最終更新日(Update)'15.07.01

白魚火 平成27年7月号 抜粋

 
(通巻第719号)
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 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    横田 じゅんこ 
「鼓笛隊」(作品) 白岩敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 喜久栄 、岡  あさ乃  ほか    
白光秀句  村上 尚子
仁尾正文先生を偲ぶ坑道句会  小林 梨花
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
         林  浩世、中山 雅史 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(藤 枝) 横田 じゅんこ    


蟬鳴いて梅雨はとつくに明けてをり  仁尾 正文
(平成二十六年九月号より)

 巻頭の仁尾正文作品十二句の中の一句。この時期先生は体調を崩され、闘病の最中だったと思う。外出もされず恐らくは終日梅雨籠りで、療養に専念の毎日であったと拝察する。そんなある日蟬の鳴き声を聞いた。気がつけばもう梅雨は明けて、季節はすでに真夏になっていた。蟬が鳴き梅雨明けを知ったというかなり大きな驚きが核となっている。
 読み手は先生の日記を読んでいるような気持ちになる。日記は嘘を書かない。格好をつけない。先生は闘病をしつつ、自己確認の俳句を全うされた。
 季重ねを問題にする作品ではないと思う。

半夏生発条巻き式の腕時計  二宮 てつ郎
(平成二十六年九月号 鳥雲集より)

 掲句は何も大層なことをいっているわけではない。しかし妙に心に残る。それは発条巻き式の腕時計という、昭和のなつかしさを詠んでいるからであると思う。季語の半夏生は七十二候の一つで、夏至から十一日目であり、陽暦で七月三日頃である。不思議なもので、俳句は言葉が過剰になると情がうすれ、言葉を慎めば慎むほど抒情の力を増す。そういうことを熟知した作者ならではの一句である。

夕星に南部風鈴鳴り出しぬ  久家 希世
(平成二十六年九月号 鳥雲集より)

 美しい俳句である。季節感豊かに詠んでいる。必ずしも写生句とはいえないが、創作力の優れた詩的現実を交えた作品である。
 顔を上げれば空は星空、眼前には風鈴、音色まで聞こえてくる。遠近法がここちよい。
 背筋が伸びる。こんな一句の添えられた絵手紙を貰ったら何とも嬉しい。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 蝮  屋  坂本タカ女
蛇出づる道端馬頭観世音
あるあると蛇の蛻の話かな
踏み潰したるごはんつぶ蠅生る
蝮屋のいまもまむし屋つちぐもり
引き返し覗く蝮屋おぼろかな
懸命に水車を廻す雪解水
種浸しありぬケットを掛けありぬ
聞えくる峠の汽笛春霞

 灌 仏 会  鈴木三都夫
灌仏会花の七堂伽藍かな
飾られし花影婆娑と甘茶仏
甘茶仏とろりと濡れて在しけり
万朶はや雨の落花となりにけり
散る花に取り残されてゐる思ひ
つつじ句碑躑躅がくれに見えてきし
訪ふ句碑の年毎険し躑躅山
一年に一度逢ふ句碑躑躅燃ゆ

 古川句碑  山根仙花
木々どれも歓喜の声をあげ芽吹く
惜しみなく空の広さへ木々芽吹く
逢ひに来し緑の中の古川句碑
葉桜の影踏みて訪ふ古川句碑
地に低く咲くたんぽぽに佇みぬ
水音のかすかにありし青すだれ
鐘の音の長き余韻や春夕べ
薫風や古き唱歌を口遊む

  大 手 毬   安食彰彦 
ふりむけば白を極めし大手毬
山風にほろりと咲けり更紗木瓜
全円の蒲公英の絮風待ちて
茄子苗とトマトの苗を二本づつ
田も畑も杉菜ばかりの村境
はんなりと影を持ちたる黒牡丹
田植機を降りて夕日を拝みけり
雨蛙鳴く日交渉まとまらず

