最終更新日(Update)'15.08.01

白魚火 平成27年8月号 抜粋

 
(通巻第720号)
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 8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    大隈 ひろみ 
「参観日」(作品) 白岩敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
早川 俊久 、平間 純一  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
        田久保峰香、塚本 美知子 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(呉) 大隈 ひろみ    


虫干や父が駱駝に乗る写真  中村 國司
(平成二十六年十月号 白魚火集より)

 よく晴れた日に思い立って始める虫干しは気づくといつの間にか時間が経ってしまっていることが多い。以前愛読した本が出てきたりすると、ついついページを繰らずにはいられなくなるし、アルバムなど写真類となるととたんに手は止まってしまう。自分もこんな時代があったな、父も母も若かったな、と懐かしい写真から目が離せなくなり、少しも片付けがすすまない。
 掲句は生家での虫干しだろうか。手にしたのは駱駝にまたがる父上の写真。いつ、どこで?駱駝と父親の組合せに少し驚く。自分の知らない時間を過ごしているお父さんの姿を幾分眩しく見つめながらも、微笑ましいという思いが胸に広がっていくのだ。淡々とした詠みぶりの中に作者の父への愛情がにじむ。
 そういえば筆者にも、コート姿で象に乗っている父親の写真が残っている。

苔の上は軍手で掃きし夏落葉  郷原 和子
(平成二十六年十月号 白魚火集より)

 庭を掃く竹箒のシャッシャッという音はいいものだ。心まで清められる気がする。
 常盤木も今年の葉が広がり、そこかしこに古い葉が散っている。庭の一角のつやつやと根付いた苔の上にも夏落葉はかかっている。そこに箒を使うのは忍びない。取り出したのは白い軍手である。苔の上に手を差し伸べ、そっと払って葉を集める。軍手を通して伝わる苔の柔らかさ、弾力、そして湿り気。箒目のついた庭に苔の緑が鮮やかだ。腰を伸ばしてもう一度庭をひと渡り眺める。庭木を吹き抜けていく風がいっそう心地よく感じられる一瞬だ。
 軍手という無骨な一語がここでは優しい響きを持つ。繊細な感覚が魅力の一句である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 日 時 計  坂本タカ女
蟻穴を出づ日時計の狂ひなし
風に酔ひさうな高枝鴉の巣
満開の軽くなりたる桜かな
教室のこれから掛けにゆく巣箱
新任の教師なりけり巣箱掛
青饅や玄米食を通しける
昼の宴のハンカチーフを膝にする
首つたけなる花瓶なり翁草

 ほととぎす  鈴木三都夫
鳴く雉の近さに目覚めゐてうつつ
葉桜の中より落花二三片
牧之原台地国原茶の芽立つ
大茶園みどりの海に開拓碑
茶刈機の遅々とも見えて捗れる
藤棚の下の暗さの安らけし
豊満にしてその色の牡丹かな
鳴き渡りゆく暁闇のほととぎす

 麦  秋  山根仙花
ゆつくりと歩きて春を惜しみけり
麦秋の太陽大きく沈みけり
片流れして麦秋の川濁る
どの道も湖へ出る道麦の秋
作業衣の固く乾ける麦の秋
海光へ玉葱玉を競ひあふ
水音の絶えぬ靜寂や青簾
柿若葉てらてら夕陽沈みけり

  河  鹿   安食彰彦 
くちなはに震へてゐたる膝頭
蟻の列先頭すでに縁の下
原色の夏蝶前を素通りし
鱗光る飛魚も加はり隠岐の旅
天井と仏壇つなぐ蜘蛛の糸
ががんぼの止まる真赤な計量器
親鹿のまなこ険しく光りけり
河鹿鳴くすでに分校なくなりぬ

 雷  雲   青木華都子
いつの間と言ふ間のありて散る桜
大好きな色は何色さくらんぼ
三十三忌日に供ふさくら餅
手柄杓でいただく寺の春の水
たんぽぽのわた飛ぶ朝の散歩道
コーヒーはブラックがいい橡は実に
もつくもく湧く雷雲や午後三時
真二つに雲切り裂いて稲光り

 長篠城址  村上尚子
老鶯に呼ばれ三河の国に入る
山の日を乗せ朴の花開きけり
城址の石に躓く薄暑かな
わが影も新樹の影も城の址
麦秋や武士のこゑ地より湧く
石段の始めなだらか瑠璃蜥蜴
大瑠璃のこゑを間近に古戦場
山並を揃へ三河の走り梅雨

