駒 (呉)大隈 ひろみ
色鳥や木立の中の礼拝堂
靴箱の上のどんぐりまた増えて
ころがりては青空映す芋の露
秋澄むや月毛の駒の優しき眼
どこまでも馬塞どこまでも花薄
北大のカフェの大窓黄落期

 流れ星 (浜松)阿部 芙美子
願ひ事なんて今さら流れ星
子の真似る親の仕草や鰯雲
秋遍路家並のつづく道に出で
秋水にさざなみ鈴の音の聞ゆ
寝入りたる子の手の中に木の実独楽
引分けにして晩秋の草野球

 後の月 (東広島)溝西 澄恵
指笛に応ふる小犬空高し
珍しく一人の家居小鳥来る
八千草を活け酒蔵の通し土間
隠沼の日の差す一所鴨来る
無住寺の定刻の鐘後の月
笛の音や秋冷いたる大社

 水澄む (松江)西村 松子
水澄むや命のはじめ思ひをり
生くるとは時紡ぐこと雁渡る
色変へぬ松告げざると決めしこと
露の野へそつと枝折戸ひらきけり
雲は八重山おほらかに神迎ふ
枯野行く身に合ふ歩幅たもちつつ

 どんぐり(牧之原)坂下 昇子
どんぐりの落ちて水輪に包まるる
一つ採りあとは届かぬ通草かな
秋の日へ身を反らしては竿放る
揺るるたび光を零す花芒
秋澄むや人が真似して鳥の声
友訪へば木犀の香に迎へらる

 雁の棹 (江田島)出口 廣志
石狩の野に沈み往く雁の棹
来し方に思ひ巡らす黄落期
退院や虫すだく中旨寝せむ
予後の身や手の皺見つめそぞろ寒
土の香や妻を伴ひ大根蒔く
杖曳いて試歩に励めば浜千鳥

 秋行けり (鳥取)保木本 さなえ
湧き水の音なき音や赤まんま
どんぐりの落つる音よく晴れゐたり
牛蒡掘るかくも深くに鍬をいれ
風を受け日をなびかせて芒原
秋雨へ少し開きてゐる小窓
引く波にかぶさる波や秋行けり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 萩原 峯子(旭川)
賜りし師の短冊や柿実る
一位の実つまみ小鳥の仲間入り
ぴよんと越す水溜りにも秋の空
空耳かはた耳鳴りか蚯蚓鳴く
雲間より冠雪の岳光る

 佐藤 やす美(札幌)
ほろ酔ひの二人で歩く良夜かな
丘一面群るる羊や秋高し
鉱物の標本の棚秋湿り
ガス燈の瞬く運河秋時雨
石段を栗鼠駆け上る神の留守



白光秀句
村上尚子

一位の実つまみ小鳥の仲間入り 萩原 峯子(旭川)

 笏を作ったことから名付けられたという一位。秋には赤い実を付けるが、その美しさと愛らしさについ口にしてみたくなる。鳥が好んで啄むのも然り。そんな鳥たちに誘われた作者はその瞬間に小鳥になってしまった、と言っている。作者ならではの感性とロマン溢れる一句となった。
 平成二十一年、函館大会での前主宰仁尾正文先生の〈聖鐘の短く鳴れり一位の実〉を思い出した。
  ぴよんと越す水溜りにも秋の空
 「秋の空」は晴れ上がった爽やかな日の空を言う。この句の面白いのはその空が水溜りに写っている一瞬を見逃さなかったこと。
 掲出句共に独自の感受性の豊かさを思う。
 因みに〈道産子の毛並ふくふく冬隣〉は大会当日、特選一位に選ばせていただいた。

丘一面群るる羊や秋高し 佐藤やす美(札幌)

 今大会では北海道を詠んだたくさんの句に出合ったが、この句もその中の一つ。一読して景を思い浮かべることができる。季語の選択肢はたくさんあると思うが、「秋高し」により、天候の良さに加え、広い丘一面に群れる羊の様子、そしてそれを見ている人の全てが、晴やかで健康的であることを窺うことができる。
  ガス燈の瞬く運河秋時雨
 北海道の運河と言えば小樽。かつて金融、商業の中心として発展した港湾都市。市街はその時代を彷彿させる建造物がたくさんある。
 夕暮迫る街に瞬く「ガス灯」。その風情にあたかも物語が始まるように降り始めた「秋時雨」である
 大会の余韻はまだまだ続く。

蒟蒻掘る手もとの夕日かげるまで 水出もとめ(渋川)

 おでんのおいしい季節がやってきた。それに欠かせない蒟蒻。主産地は作者がお住まいの群馬県。一字一字には今年百歳を迎えられたとはとても思えない力強さと実感が込められている。

看板に英語・ハングル秋うらら 内田 景子(唐津)