 白 牡 丹   青木華都子
けきよけきよとほうと鶯声試し
結ばずに包む風呂敷さくら餅
散る牡丹明日咲く牡丹白牡丹
ぼうたんの一気に崩る紅と白
通り抜け出来るお寺の白牡丹
花は葉に並んで二本山ざくら
蓬摘む指先よもぎ色に染む
駄菓子屋のどれも百円柏餅

 豆 の 花  村上尚子
昭和の日富士が大きく見えてをり
剪毛期荒繕ひの牧の柵
羊剪毛仕上げの爪を切りにけり
ぐづる児に少し手ごころ豆の花
春服の女史軽軽とチェロを負ふ
一人だけ乗せてバス行く桐の花
生えたての歯を覗きをり新樹光
夕薄暑物干し台に人のこゑ

 先  師  小浜史都女
千坊の一つのこれり囀れり
先師より教はりし姫踊子草
一枚だけ残りげんげ田鋤かれゆく
負荷すこしかけて歩けり金鳳華
草いちご木いちごも花終る雨
竹の子の掘られしあとの力雨
見たくなき蛇帰りにも見てしまふ
娘の家とおなじびつくり茱萸熟るる
 開眼法会  小林梨花
声明の響く御堂や緑立つ
開眼法会墓石輝く蝶の昼
空に書く白毫の筆春深し
新緑や朱き法衣の袂揺れ
若葉風開眼法会の経流る
開け放つ堂に飛び込む夏燕
転読の風に揺らめく夏の燭
緑さす色とりどりの風の旗

 杉 花 粉  鶴見一石子
人を恋ひ大地を恋ふる別れ霜
束の間のごろ寝賜る目借時
杉花粉いまさら何を咎むるや
幸せはほどほどがよし夜の新樹
あやめ草江戸へ百里の水車
天領の里綿菅にうもれけり
木道のくの字くの字の水芭蕉
鳴き龍の哭ける薄暑のこゑにぶし

  滝    渡邉春枝
渓流の底まで透けて若葉風
語るごと男滝女滝の響き合ふ
滝落ちて滝のしぶきに煽られし
滝壷の瑠璃より深き色湛へ
濃淡の若葉かさねて山深し
滝を来て滝に憩ひの荷を下す
滴りの一滴づつの流れかな
髪洗ふ秘境の谷を下り来て

 ゆ く 春   渥美絹代
正文を語るに春の踏込炉
おん僧の摘みし蕨の丈そろふ
桜蘂降る分校の投票所
いきなりの大粒の雨御開帳
ゆく春の峠越えゆく路線バス
天窓に白雲あふれ武具飾る
大鯉の跳ね矢車のよく鳴りぬ
葉桜やバイク影濃くよぎりゆく

 白 木 蓮  今井星女
白蓮の日ごと日ごとの蕾かな
白蓮のつんつん空へ蕾上ぐ
白蓮の蕾ふくらむ昨日今日
白蓮の葉に先がけて花ひらく
白蓮の白を極めて影もたず
夜の闇に白木蓮のあかりあり
「サイタサイタサクラガサイタ」と幼き日
廃校となる学舎に桜咲く

 名残の雪  金田野歩女
名残の雪意地張るやうな降りつぷり
春日和白熊の仔の授乳中
三世代揃つて仰ぐ紫木蓮
レプリカの象の骨格花曇
鰊の目と視線合はさぬやう捌く
春風や小樽名代の蒲鉾屋
西向きの書道教室薄暑光
車椅子に譲る木道水芭蕉

 麦 の 秋  寺澤朝子
筆文字の馴染みて来たる仏生会
とほく鳴るお帰りチャイム花おぼろ
ビルの間に結びて流れ花筏
読書いま幕末時代春の闇
ひと雨にぬれて生き生き軒菖蒲
乳母車に子犬満載五月来る
蜿蜒たりし若き日憶へ麦の秋
「暫」の像に睨まる若葉寒


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 藤  見  富田 郁子
藤寺の藤の盛りに誘はるる
よき日和老婆も猫も藤見かな
しだれ咲く藤に飛びつく三才児
藤棚の卓にひらひら花が散る
藤棚の下に浮世を忘れけり
藤ゆれて夢うつつなる卒寿かな