 福  助  小浜史都女
信州の師と城跡と金鳳華
穴を出て憂き世の蛇となりにけり
あるときはあり竹の子をまた貰ふ
蕨はや茂みの中に長けてをり
木洩れ日の水玉模様五月来る
母の日の人参厚く蒔きにけり
すひかづら腐しの雨となりにけり
福助におじぎされたる梅雨の入り  
 薬  狩  鶴見一石子
米どころ貫く大河雪解晴
十二峠の隧道を抜け忘れ雪
八海山両手ひろげて山笑ふ
跪く杜の社に蛇苺
只管に神を信じて薬狩
掛香は女の命隠し持つ
無惨やな植田の中の鉄格子
草毮りできる倖せ膝小僧

 夏つばめ  渡邉春枝
椰子の葉の大きく揺れて六月来
異国めく椰子の並木や夏つばめ
青葉潮対岸に声とどきさう
耳門のみ開かれてをり南吹く
夏の蝶屋根の高さに見失ふ
ぼうたんの崩るるときの風騒ぐ
硯海に墨たつぷりと夜の新樹
もう膝にくる子の居らぬ夕端居

 茅花流し   渥美絹代
母在りて八十八夜の茶を汲める
烏の子養生中の芝歩く
城跡の竹あちこちで皮を脱ぐ
南天の花散る閻魔堂の裏
軒下に舟吊り茅花流しかな
山羊小屋に鶏の入りゆく麦の秋
落ちさうな棚田の岩や日雀鳴く
薔薇咲かせ洋間継ぎ足す山庄屋

 城址の桜  今井星女
築造は元治元年花の城
ゆつくりと花の城址を歩みけり
石垣も濠も隠せし桜かな
城跡に千六百の桜散る
花びらで埋めつくされし城の濠
花筏避けてボートを漕ぎにけり
メーデーは花の城址で終りけり
花疲とは贅沢な一と日かな

 再  会  金田野歩女
支笏湖の大波小波水木咲く
再会の句友賑やか桜実に
一段と忙しき朝の親燕
尺蠖や磴の手摺をひたむきに
青虎杖大きく育つ無人駅
夏帽子借物競技に貸出し中
梢にまで至る青蔦青襲
四阿へぶらんこ毛虫を迂廻して

 白 上 布  寺澤朝子
羊羹に添ふる黒文字晶子の忌
旧姓とふ懐かしきもの蛍の夜
昼顔の誰れに見らるると云ふでなく
さみしくば夜を啼け恋のほととぎす
化粧水なじませ夜涼たのしまむ
摺り足のかろく板踏む袴能
来し方や折り目崩さず白上布
此の後は女坂往く花うつぎ


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 若  竹  坂下 昇子
弁当の入れてありたる茶摘籠
巣燕の一羽食み出しをりにけり
卯の花や棚田に水の張られたる
若竹の一気に親を越しにけり
泥のつく田植の尻の並びをり
螢待つ夕星一つまた一つ

 麦  嵐  二宮 てつ郎
五月来ぬ雀ら細身弾ませて
岬山発新緑の風ひもすがら
時鳥窓に生れ来る今日の色
肩に軽き通院鞄麦嵐
徒食日々風蘭は根を張り初むる
蠅取リボン遠き海より風の来て

 古 戦 場  野沢 建代
信玄の銃身長し麦の秋
磔の場所に佇ちをり山法師
武勇伝聞くや城址の大緑陰
落し文に青さ残れり古戦場
馬防柵より覗き見る植田かな
十薬に日の斑の届く城址かな

 目 借 時  星田 一草
二輪草一輪高く風を呼ぶ
目借時待合室の五六人
子つばめの育つ自動車教習所
車座に田植の畦の小昼飯
特急の窓の大きく初夏の旅
不如帰人に遅れて山の道

 花 菖 蒲  辻 すみよ
あるがまま生きて約しく更衣
当て所なく歩く五月の砂丘かな
滴りに小さな音の生まれけり
紫陽花の色まちまちやとの曇り
就中紫が良し花菖蒲
山蟹の住処横穴住居らし

 風 薫 る  源  伸枝
水門に大きな目盛夏つばめ
老鶯や伐採の木の匂ひ立つ
生命線太き仁王や風薫る
葉桜の風棲む古代住居かな
ゆるやかに漕ぎ出す渡船夏霞
白牡丹花の重さを重ねあひ
 髪 洗 ふ  横田 じゅんこ
柏餅仏の分も足して買ふ
梅雨寒や鰭美しき魚焼く
緑の葉に乗つてみどりの雨蛙
十色のマニキュアの指枇杷を剥く
単衣着てなで肩は母ゆづりなり
生真面目に生きて悔いあり髪洗ふ 