 街なかでよく見かけるこんな看板。必要とする人が多勢いるということ。隣国であり、古くからの歴史を思えば当然だが、戦後長い間ぎくしゃくしてきたことも事実。未来に向けてどの国とも自由に行き来したい。

一瞬の風は海へと帰り花 加藤三惠子(東広島)

 初冬はその日の天候により寒暖差が激しい。晴れていれば小春日和となる。特に海辺に吹く風は気ままである。今日の風は一瞬の間に来て海へと抜けて行った。そばには何事もなかったように「帰り花」だけが残されていた。

吾亦紅杣道とうにすたれをり 砂間 達也(浜松)

 人が通らなければ道はすたれる。人の暮しにも野の草花にもその影響は及ぶ。吾亦紅は日当りの良い場所を好んで咲くが見逃がされやすい。その寂しげな姿こそ俳人に好まれてきた。日本の山野はどうなってゆくのだろう。

草の絮飛んで那須野の開拓碑 菊池 まゆ(宇都宮)

 高原を楽しませてくれた草花もやがて穂となり絮となる。風が吹けばどこへでも飛んでゆく。那須は有数の観光地だが、開拓の歴史は古くその厳しさは大変なものだったと聞く。今はそれを伝える碑だけが残されている。

黄落やビルに影さすテレビ塔 中林 延子(雲南)

札幌の大通公園と思われる。象徴とも言えるテレビ塔とビルとの映像、折しも木の葉が歓迎をするかのように降ってくる。上五のや切れ・・・によりその効果が発揮されている。

新調のズボンに稲子飛びつきぬ 伊藤 達雄(名古屋)

 昔は大量に稲子を捕り佃煮にしたというが、今はどうだろう。農薬により減ったと聞くが、この句から察するとそれなりに健在らしい。面白いのは「新調のズボン」である。困惑しながらも、小さな生きものへの温かい目差が感じ取れる。

ウインナーの蛸に目と口文化の日 徳永 敏子(東広島)

 「ウインナー」はウインナーソーセージの略。指ほどの赤いものに切れ込みを入れて熱を加えれば、確かに茹で上がった蛸の姿になる。少し硬いイメージの「文化の日」との取合わせもユニーク。

七輪をはみ出すほどの秋刀魚焼く 佐々木智枝子(東広島)

 秋刀魚の不漁が続く。店に並ぶものはどれも痩せ細っている。このご時世に「七輪をはみ出すほど」とはなんとも羨ましい。台所の汚れも気にせず庭先の「七輪」から立ち上る煙が食欲をそそる。


その他の感銘句

小鳥くるローマ数字の時計塔
冷やかやビスクドールの白き肌
若き日のオールバックや木の葉髪
手に「人」を書くまじなひや菊薫る
ニュートンの林檎の木とや末の秋
大根引く自慢話に上乗せも
秋冷の菩提寺に鐘一つ撞く
長き夜や日記につづること多く
どんぐりを踏みて屛重門に入る
新聞で見る運勢や秋深し
田の神と先祖へ御神酒秋収め
冬隣口どけのよきチョコレート
栗を剝く戦禍のニュース聞きながら
飴色の伯母の物差し障子貼る
病床の一日一日や暮の秋

青木いく代
久保久美子
八下田善水
浅井 勝子
市野 惠子
田中 明子
高橋 茂子
山口 悦夫
谷田部シツイ
富田 育子
原田 妙子
清水あゆこ
仲島 伸枝
藤原 益世
谷口 泰子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 浜松 鈴木 利久
浮雲はゆつくり進み秋旱
磯菊や湖は音なく暮れゆける
後れたる一羽も加へ鷹柱
茸狩みんな手ぶらで戻りけり
老いきざす影したがへて秋深し

 呉 神田 弘子
秋しぐれ露地をぬらして過りけり
行く秋の厩舎の馬の静かな眼
一望の札幌の街秋深し
煌々と中天わたる十三夜
花入れに野の花挿して文化の日



白魚火秀句
白岩敏秀

老いきざす影したがへて秋深し 鈴木 利久(浜松)

人は誰もが等しく老いる。それは分かっていてもそれをどこかで否定したい気持ちが残るもの。それを気付かせてくれたのが自分の影。散歩のときだろうか。いつも自分に付き従ってきた影に年齢を感じた。普段は気がつかなかったことを気付かせる秋深しである。
 茸狩みんな手ぶらで戻りけり
勢いこんで行った茸狩。みんなとあるから大勢で行ったのだろう。一日中、茸を探して回ったが、見つかるのは食用にならないものばかり。かくして徒労に終わった茸狩。しかし、家に帰ったときは手ぶらの手に、籠一杯の八百屋の茸…そんな光景が見えてくる。

秋しぐれ露地をぬらして過りけり 神田 弘子(呉)