 蝶 の 昼  桧林 ひろ子
膨らんで来て囀りの木となりぬ
お布巾のひらひら乾く蝶の昼
老鴬の貫禄の声揃ひけり
鉄線の花水平に咲きそろふ
小判には少し間のある小判草
サングラス似合はぬ年となりにけり

 老  鴬  武永 江邨
一枚は上戸ばかりの花見茣蓙
燕来る空家となりし軒覗く
八重椿朝の靜寂に落ちにけり
老鴬の声撥ね返すダム湖かな
老鴬の兄の忌日を告げに来し
老鴬の声筒抜けや忌を修す

 水 芭 蕉  野口 一秋
人肌の一献八十八夜寒
鳴竜を鳴かせ日光夏のはじめ
にんげんの貌貌貌や水芭蕉
末席を汚してをりぬ余り苗
仏心の掃きのこしたる蟻地獄
アカシアの花の天麩羅乙なもの

 夕つばめ  福村 ミサ子
手裏剣のやうに飛び交ふ雨つばめ
光りつつ春田をめぐる水の音
雉子鳴く動くものなき村の昼
花街の名残りの路地や夕つばめ
開きゆく力に揺るる牡丹かな
七七忌姉に剪りたる白牡丹

 新茶注ぐ  松田 千世子
句碑の裾忘れ杖あり麗らけし
夕さりの風の柔らぎ茶の芽立つ
連れ添へば無言も会話新茶注ぐ
母の日や唐桟縞の母を恋ふ
雨あとの開ききつたる破れ傘
空つぽのバス折り返す茶摘どき

 風 光 る  三島 玉絵
城門の乳鋲の銹や花曇り
花冷や温め直す薬草茶
胸像の耳ふくよかに風光る
高空を風通り過ぐ竹の秋
火袋を抜くる風あり若楓
梵鐘の余韻の籠もる朧かな

 飛花落花  織田 美智子
口笛を吹きて犬呼ぶ木の芽晴
手にほぐす土や蛙の目借時
豆の花天気予報のはづれけり
校門のあたり最も飛花落花
桜しべ降る産土の百度石
クローバーの四つ葉を捜すいまもなほ
 
 草 競 馬  笠原 沢江
ざわめきを煽る潮風草競馬
声援が茶原に届く浜競馬
竹の子の掘り手を連れてふる里へ
一頭が号砲恐れ草競馬
負けと見て外れてゆきたる草競馬
吹き荒れに怺へてゐたる実梅かな 

 春 の 海  上村  均
投錨の音して春の湖明けぬ
急坂の尽きてひろごる春の海
ひらひらと大河に出でし蝶戻る
菜の花や舟を操る竹撓り
囀りや巫女が塵焼く奥の院
仲春を鳥の語らふ雑木山

 大 曝 書  加茂 都紀女
手伝ひに戻る寺の子端午の日
筍の伸び放題や寺行事
本堂の鴟尾の金色五月晴
廻廊に僧の沓音風薫る
大般若心経唱和大曝書
もてなしの筍飯の五升炊き

 初つばめ  関口 都亦絵
岩山の梵天掠め初つばめ
胸突きの磴の氏神花万朶
花筏鯉の尾鰭が崩しけり
乳の香の残る牛舎や雀の子
踊子草をどり疲れを見せぬ色
老鶯に力をもらひ八合目

 与謝野晶子の堺  奥田  積
落花あぶる晶子の歌碑や朝まだき
駿河屋は晶子の生家花すみれ
利休井戸へ飛石づたひ花ぐもり
茎立つや鉄砲屋敷の細格子
山川に山川の音山桜
白波のせかるる瀬音濃山吹

 雨のひかり  梶川 裕子
雨の日は雨のひかりに柳の芽
甘茶佛背すぢ正して濡れ給ふ
春昼の汲み出してゐる舟の塗
竹垣の縄目の揃ふ木の芽風
雨意こめて湖平らなる残り鴨
庫裡の灯の墓域に洩るるおぼろかな