 みづすまし  浅野 数方
母偲ぶ父や八十八夜寒
手相見に預くる胸裏夕薄暑
いちはつや饅頭好きは父譲り
減量の秘訣はあらずみづすまし
とろとろと長く生きたや閑古鳥
よく笑ふ親子でありぬ夏薊

 葱 坊 主  池田 都瑠女
割箸の斜めに裂けて豆の飯
向う家も我が家の庭も山法師
斯許りの畑につんつん葱坊主
朝毎に黄楊の花掃く終の家
鶯の連れ鳴きしたる男坂
歳毎にふるさと恋し夜の蛙

 麦 の 秋  大石 ひろ女
やはらかく夜の降り来る青葉木菟
沈む日のすこし残りて麦の秋
宿坊の低き軒先燕の子
差し潮の音ひたひたと蘆茂る
短夜や枕辺に置く電子辞書
捩花や沖ゆく白き貨物船

 序 破 急  奥木 温子
花吹雪に序破急のあり昼の月
窓に来る蛾に耳敏く夜を独り
青葉木菟闇を震はせ闇に鳴く
洞窟の仏界山吹き明りかな
鳴き合うて夜を待ちきれぬ昼蛙
丸刈りも五分刈りもあり葱坊主

 六月の雀  柴山 要作
ジャーマンアイリスその重たさを活けにけり
桐の花溶け入りさうな峡の空
音もなく過ぐる銀影青嵐
沢音や尻のひしめく青胡桃
城山の尾根画然と夕焼くる
六月の雀は親し試歩の土手


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 早川 俊久

仮名書きの三嶋暦や種浸す
水源は遠き霊峰花わさび
水打つて石塀小路灯を点す
闇深き高野の森や木の葉木菟
西に槍ヶ岳東に浅間山青田風


 平間 純一

囀やつられて食ぶるクラッカー
人を待つ紫丁香花匂ひくる
目薬を差してあふるる緑かな
走り根につまづき揚羽見失ふ
巣箱掛くアイヌ古老の作業小屋



白光秀句
村上尚子


水源は遠き霊峰花わさび  早川 俊久

 南北に伸びる長野県を北へ向かう時の楽しみは、何と言っても北アルプスとその麓に広がる安曇野の風景である。
 作者が訪れたのは、わさびが花を付ける頃だった。伊豆地方の山間の栽培と違い、ここは広大な平地である。いずれにしてもわさびにとって大切なものはきれいな水である。「水源は遠き霊峰」と表現している通り、その源は北アルプスであり、もっと極言すれば槍ヶ岳である。目前に聳える他の山に阻まれその姿は望めないが、足元に見える水は確かにその霊峰からの恵みである。作者が長野県出身となれば、その思いは尚更であろう。
  西に槍ヶ岳東に浅間山青田風
 いずれも十七文字以上の広さと重厚さを感じさせる。旺盛な作句態度と、ふる里讃歌はまだまだ続くであろう。

囀やつられて食ぶるクラッカー  平間 純一

 「クラッカー」は手軽に食べられるお菓子であり、塩味ということから、色々な野菜やチーズ等を乗せればビールやワインのおつまみにもなる。
 この日は野外で親しい人達とテーブルを囲んだ。こんな時の食べ物は殊更うまい。「囀」の声は作者を一層高揚させた。春の訪れの遅い旭川にお住まいのせいか、その喜びが一句の中から弾けてくるようだ。
人を待つ紫丁香花匂ひくる
 「紫丁香花」はライラックの和名。中八の表現はあまり気にならない。御当地ならではの作品である。