「ろじ」の漢字は路次、露地、路地、露次がある。茶室に付随して石灯籠や蹲踞・飛び石など設けた露地。露地の苔むした庭を通り過ぎて行った秋しぐれ。庭の紅葉を濡らし、苔のみどりを引き立てている。〈作りなす庭をいさむる時雨かな 芭蕉〉の時雨の季節に近いころ。
 花入れに野の花挿して文化の日
「文化の日」に野の花を摘んで、家にある花入れに飾ったという。文化に特に功績のある訳ではなく、誰もが経験する日常のことをさりげなく詠んでいる。言葉を飾ろうとすると無理がくる。素直な俳句に「文化の日」という豊かな時間がある。

化粧刈り終へて茶山の冬に入る 柴田まさ江(牧之原)

美味しいお茶が各家庭に届くまでには、茶農家の一年間を通じての丁寧な茶山の手入れがある。最後の茶を摘んでからの整枝が化粧刈で、来年の茶の品質に影響を及ぼす大切な作業。これが終われば茶の木は冬眠に入る。茶どころの作者らしい茶の一年に寄り添った一句といえよう。

川音を激しく変へて秋黴雨 西川 玲子(函館)

秋は晴の日ばかりではない。〈はてもなく瀬の鳴る音や秋黴雨 史邦〉「猿蓑」。いつまでも降り続く雨が、いつもは静かな川を激しい川音に変えた。増水した濁流を見えるかたちではなく川音の激しさで表現。見えないからこそ恐ろしさが増すことがある。

御神木の齢は不明神の留守 萩原 峯子(旭川)

産土の御神木は大木である。誰も本当の樹齢を知らない。唯々、寡黙に天に聳えているのみ。〈雪降るや経文不明ありがたし 相馬遷子〉。神のみぞ知り、人間が知らない方がありがたい場合がある。だからこそ御神木をありがたく思う「御」が生きるゆえん。

長き夜の語りや源氏物語 広川 くら(函館)

秋の夜長の物語。夏ではさしずめ「百物語」の怖い話であろう。秋の夜は典雅な王朝の「源氏物語」。その物語の秋と言えば「須磨には、いとど心づくしの秋風…」と続く「須磨の秋」あたりか。光源氏の不運な運命に思いを巡らしながら秋の夜は更けていく。

縁側にチーズとワイン月を待つ 三島 明美(出雲)

縁側にチーズとワインを用意して、何をするのかと訝っていると「月を待つ」。みごとに月見団子、月見酒の常識をひっくり返した。古典派は驚くかも知れないが、月へロケットが飛ぶ時代。時代が変われば月も変わり月見も変わるということか…。

今年米喜び入れて子に送る 島津 直子(江津)

農家にとって今年米の収穫は何ものにも替え難い喜びである。食べる者にとっても喜びは同じ。その喜びを子どもにも送ったという。喜びは伝播するもの。生産者から消費者へそして子ども達へ。米は日本人の基本的な食料である。

ややの手は今日もお喋りななかまど 野浪いずみ(苫小牧)

赤ん坊はまだ言葉を知らない。知らないから喋れない。しかし、身体は動く。今日も足や手を精一杯動かして喋っている。そのお喋りは母親だけに通じる魔法の言葉。赤ん坊の言葉にやさしく頷く母親がいる。

映るものより美しく秋の水 金子千江子(浜松)

秋は大気も澄み水も澄む季節。川辺に佇んでいるときらきらと光る水面に、いろんなものを映して流れていく。それも映るものより水の方が美しいという。そう見えるのは手が切れるほど秋の水が澄んでいる証拠。透明感のある秋の季節感を表白。


    その他触れたかった句     

渾身の力ゆるめず蔓枯るる
穭伸び信濃の風にゆれてをり
冬瓜はシルバーカーに乗つて来る
行く秋の遠野の古き民話かな
新ダムの小さき島の草紅葉
ななかまど空の青さの蝦夷の国
高窓に背伸びなどして十三夜
銅鐸の弥生の音色秋深し
赤城榛名つなぐ夕べの鰯雲
札幌の道は真つ直ぐ七竈
天高し宍道湖臨む一都句碑
行く秋や見知らぬ町にバスを待つ
ゆつたりと暮色の包む花野かな
秋惜しむ地図に丸する五大堂
文化の日町に小さなコンサート
三番叟夜寒の床を踏みにけり
細波は湖のささめき秋桜

落合 勝子
佐々木恵津子
田中 明子
松永 敏秀
貞広 晃平
関  定由
加藤三惠子
藤江 喨子
水出もとめ
高井 弘子
寺田 悦子
大嶋惠美子
高橋 宗潤
鮎沢 百恵
三浦マリ子
田中 知子
持田 伸恵


禁無断転載