 初摘新茶  金井 秀穂
花辛夷暮れかねてゐる一と所
三寸の小釈迦に適ふ甘茶杓
観音の捧ぐる蓮華花の雨
裏山に雉子の棲みつく杣家かな
太極拳の仕種ゆるゆる花の下
初摘みの新茶速達便でくる


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 喜久栄

うぐひすの一声杜を濡らしけり
人ごゑのあふるる方へ桜散る
ちちははの墓より仰ぐ花の山
行きずりの人に声かけ春の虹
歩み初むる児に紋黄蝶翅ひらく


 岡  あさ乃

遠足の列を遮る信号機
木道を歩荷にゆづる水芭蕉
水の上の雲を掻きゆく春の鴨
採血の拳を握る薄暑かな
泉湧く恋占ひの透し文字



白光秀句
村上尚子


うぐひすの一声杜を濡らしけり  鈴木喜久栄

 先日知人と電話で話をしていると、〝ホーホケキョ〟という声が電話口より何度も聞こえてきた。勿論家の中にある電話である。
 「うぐひす」は都会でない限り、その鳴き声は最も親しまれている。姿は見えなくてもやはりあの特徴のある美しい声に触発される。
 掲句はその時の感覚を「一声杜を濡らしけり」と表現した。この強い断定にはいささかの揺るぎもない。現実にはありえないことだが、それが作者の独自の感性である。
人ごゑのあふるる方へ桜散る
歩み初むる児に紋黄蝶翅ひらく
 これらも作者ならではの目と心で表現している。いずれも神経のゆき届いた作品である。

水の上の雲を掻きゆく春の鴨  岡 あさ乃

 冬の鴨は一箇所にたくさん集まっているので、広い視野をもって観察することが多い。それに比べ「春の鴨」は数えるほどしか見られなくなるので、おのずと一羽一羽の動きがよく見えてくる。「水の上の雲を掻きゆく」からは、穏やかな天候と鴨の動きが細やかに伝わってくる。鴨に対する作者の心情が、深く投影されているのが分かる。

万愚節真つ赤なシャトルバスに乗る  後藤 政春

 四月一日は、罪のない嘘をついて他人をかついだりしても良いとして楽しむ風習がある。季語としても最近は「万愚節」を使うより、〝四月馬鹿〟〝エイプリルフール〟を使う方が一般的かも知れない。愉快な季語だけにとかく川柳っぽくなりやすい。全くナンセンスである。
 掲句は事実だったかも知れないが、この作品に見られる取り合せには俳句ならではの醍醐味がある。「真つ赤な」という促音と目から入る色の鮮やかさが、リズムと共に心地よく受け入れられ小気味良い。

かげろふに巻かれてゐたる多宝塔  富田 育子

 「かげろふ」は、はかないもの等を形容するのによく用いられるが、掲句は忠実な写生句である。しかしその様子を「巻かれてゐたる」とした。そしてそれが「多宝塔」であったというところが軽妙酒脱である。

寺の子の自慢してゐる花御堂  清水 純子

 最近の「花御堂」は造花で済ますものもある。しかしこの「花御堂」はきっと摘みたての花をふんだんに使って作られたものであろう。「寺の子」は得意気な顔をして参拝者に説明をしている。回りは温かい空気と笑みで溢れている。

初音聞きけふの日記を朱で囲む  斉藤かつみ

 〝春告鳥〟と言われるように、うぐいすの「初音」を聞いた日は特別な気持になる。「日記を朱で囲む」に作者の喜びが強く表現されている。今日は良い一日だった。きっと幸せな気分で眠りに着いたに違いない。

田植機に道ゆづらるる三輪車  中組美喜枝

 いかつい「田植機」とかわいい「三輪車」の交通ルール。農村のこの時期ならではの光景である。これを見届けた作者も周囲の人達もほっとしたに違いない。子供は大人の温かい目差の元で育ってゆく。