さざなみの池に四阿とは涼し  陶山 京子

 「さざなみの池」も「四阿」も涼しさの代表的なもの。下五の「とは涼し」がまた軽やかであり、作者の手腕が窺える。

衣更へて身に添ふ母のやたら縞  間渕 うめ

 形見となった母上の夏の着物である。袖を通すと俄に懐かしさが込み上げてきた。その縞柄からは色々なことが思い出された。「身に添ふ」は外見だけを言っているのではない。

梅雨の入り雑巾二枚縫つてをり  久保美津女

 日常生活の一端をそのまま一句にしているが、それも日頃の訓練から生まれる。「雑巾」も十枚ではなく「二枚」だったところが良い。季語との取り合せの妙味も好感がもてる。

お茶ばかり飲んで卯の花腐しかな  大石登美恵

 こちらも日常生活の一端。「お茶ばかり飲んで」と少しふて腐れているように言っているが、きっと茶処のおいしい新茶であろう。句またがりの表現も功を奏している。

なめくぢり種も仕掛けもなく現るる  大滝 久江

 蛞蝓に悩まされる季節となった。畑の作物や庭の花もおかまいなし。ときには家の中迄入ってくる。掲句はみんなの疑問を代表して一句にしてくれた。「なめくぢり」としたところも俳味があり効果的である。

敦盛の塚に芒種の波の音  鈴木 敬子

 「敦盛」は平安末期の武将。源平の一の谷の合戦でわずか十六歳で源氏に討たれた。笛の名手と言われた「敦盛の塚」の前に立った作者の耳元には「芒種の波の音」に混じり、笛の音が聞こえてきたのである。〝青葉の笛〟と呼ばれるその笛は、須磨寺の宝物として展示されている。

伏す母の吸呑みに汲む新茶かな  柴田まさ江

 横になったままジュースも水も飲める「吸呑み」は介護には必需品。今日はそこへ「新茶」を汲んだ。母上もきっと待ち焦がれていたに違いない。いつもより会話が弾んだ。お二人の間には温かい空気が通っている。

一番機植田に影を落し発つ  佐野 栄子

 空気の澄んだ早朝の「植田」の景色は又格別。何の説明もいらない明快な一句でありながら、目には見えない明るい未来を感じさせる。

夏蕨峨堂の句碑を被ひけり  篠原 米女

 白魚火誌の平成十九年九月号に〝笛木峨堂氏逝去〟の欄がある。そこには〈大地あり我あり妻と開墾す〉の句碑と、お元気そうな笑顔の写真が掲載されている。私は平成十八年の白魚火全国俳句大会で、たまたま隣の席になり、言葉を交させていただいた。
  作者は今、時の流れを強く感じている。句碑に語り掛けながら、その回りをすっかりきれいにされたのだろう。帰りの手には「夏蕨」をしっかりと握りしめて……。


    その他の感銘句
筆を干す軒先夏の兆しけり
若葉してメタセコイアは天を突く
捨て切れぬジャムの空瓶大南風
大西日腹で息する牧の牛
交したる言葉ふたこと青胡桃
あんぱんの餡たつぷりや梅雨晴間
さ蕨のかうべを下げしまま出づる
校門へ道真直ぐや踊子草
老鶯や石見西国札所寺
葉桜やはちきれさうな封書来る
手と足のぐうぱあぐうぱあ麦の秋
麦藁帽金管楽器行進中
辣韮漬象牙の色に仕上りし
一番茶手締め静かに閉ぢにけり
自販機のジュース飛び出す薄暑かな

徳増眞由美
舛岡美恵子
野田 弘子
荻原 富江
高内 尚子
中西 晃子
本田 咲子
上武 峰雪
山崎てる子
岩﨑 昌子
小松みち女
山田 敬子
横田 茂世
加藤 明子
山田 哲夫


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 唐 津  田久保 峰香

母の日や少し朝寝をしてをりぬ
溝浚へ道に跳ねたるどぢやうかな
長男の来て代掻きの始まりぬ
空家なる母の在所の枇杷熟るる
玄海の波おだやかに六月来

 
 牧之原  塚本 美知子

一村の賑はひ初めし夕蛙
大安の初取引の新茶かな
風音を攫ふ潮騒卯波立つ
蛍火に草の湿つて来たりけり
蛍に雨後の瀬音となりにけり



白魚火秀句
白岩敏秀


長男の来て代掻きの始まりぬ  田久保峰香
 
 長男は実家よりそう遠くないところに世帯を構えているのだろう。だから、何かあれば直ぐ手伝いに来てくれる。そんな長男を頼もしく、心強く思っている親の気持ち。
 今年も長男の家族が揃ってやって来て、賑やかに代掻きが始まった。これから続く田植えや秋の穫り入れも来てくれることだろう。
 農地や農産物のことが何かと言われている昨今であるが、日本の農業は家族によって、確実に受け継がれていく。
母の日や少し朝寝をしてをりぬ
 朝は誰よりも先に起き、夜は誰よりも後に寝るのは母。しかし、今日は母の日である。少しばかり朝寝をさせてもらった。
 朝寝を有り難いと思いながらも「少し」と言うところに朝寝に対する作者の遠慮がある。何はともあれ、鳥たちの鳴き声に目覚めた、幸せな母の日の始まりである。