係留のヨット揺れあふ花の岸  高野 房子

 この湖か海の岸には今桜が満開である。繋がれている「ヨット」は風や航跡によって揺れているのであろう。しかし掲句はヨット同士が「花」の咲いている風景を喜びながら揺れ合っているように見たところが面白い。

飴細工伸ばして畳む清和かな  三浦 紗和

 「飴細工」と「清和」には何の因果関係もない。この作品の面白いのはやはり「伸ばして畳む」という具体的な行為と言葉にある。少し春が遅くやってくる札幌にお住まいの作者ならではの初夏の感覚である。

水芭蕉水がみちくさして通る  福嶋ふさ子

 「水芭蕉」に「水」はつきものだが、「みちくさ」という何げない言葉が出てきたことにより、一句の背景が具体的に見えてきた。ちなみに水芭蕉は日本の中部以北の山地の湿地に群生するのが特徴。先ず思い出すのが群馬、福島県境にある尾瀬ヶ原であろうか。大切にしたい風景である。

種袋かしやかしや振つて畑に立つ  中西 晃子

 殻類、野菜、草花のいずれにしても「種袋」には夢がある。この作品で言うなら「かしやかしや」である。作者の頭の中は、既に袋に描かれているきれいな絵が、現実のものとして広がっている。


    その他の感銘句
風に折れては噴水の立ち上がる
春筍の重さに尖る畚の底
少しづつ下ろすファスナー花疲れ
乾杯は手作りジュース春の宵
尾鰭まで風を貰ひて鯉幟
母山羊の乳房おもたき卯月かな
桐箱に納むる雛の重さかな
大輪の緋牡丹いさぎよく崩る
留守番を詰碁で過ごす日永かな
昭和の日午後より雨の上がりけり
手の平に数たしかめて種をまく
月朧文草々と結びけり
鯉のぼり吹奏楽の音にそよぐ
百植ゑて百の花咲くチューリップ
葱坊主踵つぶれしスニーカー
大石登美恵
西村ゆうき
牧沢 純江
西川 玲子
大石 益江
北原みどり
浅見 善平
高添すみれ
貞広 晃平
鍵山 皐月
落合 勝子
若林 眞弓
有田きく子
山口 和恵
水出もとめ


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 浜 松  林  浩世

巻癖のとれぬ賞状木の芽風
花通草引いて雫を浴びにけり
内陣の灯されてをり花の雨
綾取りののびてちぢんで春の雲
帆は風を大きくはらみ夏近し

 
 浜 松  中山 雅史

負鶏の鶏冠ちぎれてとびにけり
ゆく春の鶏鳴村のいづくにも
こらへゐしなみだのごとき落花かな
苔厚くして滴りの遅れがち
作り滝匂ひなき水流れをり



白魚火秀句
白岩敏秀


帆は風を大きくはらみ夏近し  林  浩世

 海原の風をはらんで大きく膨らむ白い帆。或いはうねり来る波に右に左に揺れているかも知れない。
 〈炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子〉は誓子の遠い青春を思わせるが、掲句は今が青春なのだ。波を蹴って軽快に進むヨットの帆の白さが、夏近しの感じをよく表している。詩精神の若々しい句。
巻癖のとれぬ賞状木の芽風
 賞状は貰うときには平らだが、仕舞う時は大抵巻いてしまう。しかも一本の筒に何枚もの賞状を押し込んでしまう。
 棚か押し入れを整理していたのだろう。かって貰った賞状が出て来た。はて、何の賞状と開いてみるのだが、すぐ丸く巻いてしまって、早速には読ましてくれない。
古い賞状のごわごわした手触りと木の芽風の柔らかさとの感触のずれが、一句の焦点となっている。

作り滝匂ひなき水流れをり  中山 雅史

 涼を感じさせるために、料亭や公園に滝を作ることがある。岩組も水も本物。しかし、「神ませば」とも思われず、「群青世界」も轟かない滝である。特に、万緑の山を断ち切って来た水のワイルドな匂いがない。
 作り滝は視覚や聴覚で涼を感じさせながら、臭覚ではそれができなかった。人工的なもののかなしさを鋭く衝いている一句。

大き手は男の勲章畑を打つ  若林 光一

 長年、農に従事してきた手である。厚くてがっしりと大きい。
 暑いときも寒いときも、ひたすらに田や畑を打ち、農を守り続けてきた。その誇りが「男の勲章」としての大き手だ。働いて働き続けて来た手を、じっと見詰める作者に大きな安らぎがある。

検針員ゆすら咲く庭通りけり  鈴木 利久

 どの検針員もそうだと思うのだが、彼等はすっと影のようにきて、影のようにすっと帰ってゆく。勿論、顔が合えば会釈は交わすのだが。
 この検針員も影のように来て、庭を横切って帰ってしまった。今を盛りと咲いている庭のゆすらうめに目を留めたかどうか…。
 この句は日常が淡い水彩画のように描かれていて、読者に印象を強制していない。言葉に余計な負担をかけていないからである。

大雪山の源流下り山女釣る  岡崎 健風

 大雪山(旭岳)は北海道の中央にある標高二、二九一メートルの山。もとはアイヌ語で「川がめぐる上の山」の意だという。
 「川がめぐる上の山」とは(略)石狩・十勝の二大川がその源をこの山塊から発し、その麓を巡って流れている。(『日本百名山』深田久弥著 新潮文庫)
 大雪山を源にする流れ。それを「源流下り」として一句のスケールを大きくした。遠くの瀑布の音も清冽な渓声もすべてこの中にある。

大谷川もんどり打つて夏に入る  秋葉 咲女

 広辞苑によると大谷川は「栃木県西部の川。中禅寺湖の水が落下して華厳滝となり、含満ヶ淵・日光市をへて鬼怒川に合流する(略)」とある。さすれば、もんどりを打った辺りは華厳の滝あたりか。
 飯田龍太に〈渓川の身を揺りて夏来るなり〉がある。龍太は「身を揺りて」とし、掲句は「もんどり打つて」とした。川は様々な表情をみせて夏に入る。その表情の発見が「もんどり打つて」である。

畑打ちの畝まつすぐに駒ヶ岳に伸ぶ  小嶋都志子

 「駒ヶ岳」を辞書で調べてみると六つの駒ヶ岳があった。
作者は函館に住んでいるので、この駒ヶ岳は北海道の山であろう。そして、この畝は馬鈴薯を植える準備なのであろう。
 広い大地を耕し、真っ直ぐに畝を立ててゆく。畝は彼方の駒ヶ岳に収斂される。十七音のカンバスに駒ヶ岳と畑の畝を遠近のある絵画に仕上げている。

鶯の声あたたむる藪の中  鶴田 幸子

 春の鶯の声は、まだ幼くてたどたどしい。一声鳴いてはしばらく休む。それを作者は次に鳴く声をあたためていると捉えている。幼いものや未熟なものに対する暖かい思い遣りが感じられる。きっとやさしい人なのだろう。


    その他触れたかった秀句     

飛び立てる子燕を待つ青い空
かたくりの目覚めの色を開きけり
軒を開け家の燕として迎ふ
サーファーの若布を肩にもどりけり
鱒寿司を買つて新幹線に乗る
杓の柄に人のぬくみや仏生会
堰音の更に花冷ふかめけり
虫めきて海棠の花見上げをり
正確に日時計のさす金鳳花
初蝶の湖の光となりて舞ふ
ランドセル置きざりにしてしやぼん玉
うららかや指一本で彈くピアノ
燕来る白き産着を干す家に
夕映えや被爆の川に柳絮とぶ
鳶の舞ふ空も五月となりにけり

高内 尚子
檜林 弘一
山田ヨシコ
中  文子
川上 征夫
森田 陽子
原  文子
富岡のり子
田久保とし子
生馬 明子
八下田善水
影山  園
佐野 栄子
上尾 勝彦
森田 竹男

禁無断転載