蛍に雨後の瀬音となりにけり  塚本美知子

 蛍狩りの最中に俄雨が来た。蛍狩りの人達は帰り、蛍も草に隠れてしまった。賑やかさが消えた川辺には闇と雨音が残った。そして、しばらくして雨は止み、川辺に瀬音が戻って来たが、蛍は戻って来なかった。
 華やぎのあとに来る淋しさ―そして、淋しさを増幅させる雨後の瀬音である。

新緑ををりをり眺め針仕事  水島 光江

 日差しの明るい縁側で静かに針仕事をする。新緑を吹き抜けて来た風が、針を持つ手を心地よく吹いてゆく。そのたびに、目は風を追い、新緑を眩しく眺める。かって、祖母や母がした縁側での針仕事。針仕事をする人は変わっても山の新緑は変わらない。
 日常が穏やかに切り取られていて、読む者を和ませてくれる。

迂回路を蟻千貫の虫を引く  荻原 富江

 迂回路―ある所を避け、遠回りする路。このある所とは蟻にとっての難所。蟻はこの難所をさけて、わざわざ遠回りして、千貫の虫を運んでいるという。勿論、千貫は誇張。誇張も俳句表現の一つである。人は嘘のような本当はなかなか信じないが、本当のような嘘はすぐに信じる。俳句も文芸。創作が混じってよい。

燈台の遠くに見えて麦の秋  影山  園

 仁尾先生は「俳句は一読して頭の中にその景が描けねばならない」とよく言われた。
 遠景の白い灯台、中景の岬の緑と海の青。そして、近景の黄金に熟れた麦の穂。或いは沖には白波が見えるかも知れない。遠近法で構成された印象派の絵のようで、太陽の明るさが感じられる句。

教室の広くなりたる更衣  鈴木けい子

 今頃の更衣は制服の場合は別として、一般には暑さに従って行っているようだ。しかし、この句は教室とあるから生徒の更衣。
 紺の制服から白シャツへの更衣で教室が広くなった。厚手から薄手への物理的な広さ。そして、紺から白への色による心理的広さ。
 更衣で教室が「広くなりたる」は斬新な発想である。

渾身の力もて揉む新茶かな  古川 松枝

 生葉から荒茶が出来るまで十に近い工程がある。それから仕上げまでの幾つかの工程を経て、新茶が我々の手許に届く。
 掲句は手揉み新茶である。茶農家が丹精込めて育て、刈り取った茶葉。それを茶工場で丹念に茶に仕上げてゆく。「渾身の力もて揉む」の表現に、製茶職人の味わいある新茶への誇りが込められている。

学校の一坪花壇チューリップ  岩﨑 昌子

 小学校の小さな小さな花壇。生徒たちが一生懸命に世話をして来たのだろう。きれいに咲いたチューリップに生徒たちの笑顔が重なる。
 「一坪花壇」―この小さな花壇を世話する生徒たちを見守る作者の眼は温かい。

畑の癖知りつくしをり豆を蒔く  仁科スエコ

 豆を蒔く時期となった。この畑はこう蒔けばこうなる。長年の付き合いから分かる畑の癖である。癖を熟知して蒔く豆に収穫の多さの期待がかかる。ひょっとすると、世の亭主族も癖を知り尽くされていて…思いあたるところがある。


    その他触れたかった秀句     

ていねいに齢かさねて夏帽子
木綿よく藍に染まりて夏つばめ
しんがりを待つたんぽぽの絮とばし
夏服の車掌一礼して現るる
母の日や少し早目に風呂を焚く
空港の灯りの見ゆる蛍狩
椿落つる気配のありて振り向きぬ
五月雨やジャズのリズムの降るごとく
くれなゐの薔薇の香りの美容院
骨董市軋む音する扇風機
すかんぽのすつぱい顔の男の子
降誕会寺にバナナの叩き売り
鬼怒川の藍一文字針槐
指先の天道虫の行き止り
母の日に届きし文を潤ませて

松原はじめ
中山  仰
松本 光子
挟間 敏子
大庭 南子
村松 綾子
広瀬むつき
山田 眞二
田中 惇子
田口三千女
佐々木智枝子
田久保とし子
岡田寿美子
米沢 茂子
小沢 房子

禁無断転載